治療され、洗脳が解けた伊504の話により、大淀が完成しようとしているという情報を得た。つまり今頃は、艦娘の身体を捨て、深海棲艦として新たな生を得ているかもしれない。馴染むまでの時間稼ぎを伊504に任せていたくらいなのだから、手遅れの可能性は非常に高い。
正直なところ、その情報を手に入れた時点で施設から出撃したいくらいだった。だが、あくまでもここは鎮守府でも何でもない治療施設だ。大本営から目をかけられているとしても、それは流石に出来ない。だから情報は施設と繋がりが深い中でも最も大本営に近い下呂大将に流しているのだ。
今、施設で出来ることは、下呂大将の襲撃のタイミングを待つのみ。今回の進言により、より早くなったことを祈る。
そういうところは人間社会の残念な部分だと思ってしまうが、こういうルールがちゃんとしていなければ、私闘が当たり前の荒んだ世の中になってしまう。これに関しては諦めるしか無い。
「僕達はやれることをやっていくしかない。時が来るまでは警備しか出来ないな」
「歯痒いですがね。立場を崩したら我々が世界の敵になりかねません」
昼食後の簡単な話し合いの場の中、心底嫌そうに溜息を吐く赤城。翔鶴との一件に決着がついてから大分物腰が柔らかくなったように思えたが、こういうところはしっかり深海棲艦の思想である。
自らの手で決着をつけたいものが多数在籍しているわけで、現状を良く思っていないものは同じ数いると考えてもいい。私、若葉もその1人だ。ここまで来たらもう出撃したいくらいである。
「俺も急かしておくから、今は悪ィが待っててくれや。流石に大淀が完成してるってンなら、大将もケツに火がつくってもんだろ」
「それで不完全な作戦で突撃する羽目になっても困るが、先生なら最善の策を練ってくれそうではあるな。焦らずに行こう」
焦って事を仕損じては意味がない。ここは待ち。とにかく落ち着いて、進展する時を待とう。
来栖提督はこれで帰投。戻ってすぐに救出した潜水艦達を治療してくれるそうだ。また、援軍に来ていてくれた潜水艦達もイムヤを残して撤収。二四駆も同時に帰っていったので、一気に人数が減った感覚になる。
伊504も医務室に戻っていった。今日のうちは病み上がりということで医務室で休み、明日から本格参戦となる。本人も昼食が無ければまだ眠いからと寝ようとしたくらいだし、今はゆっくり休むべきだろう。開き直っているように見せて大分参っているのは私にはわかる。
だが、それもすぐに終わりを告げた。
たまたま通り掛かった医務室から呻き声が聞こえ、何事かと中に入ったところ、伊504が酷く魘されていた。言っていた通り本当に眠っていたようだが、これはどう見ても悪夢に苛まれている。
「ごーちゃん、起きて、起きてください!」
あまりにも苦しそうだったので、いち早く医務室にいた蝦尾女史が伊504を起こしていた。これ以上そのままにしておくと、今後に悪影響を与えそうだったからだ。
無理矢理起こされたことで目を覚ました伊504は、ゼエゼエと荒い息を吐きながら周囲をキョロキョロと見回す。医務室にいるのは私と三日月、後は蝦尾女史だけだ。呻き声自体はそこまで大きいものでは無かったため、医務室の近くにいなくては聞こえない。蝦尾女史は研究のためにたまたま処置室にいたために気付くことが出来たようだ。
「はぁっ、ひっ、あ、あたし、あたしっ」
「落ち着きましょう。深呼吸です。ゆっくり息を吸って、吐いて」
蝦尾女史に言われるがままに深呼吸をしていく。その間も背中を摩りながら落ち着かせていた。見た通り子供をあやすかの如く。
「へ、へへ、無理してないって言ったのに、こんなになっちゃった……」
「……若葉は気付いていたぞ。お前、大分無理をしていただろ」
すごく驚かれたが、大淀に私のことは聞いているだろう、それを思い返したかすぐに納得した。納得はしたものの、理不尽なものを見るように顔を顰めたが。
他の者に気にしている事を知られたくないという気持ちもわかっていたため、私だけが胸に秘めていただけだ。
「ワカバ、その鼻の強さずっこいと思う」
「これで生きてこれたんだから許してくれ」
