深夜に開始されていた潜水艦達の治療はおおよそ終わっていた。リミッターを外されていた潜水艦達は掛け直され、ここでは無く来栖鎮守府での治療となる。これは前の潜水艦達と同様だ。
問題の伊504は、蝦尾女史の薬により現在透析中。その前には当然胸骨と腸骨の洗浄も終えている。それを手伝ったのは摩耶と鳥海だったのだとか。最優先がリミッターの掛け直しだったので、伊504の透析完了は少しだけ後に回され、終了が昼近くとなっている。
その頃には救出した潜水艦を引き取りにきた来栖提督も、いつものメンバーを引き連れて到着。これにより派遣されてきていた潜水艦部隊も撤収となるはずだったのだが、今後の夜間警備のことを考えて1人残しておくという話にもなった。
通常の夜間警備に1人足すことで、最低限の海中の警備も可能となる。伊504が救出出来たからといって、もう潜水艦の完成品が出てこないとは限らない。
「ということで、イムヤはここに残ることにします。私とろーちゃん、あとシロクロがいればローテ組めるわよね」
今までのことを考えれば、おそらくそれがベスト。1人、ないし2人潜水艦が増えれば、夜間警備が一層強固になるだろう。今まででも施設に被害が出ることは殆ど無かったが、暗殺者達の侵入は防ぐことが出来なかった。そこも抑えられればより良い。
当然他の潜水艦達からはリーダー特権の濫用だと文句が出ていた。自分達もここにいたいと、いいのか悪いのかわからない要求はあったものの、そこは申し訳ないが抑えてもらう。また必要になったら必ず呼ぶとだけは言っておいた。そんなことが無ければ無いに越したことはないが。
「そろそろ伊504も目を覚ます頃だろう。来栖、どうする」
「んじゃァ、見させてもらうぜェ。余裕がありゃ事情聴取させてもらおうか」
伊504を救出したことは既に下呂大将にも連絡済み。だがあちらはあちらで手瀬鎮守府への襲撃計画が大詰め。手が空いているというわけではないが、まだ動ける方である来栖提督に事情聴取を同席してもらい、その情報を改めて伝えてもらうことにする。
「でけェ情報持ってそうなんだろォ?」
「ああ、おそらくな」
今まで監視役などをやり続けていたのだ。呂500がここで救われてからずっととなると、結構な量になる。それに、大淀との繋がりも深い方だろう。役に立つ情報を多く持っていそうである。
医務室。透析が完了し、蝦尾女史の手で装置が取り外されていた。そういった雑務的な部分は既に覚えたらしく、改めて飛鳥医師の助手として板についてきたようだった
以前の治療の成果と同様、もう深海の匂いは何処からもしない。完全に艦娘としての身体に戻っている。シロはまだ眠っているクロの付き添いで今はここにはいないが、薬の信用度は高いため今回はこれで目覚めさせることになった。
「治療が終わりましたよ。起きてください」
伊504を起こすのは蝦尾女史。肩をポンポンと叩くと、すぐに目を覚ました。何の抵抗もなく、何事も無かったかのように身体を起こし、大きく伸び。まるで記憶を失っているかのような振る舞い。
「ふぁあ〜、よく寝たー」
「おはようございます。伊504ちゃんですね」
「そだよー。伊504、ごーちゃんでいいよー。あ、ルイでもウィーでも好きな呼び方でいいや」
これはこれでまた今までにないタイプの目覚め方である。今までやってきたことを忘れているわけでもないのに、最初からここまで飄々としていられるのもなかなかいない。特に今回は、蝦尾女史謹製の特性薬で完全に治療されたものだ。障害など一切残らない完治。
しかし、私にはわかる。明るく振る舞っている裏側に、複雑な感情が渦巻いていることを。これは何もかもしっかり覚えている。表向きには開き直っているが、大分気にしているタイプだ。だが、本人の意思を尊重して今は触れないことにする。
「何処まで覚えていますか?」
「んー? 全部だよ全部。ここで何人も自爆させたことも、網に引っ掛けられたことも、全部覚えてるよ。ここのお兄さん殺せって言われたところからずーっとここにいたこともね」
