リコの哨戒機を確認し、警備の任務はおしまい。今回も伊504を捕らえることは出来なかった。あの追跡戦の後は姿すら見ることが出来ず、一切の成果無し。施設は無事とはいえ、危険に晒され続けているのは変わらない。どうにか早く終わらせたいところだったが、焦りも禁物。
伊504の捕縛は現在の最優先事項である。野放しにしておくと常に不利益を被り続けることになる。情報戦とはそういうものであり、それに関しては常に後手後手に回っているようにすら思える。
「スピードだけなら私達でも何とかなりそうだけど、撹乱するためにいろんなことしてくるのよね。シロクロにも聞いてる」
浮上してきたイムヤがボヤく。
今回使われたのは煙幕。視界を完全に塞ぎ、速度が落ちたところで一気に突き放す。海中なので煙幕というよりはイカ墨の類か。わかっていたとしてもそれを突き抜けるには抵抗があるだろう。自分の姿だけではなく、後発の魚雷を隠している可能性だってあるのだ。
「こちらは何の手出しも出来なくてすまない」
「あれは仕方ないわ。海底に近かったんだし、夜だったもの。どうにかして浮上させられればいいんだけど」
私、若葉が率いていた五三駆と五航戦は、哨戒により発見は出来たものの、その後は何も出来なかった。煙幕で撒かれた後は何処に行ったかまったく見当がつかない。追うことすら出来ず、立ち尽くすしかなかった。
「三日月、大丈夫か?」
「疲れました……すごく眠いです……」
この中ではスタミナが一番無いであろう三日月はヘロヘロである。以前までの夜間警備でも眠そうにしていたが、今回は今にも寝てしまいそうなくらい消耗してしまった。
伊504の尖った性能に振り回されて、いつも以上に疲れ果てていた。精神的な疲労はなかなかに堪える。スタミナトップの曙ですら疲れた顔。
「よく頑張った。風呂に入ってさっさと寝よう」
「そうします……お疲れ様でした……」
もう朝食も無理と言わんばかりの三日月を連れて、私は風呂に直行。それを終えたらすぐに眠ることとなった。
目が覚めたのは相変わらず昼食時。朝食を抜いて眠ってしまったので、いつも以上に空腹である。隣の眠っている三日月に至っては、ぐうぐうと腹の虫まで鳴いていた。時間も時間のため、起こして早く昼食を摂らせてもらおう。
この時間も話題は伊504をどうやって捕縛するかになっていた。既に3度も撤退を許し、最初だけはシロクロが近付けたものの、それ以外は近付くことすら出来ていない。
「潜水艦隊のスピードを上げても、あの手この手で進路を妨害されて、結局逃げられるんだよな」
「そう! そうなんだよ! 最初の時なんて機雷ばら撒いてきたんだよあいつ!」
「クロちゃん……あまり騒がないでね……」
クロが熱弁し、シロがそれを鎮める。2回逃げられたのが相当悔しいらしく、次見付けたら絶対捕まえてやると意気込んでいた。
煙幕付きの魚雷や小型の機雷をばら撒く以外にも、泳ぎ方で海流を乱したり、わざと海底に向かって土煙をあげたりと多種多様な手段を用いるそうだ。本当に厄介極まりない。
「マヤならもっと速く動ける装備とか作れないかな!」
「流石に無理だ。そもそもパーツがもう殆ど無ぇよ。嵐も来ねぇから、ここ最近加入した連中の艤装修理で使っちまった」
クロも私と同じ考えに辿り着いたみたいだが、摩耶自身にそれは否定されてしまった。そういったことに使えそうなパーツは全て赤城や翔鶴の艤装修復で使われており、次の嵐待ちと言っても過言では無いくらい、そういう部品は施設に無くなってしまった。
一昨日に雨は降ったものの、嵐では無かったため、浜辺に何かが流れ着いてくる事もなかった。こういう時に限って天気が妙にいい。当たり前だが、わざわざ強化のために探し回る事も出来ない。海底に少しくらいはあるかもしれないが、微々たるものだろう。
「そうだとしても、あいつの方が一枚も二枚も上手だ。単純に突っ込むだけじゃ無理だろ」
「そうだけど、そうだけどー!」
「クロちゃん……落ち着いて……」
白熱してきたせいでクロが立ち上がりながら話すが、食べてる途中なのでシロが割と強引にクロを座らせた。