「ふにゅう……しょうがないのかなぁ」
だが、筒抜けということで素直に話してくれる。
やはり洗脳されてやらされたことは、伊504の心を深く傷付けていた。苛まれていた悪夢では、今まで殺してきた潜水艦達に海中で群がられて、何度も何度も殺されるものだったのだとか。全員から恨みを訴えられ、最悪なことにその全てが身に覚えのあるもの。
まるで、姫や人形に使われている麻薬の副作用だった。幻覚幻聴として稀に襲われるのではなく、それ以上のものを夢の中で受けるというさらに精神を削るもの。このままでは睡眠不足で伊504は参ってしまう。曙の不眠症とは訳が違った。
「あたしの都合でやったわけじゃないのに、何であたしがこんな目に遭わなくちゃいけないのさ……」
泣きそうな顔に。先程まで作っていただろう天真爛漫な表情は鳴りを潜め、大淀の被害者としての本来の姿が表側に出てしまっている。隠そうとしている負の感情が誰が見てもわかるほどになってしまい、その匂いはより一層強くなる。
性格が子供っぽい割には表面上を取り繕うことが上手いとは思っていたが、決壊してしまった今は、見た目相応の幼さに。
「辛かったら、甘えてもいいんですよ」
それを慰めるように、蝦尾女史が背中を撫でる。
「お昼寝で魘されるというのは相当です。仮眠でも夢に出る程、心に深刻なダメージを受けているのですから、ごーちゃんは好きに甘えた方がいいです」
憂さ晴らしに周りを攻撃するようなことはよろしくないが、見た目相応に人に甘えるのは全く悪くない。好きに行動してストレスを発散し、自然に心の治療をしていくことが良いだろう。
「甘えられるほど、あたしは偉くないよ。みんなを殺してきたのは違わないし……はにゅ」
「そんなこと無いです。ごーちゃんは自分で言いましたよ。やりたくてやったわけじゃないって。私達はそれを全部わかっています。誰が一番悪いのかもです。ですから、気にせず甘えてください」
蝦尾女史は一度も笑顔を崩していない。怒ってしまっては伊504が余計に気にするし、同情しても落ち込む。だから、今は話を聞いて、存在を肯定し、甘えてもいい状況を作り出すのに尽力している。
子供に言い聞かせるように話し、とにかく心のダメージを癒すために、まるで保育士のように接していた。
「でも、でも、あたしが殺したみんなはあたしを許さないもん。お前が殺したんだって、めちゃくちゃ怒ってたもん。追われて、追い詰められて、グチャグチャにされたもん」
それだけ恨まれているのだから、自分は許されてはいけないと。だが、それは夢の話だ。伊504が自らそう思っているために、悪夢という形で具現化されているだけの自分への悪意だ。
それほどまでに伊504のメンタルはズタボロ。まだ目覚めてから数時間ではあるものの、今まで隠し果せてきたのが嘘のようだ。夢という形ででも突き付けられてしまい、極端に弱気になってしまった。
「ごーちゃん、そんなに自分を追い詰めないでください。誰も咎めていません。みんなごーちゃんのことを許していますよ」
「でも、でも……」
「ごーちゃん、大丈夫です。ちょっと待っててください」
何か思い付いたのか、蝦尾女史は医務室から駆け出した。戻ってくるまでの間、伊504に声をかけることが出来なかった。何をしても私達では力になれないように思えてしまった。余計なことをして蝦尾女史の邪魔をしたくない。
少しして、蝦尾女史はイムヤと呂500を連れて戻ってきた。私も考えていたことだが、潜水艦の心を支えられるのは同じ潜水艦だろう。たった今そこに辿り着き、蝦尾女史は行動に移した。結果がこれだ。
「あ、ああ……」
動揺の匂いが強くなる。その姿を見たことで、伊504はさらに大きくショックを受けたようだった。先程食堂で同じ部屋にいたというのに、悪夢を見てしまったせいで感覚が変わってしまっていた。
特にイムヤは呂500とは違い、動きやすいからというだけの理由で常にウェットスーツ姿であるが故に、自分が自爆させようとした中の1人とすぐにわかってしまった。
「ごーちゃん、ごーちゃん、大丈夫ですって?」
