伊勢から事情聴取したことにより、不穏な匂いが漂い始めた。大淀の最後の『これで終わりだと思うな』と感じさせる匂いと、伊勢が聞いたという医療研究者2人の『目的は成就した』という言葉により、まだ事件は終わりではない可能性が出てきてしまったからである、
医療研究者の目的は、
得体の知れない謎が残されている。下呂大将にも伝えて、何か案を貰う必要がありそうだった。まだ戦いが終わらないと感じ、私、若葉も少しストレスを感じた。
話を終え、私と三日月は伊勢と工廠に戻る。そこでは着替えてドックから出ている日向の姿が見えた。伊勢の話を聞いている間にリコといろいろと話をしていたようで、少しだけ調子を取り戻していた様子。
「日向、少しは落ち着いた?」
「……ああ」
伊勢に声をかけられても、テンションは全く変わらない。どんより曇ってはいるものの、入渠が終わった直後よりはまだマシというところ。
敵として見ていた時も、そこまで明るいような性格では無かったと見受ける。そこからはあまり変わっていないようだが、その時よりも尚暗い。
「まだ振り切ることは出来ない。私はお前ほど出来た艦娘じゃあ無いからな」
「私は能天気なだけだよ。でも、いじけてるくらいならトレーニングでもして気を晴らした方がいいとは思うかな。汗流してる時とか、嫌なこと忘れられるでしょ」
気晴らしが出来るほどの精神状態かどうかはさておき、何か動くというのはアリだ。何か夢中になれるものがあれば、少しは心も落ち着けるだろう。曙の釣りや、リコの花弄りみたいな趣味でもあれば。
「私もそう言っているんだ。ヒュウガは道具にされたに過ぎないんだから、何か気を晴らすことでもしてみろとな」
「道具だったとしても、その時の私には意思があった。私の意思で斬ったんだ。悔いても悔やみきれない」
「これの一点張りだ。気晴らしなんぞ、今のヒュウガには出来んさ」
リコもお手上げ状態らしい。伊勢の物分かりが良過ぎたとも言える。本来ならここまで悩むのが普通なのかも知れない。もっと言ってしまえば、その怒りを晴らす先はもう死んでいる。
これで大淀を倒すなり何なり出来れば、多少は前向きになれたのかもしれない。復讐というあまり良くない感情ではあるものの、前を向くために必要ならばそれでも悪いことでは無いような思えた。
「いっそ腹を切った方が」
「それはダメ。日向がそれを望んでも私が許さない」
全て言う前に伊勢がそれを遮った。落ち込むのは仕方ない。だが、それで自分の命を蔑ろにするのは違う。あれだけ明るかった伊勢も、その発言には苛立ちを感じていたようである。
「それが詫びになると思ってるなら間違いだよ。死ぬくらいなら生きて苦しんだ方が詫びになるから。アンタが死んでも誰も喜ばないよ」
「……ならどうしたらいいんだ!」
少し涙目になっていた日向。怒りや悲しみより、困惑の方が強くなっていた。日向は心の傷が深すぎる。真面目すぎるが故に開き直れない。
完成品にはあの薬が使われているわけではないため、禁断症状で幻覚や幻聴があるわけでもない。ただ1人、形のない罪悪感に責められ続ける。誰かに何かを言われることもなく、咎人と後ろ指を指されるわけでもない。ただ自分の意思で立ち直れと言われても、日向には出来ないのだ。
「どう償えと言うんだ! 元凶の大淀はもう死んだんだろう! ならこの怒りを何処にぶつければいい! 何をして報いればいいと言うんだ!」
「終わったことなんだから開き直れっつってんの! 死ぬとか一番の逃げでしょうが!」
「それが簡単に出来たら苦労しない! 私達は死に値するほどの罪を背負ったんだぞ!」
「だからって死んでどうなるのさ! 死んだら贖罪なんて一瞬で終わるんだよ!?」
日向が自死を選ぼうとしたことがきっかけで、強烈な姉妹喧嘩に発展。今にも殴り合いを始めそうな言い合いになってしまっている。その姿に三日月が少し怯えてしまったので、私が盾になるように前に出る。
「どちらも間違ってないから、少し落ち着け」
「この分からず屋!」
「お前が軽過ぎるんだ!」
リコが溜息を吐きながら仲裁する。どちらの気持ちもわからなくもない。それだけ重い罪を押し付けられたのだ。伊勢の考えている長いスパンで償うことも、日向の考えている命を捧げることで償うことも、間違っちゃいないのだと思う。人間は何人も殺したら死を以て償うというのもあるらしいし、日向の選択も無くは無い。
