翌日。鳳翔がいないため、訓練などはなく平凡な1日が開始。私、若葉も久し振りの艤装整備に勤しんでいた。嵐の中の戦いで雨風にさらされ、それはもう汚れていた。昨日のうちにもある程度は洗浄していたが、分解してまでの総ざらいはまだだったため、今日はそれから。
工廠では摩耶とシロクロが深海棲艦の艤装をいろいろと組み立てており、セスはエコのメンテナンス中。1週間近く訓練をしていたため、こんな日常も久し振り。ほんの少しだが懐かしい気分になってしまった。
「久々に弄ると楽しいだろ」
「ああ」
分解し、パーツの1つ1つを洗浄していく。私の戦いに一番身近についてきてくれる艤装なのだから、自分の手で丹念に磨き上げたい。先日の戦闘でも、調子が悪くなることもなく最初から最後までフル回転してくれている。
戦いを経験したからこそ、艤装に一層の愛着が湧いた。洗浄し、磨く手もいつもより軽く動く気がする。素直に楽しいと思える時間だ。
「無茶な戦いをしたが、何処も壊れていないな」
「そりゃよかった。イカれたら代替のパーツ勝手に持っていっていいからな」
「助かる」
幸い、何処も壊れていなかった。ヒビや劣化も今のところ見えず、磨くだけで新品のような輝きを取り戻す。これを使ってまた戦場に出られるかと思うと、気分が高揚するというものだ。
「そろそろ来栖提督が来るか?」
「そうだな。午前中に来るとは聞いてるぜ。お前らもそろそろ片付けろよー!」
「はーい!」
ずっとこういう毎日を過ごしていきたいものだが、そうはいかないのが現状である。早く終わらせて、この日常に戻ってきたいものだ。
少しして、遠くにいつもの大発動艇が見え始めた。工廠の片付けも丁度終わったところなので都合がいい。相変わらず大発動艇を使うときは第二二駆逐隊がここに来る。もうご近所様感覚で頻繁に来ているものだから、見ないことの方が珍しく感じるほどである。
もう何度も来ている来栖提督なので、シロクロやセスも隠れるようなことはない。他人が苦手なセスですら、来栖提督には慣れたものである。
が、今回は少し違った。
「昨日ぶりだなァ。お、若葉、ちゃんと起きてんなァ」
「ああ、昨日は挨拶出来ずにすまない」
「構わねェよ。戦闘後に飛鳥の手術手伝ったんだろォ? 疲れ果てて当然だぜェ」
いつものように大発動艇から飛び降りて工廠に着地。が、そのあとにさらに
「大将、飛鳥が使い始めてからここに来るの初めてじゃないですかい。驚かないですねェ」
「驚いてますよ。当たり前のように深海棲艦が生活し、共存しているんですから」
物腰穏やかな男性。着ている服と来栖提督の呼び方から、同業者であることはすぐにわかる。少なくとも、私や三日月が知るいけすかない男では無い。
来栖提督だけと考えていたせいで、その姿を見たセスが一気に萎縮して部屋の隅に。シロも早速警戒していた。
唯一クロだけは無警戒。信用できる来栖提督が、あえてこの場に連れてきたのだから、当然信用できると判断したようである。
「オッチャン、この兄ちゃんは何者?」
「来栖、君はオッチャンなんて呼ばれてるんですか」
「いや、まァ、いろいろあったんですよ」
あの来栖提督が、その男性相手だとすごく小さく見える。逆らえないというか、弱みを握られているというか。
大将と呼んでいたということは、相当格上の人間。それでいて、畏まった雰囲気もそこまで強くないため、飛鳥医師と来栖提督の関係性と似たようなものなのかもしれない。
「クロ、この人はなァ、俺の上司だ。恩師っつってもいい」
「
「タイショー!」
「はい、ありがとうございます」
確かに少し音が悪い。どうしても汚いものを思い浮かべてしまう。だが、おそらくこの人もそれを気にしているだろう。口にも出さないし思い浮かべることもしない。
下呂大将は来栖提督の上司であり、所謂
だから、私も警戒していた。三日月ほど過剰ではないが、提督という役職の人間には未だ嫌な思いしか無い。来栖提督は慣れたが、他人となると話が変わる。
そのため、無意識でもあったが下呂大将の匂いを嗅いでいた。嫌な匂いがするようなら要警戒。信用せずにやり過ごす。
「お茶と畳の匂いだ」
「おや、よく気付きましたね。身なりは整えているつもりでしたが」
「妙に鼻が利くんだ。いろいろあって」
薬の匂いとかのキナ臭さは無かったが胡散臭さはあるため、なかなか信用がしづらい。話し方、匂い、立場と、その全てを見た感じ、大丈夫そうではあるが。
チラリとシロを見ると、今まで吟味した結果、信用することにしたようだ。私の物理的な嗅覚ではなく、シロの感覚的な嗅覚は、下呂大将は問題ないと判断していた。
