翌日より、蝦尾女史も含めた研究が開始される。いの一番に行なわれるのは、切断して保存してある鳥海の脚を使った深海の侵食についての調査。体組織のスペシャリストである蝦尾女史ならば、飛鳥医師でもわからない部分にメスを入れることが出来るかもしれない。
私、若葉はその研究の手伝いをすることになった。嗅覚を使い、鳥海の脚で最も深海の要素がある部分を嗅ぎ当てるのが目的だ。また、私と共に三日月も参加する。鳥海の時には判断が出来なかったが、視覚によるサポートもあった方がいい。
一応私も左眼が侵食されたことで視覚にも影響が出ていた。だが、両眼とも侵食された三日月には敵わない。サポートしてもらうのが吉。
「2人ともすまないな。訓練も必要だろう」
「いや、構わない。瑞鶴を目覚めさせる研究は、みんなで協力して早く終わらせる必要があるだろう。優先順位が高いのはこちらだ」
「若葉さんと同じ意見です。それに、この研究が進めば私の肌の件も進むかもしれないと思うので」
脳障害を取り払うことが出来る研究に繋がるものは、もしかしたら人工皮膚の開発にも影響を与えるかもしれない。そう思って三日月は参加している。そういう自分の欲望に忠実に動くところも深海の侵食の影響かもしれないが、今の私にはそこも愛らしく思える。
「まずは物を出すか。これがあの時に切除した、鳥海の脚だ」
処置室のベッドの上に置かれた、鳥海の脚。わかっていたことだが、なかなかにグロテスク。嵐の日に漂着した深海棲艦の亡骸と同じく、追加で破損しないように保存されていたそれは、断面も綺麗なものであった。
「これが機能不全を起こしていた脚……ですか」
「ああ。蝦尾さんはこういったものを取り扱ったことは?」
「ありません。私が使わせてもらえたのは髪や爪などの幾らでも増えるものでしたので」
流石に艦娘の四肢や遺体を使った研究などはしたことがないとのこと。普通ならば倫理的にも難しいだろう。これが当然なのであり、私達は若干感覚が麻痺してきているのかもしれない。
「ここの鳥海ちゃんは、脚が不自由
「ああ、あまり胸を張れることでは無いが」
「充分すぎますよ。外的障害で艦娘生命を絶たれた者が、回復して現役に返り咲いているんですよね。それが出来るだけでも凄いです」
目をキラキラさせながら蝦尾女史が熱弁。やり方はどうであれ、飛鳥医師のやった治療は、終わってしまった艦娘を元に戻したような偉業だ。
そしてそれは1人だけではない。私だってそうだし、三日月だってそうだ。見た目は多少変わっていても、私は初春型駆逐艦若葉だし、三日月は睦月型駆逐艦三日月である。戦えるようにしてもらったことを、ずっと感謝している。
「その一員に加われること、とても嬉しいです。張り切ってやっていきたいと思います」
「張り切りすぎて失敗しないように」
「勿論です。飛鳥先生に選んでもらえたんですから」
切除された脚を前にこのテンション。大ファンというのも頷ける。
「では、始めよう。若葉、詳細な場所を教えてくれ」
「了解」
ここから研究は開始される。それに参加する私も、艦娘というよりは助手というイメージになった。
研究開始から時間が経ち、大体小一時間というところ。充実した研究が出来ているようで、会話が途切れない。
「血管を通して全身に行き渡っているんでしょうか」
「ああ、胸骨と腸骨に仕込まれていた」
「造血細胞を改造されていたんですか? だからこんなにも染み渡っているんですね」
お互いに有識者であるが故に、説明が簡単でも淡々と進んでいく研究。どう調べるにしてもこの脚を刻む必要があるため、飛鳥医師がメスを持ち、私が指示した部分を刻む形で調査が進んでいく。
脚を刻むと同時に深海の匂いが溢れ出し、三日月も表に出た侵食部分から深海のオーラのようなものを感じ取っている。処置室の中は血の匂いで充満しているような状態。それでも完成品の強烈な深海の匂いはやたら目立つ。
「そこ、深海の要素が強いです」
「ここですね。成分解析します」
三日月に言われた部分の体組織を小さな入れ物に入れ、蝦尾女史の荷物にあった特殊な装置で解析を始める。治療にも使えるかと持ってきた分析機が早速役に立ったのだとか。