だが、私としては伊勢側につきたい。命を落とす理由なんて何処にも無い。日向が本当に自分の意思でやっていたのなら、自死どころか私達の誰かがあの戦場で葬っている。洗脳された結果なのは火を見るより明らかなのだから、私達も救ったのだ。
「ヒュウガ、お前は考えが浅い。せめて3日くらいは考えてみろ。1人でじゃなく、施設の連中とだ。幸い、施設にはカウンセリングに長けた艦娘がいる。そいつに話を聞いてもらえ」
間違いなく姉のことだ。日向には姉のカウンセリングがよく効くと思う。霊的な部分も組み合わせれば、日向の苦悩も少しずつは解消されてくれるのではないか。
「イセもだ。強がりなのは私でもわかるぞ。ワカバ、お前なら尚わかるな」
「ああ、そういう匂いを感じる。伊504の時と同じだ」
「ならどういう形でもいい、相談相手を作れ」
溜まっている鬱憤を聞いてもらうことが一番の癒しだ。ここ最近はやっていないが、私も三日月や曙と一緒に愚痴大会をやったものである。それを伊勢と日向もやればいい。
「それとな、お前らはここに謝らなくてはいけない奴がいるんじゃないか? お前らが襲って今でも占拠されてる鎮守府に元々いた艦娘がここにはいるぞ」
加賀のことである。記憶を持ったままなので赤城もだ。あの2人が所属していた鎮守府が手瀬鎮守府、つまりは、伊勢と日向が大淀の指示により滅ぼした最後の鎮守府に所属していた者になる。
どう償えばいいかわからないというのなら、まずは身近にいる被害者に対して謝罪をしたらいい。それが償いというものだろう。それだけでも充分気が晴れるはずだ。
「……そうだな、せめて謝罪させてほしい。死ぬならその後だ」
「だから死ぬなって言ってんでしょうが!」
「諍いを起こすな鬱陶しい」
また始まりそうだったところをリコが即座に制し、私達に一航戦を連れてきてほしいと頼んでくる。2人の仲を元に戻しつつ、さらにはその悶々とする気持ちを少しは晴らせるという最善手だろう。
少し怖いのは赤城。それこそ翔鶴を相手にしていた時のように、伊勢と日向相手にも怒りと憎しみを露わにするかもしれない。そうなった時は全力で止めなくては。
一航戦の2人はここでも一緒に行動しており、今は勝利を噛み締めつつまったりとお茶を嗜んでいた。穏やかな雰囲気を醸し出しているところに今回の話を切り出すのは少し気が引けたものの、伊勢と日向の進退に関わること。申し訳ないが協力してもらいたい。
簡単に説明したところ、あまり考えるまでもなく立ち上がった。伊勢と日向と顔を合わせることにまるで抵抗が無いようである。2人とも伊勢とはここで再戦していたわけだが、その時は鎮守府を滅ぼされた恨みなどは無かったように見えた。
「私はいいけれど、赤城さんは大丈夫?」
「加賀さんは心配性ですねぇ。私だって成長しています。翔鶴と和解出来た私には、もうどんなことでも許せますよ」
「それならいいけれど……赤城さんは理性のリミッターがおかしなことになっているんですから、衝動に負けて手を上げてしまいそうで怖いんです」
「まさか。文句を言うくらいはしますけど、殴り掛かるようなことはもうしませんよ」
「罵倒もあまり良くないとは思うのだけど」
私もその辺りは心配なのだが、むしろ罵倒した方が日向が立ち直るきっかけになるかもしれない。正直、なるようになれだった。
2人を工廠に連れて行くと、その姿を目にした伊勢と日向はやはり身構えた。特に伊勢はこの2人と殺意を持って戦いもしている。いの一番に謝罪しなくてはいけない相手になるはずだ。
「若葉に呼ばれて来たけれど」
「ああ、ヒュウガがな、罪を償うために死にたいらしい。だが、その前にお前達に謝らせた方がいいと思ってな」
リコの言葉に加賀は冷ややかな目で日向を見つめた。死を選択したことに対して軽蔑していると言わんばかりであった。
逆に赤城はにこやかなまま。しかし、その笑顔は貼り付いているかのようだった。赤城も加賀と同様に、死を選択した日向を見下しているかのよう。
「死んで逃げるのなら、謝罪は結構よ」
「そうですねぇ。私も同意見です」
