有明鎮守府にて、大淀の手に掛かり支配されているであろう遠征艦隊、第三十駆逐隊への取り調べが佳境に入った。私、若葉と三日月の侵食により駆逐棲姫に近付いたことで、暗示がかけられていることが感覚的にわかるようになったことで、下呂大将がそのトリガーを無理矢理引いた。
結果、暗示による有明提督の殺害、ひいては鎮守府の制圧に動き出すための思考に切り替わってしまった挙句、その場で戦闘が始まったためにリミッターすらも解除された。そのままだと自沈してしまうだろう。早急に対処し、すぐにでも入渠させる必要がある。
速攻で武器を破壊したため、これで攻撃の手段は徒手空拳しか無くなったはずだ。言ってしまえば素人同然。だが、リミッターが外れているせいで尋常ならざる力が発揮されてもおかしくない。
暁の時のことを思い出す。あの時は練度が全く無いような素人が、一撃で雷をヘッドショット。さらには流れで飛鳥医師すら殺そうとした。その後に朝霜に取り押さえられて拘束から抜け出せなくなっていたので、膂力自体はそこまで増強されていないはず。
「おっと……」
私を振り払おうと腕を振り回してきた。武器がないのだからこういう行動になるのは仕方ないこと。
だが、当たり前だがこんな格闘に手慣れている艦娘などそういない。私達が特殊なだけ。その腕を軽く受け止め、それ以上行動させなくする。ただでさえ弥生は華奢だ。私が腕を固定するだけで何も出来なくなる。
「痛い思いをしたくないなら動くな」
無言で私に対して悪意を垂れ流してくる。表情は全く変わらないが、心は暗示により悪意に塗れていた。これも大淀の仕業とわかっているのだから、憤りは滾るばかり。
「眠っていろ。
まだジタバタと暴れようとしたが、すかさず首筋を叩いて気絶させた。三日月の姉妹なのだから傷付けるわけにはいかない。余計なことをしたら三日月が傷付く。
その時には神風が望月を斬り払っていた。当たり前だが峰打ち。ゴリッという音からかなり痛そうだったが、そういうところは割と雑。これで2人は完全に無力化した。リミッターは外れたままのため入渠は最優先ではあるが。
残された睦月と如月は、武器は破壊されたものの健在。あと装備しているものは、遠征のための大発動艇くらいだ。ボーキサイトを積み込むために持っていく、本来は武装ではない遠征専用の装備。
ならばと、大発動艇そのものをぶつけるために起動させてきた。確かにあの質量兵器がぶつけられたら、艦娘だってただではすまない。だが、この流れ、結構前に見た覚えがある。
「司令官、後から弁償してあげてもらえるかい?」
「ええ、好きにしていいですよ」
「あっは! そうこなくちゃね!」
そこで動き出したのは松風。鞘に収まった刀を握り、迫りくる2台の大発動艇の前に立ち、ニヤリと微笑む。そのままなら轢殺されるだろうが、どうしてだろう、何も心配していなかった。
「大物を斬るのは好きなのさ!」
ギリッと握る音が私にまで聞こえてきた。力強く刀を握り、強烈な踏み込み。そこからの豪快な抜刀。空気すら斬り裂くような激しさで、大発動艇を一刀両断にした。破壊された大発動艇はバラバラになるではなくその場で爆発。その炎すらも斬り裂き、松風は一切傷を負っていなかった。
さすが神風の妹。特二式内火艇をバラバラにしたのを思い出したが、それとはまた違った技。松風ならではの力押し。炎まで斬り伏せるとは恐れ入った。
これにより睦月と如月は武器を失い無力化。しかし意識は残しているのだから、その手を使ってでも有明提督を殺しに動くだろう。
リミッターを外された身体だ。身体能力も上がっていて然るべき。そもそも艤装を装備している状態なら、その握力は人間の骨など小枝のように折ってしまうだろう。
「痛くはいたしません。少々お休みくださいませ」
それをすかさず春風が2人を斬り伏せた。神風と同じように峰打ちで、速さは無くともまるで撫でるような優しい一撃でだった。的確に急所をついたことで、その一撃でも気を失わせることは出来たようである。
