鳳翔の用事が終わったということで来栖提督は撤収。事が済んだ後は疲れを癒すために、私、若葉は三日月と談話室でまったりしていた。随分疲れた顔をしていた。それまでの間に三日月は姉妹にいろいろやられていたようである。
「姉さん達にさんざん問いただされました……若葉さんとは何処まで行ったんだと……」
「何処までと言われてもな」
「如月姉さんのせいで、みんな悪ノリし過ぎです」
少し離れていた分、しっかと手を握ってくる。散々な目に遭ったからか、私の温もりが欲しいとのこと。気分を落ち着けるために私の側にいるというのは続行中。
如月はトラブルメーカーというわけでは無いのだが、色恋沙汰が絡むと途端に活性化するようである。いやまあ色恋とかそういうのでは無いのだが、如月にはそういう風に見えるらしい。三日月曰く、如月はピンク色思考だとか。
「如月が元気になってよかったじゃないか。トラウマでもっと落ち込むかと思っていたが」
「ダシに使われた感が凄いですけどね。落ち込まれるよりはマシですか」
「ああ、そこは素直に喜ぶべきだろう」
完成品故に薬の禁断症状もなく、後遺症が脳では無いために悲壮感もない。如月は一番軽かったと言ってもいいだろう。朝霜といい勝負か。そのため、トラウマはあっても私達に沈んだ姿を見せることは今のところ無い。
隠れたところで落ち込んでいるかもしれないので、一緒に寝ることもある姉や初霜にこっそり監視してもらってはいる。初霜も新たな任務に張り切っていた。それで何も言ってこないのだから、今は大丈夫と判断した。
「残りの時間は若葉さんと一緒にいます。疲れました」
「ああ、構わない。好きなだけ癒されてくれ」
私も三日月の頭を撫でながら癒される。少し離れていたくらいなのだが、その分を取り返すくらいにベッタリになっているのはやはり侵食の影響か。
「いちゃついてるとこ悪いんだけど」
などとしている時に曙が談話室に入ってきた。私達に用があるようである。曙が目の前に来ても三日月は離れるどころか密着度を上げてきたレベルなので、曙が溜息をついた。
施設公認とわかってから、三日月はもう羞恥心すら感じずに来る。曙から冷やかされるのも仕方あるまい。
「先生から話聞いてる?」
「援軍のことか」
それなら現場にいたので知っている。飛鳥医師の負荷を下げるために、医療関係の援軍を下呂大将にお願いしたが、すぐにでも用意すると言ってくれていた。
「そうそれ。先生の援軍、明日来るって」
「明日!?」
いくらなんでも早過ぎる。最初からそれを言われることを待っていたかのようだった。大分前から選定済みだったとしか思えない。
というわけで翌日。当然ながら、初めて来る人間だ。嗅覚による確認は必須事項。私がこの場にいるのだから、当然シグも見てくれている。何かあったら夢で説明してくれるだろう。
いくら下呂大将が探し当てた人間だとしても、あちら側と繋がっているような素振りがあれば即座に捕縛。スパイなんて絶対に許さない。
「昨日の今日だぞ……前以て準備してたなこれは……」
「下呂大将は飛鳥医師のことが心配だったんだろう」
「……そういうことにしておく」
そうこうしている内に、施設に車が乗りつける。いつものまるゆ運転なのだが、艦娘の運搬ではなく人間の運搬のため、少し違う車。艤装などが必要ないために大型車ではなく、いわゆるボックスカーというヤツ。
そこからまずは下呂大将が下りてくる。流石にまだ松葉杖が必要であり、今回はまるゆが支えになっている。身長差はあるものの、まるゆとて艦娘、人間1人くらいなら楽々支えることは出来た。
「飛鳥がようやく人員補強を要請してくれて、私も嬉しいですよ」
「そ、そこまでですか」
「君は責任を自分だけで取りたがるきらいがありますからね」
ぐうの音も出ない様子。来栖提督にも言われていたが、1人で何とかしようとすることが多い。私達に知識が無いから、素人が手伝うわけにはいかないことはわかるものの、もう少し頼ってもらいたいものである。
「さて、すぐに本題を。君のサポートが出来そうな者は、元々目を付けていたんです。正直な話、君から頼まれたら確実に声をかけるつもりだった者ですね」
