治療の甲斐あり、植物状態だった瑞鶴が目を覚ました。体内を蝕む深海の侵食は全て取り払われ、今でこそ身体がまともに動かないが、少しのリハビリで何とかなるくらいに完治している。飛鳥医師と蝦尾女史の力により、ついに完成品への治療法が確立した瞬間であった。
「どう、瑞鶴。体勢を変えたことで痛みとかは無い?」
「大丈夫。でも車椅子なんて初めてだよ。艦娘がこんなへばり方するだなんて」
リハビリが必要な程に消耗している瑞鶴は、しばらくは翔鶴サポートで車椅子生活となる。
本来なら艦娘の使うことのないようなものだ。消耗したら入渠してしまえば全回復。怪我だって即座に治るし、病気なども心配要らない存在。少し前に曙が不摂生から倒れたが、ドックがあれば元通りである。
しかし、この瑞鶴の症状はそういうものとは理由が違う。入渠しても簡単には治らないだろう。だからこそのリハビリ。筋肉の消耗なのだから、鍛えて元に戻すしかない。幸い艦娘はそういうところも強く出来ているため、数日で何とかなるだろう。
「瑞鶴のことは翔鶴に任せていいだろうか」
「はい、それで大丈夫です」
「何かあったら私も使ってちょうだい」
加賀も率先して瑞鶴のリハビリに参加するようである。生きろと言った手前、更生にも手を貸すとのこと。
「加賀さんには復帰した後に手伝ってもらうわ。確かここにいる人、弓使えるのって加賀さんだけだったよね」
「そうね。赤城さんも翔鶴ももう弓は使わないわ」
赤城の名前が出たことで翔鶴がピクリと反応する。瑞鶴が無事に目を覚ましたことで心に余裕が出来たからか、憎しみが振り返したようである。先日の夜襲の時に大喧嘩しかけたらしいので、今後もやはり顔を合わせないように注意した方がいいかもしれない。
「翔鶴、名前を聞くだけで反応するのはよしなさい」
「……わかっています。ですが、今の私は
赤城も似たようなことを言っていたが、深海棲艦となったことで、こればっかりはすぐにはどうにも出来ないと思う。本能には逆らえない。そこは逆に瑞鶴が支えてやる必要があるかもしれない。
「翔鶴姉がこうなっちゃったのも、何もかも大淀のせいなんでしょ。だったらこの手でぶん殴ってやる」
「それが出来るように、リハビリに励みなさい」
「わかってるって! 復帰したら加賀さんよりも強くなっちゃうからね」
「あら、簡単に行けると思わないことね」
こちらは割と悪くない仲のようである。清く正しい先輩後輩の仲だ。
あれだけ憎しみ合っていた2人でも、瑞鶴はそもそも洗脳されていたからであり、加賀はこの施設で暮らしている内にいろいろ考えることがあった。この2人は殺し合うような事はないだろう。
昼食では翔鶴と瑞鶴も同席してになる。赤城は相変わらず軟禁状態を維持しており、加賀がそちらに付き合っているため、あの2人以外は全員が揃ったことになる。最終的には赤城もここで食べられるようになるといいのだが。
「なんかすごく歓迎ムードなんだけど」
「それだけ瑞鶴が目を覚ますことをみんな望んでたのよ」
「な、なんか恥ずかしいなぁ。子供みたいに食べさせられてるわけだし」
瑞鶴が回復したことで、他の元完成品達の治療も可能であることが証明されたため、この目覚めはみんなにとって最も望まれたもの。
1週間近く物を口にしていなかったので、胃の機能も弱っていると判断した雷が、瑞鶴専用の食べやすい昼食を用意してくれていた。今はそれを翔鶴が食べさせる形で進めている。
「これで脳の後遺症も治療出来ることが確定した。だが……僕の治療の結果、深海のパーツを持つ者は治療出来ない」
血管内で薬を循環させるので、全身に効果が回ることになる。その効果で深海の侵食だけならず細胞全てを破壊してしまうため、そもそもそのパーツを身体に宿しているものに対しては劇薬になってしまった。私も触れたら大変なことになる。
元完成品の中で深海のパーツを移植されているのは鳥海だけだ。動かなくなってしまった脚の移植を行なった後のため、今回の治療は不可能となってしまっている。それを聞いた鳥海は嫌な顔一つしなかった。今の身体を気に入っているとも話す。
「もう少し早ければ良かったんだが……」
