早速始まった鳳翔直々のスパルタ訓練。基礎訓練の段階から全員が動かなくなるまで身体を酷使させられ、今までにないほどに疲労していた。
私、若葉は、日頃からランニングをしていたおかげでギリギリ動けるくらい。艤装整備も筋トレの一種になっていたのかもしれない。深海棲艦の心臓と肺を持つ曙ですら、息切れが無くなっても四肢がまともに動かせないほどの疲労に苛まれていた。
だが、悪くない。自分の成長を表す疲労だ。辛ければ辛いほど、私は成長していると実感できる。
「午前中はこれで終了です。身体を休めた後に昼食です。午後から再開しますからね」
言葉も無かった。死屍累々と言っても過言ではない。特に三日月は、4人の中で一番体力が無かったせいで起き上がることも出来なくなってしまった。
「昼食の前にお風呂に入ってください。飛鳥先生に頼んで、
「そ、それ何……? 後からお風呂掃除しやすい……?」
「雷さんは家事一筋なんですね。その辺りは心配しないでください、ただの薬湯ですから」
妙なところに気を回す雷だが、薬湯なら大丈夫だろう。何かの効能があるだけで、普通の風呂と変わらない。入浴剤を入れたと思えばいいだけだ。
「はーい、三日月、立ち上がるよー」
「みかちゃん少しだけ力入れてねー」
起き上がれない三日月は、皐月と水無月が肩を貸して立ち上がらせる。まるで脱け殻のようになってしまった三日月は、苦手な方の姉2人ですら何の抵抗もなく受け入れ、ヨタヨタと風呂の方へと向かっていった。
「最初はこんなものです。あの2人も同じ感じでしたよ」
「口から魂抜け出てた感じだったんだよぉ。あたしも最初死ぬかと思ったな〜」
なかなか怖いことを言う。まだまだ続くこの訓練で生死まで問われるとなると話が変わってしまう。
「安心してください。絶対に死にませんし、必ず成長が実感出来ます。それに、命の危険があるような訓練を、飛鳥先生が許すと思いますか?」
「……まぁ……そうだな」
「さあさあ、皆さんお風呂に入ってください。時間は有限ですからね」
急かされ、私達もフラフラになりながら風呂へ直行。自力で歩くことが出来ただけでも良しとしよう。
私が風呂に入ると、既に三日月は風呂に浸けられていた。運んでいった皐月と水無月が服を脱がして入れてくれたのだろう。先程すれ違ったので、やることやったらさっさと戻っていったようだ。
聞いていた通り、風呂は薬湯というだけあって不思議な色をしていた。少し緑がかっており、フローラルな香りがする。ただの入浴剤か何かか。
「これすごいです。浸かっているだけで疲れが無くなります」
先程まで言葉も無かった三日月が、訓練した後とは思えないほどにピンピンしていた。
私達も湯船に脚を入れると、その温かさが全身に流れ込むような感覚がした。ただの気持ちいいとは何かが違う。と、考えているうちに、走り込んだことで疲れ切っていた脚から疲れが抜けたようだった。
この効能、思い当たる節がある。激痛に苛まれていても、それを体内に吸収させることで一切の痛みを消し飛ばしてしまう薬。私達には良薬でも、人間には劇薬となってしまうアレ。
「これは……まさか高速修復材……?」
「それを数倍薄めて作られた入浴剤みたいなものですよ。なので、これは人間にとっても劇薬ではありません。良いものとも言えませんが」
気付いたら後ろに鳳翔が立っていた。4人揃って悲鳴をあげかける。
気配も無ければ匂いも無かった。本当に知らぬ内に真後ろにいた。あの時の夕雲のように。
「これは各鎮守府に配布されているものなんですよ。これで湯浴みすると、疲れがすぐに飛ぶ優れものです。怪我を治すのには向いていないんですが、擦り傷程度ならそれで治りますよ」
「これ凄いわ! さっきまで吐きそうなくらい疲れてたのに、もう無いもの!」
雷も大絶賛。湯船には駆逐艦なら4人入って少し余裕があるくらいなのでちょうどいい。
これからは鳳翔の訓練が終わるたびにこの薬湯に浸かることになるらしく、それにも理由があった。
「この訓練のために……持ってきてくれたんですか?」
三日月が問うと、鳳翔は勿論と頷く。鎮守府の浴場に常設しているものとはいえ、外部へと易々持ち出せる物でも無いだろう。来栖鎮守府は、これが無くてもいいくらいの実力者揃いの鎮守府と考えてもいいかもしれない。
