昼から降っていた雨は夜まで続き、夜間警備をどうしようかという状態になっていた。本日の当番は、姉と霰が戻り朝霜と巻雲がまたリザーバーになった九二駆。引率は摩耶。仮眠は取ったものの、土砂降りでは無いにしろ、この雨の中で一晩外に出るのは厳しく見えた。
「雨が止むまで施設内で待機しますか」
「じゃが、こんな天気の時ほど襲撃はあったからのう」
「嵐の時は容赦なく待機だったけど、これはねぇ……」
工廠から外を見るが、今のところ止む気配は無い。降り込んでくるほどの風はないものの、なかなか外に出るのには抵抗がある天候。流石に傘をさしながらの夜間警備は有り得ないので、出て行くのなら雨合羽着用。
今までこんな微妙な天気での夜間警備が無かったことが不思議だった。なんだかんだでここ最近嵐も来ていない。待っていれば止むかもしれないが、より激しくなる可能性もある。予報ではそのまま止んでいくらしいのだが、いつになるかはわからない。
「ひとまず待機な。センセに伝えておくわ」
摩耶が飛鳥医師に報告。強行するとおそらく明日の朝に文句を言われる。いくら簡単には風邪など引かない艦娘でも、夜通し雨に打たれたら何が起きるかわからない。少なくとも疲労感はいつもの倍以上になるだろう。
それでも夜間警備がやれる方法を模索してみるが、やはりいいアイディアは浮かばない。そんな中、霰が少し面白い案を出す。
「びにーるしーとで、だいはつに、やねをはる」
「屋形船でも作りたいの?」
「らくかなって」
見た目は面白そうだが、まず確実に戦闘に支障をきたす。霰の案は残念ながら却下で、工廠内からの夜間警備で落ち着きそうだった。長距離砲撃を前以て確認出来ればいいのだが、さすがに難しいか。
と、ここで意外な者から申し出を受ける。
「私達が夜間警備行くよ」
「仮眠も……取ってきた」
そう言うのはシロクロ。嵐の時は毎回、海中からの警戒をしてもらっていた。潜水艦の特性を活かした夜間警備により、雨の日は乗り切ろうということだ。
既に仮眠を取ってきているということは、最初からこうするつもりだったようだ。
さらにはその後ろに呂500の姿まで。いつもは雷や暁と同じ制服姿だが、今回ばかりは水着姿。朝霜との戦いで窮地を覆したあの時のスタイルである。
「ろーちゃんも行きますって。潜水艦だもん、雨とかへっちゃらへーだよ」
「私達は何度かやってるしね。それに、一度行っておいた方がいいでしょ」
「……あの時の指揮艦が……また潜んでるかもしれない」
先日の暗殺部隊の指揮艦、伊504が潜んでいる可能性は捨て切れなかった。こちらを襲撃出来そうなタイミングを虎視眈々と狙っているかもしれない。
それに、また海底で怨念が蓄積されている可能性もある。雷は声を聞いていないが、現在発生中とかであるのなら、事前に何とかしておきたい。説得出来るならしておきたいし、難しそうなら眠ってもらうしかない。
「こいつら先に許可取ってやがった」
「すぐに止んだら必要無かったけど、これだけ降ってるからね。役に立つでしょ」
「おう、えらいえらい」
というわけで、夜間警備は潜水艦隊に任せることとなった。雨が止み次第、九二駆が交代。摩耶は潜水艦隊からの通信を受ける役として、ある意味引率を続行する形となった。時が来るまでは、九二駆は談話室もしくは食堂で待機。
「まるゆも誘ったんだけどさー、明日朝から運転があるからごめんなさいって」
「ふられちゃった……残念」
忘れがちだが、まるゆも潜水艦。水着姿を一度たりとも見たことはないが、潜水のスキルは当然持っている。ただし、ほぼ非武装に近いらしく、本人曰く陸の方が戦えるとのこと。さすが陸軍。
「それじゃあ、行ってきまーす」
「おう、宜しく頼むぜ」
通信機器は3人全員が持ち、海に飛び込む。海中なら雨など一切関係ない。ある意味最も適切な夜間警備要員かもしれない。
真夜中、何やら下の階で話し声が聞こえたことで目を覚ましてしまった。だが何者かが施設内にいるわけではなく、聞こえたのはおそらく摩耶の声。雨の音はあまり聞こえなかったので、そろそろ潜水艦隊と九二駆が交代するのかもしれない。