各々が型の違う剣技を扱う神風型5人であるが、春風のそれは最も優しいものだ。なるべく痛みを与えず、だが確実に
「一丁上がりだ」
「
「ドックは全て空いています。すぐに運びますので!」
この中で工廠仕事をやったことがあるのはさすがに私だけだろう。ここで工廠で活動した経験が役立つとは。弥生の艤装はもう剥がした後。残りもすぐに剥がし、鹿島に引き渡す。流石に来たばかりの鎮守府のドックの場所なんてわからないため、この鎮守府の者にお願いする方が手っ取り早い。
ありがたいことに、戦いはすぐに終わった。第三十駆逐隊の練度がべらぼうに高いわけでもなく、神風型が相方として戦ってくれたことが大きい。心への苦痛は酷いが、なるべく簡単に終わらせることが出来たのならそれでいい。
全員のドック入りが出来たことで、一安心。外されたリミッターもドックの妖精が元に戻してくれるとのこと。ドック無しで治療するのとはわけが違う。
それがわかった時点で安心したか、三日月が私にしなだれかかるように脱力した。いろいろな感情が混じった複雑な匂いだった。
「安心したら……どっと疲れが」
「よく頑張った。辛かっただろう」
抱きしめて頭を撫でてやる。それで決壊したか、すんすんと鼻を啜る音が。姉妹が暗示により暴走する姿は見ているのも嫌だったろう。それに、自分が支配されたことも思い出してしまう。何から何まで辛いはず。
そして、もっと辛そうにしているのは有明提督だ。知らず知らずのうちに今回の事件に巻き込まれており、下呂大将が気付いていなければ命を落としていた可能性だってあった。それをよりによって自分が手塩にかけて育てた艦娘達に。
「正直、ショックです。部下に叛旗を翻されるなんて思ったことがありませんでした」
「今回の敵はそれだけ特殊なのです」
「痛いほど理解しました。嫌なくらい」
匂いからは心が折れてるようには思えなかったが、相当堪えているようだった。命の危険に晒されたわけだし、鎮守府の崩壊まで手を伸ばされたようなもの。しかも、それが
「襲撃はこれ以上のことが起きるでしょう。実行犯を斃す事が、今回の襲撃の目的ですから」
「……私自身が戦うわけでは無いですから、すぐに何かを判断することは出来ないです。こんな無茶苦茶が罷り通るような敵に……勝ち目はあるんですか」
「無いとは言いません。当然、あらゆる策を考えていますから」
有明提督には初めてのことだが、私達はそれをさんざん相手をしてきている。その辺りの恐怖は麻痺してしまっているだろう。もう怒りと憎しみしか湧いてこないのだから。
今回の事件で、有明提督、ひいては鎮守府全体の空気が萎えてしまう可能性だってある。だが、私達は無理強いなんて出来ない。あんな得体の知れない敵に対して、恐怖を抱かない方がおかしいのだと思う。
「……少し考えます。すぐに答えを出します」
「問題ありません。指揮をするのは君です。難しいようなら、我々が彼の仇を討ちます。任せてください」
彼とは当然、手瀬提督のことだ。有明提督が襲撃に参加すると言っているのは、手瀬提督の弔い合戦のためだ。有明提督どころか鎮守府に所属する者全てがそれを知っており、一致団結したからこそ、援軍を出してくれることを選んだはずだ。
だが、艦娘を支配し、暗示がかけられていることを目の当たりにしてしまったら考えは変わってしまうだろう。自分の鎮守府に敵意を向けたばかりの三十駆は、そのやったことを憶えていた場合、ほぼ確実に折れると見てもいい。
これをキッカケに、援軍の話を無かったことにしたいと言い出しても無理もないのだ。こちらに文句を言う資格は無い。ここでやめさせてくれと言ったところで誰も咎めない。
「……はぁ、ケアしていかないとなぁ」
「提督さん、私もお手伝いしますから」
「うん、よろしくね鹿島」