蝦尾女史のサポートは三日月。当然適当に刻んでいるわけではないことは百も承知ではあるが、人間には見えないいろいろなものが私達には見えているので、指示はどうしても必要。
むしろ三日月が昨日からの新参に協力していることが嬉しい。人間嫌いも大分緩和されたと思う。話し方は少しぶっきらぼうになってしまっているものの、接近すら拒んだ最初とは雲泥の差。
「外科手術で摘出出来るのならしているんだがな……」
「範囲が広すぎるのが考えものか」
「ああ。如月の腕ですら移植の方が早いくらいだ。脳もこれと同じだと、どうしても傷付けてしまう」
修復材多用で即座に修復しながらの処置でも、脳全体に根を張っているというのなら話が別だ。命に関わる場所が数多く侵食されているとなると、摘出という手段は取れない。切除ではない方法で、侵食のみを消し去る方法があればいいのだが。
「……これは」
「蝦尾さん、何かあったか?」
成分解析をしていた蝦尾女史が小さく声を上げた。脚から手に入れた侵食された細胞に何かを発見したらしい。
正直、もう何か動き出すのかと驚いた。違った専門知識を持つ者が加わるだけで、こうも変わるものかと。
「深海の細胞は根を張っていますが、今見ている範囲では1つたりとも結合はしていません。混ざり合っているのだと思っていましたが、絡み合っているだけです」
「なるほど、僕が思っていたものと違うな……。失敗作が強く癒着していたから、細胞全てが結合しているものだと考えていた」
少しよくわからなかったが、飛鳥医師の考えていた侵食とは違ったらしい。
「どういうことだ?」
「そうだな……君達の身体を土としよう。僕の考えていた侵食は水だったんだが、蝦尾さんの調査の結果、それは植物ということがわかったんだ」
溶け込んでいるわけではなく、根を張っているだけ。手段さえわかれば、地に根を張る植物のようにこの侵食を引っこ抜くことが出来る。つまり、治療が可能であるということだ。
手段は今から調査するのだが、深海の侵食のみを消し去り、その周囲の細胞を再生してしまえば、そのパーツは元に戻る。それこそ、脳ですら上手くいくかもしれない。
当然無理に引き抜けば傷は残るし、そう簡単に引き抜けないのが侵食だ。故に、慎重に行かなくてはいけない。
「ですが、侵食に伴って周囲の細胞が壊されてしまっています。鳥海ちゃんの脚が動かなくなったのはおそらくそれの影響です。神経細胞にも達していますので」
「侵食さえ無くしてしまえば、修復材による治療も可能になるだろう。まずは絡みつく深海の侵食の切除方法を考えよう」
この小一時間で、治療の方針が一気に進んだ。パーツそのものを置き換えなければ治療が出来ないと思われていた深海の侵食の全容が判明したことで、次の段階、艦娘を傷付けずに侵食だけを取り除く手段の調査へと進む。
ひとえに、蝦尾女史が調査してくれたおかげだ。固定観念などもあるが、飛鳥医師では辿り着けない場所にヒントはあった。
「君を呼んで正解だった。僕の治療法だと細胞1つ1つまでは確認出来ないからな」
「お役に立てて光栄です」
しかし、侵食の全貌がわかったとしても、それを簡単に取り除けるわけではない。むしろここからが本題なのかもしれない。長期戦を覚悟しつつも、研究を続けていくことになる。
「……翔鶴の身体はどうなっているんだろうか」
ふとした疑問。大淀の改造により深海の侵食があるとして、それが過剰に悪化したのが翔鶴だ。怨念の塊であるキューブを取り込んでしまったが故に、身体は完全に深海棲艦へと変わり果ててしまったが、植物が根を張るように侵食するというのなら、翔鶴すらも治療出来る手段はあるのではと思えてしまう。
だが、それに関しては飛鳥医師がすぐに答えてくれた。結局のところ憶測でしかないがと付けながら。
「さっきの例えで言うなら、翔鶴は植物そのものになってしまったと考えた方がいい。今蝦尾さんが侵食に伴って周囲の細胞が壊されてしまっていると言ったろう。それで全ての細胞が壊れてしまったとしたら、どうなる」
「……侵食したそれしか残らない」
