飛鳥医師の経緯を聞いた後、来栖提督とその護衛部隊は一旦鎮守府に戻ることとなった。あの夕雲は出直してくると言っていたため、遅からずまたやってくる。もしかしたら明日かもしれないし、もっと先かもしれない。下手をしたら今晩かもしれない。
だが、それを考え始めたらずっと鎮守府を空けることになってしまう。それに、ここではみんなの休息しか出来ない。武器の補給も出来ないのだから、急ぐのなら一度鎮守府に戻る方がいいだろう。
「飛鳥ァ、お前ちょいとスッキリした顔してんじゃねェか?」
「そう見えるか?」
「おう。やっぱさっさと話しときゃよかったんだ。お前、研究も一人でやってんだろ。溜め込み過ぎなんだよアホめ」
今の私には飛鳥医師の表情はわからないが、来栖提督がそういうのだからそうなのだろう。ここで一番長く暮らしている雷ですらわからない表情変化を理解できる辺り、長年の友人だからというところもあるだろう。
こういう友人はとてもいい。それだけで、この世界にいる意味が出来上がる気がする。
「俺ァまた明日も来る。自沈したっつー艦娘を引き揚げさせてもらうぜェ」
「ああ、頼んだ」
「それに……遠からずまた奴らは来るだろうよ。お前らを守れるのは、今んところ俺らだけだ」
これは来栖提督も警戒していることである。私達は武器を持たないため、来られてしまったら一方的に嬲り殺しにあってしまう。
あの戦いでは錨を振り回して応戦したものの、私の攻撃はほぼ無意味なものだった。セスの攻撃ですら牽制になったかならないかである。この場であの夕雲とまともに戦えるのは、おそらく来栖提督の秘書艦、鳳翔だけ。
「今度はしっかり準備してくる。あちらも数出してくるだろうからな」
「よろしく頼む。僕も思い付くことは全て伝える」
「おう、頼むぜェ。お前の頭は頼りにしてっからよォ」
飛鳥医師と来栖提督が話している時、私の下に誰かが近付いてくる気配。そのサイズからして、おそらく鳳翔。少しいい匂いがするし。
「若葉さん、明日も私がここに来ます。貴女はまず目を治すこと。いいですね?」
「ああ、言われずとも」
「よろしい。貴女の負けん気の強さ、私は好きですよ。雑な戦い方でしたが、初めての戦場で怒りに飲まれている状態とはいえ、よく出来ていました。機会があれば、私が鍛えてあげますね」
頭を撫でられた。鳳翔に鍛えられるというのは来栖提督の鎮守府では相当珍しく、且つ、名誉のあるものらしく、遠くの方で皐月と水無月が騒ぎ立てているのがわかった。
この施設にいたら本来やらないであろう戦闘をしたことで、私は興奮していた。いろいろあってなりを潜めていた自分の本質が表に出てきてしまったようにも思える。また戦いたい、みんなを守るためにこの力を振るいたいと感じていた。
「鳳翔、出来ればだな」
「わかっていますよ。飛鳥先生はこの施設の者に傷付いてほしくないのですよね。ですが、自衛の手段は知っておくべきだと思います。事が大きくなってきましたので」
「ぐうの音も出ない正論だ」
そうだ、せめてここを守る事だけでも出来れば私は満足だ。そのためにも、鳳翔に鍛えてもらいたい。どんなことをするかはわからないが、とにかく、私は動きたい。大敗を喫し、こんな身体の状況でも、私はやる気に満ち溢れていた。
「飛鳥医師、若葉はもっと強くなりたい。こんな怪我を負わないくらいに、せめてこの施設を、いや、自分と仲間くらいは守りたい」
「……わかった。だが、前にも言った通り、過剰なトレーニングは医者として許さない」
「理解している。程よくだ」
これで機会があれば鳳翔に鍛えてもらえるようになる。まずは私は目を治さなければ。
翌朝、真っ暗闇の中で目を覚ます。昨晩は結局襲撃などは無く、緊張感はあったもののゆっくり眠ることは出来た。初めての戦闘で疲れ果てていたというのもあるが、一時的な失明状態という暗闇のため、思った以上に熟睡出来たらしい。身体は疲れもなく健康そのものという感じだった。
「おはようございます若葉さん。すごくよく寝ていましたよ」
「……おはよう三日月、今は……」
「セスさんとエコちゃんの散歩が終わって帰ってきたところです」