有明提督を慰めている鹿島。あちらも秘書艦と強い絆で結ばれている様子。有明提督自身のケアは、鹿島に任せて大丈夫だろう。さすがに他の鎮守府のやり方にまで口出しは出来ない。
「しっかし、本当に強いんだね。あんなにすぐに終わらせちゃうなんて。しかもみんな無傷!」
リミッターの関係で入渠させているが、なるべく傷をつけないように終わらせたのは確かだ。神風が少し荒かったが、それでも誰も血を流していない最善の終わらせ方だと思う。
強いて言うなら大発動艇が犠牲になった程度。これは後日、下呂大将が弁償してくれるそうだ。命に関わることだったとはいえ、鎮守府の装備を容赦なく破壊したのだから当然か。
「そんな子達がここに来て大丈夫だったのかな」
「暗示がかけられている判断が出来るのは、
「はぇー……そういうところもいろいろあるんだね。これも大淀のことに巻き込まれたからかな」
半分は合っているか。捨て駒にされて死にかけ、治療されたことにより今の身体になり、そこから大淀のせいで侵食が拡がった。本を正せば全て大淀に巻き込まれたからと言ってもいいかもしれない。
「だからか、大淀に狙われている。他は殺しても
「それはまた難儀なことで。嫌なのに好かれちゃったね」
「全くだ。
三日月を抱き寄せる。有明提督や鹿島があらまぁとおかしな笑顔を見せるが知ったことではない。見せつけるくらいがちょうどいい。
「あれ? ならさ。今の医療施設って、
有明提督のこの発言に、真っ先に反応したのは下呂大将だ。
言われてみれば、今の施設は命を取りたくない私がいないのだから、施設ごと破壊しても何も問題ないような状態だ。むしろあちらには、私がいるから制限がかけられていたようなもの。その制限が取っ払われてしまったのだから、やりたい放題に出来る。旗風すら第一水雷戦隊としてこちらに参加しているのだから尚更だ。
「私としたことが迂闊でした。嘗めていたわけではありませんが、大淀が私の読みまで読んで動いていたとしたら、今は絶好の襲撃タイミングになってしまいます」
「お、おい、それじゃあまさか……」
「これ自体が陽動。まんまとハメられたということでしょう。大淀は私が若葉を連れてここに来ることまで読んで、昼の襲撃をしていたとしたら」
今頃、施設は何者かに襲撃を受けている可能性が高いと。それこそ大淀本人がまた直々に施設を破壊しに向かった可能性だってある。
顔が青ざめるようだった。私が施設を離れたばかりに、施設は最悪な状況に立たされようとしていただなんて。
「すぐに戻ります。有明中佐、あの4人についてはまた聞かせてください。正常でもまた一度若葉達に見てもらう方がいいでしょう」
「はい、ありがとうございました。助かりました。あ、そうだ! 念のためこの子を連れて行ってください!」
有明提督が紹介してくれたのは、この鎮守府に常駐する職人妖精3人。本当に施設が破壊されているとしたら、この存在も必要になるだろう。
「ありがとうございます。阿武隈、すぐに準備を。最大戦速で施設に戻ります。少し無茶しても構いません」
「りょ、りょーかいです! すぐに戻りますよー!」
またもや慌ただしくなってしまった。救出した余韻を味わうことも出来ず、有明鎮守府から発つことになってしまう。また改めてここに来たいところである。その時はもっと心に余裕がある状態で。
本当に最大戦速で施設に戻る。行きの時の倍は速度が出ているのではないかと思えるほどだ。大発動艇に乗っている下呂大将は、神風に押さえられて振り落とされないようにしている始末。
私も三日月も気が気で無かった。自分の居場所から離れている間にそこが失われているだなんて考えたくも無かった。
そして、そういう嫌な予想は現実になるというものである。
「嘘だろ……」
夜でもそれはわかった。信じたくない気持ちでいっぱいだった。これが夢ならどれほど良かっただろうか。
施設が燃えていた。