「そういうことだな。侵食の際に、そこの細胞に成り代わるようにもなっているんだろう。ただ壊すだけなら死んでしまうからな。だから記憶を残している。呂500や初霜のように記憶を失ってしまったのは、成り代わるまでに至っていなかったと考えるのが妥当だ」
そして、それを賄っていたのがキューブ。侵食を無理矢理活性化させて記憶や意志を維持させていたが、処置によりそれを摘出したが故に今の状態になっている。
元完成品の今の症状は、完成させられた後遺症というよりは、完成したために与えられた障害と言ってもいいのかもしれない。キューブは体良く使うための障害克服装置とでも言えるか。
まるで完成していないじゃないか。完成を取り繕っているハリボテだ。
「なら、私達のも同じなんですか?」
今度は三日月からの疑問。完成品の方がそれなのはいいとして、私達の侵食も同じ物なのかというのは気になるところ。
「そこは調べてみなければわからない。だが、同じようになっていると見てもいいとは思う」
「……そうですか。でもいいです。私達には後遺症はありませんし、今私が生きていられるのはこの処置のおかげなので。ぽいちゃんとも出会えましたし」
私もこの処置のおかげで今を生きていられるし、シグという相棒と出会うことが出来たのだ。
治療出来るようになったとしても、私達はそれを手放すことはないだろう。それはシグとの永遠の別れになるだろう。シグを失ってまで元に戻ろうとは思えない。
それに、私は最初に飛鳥医師には伝えてある。身体はこのままでいい、元通りじゃない方がいいと。この傷は私が新たな人生を踏み出した証だ。こんな継ぎ接ぎの身体だが、私は傷と共に歩いていきたい。
「作業に戻ろう。完成品の状態がわかったんだ。次は細胞に根を張った深海の侵食だけを取り除く手段を考えよう」
「周囲の破壊された艦娘の細胞を補填しつつ、侵食している深海棲艦の細胞だけを消滅させる手段、ですね。植物と例えるなら、
私達には難しすぎてよくわからない話になっていきそうだった。三日月もついて行けないようである。ここからは人間2人の独壇場となるだろう。
なんだかんだで昼食の時間。前までなら飛鳥医師は雷に呼ばれるまでは研究に没頭していただろうが、蝦尾女史がいるということで生活リズムがとても健康的になっている。自分のことは顧みないが、他人がいれば健康的な生活を送らせようとし、自分もそれに乗っかることが出来るようだ。そういう意味でも援軍は効果的。
「若葉、三日月、午前中は助かった。午後からは自由にしてくれ」
「了解。また何かあったら呼んでくれ」
「そうさせてもらう。毎日午前中はサポートしてもらうというやり方がいいだろう」
今回は共同研究初日というのと、鳥海の脚を使った初めての回だったため、私達の眼と鼻が必要になったが、午後は今わかっているところを掘り下げることに使うようだ。
午前に新しいことをやり、午後にそれを調べ尽くす。それを繰り返すことで治療法の解明に持っていきたい。
「視覚と嗅覚というサポート、本当にありがたいです。若葉ちゃん、三日月ちゃん、これからもよろしくお願いします」
「役に立てたのなら、若葉も嬉しい」
「はい、若葉さんとの共同作業ですし、今後も力添え出来ればと思います」
ずっと蝦尾女史のサポートをしていたからか、事が済んだ後すぐに私に引っ付いてきた三日月を見て、蝦尾女史も苦笑する。
「本当に仲がいいんですね」
「ああ、若葉と三日月はもう他人ではないからな」
「相思相愛、ですから」
あらあらと蝦尾女史は興味深そうにしたが、飛鳥医師は侵食の進行をまざまざと見せつけられているようで少し申し訳なさそうである。
「カルテに書いてあったと思うが、2人とも、深海の侵食が脳に届いている。結果がこれだと思ってほしい」
「同じ姫のパーツを使い、侵食が進んだことによる同一性の発露…… こういう事だったんですね」
私達のこれもカルテには記載されていたようだ。施設公認の
大淀の施した深海の侵食について触れました。少しわかりづらかったかもしれませんが、土に対する植物という扱いとなります。何かしらの処置により、治療出来そうな可能性だけは示唆されました。