「そうだとしても、あまりにも早すぎます。それに、ここに来たからには絶対に住み込みですよ」
「ええ、その辺りも問題ないです。本人に全てを話していますから」
ここの施設の在り方は口外出来ないことばかりであり、一度知ったが最後、まず後戻りは出来ないような内容だ。そんなことを聞いて、ここでの住み込みを良しと出来るとなると、思った以上に胆力がある者なのかもしれない。
「……僕が言うのはアレですが、よく受け入れられましたね」
「君の今やっていることは、卑下されるものでは無いんですよ。誇りを持ちなさい」
話もそこそこに、援軍として来てくれた者を紹介してもらう。
車から出てきたのは、トランクを運びながらやってくる女性。歩く姿だけ見れば何の変哲もないただの人間である。ただし、心を外に出さないものなんていくらでもいる。ここからが私の本領発揮。
「初めまして、飛鳥先生。私、
少し小柄な女性ではあるが、大人の女性なのはわかる。おおよそ摩耶や鳥海より少し上くらいの外見に思える。
丁寧な態度で飛鳥医師に対してペコリとお辞儀。一応この施設では上司と部下という間柄になるため、これが正しいか。
「若葉、チェック」
「了解」
飛鳥医師に頼まれ、蝦尾女史の匂いを嗅がせてもらう。新提督の時のようにさりげなくではなく、堂々と真正面からである。
この辺りはあちらに伝わっていないようで、私が嗅いでいくことに驚いていた。男性ならまだしも、女性なら自分の匂いをどうこう言われることには抵抗があると思う。
「あの、これは」
「うちの若葉は相手の感情を匂いで判定できる。あとは、敵の匂いを持っていないかを確認してもらっているんだ。申し訳ないが、この施設に初めて来たものは必ずこれを受けてもらっている」
裏切り者ならば、ここで何かしらの負の匂いが現れる。嫌悪や動揺、不安、罪悪感なんてのも感じられるだろう。その全ては、私達に対する
それに加え、姫や人形、完成品特有の匂いというのもある。大淀と直接関係しているのなら確実にその匂いが移っている。そうでなくても関連するものが近くにあるなら近しい匂いがするはずだ。
少なくとも外見や能力が艦娘から逸脱している私を見ても、奇異の目で見てこなかったのは評価出来る。これなら三日月を見ても酷いことにはならないはず。
蝦尾女史から感じられた感情の匂いは、驚きと緊張、そして
また、身体から感じ取れるのは消毒の匂いが強い。飛鳥医師と似たような匂いだ。そういうことがやれるからこそ、しっかりと消毒を欠かさない。あとはその奥に違う匂いもいくつかあるが、私の知らないような薬の匂いだと思う。
「不審な匂いは無い。消毒の匂いが強いから、飛鳥医師と同じような仕事をしているのはわかる。その奥には薬の匂いだ。すまないが、若葉は知らない匂いがいくつもある」
「同業者であることは間違いないわけだな」
「ああ。あとは、強い好意の匂いがする」
蝦尾女史から動揺の匂い。隠していたい本心を曝け出されたことへの動揺のように思えた。申し訳ないが、その辺りまでしっかり詳かにしてもらわなければ信用が出来ないのがこの施設だ。
人間に効くかは知らないが、暁の時のような催眠や暗示のようなもので突然裏切るなんてこともあり得る。危険な潰せる要素は潰せるだけ潰したい。
「好意か。嫌悪でないのならいいが」
「飛鳥医師に対しても、若葉に対しても、その匂いは変わらない。この施設に対する好意だと予想する」
驚きの匂いが強まる。新提督のガーデニング趣味を言い当てた時のような驚き方だ。
「えぇと……はい、素直に話します。私、実は……飛鳥さんの論文を何度も読ませていただいておりまして」
「ああ、鎮守府で活動している時にいくつか提出しているな。負の遺産だと思っていたが」
艦娘の蘇生については濁した状態らしいが、単純に艦娘の生態について事細かく記載されたもの論文だそうだ。蘇生するにも、艦娘のことをよく知っていなければ出来ないため、後々のために全て書き記していたとのこと。それを何度も読んでいたということは、そういう意味でも同業者と見るのが自然か。
