瑞鶴が目覚めたことにより、深海の侵食による脳障害が治療出来ることが確定した。その治療を受けることにしたのは巻雲と呂500。先に呂500がやることとなった。
言語障害により意思疎通が難しかった呂500も、ついにこれで元に戻る。同時に失っていた記憶も取り戻すこととなるのだが、その辺りは雷筆頭にケア出来る者は沢山いる。
「次に目を覚ます時には終わっている」
「アィ」
検査着に着替えた呂500が元気に応えた。
この呂500を見るのはこれで終わり。眠り、処置され、目覚めた時には違う呂500となる。今までの呂500が偽物というわけでは無いのだが、喜ばしい変化のはずであれど少し寂しさもあった。
呂500の見送りには五三駆総出。勿論私、若葉も参加させてもらっている。特に、今までずっと面倒を見てきた雷と、確執があったものの和解したようなものの曙は、この治療には感慨深いものがあるようだ。雷は最後の最後まで一番側にいる。
「ろーちゃん、また私と一緒にご飯作りましょうね。これだけ人数増えたんだもの、お手伝いは欲しいわ」
「ンァー、ウィ」
「アンタが決意したんでしょ。さっさと処置されて、元に戻んなさい」
「ンィ、アゥアー」
最後に笑顔でお別れ。そのまま昏睡の処置を施された後、透析が開始された。ここから数時間、呂500はここで眠り続けることになる。目が覚めるのは夕暮れの見込み。
「それじゃあ、今度はお出迎えの準備をしなくちゃね!」
「いつも通りでいいでしょ。どうせ部屋もアンタのとこなんだろうし。私は釣りにでも行ってくるわ」
じっとここで待つわけでもなく、目が覚めた後のことを考えて行動に移した。とはいえ何も変わらない。呂500は以前も今後も呂500だ。記憶を取り戻したことで確実に混乱するだろうが、この2人がいれば大丈夫。
「蝦尾さん、ありがとう。ろーちゃん、やっぱり少し悩んでたみたいなの。私がいないと自分の思いも伝えられないこと」
「そうでしたか……なら、この薬が出来たのは本当に良かったことなんですね。ですが、これは論文にも残さず、墓まで持っていくつもりです」
今回の薬は治療のために作ったものだ。だが、使い方を間違えれば大量殺戮兵器である。
万が一この薬が投与された場合、雷は内臓の一部を破壊され、三日月は眼と脳の一部を、そして私と曙に至っては心臓が止められる。つまり、誰に投与しても死と直結しているわけだ。
さらにいえば、生成方法を弄ることで、艦娘すら死滅させることが可能になる。そもそもの原材料が人間にも効いてしまうため、殺せない者はいない。
「ダイナマイトの二の舞になってはいけない。この薬の生成方法は、僕と蝦尾さんしか知らない状態にする。絶対に口外しない」
「はい。なので、聞かれても知らぬ存ぜぬを突き通します。……飛鳥先生との共通の秘密というのは、少し嬉しいですね」
蘇生の技術とは真逆の力を持つ治療薬の生成方法まで手に入れてしまい、飛鳥医師は何処まで行ってしまうのだろうか。
夕暮れ時、再び医務室に集う五三駆。瑞鶴の時の同じようにシロクロも確認に来てくれている。同じ潜水艦のため、食事当番である雷と暁の次に仲が良かった。
その頃には治療薬の透析も完了し、後は呂500を起こすのみとなっていた。当たり前ではあるが、呂500は一切苦しむことなく安らかに眠っている。
「すごく緊張してきた……」
「アンタがやりたいって言ったんだから、責任持って起こしなさいよ」
呂500を目覚めさせるのは雷。最も身近にいたのだから、呂500にとってもそれがいいと思う。曙は少し遠目からその様子を見ていた。
「匂いは消えている。大丈夫だ」
「同胞の感じもしない……ズイカクと同じだよ」
さらには失敗作だからか胸に出来ていた痣も消えていた。身体に刻まれてしまった傷痕は消えないものの、細胞の変質を全て治療出来たと言える。これで呂500の治療は完了した。起きれば本来の呂500となっているだろう。
今までとは少し違う緊張感に包まれながら、雷がベッドの横に立ち、呂500を起こした。優しく揺すり、目を覚ますのを待つ。
「ろーちゃん、治療が終わったわ」
雷の声で、呂500がうっすらと目を開く。今まではそこから幼い子供のような屈託のない笑みが溢れていたが、今回は少し違った。その時よりは少しだけ成長したような笑みを浮かべ、雷を見据えている。