だが、それくらい悔しいのはわかる。今までにない面倒くさい敵だ。真正面から滅茶苦茶なスペックで押し潰そうとしてきた連中とは訳が違う。あくまでも無傷、こちらも傷を負わないが、あちらには手が届かない。こんな敵は初めてだ。
「姉貴は悔しくないの!?」
「悔しいけど……今は落ち着いて。食べてから考えてね……」
「うー……どうにか出来ないもんかなぁホント」
お手上げというわけではないが、こんな方向性の敵が初めてだからか、全員が頭を悩ませている。
「みんなどうしたの?」
「今回の敵が、捕まえられないんじゃよ。すばしっこくてのう」
「おにごっこ? はつしも、とくいだよ!」
鬼ごっこと言えば鬼ごっこなのだが、海中を逃げ回るせいで難易度は極端に上がっている。更に言えば、こちらは全員鬼役なのに、たった1人の逃走者が捕まえられない。タッチすることすら出来ない。
「その者は潜水艦なんじゃよ。わらわ達には荷が重くてのう」
「はつしももおよげない……じゃあ、じゃあ、つりとかは? あけぼのちゃんがやってるやつで、そのひとひっぱっちゃう!」
「釣りだと少し深すぎるのう」
餌を引っ掛けて釣れるものならいくらでもやるのだが、海の底まで行くような輩をどう釣ればいいのか。さすがにそんなことは出来ないだろう。
と、この初霜のちょっとした発言を聞いたことで、釣り好きな曙が目を見開きながら立ち上がった。
「トロール漁よ! あれなら捕まえられるわ!」
聞いたことのないような言葉。言葉としては漁業の一種のようだが、それが咄嗟に出てくる辺り、曙の趣味はだんだん深いところにまで向かっているのかもしれない。
「そのトロール漁というのは?」
「曳網で魚を掬う漁のことよ。それっぽいもので捕まえて一気に海の上まで引っ張り上げればいいのよ!」
確かに網で引き揚げというのはいいかもしれない。だが、そう簡単に引っ掛かってくれるだろうか。いくら真っ暗闇の深海とはいえ、網は流石にバレるのでは。
「例えば、夜の闇に溶け込むような色にして、潜水艦の方々がそこに追い込むように追跡するとしたら」
蝦尾女史も素人ながらその方法は良いのではと案を出してくれる。自分からかかってくれることは無いのだろうから、潜水艦達に網まで追い込んでもらうのは良さそうだ。伊504と共に捕らえられてしまう可能性は高いが、お互い身動きが取れなくなれば何も問題はない。引き揚げた後に救えばいい話だ。
「網は赤城さんと翔鶴が引けばいいでしょう。深海の馬力を見せてください」
「あの、加賀さん、私達の艤装は掃海艇では無いのだけれど」
「似たようなものでしょう。それに、私達が引くより力が出るのは確かでは無くて?」
あの誰よりも大きな艤装を高速で動かせるほどの馬力を誇るのだ。網を引くなら赤城と翔鶴がいい。とはいえ、最終的には海上にまで持って来なくてはいけないのだから、ただ引くだけではダメだ。
「話を進めるのはいいが、その網とやらはどうするつもりだ。普通の曳網だと、君達でも素手で引き千切れるんじゃないか?」
飛鳥医師の言葉で食堂が静まり返った。うまく行くかもしれない作戦かもしれないが、それが実行出来そうなアイテムがこの場にないのなら意味がない。伊504を捕らえるための網なのだから、大きく頑丈なもので無くては破られてしまうだろうし、すり抜けられてしまう可能性もある。
振り出しに戻ったかのように見えたが、はぁと溜息を吐いた後、飛鳥医師がすぐに立ち上がる。
「来栖に連絡してくる。あそこの明石に用意してもらうさ。網もだし、引き揚げるための装置も作ってくれるかもしれない」
本来の工廠担当である工作艦の力を借りれば、今回の作戦に適うアイテムの作成が出来るかもしれない。明石だけではない。妖精の力も借りられるのならきっとうまく行く。
アイテムさえ用意してもらえれば、こちらが実行に移すのみである。しかし、あちらには情報が筒抜けになってしまうので、練習なぞ出来ない。用意出来次第の一発勝負。
「初霜、お手柄じゃ。お主の進言が道を拓いたかもしれんぞ」
「はつしもおてがら? えらい?」
「うむ、お手柄じゃ。偉い偉い」
「やったー!」
喜ぶ初霜を姉が撫で回した。こういう時に子供の何気ない一言が大きな成果を叩き出す時があるというもの。