「私はこのままで大丈夫です。摩耶と同じになっているわけですし、不自由していませんから」
場所を覚えることが出来ないという後遺症もあるが、それくらいなら生活にはそこまで支障はない。ここの住人であるおかげで、そういった障害には支障がないからだ。1人で何処かに行けという指示はまず間違いなく無い。
「あ、あの、巻雲もその治療を受けていいでしょおか!」
そこで率先して挙手したのは巻雲である。今でも後遺症により、自分の身体が血塗れに見えている幻覚持ち。それが改善されるのなら嬉しいと巻雲は話す。
今は吹っ切れて戦闘にも参加してくれているが、当然ながら幻覚は改善されていない。そのためか、風呂場でも鏡を見ようとはしない。
「ああ、問題ない。瑞鶴の経過観察も必要だが、勿論やっていくつもりだ」
「あー、あたいはいいや。このままで」
朝霜も脳障害。力加減が壊れてしまった、常時リミッター解除状態。生活用の艤装を作ってもらい身体が壊れる事は防いでいるが、そのせいで生活そのものにとても気を使っている。今まで壊したものは結構あるが、最近は加減も覚えてどうにかなっているようだ。
「いざって時に力出る奴ってのはいた方がいいだろ。あたいはそれを受け持つってわけさ。今回の事件終わるまではこのままでいいや」
「相部屋の私は割と苦労してるんだけど」
「片付けは自分でやってんだから言いっこなしで頼むわ」
今でも寝相で近くの物を破壊してしまったりとかがあるらしく、風雲は大分苦労しているようである。
「わかった。朝霜は今はそのままにしておく」
「うーっす。それでよろしく」
「問題は、だ。呂500と初霜を治療するかどうかになる」
言われた当人は頭の上にはてなマークを浮かべているが、こちらとしてはなかなかに悩ましい問題だ。
呂500は言語障害、初霜は幼児退行。それに加えて2人とも記憶喪失状態である。それが治れば戦力増強にもなるし、雷でしか出来なかった意思疎通も可能となる。
とはいえ、あの記憶を取り戻していいかどうか。今までここで治療された者は少なからず心にダメージを受けている。今でこそ全員がそれを表に出さずにいられるが、その時はひどく狼狽えた。たった今瑞鶴も動揺していた。
それをこの2人にも味わわせていいのだろうか。忘れているのなら忘れたままの方がいいのでは無いだろうか。
「アゥ、イィェ、オァ?」
「そう、それに関係してること」
呂500と話ができるのは雷だけ。今の話を聞いてちんぷんかんぷんのように思えたが、呂500としては何か思うところがあるらしい。少し悩んだような素振りを見せた後、今までの少し幼い雰囲気が消え、真面目な表情で雷に話す。
「ンゥ、アゥゥ」
「ろーちゃん、治療を受けるって言ってるわ」
雷の通訳で呂500の意思を知る。
飛鳥医師が何のことを言っているのかはわからないとは思うものの、自分が何かしらの障害を負っていることは言葉が話せないという時点で察しているだろう。それに、曙に対して知らない罪悪感を持っているというのだから尚更だ。
本当の自分がわからない。それを取り戻せるのかもしれない。だから治療を受ける。今までの生活を失うかもしれないが構わないという、呂500の決意の表れだ。
「……わかった。呂500には治療を施す」
「アィ!」
呂500の治療は午後一に開始されることになった。今は食べたばかりのため、少し休憩してからすぐに昏睡状態にして透析となる。
「おねえちゃん、はつしも、なにかあるの?」
この話を聞いていて、初霜は不安そうに姉に話す。治療が必要である何かを自分が内包していると知り、何か病気なのではと怖がっている。
私としては、初霜はこのままでいてくれてもいいと思っている。呂500のようなよくわからない罪悪感を持っているわけでもなく、本当に空っぽになっているのだから、余計なことを思い出さずに幸せに暮らしてほしいというのが私の本心だ。
「……初霜や、お主はどうしてここにおるか、覚えておるかえ?」
「えーっとねー、うーんと、うん、おぼえてない。きづいたらここにいたよ」
「それをな、わらわ達は知っておる。そして、あのお医者様はそれをお主に思い出させることが出来るんじゃ」