とはいえ、2階にまで聞こえる声で話しているというのはおかしい。何か切羽詰まるようなことが起きたのかもしれない。それは話し声というよりは叫び声だ。
「声が……聞こえましたよね」
三日月も同じように目を覚ましていた。別の部屋からも物音がし始める。下の階の声で、誰もが目を覚ましたようだ。
「警報が鳴らないなら敵襲じゃないみたいだが……何かあったのかもしれない」
「行きますか」
万が一のために靴だけは履いて部屋から出た。私達が出ると、続々とみんなが部屋から出てくる。さすがに気になった様子。
突如緊急事態になってしまったらまずいので、蝦尾女史もフラフラと寝ぼけ眼で外に出てきた。前回は戦闘音で目を覚ますことになったので意識もはっきりしていたが、今回は声を軽く聞いたくらいなのでこの調子。
1階に降りると、少しだけ騒がしかった。工廠付近に待機していた九二駆が集まっており、その中からは摩耶の話し声が聞こえた。現在通信担当をしている摩耶が話しているということは、その相手は勿論潜水艦隊。夜間警備中の3人が何かを見つけたようである。
「姉さん、どうかしたのか」
「う、うむ。潜水艦達が
奴とは勿論伊504。摩耶がその通信を受けて、少しだけバタバタしたのを私達が聞きつけてしまったようである。
現在、潜水艦隊が伊504を捕らえようとしている状態。前回の暗殺の際に逃がしてしまっているため、今回はさらに気合を入れて追っているようだ。しかしあちらは逃げの名手である。
『……まだ……追うから……!』
「おい、通信が途切れ途切れだぞ! 離れすぎだ!」
摩耶の声が聞こえる。通信出来る距離というのも当然あり、シロクロも呂500もその範囲から外れようとしている。それほどまでに遠くまで逃走しようとしているらしい。
こちらから行方がわからなくなったら、潜水艦は追いようがない。あり得ないと信じたいが、シロクロと呂500が行方不明になってしまったら捜しようが無くなる。そのため、通信範囲外には行ってもらいたくなかった。
『……ああもう、ごめん、遠退きすぎた! くっそー、また逃がしちゃったよ!』
「くそ、逃げ足だけはやたら早ぇ……」
通信が回復したらしく、ホッと息を吐いている。あちらも通信の音声が途切れると不安になるだろう。クロの声も少し安堵が混じっている。追っている時はムキになっているような感じだったが、落ち着いたことで一気に不安が押し寄せた様子。
『クロ、いるよー!』
『シロ……ちゃんといる』
『ろーちゃんもいますって!』
通信途絶の瞬間があったために点呼。ちゃんと全員いることを確認できて尚のこと安心。
しかし、伊504は惜しくも逃がしてしまった様子。相変わらず逃げ足だけは速い。そもそも私達を攻撃する仕様では無いようにも思えた。監査だけして、何かあったら即逃げる。指揮系統も持っていたことを考えると、生存能力に特化されたスペックか。
あくまでもこの施設を監視するために調整された完成品かもしれない。詳細は潜水艦達に話を聞こう。特にシロクロは2回見ているため、特徴は説明できるのではなかろうか。呂500も何か思い出しているかもしれない。
深夜ではあるが、全員が起きてしまったために急遽会議となる。夜間警備の者以外は寝間着であるが、そこは仕方のないこと。下呂大将ですら、この方が手早いからと寝間着代わりの検査着である。締まらないとは思うが時間が時間だ。これは仕方あるまい。
「伊504を追跡したと聞きました。様子はどうでしたか」
「えっと、私達は近くを周回してる時にソイツとかち合ったんだよ。あっちも滅茶苦茶ビックリしてた」
夜間警備で近海の深海をグルグルと回っていた時に、たまたま伊504を発見したらしい。困ったことに、クロが発見したとき、伊504は
「多分……結構前からいたんだと思う……海の底に新しい足跡があった」
「ならば、海底からこちらを見ていたということでしょうか。さすがに深すぎて確認は出来ないと思いますが」
暗殺のときの物言いからして、奴は海上のことを正確に把握出来ているわけではないことがわかる。五航戦との戦いで人間魚雷を管理していたとしても、完全に見えていたわけではなさそう。