お兄さんとは勿論、飛鳥医師のことである。最初の暗殺のときからずっと近海に潜んでいたようである。監視役の潜水艦として、その高性能を余すところなく使い切った仕事。
言い方がほんの少しだけ荒くなっているが、見た目通りの子供らしい雰囲気。言いたいことを言いたいように言っているが、それでも本心を隠している辺りは少し
「あー……無理はしていないか」
「無理? してないしてない。あんなことさせられてても、あたしがやりたくてやったわけじゃないからねー」
ダウト。思い切り気にしている。裏で1人で泣くつもりだ。それでも表には出さない。
「いいじゃんあたしのことはさー。あ、何か聞きたいことあるんだよね。あいつらに一泡吹かせてやるんだから、あたしの知ってること全部話しちゃうよ。あい」
自分のことを気にさせないように捲し立ててきた。触れられたくないという気持ちが私でなくともわかるほどに溢れている。そんな時にズケズケと聞くのもよろしくないので、まずは話を進めることにした。
「何故この施設を監視していたんだ」
「そりゃあ、何やっても治されちゃうからねぇ。こそこそ情報送って、さくっと潰す手段を考えてたみたい。だからいっぱい人を送ったのに、それもどうにかしちゃったからビックリ。でも、ここ最近はちょっと違ったかな。オオヨドがね、時間稼いでこいって」
潰しやすい時間だとか、他に何か面倒なことをしていないかとか、そういった部分を監視していたと。まぁ監視というものはそういうものだ。
だが、時間稼ぎとは少し意外だった。確かに私達は伊504の対処に追われていた。私達だけでは捕らえることは出来なかったし、初霜のちょっとした一言が無ければ今でも追いかけ回していただろう。
あの暗殺の夜が起点だったらしい。そこから伊504が近海に潜んでいることを
「何故時間稼ぎを?」
「うーん、確かね、
最悪な情報だった。私や三日月のことを至るための実験材料と言っていたが、結果的に私や三日月を使わずに至る道を見つけてしまったということだ。
その鍵がおそらく翔鶴。手段はさておき、外部からの干渉で身体が深海棲艦へと変化させる実験が成功したことで、ついに完成に踏み切ったと。あの時からそれなりに時間はかかっているものの、至るには十分すぎる時間がある。
「ならば、大淀は既に」
「深海棲艦になっちまったってことか。最悪じゃねェかよ」
まんまと策にハマってしまった。下呂大将が情報収集に手こずったのも織り込み済みだったのかもしれない。隠蔽し続けて、自分の思い通りに事を運び、結果
ならば、私や三日月はもう用済みとして殺される可能性もある。最初から実験台だから殺されずに捕まえられるなんて思っていなかったが、今までより一層容赦が無くなるのではないかと思う。
「大将には話しておかねェとな。襲撃はなるはやでってな」
「ああ、その方がいい。正直まずい展開になってきた」
そもそもの状態で手も足も出なかったのに、そこから至ってしまったらさらに手が付けられなくなる。何処をどうやればあそこまでのスペックアップが出来るかが理解出来ない。
匂いも酷いものだった。最初から艦娘と深海棲艦が隅々まで混ざり合っているかのような、得体の知れない匂いだったのを覚えている。未だにそれがどういうことかわからないが、人形や姫はおろか、完成品ともまるで違うものに成り果てているのではないだろうか。それこそ、赤城や翔鶴のような完全な深海棲艦へと生まれ変わっている可能性も捨てきれない。
「あたしが聞いてるのはそんくらいかなー。あい、おっしまーい。あたしまだ眠いからさ、もちっと寝させてほしいな。ふにゅ」
これだけ話した後、すぐに布団を被ってしまった。知りたいことは知れたので、今はそっとしておいた方がいいと思う。思った以上に深刻なダメージなのかもしれない。
「時間的にお昼ご飯ですけど、起きたら食べます?」
「ご飯! あたし先にご飯食べたい!」