ランニングが出来ないからと、いつも以上に長く眠ってしまっていたようだ。
「包帯を取ります。目の具合はどうでしょうか」
目に巻かれている包帯を解かれる。昨日のような何も見えないというわけではなく、薄ぼんやりと輪郭がわかるという感じだった。目の前にいるであろう三日月の顔を判別することすら出来ない。徐々に良くなっているが、まだ完治とは行かない模様。
爆雷の炎で焼かれるというのは本当に重傷なようだ。本来なら本当に失明してもおかしくはないが、咄嗟にガード出来たおかげでこれで済んでいる。
「まだ見えないな。輪郭がわかる程度だ」
「昨日よりは良くなっていますね。改めて飛鳥先生に診てもらいましょう」
「ああ。その前に……着替えを手伝ってもらえるか」
寝間着のままでいるのもどうかと思うため、いつも通りの制服に着替えたいわけだが、見えないためにいろいろと不都合が生じる。そのため、その辺りは三日月に手伝ってもらうことにした。
いつもやっていることの焼き直しのため、大概のことは見えていなくても大体なんとかなるのだが、ネクタイとかシャツのボタンとかは不恰好になってしまう。それはサポートしてもらった。
「不便だ……」
「もう少しの辛抱ですよ」
今日も三日月には私の目になってもらう。私は施設内を動くことが出来て、三日月は安寧のために私の側にいられる。WIN-WIN。
朝食前の少ない時間で飛鳥医師に眼を診察してもらった。雷の応急処置が適切だったおかげで、今日いっぱい我慢したら明日には見えるようになるだろうと言われ安心。
包帯は巻いておいた方がいいとも言われたため、昨日のスタンスからは変わらない。ご飯も食べさせてもらうことになる。少し気恥ずかしいが、これはこれで何だか楽しくもある。
「曙は今日目を覚ます予定と聞いているが」
「ああ。寝かせておいてあげたいんだが、脳機能が正常に稼働しているかどうかは、意識がないと判断が出来ないからな。蘇生の技術自体が、なるべく早く目が覚めるように出来ているんだ」
「傷はどうなんだ?」
「当然痛むだろう。本来なら意識が戻ったことさえわかれば、一度入渠させるんだ。そうなれば本当に元通りだからな。だが、ここではそんなことが出来ない」
昨晩の話以降、包み隠さず話してくれる。表情はわからないが、昨日来栖提督が言っていた通り、少しスッキリしているように思えた。声のトーンに明るさを感じる。
曙がやられたのは心臓と肺。今は常に特殊な鎮痛剤を投与し続けている状態らしい。そうでなくては息をするだけでも激痛が走る。むしろ、心臓が動いている限り痛むという地獄のような状態。それがある程度は軽減されているのだとか。痛くないとは言っていない。
「若葉は今日はあまり動けない。なら、医務室にいてもいいだろうか。こうなってしまうと、何処にいても同じだと思う」
「ああ、構わない。頼みたい雑務は終わっているし、その目では何の作業も出来ないだろう。なら、曙の側にいてあげてほしい。目が覚めたときに誰もいないというのは寂しいだろうしな」
私もなるべくなら動かない方がいいはずだ。なら、曙の側でボーッとしながら目を休ませることにしよう。
私が医務室に腰を落ち着けた時、曙はまだ目を覚ましていなかった。だが、安らかな寝息が聞こえてきたので生きていることがわかる。本当に生きている。
私は息を引き取った瞬間を知らないため、今の曙の寝息を聞いていると、一時的にでも命を落としたというのが信じられなかった。身体も見えないため、どのような傷がついてしまったのかもわからない。
「三日月、曙にはどういう傷が」
私の目になるというので、今も三日月が隣についてくれている。何かあった時に、すぐに飛鳥医師に知らせる役も兼ねている。
今日の家事は雷が1人でやることになってしまうわけだが、もっと頼ってといつもの言葉と共に二つ返事で引き受けてくれた。雷には頭が上がらない。
「胸に大きな傷が。若葉さんのお腹の傷が、胸の真ん中……少し左側にあるイメージです」
「なるほどな……心臓の辺りということか」