冷たい一言。謝罪すらも受け入れられず、日向は絶望に打ち拉がれていた。
「そもそも、貴女の命1つだけでは罪の清算に釣り合わないもの。それで提督達が戻ってくるわけでもあるまいし」
「貴女1人が死んだところで、何も贖罪になりはしませんよ。むしろ、私達が殺したみたいな感じに思えてしまうのでかえって迷惑ですね」
「そうね。むしろここで死のうと思っているのなら、来栖提督にも迷惑ね」
淡々と責め立てる。日向の選択は間違っているのだと刻み付けるように。
日向はもう煤けていた。謝罪しなくてはいけない相手からも見放され、死ぬ意味すら否定された。虚ろな目で一航戦の言葉を聞いているのみ。
「死ぬくらいなら、私達と共に戦ってほしいわね。もう戦う相手はいないけれど、本来の艦娘の役割を取り戻しなさいな」
「来栖提督なら転属を受け入れてくれますからね。伊勢さんもここで戦っていくつもりなのでは?」
「うん、そのつもり。せっかく治してもらったんだからさ、ここで力を振るうよ。酷いことをやらされた分、今の力は正しいことに使わないとね」
何処までも前向きな伊勢。強がりでも、それが言葉に出来るのなら充分だ。悪夢を見るようなメンタルの状態でも、カウンセリングを受けていけばきっと克服出来る。
対する日向はまだダメだった。罪悪感が強すぎて、何もかもがネガティブになっている。強がりすら言えない。贖罪の方法も否定された。
「日向、私も又聞きだから説得力無いかもしれないけれど、いい言葉を教えてあげる。『道具に罪は無い』のよ」
「私もそれ聞きました。その通りですよ。大淀は貴女達を道具としてしか使っていませんでしたから」
「これ、朝霜が言ったのよ。子供が。大人の貴女がいじけて、子供のあの子が前向きなの。わかる?」
性格の違いはあれど、子供に出来て大人に出来ない道理は無い。日向は道具だとしても意思があったのだと落ち込んでいるが、朝霜を筆頭に大淀に道具にされてきた者は全員が開き直っている。その呪縛から解き放たれたのだ。
日向もその言葉を聞いてほんの少しだけ匂いが変わった。今の言葉、子供ですら辿り着いたその答えを聞いたことで、前向きになるきっかけを与えられた気がする。
「しゃんとなさい。そうでなければ、貴女の謝罪は必要無いわ。そうで無くても必要無いのだけど」
「死ぬために謝らせてくれなんて、私達は受け入れませんから。時間はたっぷりありますし、もう少し冷静に考えてみることですね」
最後は冷ややかな目はやめ、仲間を受け入れる空気を出しつつ話は終わる。結果的に日向が立ち直ることは無かったが、少しだけでも立ち上がることの出来る可能性を見出してくれた。
「気晴らしに何か趣味を持つといいですよ。曙さんとか、暇があれば釣りをしているみたいですし、リコさんも花を愛でて過ごしているんですよね」
「ああ、私の数少ない趣味だからな。私の力で咲いてしまう花なのだから、私が面倒を見なくてはいけないだろう」
「私は食べることですね。あ、でも誰かの手を煩わせないように、料理もちょっと勉強してみてるんですよ。雷さんに教えてもらったりして」
先程は否定した気晴らし。だが、今の心境なら少しは何かをしようと思えるかもしれない。
「私はトレーニングでもしようと思っててさ」
「運動もいいですよね。汗を流して気持ちを落ち着ける、いいことです。日向さん、貴女はどうするつもりですか?」
にこやかに日向に振る。この時の赤城の笑みは貼り付いたものではなく、心の底からの笑み。慈悲に溢れた、少し鳳翔にも似たような表情だった。
「……考えさせてくれ。もう、頭の中がグチャグチャだ」
「そうですね。少しいろいろあり過ぎました。寝るなり何なりして、一度落ち着いてください。ただし、こっそり死んでるとか許しませんから」
念まで押された。ここまで言われたら、日向も突然命を絶つようなことはしないはずだ。これでやったらただの逃げ。真面目な日向にはそんなこと許さないはず。
死んだ後も遺恨を残し続ける大淀は、心底迷惑であるとよくわかった。しかも、それがまだ終わっていない可能性すら出てきている。早くこの事件が終わってほしいものだ。
生真面目な日向だからこそ、ここまで深く悩んでしまいます。そろそろアレに頼る時が来るかもしれませんね。日向といえば、アレ。