だが、海面までは見えていたと考えていい。爪先で海面を叩いた時に、その付近にあるものに対して魚雷を放つことが出来たのだから、海の中は全て視野と考えられるだろう。
「君達は2度、伊504と相見えていましたね。前回と違う点はありましたか?」
「うーん……どっちもすぐに逃げられたからなぁ。姉貴、何かある?」
「……前回より速かった……単純に追いつけなかったから……」
「それ、多分タービン。ろーちゃんも使ったことあるって」
同じ立ち位置にいたことのある呂500の言葉故に説得力がある。記憶を取り戻したことにより、潜水艦隊のことは呂500が一番詳しい。
「ろーちゃん、あの子の前では喋らなかったって。だから、ろーちゃんが治ってること、まだ気付かれてないと思う」
「そうですか。いい機転です」
やはり
海上までは見えないが、海面までは視界が届き、持っているのは魚雷のみというところまでは同じ。タービンを使っている間は殆ど非武装であり、監視と逃走に特化している。その辺りは私の予想通り。
「多分だけど……あの子はここの監視をずっとしてるんだと思いますって」
「施設の中は当然ですが、施設の外側も海面に頭を出さなければ見れませんね」
「ろーちゃんもそうだったけど、目だけはいいから、すごく遠くからでも見えますって。昼はうんと遠いところからかな。夜は警備の人達に見つからないように、近付いてからこっち見てるんじゃないかなって」
ならば、こちらが視認できない遠方からでも工廠の中くらいは見えていたのではないだろうか。摩耶達が艤装の整備をしている姿などは、外からなら丸見えだ。
ということは、今日の午後にリハビリしていた瑞鶴は完全に見られていたのでは。それを指摘すると、呂500はうーんと頭を捻った後、乾いた笑いを浮かべた。
「多分、見られてますって」
「ならば、瑞鶴が治療されていることはバレていると考えていいでしょう」
「私達がそれを見ていたのもですかね」
赤城の言う通り、瑞鶴のリハビリを空母隊全員で見ていたところも筒抜けだった可能性がある。赤城と翔鶴が本人であることはわかりづらいが、確かあの時は艦娘の方の服を着ていたはずだ。施設にいる艦娘で完成品と合致する者がいるのなら、それは十中八九救出した者。
「つまり、翔鶴が深海棲艦化したことも、正気に戻ったことも、大淀にバレたと考えるべきですね」
これは割とまずいこと。こちらの手札が思った以上にあちらに見られていたことになる。下手をしたら、暗殺の前からずっと見られ続けていたかもしれない。そうだとしたらあの夜襲は揺さぶりか何かか。
「これからは潜水艦隊の警備も定期的に行なうべきでしょう」
「お、ならうちの潜水艦使いますかい? ほら、この前の襲撃で助かった連中、ここに恩が返してェって言ってたんスよ」
私が救った11人の潜水艦達のことだろう。潜水艦をどうにかするためには、潜水艦を使うのが一番。戦闘自体はお互いに全く攻撃が当たらないという不毛なものになるらしいが、警備と捕縛なら話が変わる。この近海にいてもらいたくないから、常に巡回するようにしてもらうだけだ。
万が一、それすらも払い除けるような力を、完成させられたことで伊504が持っていたとしたら恐ろしいが、呂500の言う限りではその辺りはあまり考えなくてもいいとのこと。海中ではやれることが極端に絞られるため、やりようがない。
「でしたら、そこは来栖に任せましょう。新さん、それでいいですね」
「今一番の問題である大淀絡みなら、大本営に持っていかずとも許可は出る。それに、万が一却下されても押し倒すさ。これは艦娘による一般施設への破壊工作だ。法を侵す行為なのだから、罰する必要がある」
ありがたいことに、大本営からのお墨付きも貰えた。今後は警備を一層強化して事に当たれる。せめて、手瀬鎮守府襲撃までの間は警戒を厳となし、施設防衛に努めていかなくてはいけない。
ルイージ・トレッリ→UIT-25→伊504と名前と姿を変えるごーちゃんですが、作者はルイの段階が一番好き。ライフジャケットを着てるのがとても好み。