布団を被っていたのにすぐに飛び出てきた。身体に不調も無いようである。さすがにこの変わり身に一同苦笑。元気そうで何より。
裏側にある複雑な感情は、今は私だけが知っておくようにしよう。触れられることを望んでいなそうだ。飛鳥医師や蝦尾女史なら察していそうではあるが。
伊504は自己紹介もそこそこに、用意された昼食をもりもり食べていた。少し食べ方が汚かったが、そういうところも見た目通りと言える。
「
「そうよ。喜んでもらえて嬉しいわ!」
「これなら毎日食べたーい」
今まであったことを忘れたかのように振る舞う伊504に、周りも呆気に取られている。雷の料理を美味しそうに食べ、ニコニコ笑顔でおかわりまで要求。
「ああいうタイプは初めてだな……起きてすぐにあれだけ元気というのも」
「ですね……」
上辺だけとはいえ、笑顔を絶やさず普通に生活しているのは正直凄いと思う。代わりにストレスも半端ではなさそうだが。三日月もあの姿を見て唖然としている。
最初からこの施設の一員だったのではないかと思える程に馴染み、友好関係を拡げている。コミュニケーション能力がとんでもなく高いのは、クロと似たような感じ。潜水艦だし、何処かそういうところは似通っていてもおかしくはないのかもしれない。
「……あれだけのことをさせられたんですから、ショックが大きくてもおかしくないですが」
三日月も何処となく察していたようである。深海の眼には映らないことではあるのだが、今までここで暮らしてきた経験から、その辺りは勘が良くなったか。
「支えてやれるのは同じ潜水艦だとは思う。呂500は同じ境遇だしな」
案の定、その呂500が一番近くにいた。気にかけているというわけでは無いものの、自然と寄り添う形に。伊504の匂いも、呂500が側にいる時は少し安心しているようなものに変化していた。心落ち着ける存在として認識したのかもしれない。
同じように大淀に使われ、前任者と後任者としての関係ではあるものの、お互いにそれに触れず仲間、友人として付き合っていこうとしているようである。
「潜水艦が増えるのは嬉しいものよ。ローテが楽になるもの」
イムヤは伊504のことをしっかり受け入れているようである。仕事上の関係に見えなくも無いが、見かけだけでも気にしていないようなら安心している様子。
イムヤも被害者として未だ禁断症状に苛まれる身ではあるが、立場は違えど同じように使われていた伊504には恨みも憎しみもないとのこと。
「潜水艦同士で相談して、今後の夜間警備に1人ずつ組み込んでいくからね。明日明後日にはごーちゃんにも入ってもらうわ」
「あの調子なら明日からでも動けるかもしれませんね。体調も悪くなさそうですし」
働くことは出来そうだが、問題は心の方。どういう形ででも、少しは気分が晴れるようにしてやれればいいのだが。まずは交友関係を拡げて、過ごしやすい環境を作ってもらうのが一番か。あの調子ではそこは気にせずとも良さそうではあるが。
「イムヤ、お前もあいつのことを」
「わかってるわよ。心配はしてないけど、気にかけるくらいはしてるからさ」
「すまないな。ありがとうイムヤ」
「いいのいいの」
私が礼を言うと、素直に喜んでくれた。ここに到着した時から潜水艦一同、私への好意の匂いは薄れない。忠誠を誓いたいなんて大それたことも言っていたが、そこまでは望んでいないので自然体でいてもらいたいものである。
伊504の治療が終わり、一時的にでも施設の一員となってくれたことで、見据えるものは今のところ大淀とその側近である伊勢と日向のみとなった。これは下呂大将の指揮の下、鎮守府を襲撃することで終わることが出来るだろう。
決着の時は近い。大淀が予想外のことをしてこなければ、であるが。
伊504は見た目通りの子供らしさとイタリア生まれの自由さがありますが、史実では捕まっては逃げての繰り返しで国籍も2回変えるという壮絶な艦生だったので、見た目とは裏腹に達観しているイメージがあります。