「その頃から……ですね、私、飛鳥先生の……
「……あ、ああ」
数ある論文の中でも、飛鳥医師のものほど読みやすく引き込まれる内容は無かったと、蝦尾女史は語る。私達には難しすぎて理解が出来ないとは思うが、専門分野の者にはそういうものなのだろう。
「特にですね、艦娘と人間の同一性の部分は何度も熟読させていただきました。医療という観点からアクセスした論文の中でも特に面白くてですね、今でも持ち歩いて読んでいるくらいなんです」
熱弁。その勢いに圧倒されそうだったが、とにかく、蝦尾女史が飛鳥医師のことを尊敬しているということはよくわかった。禁忌を犯したことを隠しているにしても、こうまで好意的に受け取ってくれるのなら、施設でもやっていけそうな気がする。
「その飛鳥先生と一緒に働けると聞き、胸がいっぱいで……」
「だが、先生から聞いていないのだろうか。ここでは住み込みで、かつ、危険な職場であると」
「聞いています。ですが、艦娘に関する研究をしている限り、危険なのは何処も同じだと思います。なら、私はここを選びます」
もう目がキラキラしていた。尊敬する者、雲の上の存在を目の当たりにしているような高揚感。下呂大将ですら少し苦笑気味。
「それで、その……これを読んでいただけませんか。私の論文なんです」
鞄の中から数枚の紙を取り出し、飛鳥医師に渡した。蝦尾女史の書いた論文であり、まだ上には見せていない研究成果らしい。上に見せる前に飛鳥医師に見せる辺り、本当に尊敬しているのだろうと思う。
こんな場所でやることは無いとは思っていたが、熱意に負けて飛鳥医師もそれに目をやる。その内容から蝦尾女史のことも理解出来るだろうし、確認するに越したことはない。
だが、読み進めていく内に、飛鳥医師の表情が変わっていく。
「君はこれを独学で?」
「はい、独学というか……いろいろな論文を加味して、出来る限りの検証もしています。実験が出来るものなんて限られていますから、憶測も少しあるんですが」
尊敬する者が自分の論文を読んでくれているという歓喜が強く、蝦尾女史から裏が見えない。全て表に出した結果がこれだというのなら、信用は出来る。
「……末恐ろしいな。艦娘の体組織を研究した結果で、実用性のある高速修復材の代替品が作れるだなんて……」
つまり、今まで私達が節約し続けてきた少量の修復材を、別の材料から作り出してしまったということだ。これも艦娘への医療に繋がる偉業ではあるのだが、簡単には受け入れられない内容でもある。
しかし、この研究成果は私達に今一番必要なものかもしれない。艦娘の体組織の研究をしていたということは、深海の侵食についても何かわかるかもしれないのだ。飛鳥医師が手こずっていたことも、蝦尾女史なら辿り着ける可能性がある。
外科手術は一切出来ないにしても、解剖くらいなら可能というのなら、最高の即戦力とも言えるだろう。
「どうですか飛鳥。私の目には狂いはないと思いますが」
「はい、蝦尾さんは、今この施設に必要不可欠な能力を持っていると思います」
論文を返し、改めて蝦尾女史を見据える飛鳥医師。
「蝦尾さん、君が嫌でなければ、僕と共にこの施設で研究を進めてくれないだろうか。ここには救わなくてはいけない者が数多くいる。僕だけの力では足りない部分も多いだろう」
「私で良ければ、いくらでもお手伝いさせていただきます。尊敬する飛鳥先生と共同研究出来るだなんて、夢のようです!」
ガッチリ握手をして、仲間として迎え入れた。下呂大将もうんうんと喜ぶように頷く。
蝦尾女史参入により、この施設はまた一歩進むことになる。優先順位が最も高い、瑞鶴を目覚めさせるための研究も、これで一気に進むことだろう。
まずはこの施設に慣れてもらうことからになるだろうが、匂いからわかる限り、蝦尾女史は種族による差別もしない。すぐに溶け込むことが出来そうだ。
飛鳥医師の大ファンという女性医療研究員、蝦尾。名前の由来は医術の女神エピオネから。飛鳥医師の由来となっているあの人とも関係がある女神です。気になった方は調べてみてください。