「うちの秘書艦の趣味です。私の鎮守府は和風に出来ていまして」
「そうか。落ち着く匂いだ。嫌いじゃない」
「それは良かった。嫌われるよりは好かれた方がいいですから」
その秘書艦というのが、後ろを陣取っていた緋袴の艦娘。見るからに和風。お茶と畳の匂いもわからなくはない。
下呂大将に呼ばれ、私達の前へ。凛とした佇まい。少し小柄ではあるが、秘めたものを感じる。そして、下呂大将と同じ匂いを持っていた。
何より脇差に目を引かれたが、今は触れないことにしよう。普通じゃないのはわかる。
「秘書艦、神風よ。飛鳥先生とは一応面識があるけど、貴女達とは初めてよね。よろしく」
緋袴の艦娘、神風。大将の秘書艦というだけあり、こちらも相当の実力者。旧式であるにもかかわらず、何を間違ったか鳳翔と同等ほどの力を持っているらしく、それを聞いただけで私達には勝ち目がない上の上の存在であることが理解できた。
「護衛艦は神風だけなのか?」
「ええ。私だけで充分だもの。それに、この人こうやって動き回るからついていけるのは私くらいなの」
ケラケラ笑っているが、1人で充分という程に自信もあるのだろう。敵でなくて本当に良かった。
「来栖が来たのか。なら呼んでくれればいい……の……に……」
私達が話している内に、奥から飛鳥医師がやってくる。そして、下呂大将と目が合った瞬間に動きが止まった。想定外の客に、思考が停止している。
「おや飛鳥、久し振りの再会に言葉もありませんか」
「来るなら来ると言っておいてもらえますか
来栖提督も同様、飛鳥医師も物凄く小さくなってしまった。やはり逆らうことが出来ない何かを持っているのだろうか。
「もう上としても他人事じゃなくなって来たんですよ。中立区での戦闘行為は由々しき事態です。そんな簡単な規則を守ることも出来ない者に、鎮守府を任せるわけにはいかない。だから私が直接動くことにしたんです」
「は、はぁ、なるほど、先生ならそうお考えになるでしょうね」
「ということで、まずはその洗脳されているという艦娘を見せてもらえませんか?」
ニコニコしながら飛鳥医師と話す下呂大将。項垂れる飛鳥医師と来栖提督。今までに見たことがない光景だった。
「1つ教えてほしい。どういう関係なんだ」
素直に疑問を口にした。3人が3人知り合い同士のような雰囲気だが、関係性が見えづらい。
「僕は最初の頃、先生の鎮守府で働いていたんだ。
「俺ァ新人時代に大将から提督のなんたるかを教えてもらったんだ。俺がこういう活動が出来てるのは大将のおかげってわけだな」
なるほど、納得した。下呂大将はどちらにも直属の上司になるわけだ。特に来栖提督にとっては、提督としての全てを教えてもらった師匠とも言える人になる。
私達にとっての鳳翔みたいなものだ。とてもじゃないが敵わない。
「少し準備させてください。ここには少し精神的にナイーブな子もいます。突然先生が現れたら錯乱する可能性だってある」
「おっと、そうでした。私としたことが配慮に欠けていましたね。申し訳ない」
どうにか踏み止まってくれた。思い立ったら即行動が下呂大将のやり方のようだ。だからこそこの地位まで上ることができたのかもしれない。そうでなければ直にここに来ることなんて無いだろう。凄まじい行動力だ。
雷や三日月にも説明し、曙は医務室で監視中。状況が良くなったので、人間3人と神風、そして私は医務室へ。医務室にそう何人も入れるわけでもないので、他のものは工廠で待つことに。毎度お馴染み第二二駆逐隊も、
「今朝の段階でまだ2人とも目を覚ましていません。僕がそのようにしたというのもありますが」
「来栖が来るのを待っていたわけですね。いい判断です。私が来ることは想定外だったようですが」
「当たり前でしょうよ。誰が大将が来ると思うんです」
仲のいい人間3人である。上下関係は激しいが、お互いがお互いを信じているのがわかる。下呂大将は正直胡散臭いと思っていたが、思い違いか。
「さて、と。目を覚ますのはどちらが早いんです?」
「予定では夕雲が。おそらく霰は目を覚ましたところで自分の意思を持っていない人形なので……」
「ふむ、そうですか。では、飛鳥はその治療法を探してくださいね」
「勿論。必ず復帰させます」
「いい返事です」
医務室に入る。完全に拘束されている夕雲が、既に目を覚ましており、心底嫌そうに曙が待っていた。
「ちょっと、こいつ起きたんだけど」
「うーっ、うぁっ、うぅーっ」