「イカズチ……ろーちゃん、話せるように、なったって」
「うん、ちゃんと聞こえてる。みんな、ちゃんと聞こえてるわ」
呻きのような声しか出せなかった呂500が、流暢に話している。治療は成功。つまり、記憶も取り戻していることになる。
離れたところにいる曙の姿を見て、すぐに涙目になってしまった。こうなってしまう前には、さんざん酷いことをやらされてきただろう。だが、自分の手で殺した者が今目の前で生きており、謝罪するチャンスをくれたのだ。いろいろな感情が混ざり合い、呂500の表情はめちゃくちゃに。
「全部、全部思い出したよ。ボノ、ボノごめんね、ろーちゃん酷いことしましたって……いっぱい、いっぱい酷いことしてきましたって……」
「そうね」
曙も素っ気なく反応するものの、罵るようなことはしなかった。一度思い切り言い放っているのもあるが、既にほぼ和解しているようなもの。曙も呂500の側に近寄る。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「いいわよ。アンタの口から謝罪も聞けたし、もう気にしてないわ。むしろ、アンタが気にしてたら私が気に入らない。吹っきれなさいよ」
頭をグシグシ撫で回した後、頬を摘んで無理矢理笑わせる。かなり無理矢理な方法ではあるものの、曙なりの思いやりを感じる。
「いひゃい、いひゃいれふってぇ」
「ほら、起きたんだからさっさと着替えて夕食の準備。今日は私も結構釣れたから、一緒に捌くわよ」
「は、はぁい! せんせー、ありがとうって!」
曙に手を引かれ、呂500は部屋から出て行った。泣きじゃくっていた呂500も、今では笑顔だ。
「巻雲連れてくるわね。そういう約束だったものね!」
雷も満面の笑みで追従。起き抜けだというのに元気なものである。飛鳥医師が何も言わないということは、処置後にすぐに動いてもいいようである。
瑞鶴は1週間近く眠っていたというのもあるため、すぐに身体が動かせなかったようだが、呂500はさっきまで普通に活動していたおかげで健康状態には問題がない。処置が頭ではあるものの、目覚めてすぐにあそこまでの行動が出来たのだから、本当に問題ないのだろう。
「……凄いですね、曙ちゃん」
「ああ、僕も正直驚いている。呂500とは一番確執があったんだが、ここまで開き直れているとは」
蝦尾女史も曙と呂500の確執については聞いていたようである。そこで飛鳥医師の持つ蘇生技術の件も。それだけは秘密にしていた飛鳥医師だが、共通の秘密を持つことになった蝦尾女史には分け隔てなく伝えたようだ。当然その手法は秘密であるが。
「曙は強いな。本当に」
「そうですね……当たり散らすこともありますが、最後はアレですから」
本当に、尊敬するほどに心が強い。五三駆の中ではトップクラスではないだろうか。雷も相当だが。
少ししてから雷が呼んできた巻雲と夕雲が医務室へ。呂500の方が重症ではあるが、巻雲も相当なものである。
自分だけは常に血塗れに見えるという幻覚。服を着ていても関係なく、深海の侵食と罪悪感などか混ざり合ってそれを作り出しているのではないかと思われる。
だが、それももう終わりだ。この治療により幻覚は無くなる。
「ろーちゃんがちゃんと話せてましたぁ。巻雲にも、同じ治療をするんですよねぇ?」
「ああ。君が見ている幻覚はこれで無くなる」
「ありがとうございますぅ。その、やっぱり困ってましたぁ」
自分の罪が浮き彫りになっている苦痛を常に受け続けていた巻雲。何をするにも血塗れの手を見ることになるため、精神的なダメージが大きかったようだ。
戦いの間に吹っ切れてはいたが、それでも辛いものは辛い。立ち上がりはしたが、それで普段が正常でいられるわけでもない。
つまり、巻雲は今までずっと
それが克服出来るというのなら、自分から率先してそれを求める。誰よりも早く身を乗り出してまで声を上げたのはそのせい。
「今から時間がかかる。夕食前にすまないな」
「いえいえ、巻雲もこれは早く終わらせたかったのでぇ」
自分の手を見た。私達には普通の手に見えるのだが、巻雲には今まで手にかけてきた者の血でベットリと染まってしまっているように見えている。
だがそれもこれで見納めだ。ここで眠り、目を覚ましたら巻雲の身体は真に綺麗な状態になるだろう。