少し苦しそうに姉が説明する。あの時の記憶を取り戻すということは、姉を殺そうとしたことも、私に斬り刻まれたことも、何もかもを思い出すことになる。
私達は知らないが、初霜だって完成品ということは姫としての活動をしていたということでもある。ならば、その時にさらに残酷な行為をしている可能性もある。その辺りは如月が詳しそうだったが、怖くて聞けないでいた。
「はつしもが、わすれてること?」
「うむ」
「それをおもいだすと、なにかあるの?」
「……お主が傷付く。とても辛い思いをすることになる。じゃが、わらわ達と戦えるようになる」
傷付くと言われてすぐに嫌と言おうとしたようだが、私達と共に戦えるのは魅力的な選択肢になっているようである。しかし、以前に痛いのは嫌とハッキリ言っていた。
「おねえちゃんは、どうしたほうがいいとおもうの?」
「わらわは……すまぬ、答えが出せんのじゃ。思い出してほしいというのもあるが、お主が辛い思いをするのは見とうない」
最後の選択を、幼児退行している初霜に委ねるのも酷な話だ。だが、私達が強制するのも違う。
正直な話、どちらでも辛い。子供のまま、本来の初霜からかけ離れた生活をしている姿は痛々しいものである。だが、だからといって初霜自身を取り戻させると下手をしたら心が壊れかねない。初霜の心が弱いとは思っていないが、耐えられない精神的ダメージになる可能性は大いにある。
「……おいしゃさん、はつしもはあとでいい?」
「ああ、治療はいつでも出来る。しなくても君は健康優良児だ。無理をする必要はない」
如何に艦娘といえど、飛鳥医師は戦力ではなく患者として見ている。治して戦えるようにしたいわけでなく、より健やかに生きられるように尽力してくれているのだ。治療せずとも生きていられるのなら、そのままという選択も何も問題はない。
「おねえちゃん、これでいいかなぁ」
「うむ、それでいい。わらわと一緒に考えていこう。なに、お主の選択を誰も責めはせん。そんな者、ここにはおらぬよ」
余程滅茶苦茶な選択でない限り、この施設は寛大だ。誰もが今の道を自分で掴み取ってきた。だから、当人を責めることは無いし、飛鳥医師を責めることも無い。施設の者が仲良くやっていけるのは、そういうところだからだろうと私は思う。
「昼食後、少ししたら処置をしていこう。透析装置の都合上、1人ずつしか処置が出来ないんだが……」
「なら、ろーちゃんを先にしてあげてください。巻雲はまだ我慢出来ますからぁ」
「わかった。それでいいか?」
「アィ! ンァー!」
これにより、呂500の処置が先に始められる。意思疎通の出来ない状態が解消され、全ての記憶を取り戻すことになるだろう。
この状態でそれなりに長い時間生活してきたが、それにより何かしらの弊害が出ることも考えられる。そうなった場合は、今までずっと一緒にいた雷が面倒を見るという。それに加え、曙も。
「アンタ、本当にそれでいいのね?」
「ンゥ。ボノ、アゥアー」
「……後悔しても知らないから」
曙なりに呂500のことは心配しているようだった。大きすぎる確執も、朝霜との戦闘で協力してくれたことをキッカケに和解の道を進んでいる。仲良くはしていないが、毛嫌いすることも無くなった。曙自身が割り切ったとも言っている。
こんな呂500を見るのもこれで最後だと思うと感慨深い。失敗作としてボロボロにされて捨てられ、治療の結果何もかも忘れていた呂500は治療により自分を取り戻すことになる。
「ンィ、ウァー」
「うん、ありがとうろーちゃん、これからもお手伝いよろしくね」
記憶を取り戻しても、雷の手伝いで食堂担当になるようである。今着ている制服や暁とも一緒にいることから、もう姉妹のようなもの。今までと同じようにここで生活していくことになるだろう。
それでいい。記憶が戻ったからと言って、無理して別のことなどしなくていいのだ。
施設の者の状態は次々と良くなる。最初の目標『楽しく生きる』は、今だけは達成出来ているように思えた。
ろーの選択と初霜の選択、どちらも間違ってはいないでしょう。失っているままの方がいいことだってありますし。