「とある人に教えてもらったのですが、筋肉というのは傷付いた後に修復されることで成長するそうです。なので、本来は長く休息が必要なのですが、この湯船にはそれを省略することが出来ます。つまり」
「吐く程鍛えてお風呂に入れば、すぐに成長するってことかしら」
「そういうことです。艦娘ならではの急速成長ですね」
ここまでのスパルタ訓練ではなく、適度な訓練で成長を促すことが基本だそうだ。私達がやっているのは、有限の時間を有意義に使うための、急ピッチな訓練。それでも身になるのが艦娘の凄いところ。こういうところだけは、自分の兵器である部分に感謝した。
「ごめんなさいね。貴女達を即戦力になるように鍛えるために、あそこまで厳しい訓練にしてしまって」
訓練中の雰囲気が夢だったかのように、おっとりとした母性的な態度。これが本来の鳳翔なのだろう。家庭的で優しい、鎮守府の誰からも好かれる母のような人。なんでも、『全ての空母の母』という異名を持っているらしい。
「若葉は大丈夫だ。この風呂さえあればいくらでもやれる」
「私もよ。さっさと強くなりたいもの」
私も曙も、前衛担当というのもあってやる気は充分。私としては早く実戦訓練にも入りたい。そのためには、今の基礎訓練についていけるようにならなければ。
「私も大丈夫。この施設を守るためには、ここで頑張らなくちゃ!」
「……はい。私も……私も、もっと強くなりたいので」
雷と三日月も、気合いが入っている。まだ午前中しかやっていないのだから、屁古垂れるには早すぎる。
「よろしい。貴女達の気持ち、伝わってきました。昼食は私が作りますので、今はゆっくり休んで午後に備えてください」
「わぁ、いいの?」
「住み込ませてもらうんですから、それくらいはやらせてもらいますよ。料理は得意なので」
事実、風呂上がりに出してもらった昼食は、今までに食べたことがないほど美味しかった。雷がレシピを教えてほしいと縋り付いたほどである。
強く、優しく、万能な鳳翔。弱点とかあるのだろうか。間違いなく、来栖鎮守府ではトップクラスの存在である。
昼食後も同じように訓練を続ける。シロクロの手伝いの下での長距離着衣遠泳から始まり、午前と同じようなランニングや筋トレによる基礎訓練が続けられていく。
そもそもこれについてこれなければ、役割の訓練には移ることが出来ないということなのだろう。まずはこれで練度を底上げし、初めて戦うことが出来る。
「三日月……大丈夫か……」
「ひっ……ひっ……」
虫の息の三日月。どうあっても手が緩められないため、三日月は訓練についていくのがやっとの状態。先程休憩中に吐いているのまで見かけた。薬湯の風呂にさえ入ればこれもすぐに治るのだが、まだその時ではない。
「継続が難しいようでしたら、三日月さんは体調が戻るまで見学でもいいですよ」
「い、いいです……続けます……。ここで諦めたら……も、もっと、自分が……嫌いになります……」
本来の三日月は努力家気質がある負けず嫌いな性格らしい。トラウマでいろいろ捻じ曲がってしまったこの三日月にも、その気質はしっかり残っている。
さらには、今の三日月には何よりも『自分嫌いを克服したい』という願望がある。それに負けず嫌いが重なって、意地でも訓練についていこうと躍起になっている。
「私は……もう見ているだけは……嫌なんです!」
曙が死んだ時に動けなかったことが余程心に刻まれてしまったのだろう。死にかけたトラウマよりも深い心の傷となり、それを払拭することが行動理念となっていた。
それを汲み取った鳳翔は、三日月の手を引き立ち上がらせる。足は覚束ないが、しっかりと地を踏みしめた。目は死んでいない。
「いいでしょう。しっかりついてきなさい」
「はい!」
人間嫌いと艦娘嫌いは何処かに行ってしまったかのように、心身共に鍛えられている。この短時間で一番成長したのは、間違いなく三日月だ。
私達も、午後になってからすぐに自分達の成長がわかるようになっていた。ランニングでの疲れ方が先程と違う。持久力はあまり変わっていないが、脚の疲れは先程よりも緩い。薬湯による急速な筋肉の修復の効果がもう出ている。