「何か腹に入れてきたか?」
「おやつを少し多めに頂きましたぁ」
「なら大丈夫だな。早速始めよう」
検査着に着替えた巻雲がベッドに寝たことで、処置が進められていく。
成功した例がいくつもあると、準備も手早く済んでいくものである。
「巻雲さん、今まで本当によく頑張りました。夕雲は近くにいてあげることしか出来ませんでした」
「夕雲姉様、巻雲は姉様が側にいてくれたからこそ頑張れましたぁ。これからもよろしくお願いしますぅ」
「勿論。巻雲さんは夕雲の可愛い妹ですもの。甘えてくれてもいいですからね」
それを最後に、巻雲も昏睡状態に。ここからは呂500の時と同じように数時間後まで眠り続けてもらう。
「……巻雲さんとは相部屋ですが、いつも苦痛を受けていました。朝から晩まで、ずっと血塗れの身体を見続けて……夕雲が添い寝をしてあげないと眠れないこともあって」
その苦痛を取り払ってやることが最後まで出来なかったと、夕雲が少し悲しそうな表情を見せる。妹思いが故に、巻雲の苦痛を我が身のように感じていた。九二駆での夜間警備の最中も、巻雲が不安にしていないだろうかと心配したり、今だってずっと一緒にしてあげたりと、気を向けることばかりだったという。
「ですが、それがついに払拭されるんですよね。飛鳥先生、蝦尾さん、巻雲さんを救ってくれて、ありがとうございます」
巻雲の戦いが一つ、幕を閉じるのだと思うと、夕雲も感無量のようだ。数時間後の巻雲が楽しみである。
夕食も終え、本来なら就寝に近いくらいのタイミングで巻雲の目覚めの時間になる。私は勿論最後の確認のために便乗。この確認を以て、研究助手を終了となる。
「大丈夫だ。深海の匂いはもう無い」
「……うん、ローと同じ。同胞の感じはもう無いよ……」
シロからのお墨付きも貰い、治療完了が確認された。装置を外し、後は起こすのみ。
「巻雲さん、治療が終わりましたよ。目を覚ましてください」
夕雲が優しく起こすと、昏睡状態が解かれた巻雲が薄く目を開いた。外も暗いため、まだ少し眠そうではある。そういえば、ここで初めて目が覚めたときも大きな欠伸をしながら呑気に起きていた。
「んん……ふぁあ……終わりましたかぁ」
「ええ、もう治っているそうですよ。はい、眼鏡。それでは、自分の手を見てみましょう」
眼鏡を渡され、夕雲に促されても、巻雲は簡単に動けなかった。治っていると言われても、自分の手を、身体を見ることが怖い。飛鳥医師の治療も、蝦尾女史の薬も信用していないわけでは無いのだが、これでまた血塗れだったらどうしようと不安が大きい。
「巻雲さん、夕雲がついていますから」
「……は、はぃ、巻雲、行きます!」
意を決して掌を見る。最初はこれで気が動転した。眠る前にも辛そうな顔を見せた。そして今、その表情は別の物になった。
「き、綺麗な、掌……ですぅ」
「血塗れでは?」
「無いですぅ! ゆ、夕雲姉様、鏡、鏡はありますかぁ?」
勿論と手鏡を渡した。今までなら顔にも髪にもベッタリとついているように見えるため忌避し続けた鏡を見て、殊更に顔を綻ばせる。
「無い、無い、何も無いですぅ!」
「ふふ、良かった。本当に良かったですね巻雲さん」
「汚くない、巻雲、汚くないですぅ」
感涙を流しながら夕雲に抱きついた。血塗れの身体ではそれすらも抵抗があったのに、その恐れが無くなったおかげで自分から行くように。夕雲にはそれも嬉しかったようで、巻雲を大切そうに抱き締めて撫で回す。
「せんせぇ、蝦尾さん、ありがとうございますぅ」
「どういたしまして」
「完治したようで良かった」
飛鳥医師と蝦尾女史も巻雲の姿を見て喜んでいる。
研究の成果として不治の病を取り払うことが出来たのだ。目が覚めたばかりの瑞鶴や、悪い記憶を取り戻した呂500と違い、今まで活動してきた中での完治である巻雲には喜びしか無い。その姿はとびきりの明るさであった。
これにより、脳に障害を持つ2人の治療が完了。朝霜は現状維持を希望し、初霜は保留を希望したことで、侵食の治療は一旦全工程終了とされた。施設はより前に進むことが出来る。
これで残ったのは赤城と翔鶴の確執のみとなりました。ですが、あれはそう簡単には払拭出来ないもの。時間をかけてどうにかしていくしか無いでしょうね。