まずは前任者であった呂500が慰める。同じ境遇の者がこの場にいるというのはそれなりに大きな影響力になる。立ち直れている姿を見れば少しは落ち着けるだろうか。
「ろーちゃん……あたし、あたしぃ……」
「ん、わかるよ。ろーちゃんもいっぱい酷いことしてきたもん。でもね、みんな許してくれたんだ。特に……ボノが」
自分の境遇をつらつらと説明していく。それで伊504が落ち着いてくれるなら安いものだと。
「死んだ人が生きてるの?」
「うん、せんせーが生き返らせてくれたって。だから、ろーちゃんボノに自分の口で謝れたんですって」
「……あたしはそれが出来ない」
死者が蘇るだなんて普通ならあり得ない。曙は例外中の例外だ。だから、伊504が望んでもそれは出来ない。謝りたくても謝れない。
開き直っているフリをしていたせいで、まともな謝罪も出来ていなかった。それに、眠る前までは夢で自分の罪を突きつけられるようなことも無かったため、本人もこの事態を予測出来ていなかったのだろう。
「あたし
「そんなこと無いですって! ごーちゃんもやらされてただけだもん。ろーちゃんが許してもらえたんだから、ごーちゃんも」
「ろーちゃんは死んだ人が許してくれたからそんなこと言えるんだよ!」
思った以上に重症。可視化してしまったせいで心の傷が拡げられてしまったとも言える。
「私は許してるわよ。死んだ子の声は聞こえないけど、殺されかけた私が保証しちゃダメかしら」
今度はイムヤ。被害者であり、犠牲者になりかけた者の言葉なら届いてくれるだろうか。
「イムヤ……でもあたし……」
「落ち込んでる方が気分悪いわ。本当にごめんなさいしたいなら、下向いてないで前向いて」
少し強い口調ではあるものの、心配しているのは目に見えてわかる。
イムヤだって伊504に対して何か複雑な感情を持っていてもいいだろう。だが、それを見せることはない。本心から許している。伊504も被害者であることを理解している。
「報いたいなら、さっきみたいに明るく振る舞ってよ。嫌な夢見るなら誰かに甘えて。過ごしやすいように過ごしていいから」
「でも……」
「じゃあ、誰も許してくれないならどうするの。自分も死ぬの?」
真正面から打ち付けるような言葉。自分の罪と向き合ったことでどうしたいかはまるで考えていない。謝れないから立ち止まっていては意味がない。どう行動するかが重要だ。
ここにいるものは、みんな前に進むことを選択した。だからお前もとは口が裂けても言えないが、同じように前に進んでほしい。さっきまでは強がりだったかもしれないが、ここからは本心から。
「一緒に生きましょ。せっかく助かったんだからさ」
「イムヤの言う通りですって! ろーちゃん、ごーちゃんとちゃんとお友達になりたいですって!」
「うあ……そんな優しい言葉かけないでよぉ……あたし、あたしぃ……」
溢れてくる涙を拭いながら、自分のやりたいことに向き合った。
「ごめんなさい、ごめんなさいぃ……」
「それで良し。あとはみんなとこの事件を終わらせれば解決。ね?」
「あい……あい……終わらせる、絶対終わらせるよぉ……」
立ち直れたかはわからないが、少なくとも匂いは落ち着いた。負の感情渦巻く複雑な匂いは、前向きになったように思えた。これなら伊504は歩き出せるだろう。
「だから、明日から夜間警備お願いね」
「この流れでそれ言う!?」
「事件を早く終わらせたいのよね。今日は病み上がりだから休めばいいと思うけど、明日からはしっかりお仕事してもらうから」
「鬼か! でもやるよ。あたし、協力する。早く終わらせたいもん」
言葉とは裏腹に、イムヤも伊504も笑顔だ。ちゃんと前を向けている。事件を終わらせるために、みんなが協力してくれる。
「私達、出る幕無かったですね」
「別にそれでいいだろ。見届けるのも仲間だ」
「そうですね。全部のことに首を突っ込む必要は無いですもんね」
伊504の復活劇を間近で見届け、私と三日月はそっと医務室から出た。
これでまた1人、施設の仲間が増えたと言える。これからの戦いには、仲間は多いに越したことはない。
伊504正式加入。潜水艦が増えたので、今後の警備は大分楽になるでしょう。また潜水艦が来るかはさておき。