余計なことをしないように猿轡まで噛まされ、ジタバタともがいていた。手術痕がまだ痛むだろうに、元気なものである。
「飛鳥、口を利けるようにしてあげなさい。私が尋問しますので」
「わかりました」
下呂大将に言われ、飛鳥医師が夕雲の猿轡を外した。
「女の子になんてことするんですか」
第一声がこれとは。相変わらずのクソ雲っぷりである。自分がしたことを罪と思っていないような言い分だ。
中立区での戦闘行為は重罪。私達は許可を得て正当防衛に出たが、向こうは当然無許可。さらには理由が自分達の悪事の口封じである。アウトもアウト。
「まだまだ軽すぎるほどの罰だと思いますがね。さて、君と話がしたくて私はここに来ました。下呂と言います。階級は大将」
「何も話すことはございません。
まぁそう言うだろうと最初から思っていた。曙は舌打ちし、私も気分が悪くなる。私達は自衛のために夕雲を助けたが、そのまま命を奪っておいてもよかったのではないかと思えてしまう。
だが、この夕雲も洗脳されているのだから難しいところである。
「そう言うとは思っていました。なので、別に鎮守府のことを話せとは言いません。何処にあるか、誰が統治しているか、何のためにこんなことを……いや、それはいいです。見当がついているので」
夕雲のベッドの隣に腰掛ける。長丁場も辞さないという姿勢。夕雲は拘束されているため、嫌でも聞かざるを得ない。耳を塞ぐことも出来なければ、そっぽを向くことも出来ない。
「何から話しましょうかね」
「先生、少し待ってください。霰も目を覚ましました」
ほぼ時間差のようなものであろう。霰も目を開けていた。が、意思を持たないため、目を開いているだけ。泥沼のように濁った夕雲の瞳とは違う、光の無い虚空のような瞳だった。
「霰さん、リミッタ」
「させないわよ」
それを確認した夕雲が霰のリミッターを外そうとしたが、即座に神風が対応。喉に一撃入れ、それ以上喋れなくした。
動きがまるで見えなかった。攻撃をすると思わせる匂いすらしなかった。その名の通り、まさに神風。
「かはっ!?」
「来栖には聞いていましたが、なるほど、人形のリミッターを外すのは、君の声が必要なんですね」
下呂大将は穏やかな姿勢を崩さない。だが、少し匂いが変わった。ほんの少しだけ刺々しい匂いが、落ち着くお茶と畳の匂いの中に混じったような気がする。
神風がかなり強引な手段で霰のリミッター解除を食い止めたが、それを見ても態度を一切変えなかった。肝が据わっているというか、容赦が無いというか。
「今のは君が悪い。霰をどうにかしようと即座に判断したのは及第点ですが、この状況でそれをやったらこうなることくらい子供でもわかるでしょう。本来の夕雲はそこまで愚かではありませんよ」
神風も冷たい眼差しで夕雲を見下ろしている。次に喋ったら喉を潰すぞと言わんばかり。
「ですが、この子が近くにいたら私との会話に集中出来ないでしょう。若葉、曙、霰を別室に運んでもらえませんか」
「まだ部屋が空いているだろう。今はそこに頼む。片付けが必要なら雷と三日月に頼んでくれ」
鳳翔が戻ってきたとしても、私室として使える部屋は2つある。その内の1つを霰に使ってもらおうという算段だ。夕雲がいる以上、近くに置いておくわけにはいかない。簡単な処置なら医務室でなくても可能だ。
「霰、立てるか」
霰に対して問い掛けてみるが、やはり反応なし。目は開いていても、これだけの騒動があっても虚空の一点を見つめているだけ。意思を奪われ、人形にされているのが痛いほどわかる。
「霰、立て」
試しに夕雲のように命令をしてみるが、これもダメ。おそらく夕雲の声にしか反応しないようになっている。
「諦めましょ。車椅子持ってきたわ」
「すまない」
医療施設なだけあり、車椅子も1つはあった。2人がかりで霰を車椅子に乗せ、医務室から運び出した。
下呂大将と神風は、去り際の私達に手を振ってくれた。私達に対しては柔らかい態度だった。そのギャップが恐ろしかった。
正直、夕雲に関しては全部任せてしまうのがいいと思う。飛鳥医師はともかく、私達のような艦娘には手が付けられない大きなこと。
ならば私達は、仲間である霰の復帰に尽力しよう。この状態は可哀想過ぎる。せめて自分の意思を取り戻すまでは面倒が見たい。
上司、下呂大将。下呂といえば岐阜県の温泉のある町ですが、こちらでは飛鳥医師の名の由来になっているアスクレピオスに医術を授けた先生、ケイローン(けいろーん→け゛ろーん→げろ)が由来。
ついでに来栖提督は、そのケイローンから武術を学んだ英雄ヘラクレス(へら来栖)から取っています。