「はぁ……はぁ……っぐ、キツイな……」
「脚が……勝手に震えちゃう……」
それでも疲労困憊状態なのは変わらなかった。私と雷は揃って息も絶え絶え。あまり使ってこなかった筋肉を使っているせいで、痙攣まで起こしてしまっている。今はしっかりとストレッチをする時間だ。
「最初から全員気絶しないとは、大したものだな」
「ね。水無月達、初めてこれやった時全滅だったよ」
そんなことを言う長月と水無月だが、私達を手伝ってくれているにもかかわらず、やはり息は整ったまま。やっている最中は息を切らすこともあったが、呼吸が元に戻るのがやたら早い。それだけ鍛えられているという証拠である。
「きっつ……息は整ったけど脚が少し痛いわね……」
ストレッチをする間に曙は脚の痛みを訴える。急激な疲労により筋肉が悲鳴をあげているのだろう。私も脚やら腕やらが痛い。筋肉をマッサージするように揉んでみると、鈍い痛みが走った。
だが、この痛みも疲労と同じく私達を強くしてくれることはわかっている。筋肉を傷付け、それを修復することで、私達は今よりもずっと成長するのだ。そうなるとこの痛みすらも喜ばしいものに感じる。
「時間です。ストレッチは終了。息は整いましたか?」
「ああ、行ける」
「この程度で止まらないわ。まだやれる!」
「では続けます」
少し痛む程度なら問題ない。戦場ではこれ以上の痛みの中で戦うことだってあり得るのだ。まだまだやれる。
午後も日が暮れるまで延々と基礎訓練を続けることになった。それまでに全員が吐き、何度も倒れた。だが、気を失う者はおらず、弱音を吐く者もいない。全員が疲労困憊でも前のめりだった。その姿に鳳翔も感心したらしく、明日からはもっと激しくしていきたいと話すほどだ。
文月達第二二駆逐隊は、日が暮れる前に帰投した。夜は別の者がこの辺りを巡回してくれるらしい。名残惜しいが、また近々来ると手を振っていた。次に会うときは、より強くなった私達を見せたい。
訓練後、どうにか風呂まで辿り着き、4人同時に湯船へ。午前と同じように、浸かるだけで疲れが吹き飛ぶ。なんて便利なんだろう。
「このお風呂が無かったらぶっ倒れてたわね……」
「あるから飛鳥医師が許してるんじゃないか?」
「違いないわ」
壊れていた筋肉が修復されていくのがわかるようだった。ジンジンと湯が染み渡る。午前中よりもよく効いている気がした。午後の方がハードだったからだろうか。
「三日月、大丈夫? 何度も吐いてたみたいだけど」
「……大丈夫……じゃないです。でも、これを乗り越えれたら……自分のことを……好きになれるかなって……」
クスリと、小さく微笑んだ。なかなか見せない三日月の笑顔に雷もご満悦。同じ後衛担当として、より強い仲間意識を持っているようだ。
「基礎訓練、いつまで続くのかしらね」
「まだ続くと思う。若葉達は土台が無いからな」
「その間にあいつらが攻めて来なきゃいいけど」
曙の不安はごもっとも。向こうだって待ってくれない。こちらの一番来てもらいたくないタイミングを狙っているのだと思う。
前回の失敗を繰り返さないように、今日はシロクロが近海を潜って敵潜水艦がいないかどうか確認していたらしいが、今のところ見つかっていない。流石に同じ手段が通用するとは思っていないか。
ならば、こちらが今こういうことをやっているということは向こうには伝わっていないだろう。鍛えるなら今だ。弱者をいたぶるように攻めてくるのなら、その弱者が返り討ちにしてやる。
「誰がどう来たって、私達がやることは変わらないわ! この施設を守るの!」
「ああ、そうだな。ここは若葉達の居場所だ。他人に潰されるだなんて真っ平御免だ」
そのためにも、早く強くなりたい。焦りは禁物だが、時間が足りないのも確かだ。せめて対等に戦えるくらいにまでは成長し、外の手を借りずともこの施設の平和を守れるようになれればいい。
「……頑張ります。私も」
「その調子よ! 頑張りましょ!」
みんな気合い充分。吐くほど辛い訓練だろうと関係ない。これを乗り越えれば欲しい力が手に入るのだから、倒れている暇はないのだ。
自分を痛めつけ、風呂の力で回復して、また痛めつけるのは、若葉の性分に合っているでしょう。