捕縛の方法が見えたかもしれない。結構滅茶苦茶な作戦ではあるものの、今までで最も行ける確率が高そうな作戦でもある。今からはそれを成功させるために策を練り、出来る限り確率を上げていくのだ。
「二つ返事でOKをしてくれた。明石も乗り気のようだ」
来栖提督に連絡をした飛鳥医師がもう帰ってきた。なんでも、今回の作戦を話した瞬間に任せろと言ってくれたらしい。施設が潜水艦を欲したときに、追加で何か要求されるかもしれないと踏んでいたようだ。それが網とは思わなかったようだが。
「午後は作戦会議。来栖のところから装備が届き次第、決行する。……僕は司令官では無いんだが」
「ここまで来たら似たようなものよ。胸張んなさい」
一世一代の大きな釣りに、発案者の曙はいつもよりもテンションが高め。
施設が一丸となっての戦いでも、このパターンは初めてのことだ。しかも一発勝負。念入りに計画を立てて、確実に成功させたいところである。
作戦会議をしつつ夕食時となった頃、急な来客。海からやってきたのは、何と明石である。流石に明石だけでは怖いということで、護衛艦隊は二四駆。大発動艇による荷物運びもあるためにこの人選か。警戒態勢のこの施設に、非戦闘員の艦娘がよく来てくれた。
「準備出来ました! 大型、かつ破られにくい曳網です!」
大発動艇に積み込まれたそれは、夜の闇に溶け込むような真っ黒な網。装備に紛れ込ませるように積み込まれ、明石達がこんなタイミングで施設にやってくるところを伊504に見られていたとしても、今回の作戦が知られないように工夫している。
一緒に運んでいる装備は、爆雷や機雷、探照灯など。曳網を悟られないようにするための武装にしている。あくまでも本命は隠し続け、土壇場で使う必殺の一撃。
「助かる。よくこんなに早く作ってくれたものだ」
「事態が深刻なのは常々聞いてましたから、妖精さん達も張り切っちゃって。網自体はフレッチャーが使っていますから、それを大きく作っただけです。それにこれ、艤装に使う鋼材を練り込んでありますからね。駆逐艦の主砲くらいなら受け止められますよ」
普段使いしたいくらい高性能な曳網である。この1回のためだけに使うのが惜しくなるほど。
曳網というものがそういうもののようだが、相当大きなその網はおおよそ25m近くを覆えるものらしい。伊504の大きさを呂500と同じ程度だと仮定しても、十分過ぎるサイズ。これの場所に誘き出し、絡み取るように捕縛する。
「引き揚げに関しては私がやります。艤装のクレーンで巻き取りますよ。後が大変でしょうが、四の五の言っていられません」
そもそも工作艦としての膂力もあるため、引き揚げるには最適な人選なのかもしれない。
「私達は漁業支援の経験もありますからね。無駄かもしれませんが色々持ってきましたよ。ソナーでしょ、探照灯でしょ、それにこの子達!」
大発動艇の隙間から飛び出てきたのは、特殊な格好をした妖精達。熟練見張員と呼ばれるその妖精達は、その名の通り偵察や索敵に長けた性能を持つ。
伊504は謎の技術でソナーに引っかからないが、この妖精達はなんと
「使えるものは全部使いましょう。ソナーだって何かの役に立つはずです」
「つくづくありがたいな。なら、今晩決行だ」
「了解です!」
これにより、伊504との決戦は今晩執り行われることとなる。決戦というものの、一切戦闘が行なわれないデスレース。次逃げられたら、もう捕らえることは出来ないかもしれないという大勝負である。
「せっかくここまで来たんだ。江風達も手伝うぜ」
「はい、二四駆もその作戦に参加させていただきます」
海風率いる二四駆もこの作戦に参加してくれるというのだからありがたい。夜間警備の人数が増えたら、あちらはより警戒してくるかもしれないが、それも織り込み済みで作戦を考えていく。
大掛かりな夜間警備となるが、これで必ず終わらせてやる。さんざん逃げ回ったのだ、いい加減もういいだろう。
深海トロール漁は海底が破壊されてしまうのであまりオススメは出来ませんが、今回は話が別。戦いが終わった後、潜水艦達に整備してもらいましょう。それもこれも大淀のせい。