「はい。埋まってはいますが、ポッカリと穴が空いているような傷です。今は見えませんが、おそらく背中にも同じ傷があると思います」
貫通しているのだから、そういう傷にもなるだろう。あの時、飛鳥医師は『心臓と肺を一撃で』と言っていたはずだ。あの潜水艦、手慣れている。一切気付かれないように近付き、結局顔を見せることなく曙だけを撃ち抜いた。
「色が違う……おそらく、心臓も、肺も、ここを覆っている肉も、飛鳥先生は深海棲艦のものを代用にしています」
「重要な臓器も揃ってたんだな」
触れるわけにもいかず、全て三日月に説明してもらった。どうせ治れば見れることなのだが、出来れば早く知りたい。想像と違っていれば、それはそれで。
「っ……あ……」
と、ここで曙の寝息が変化。これは起きたか。
「んぅ……っぐ!?」
「曙、痛いのはわかるが、少し我慢してくれ」
目覚めた瞬間、心臓と肺の痛みに苛まれたのだろう。鎮痛剤が効いているとはいえ、痛みがないわけではないというのはこういうことか。私には吐息しか聞こえないが、相当辛そうなのがわかる。
「私……は……」
「飛鳥医師が曙を蘇生した」
「蘇生……って……あ、ああっ!?」
死ぬ寸前の記憶を思い出したか、悲鳴も混じったような叫び声を上げた。機械が接続されているものの、比較的自由に動く手で、撃ち抜かれたであろう胸に触れたようだ。
それも痛そうではあるが、鎮痛剤の力と驚きで、今だけは痛みをあまり感じていないように思える。
「塞がってる……わ、私……っぐ……確かにここを……」
「ああ。みんなの前で撃たれた。一度死んでいる」
「……喋るだけで痛いわ……」
かなり辛そう。本来ならそのまま入渠というのもわかる。見た目は私達と同じように継ぎ接ぎで治療が完了しているが、中身はズタズタにされているようなものだ。
曙が目を覚ましたため、三日月に飛鳥医師を呼んできてもらう。すぐ眠り直すにしても、少しくらいは説明を聞いてもらわなくてはいけない。むしろ今の状態では、痛みで眠ることも出来ないだろう。
「……アンタ……目はどうしたのよ……」
「お前が撃たれた後、戦闘になった。その時にやられてな。明日には治る」
「……そう」
痛みもあるが、比較的身体は動くようだ。治療後3週間眠ったままで、且つ、目を覚ましても1週間はまともに動けなかった私とは治療のレベルが違う。
あくまでも身体の中身だけが酷い損傷を受け、四肢は無傷だったからだろうか。三日月も皮膚だけだったからか、目が覚めた直後から普通に動けたのを思い出す。
「目が覚めたと聞いた。……うん、蘇生は成功だな」
「……本当に……生き返ったのね私は……」
「ああ。辛いとは思うが、説明をさせてくれ」
飛鳥医師が医務室にやってきて、治療方法の説明。
曙の身体の中には、軽巡ホ級の心臓と肺が組み込まれているとのこと。この軽巡ホ級、私が初めてこの施設で浜辺の清掃を行なった時に見つけた深海棲艦の死骸である。あの時潰えていた命が、次の命を繋ぐために使われたと思うと、なかなかに感慨深い。
「……私も……みんなと同じ継ぎ接ぎになったのね……」
「そうなる。……こんな形でしか治療出来なくてすまない」
「蘇生しておいて何言ってんのよ……命があるだけ……マシよ……」
声は苦しそうだが、死にたくないという最期の望みが叶ったことは不本意では無いようだった。
ここで曙が何故生き返らせたとでも言おうものなら、飛鳥医師はおそらく立ち直れないくらいのショックを受けていただろう。それもあるから、死にたくないという者だけを治療するスタンスになっている。飛鳥医師も自己防衛をしているようである。
「……感謝するわ……先生」
「そうか。そう言ってもらえると、治療した甲斐があるというものだ」
顔はわからずとも、飛鳥医師が喜んでいるのは声からわかる。微妙な変化ではあるが。
やはり目が見えていないことでいろいろな部分に気が付けた。人に頼らなくては生活もままならない状態ではあるが、少し嬉しい。明日には終わるであろうこの生活を、今は楽しむことにしよう。
曙復活。今は直後のため、しおらしく素直。飛鳥医師にはしっかり感謝してます。