初めての演習は惜敗に終わった。私、若葉は涼風の砲撃で腕を撃たれて中破。最後の江風と涼風の同時攻撃相手には、まだやれることがあったと思う。回避の仕方や、そこから攻撃に転じる方法はいくらでも見つかる。
演習が終わってからはずっと反省だった。あの時はどうすれば良かったか。最善を選択した時は次にどうするか。いわゆる『感想戦』というものを鳳翔や第二四駆逐隊の面々と行なう。
「五三駆の4人は初めての連携訓練でしたが、どうでしたか?」
「経験不足を実感したわ。崩れたら総崩れだったものね」
「ある程度出来ていたのは三日月だけだな……」
三日月は他人の危機回避も出来ていたため、ある程度は連携になっていた。が、その辺りで特に酷かったのは私だろう。スピードに任せた単独先行。そういう作戦というのもあったが、わざわざ後衛組から離れて行動するのは自滅行為に近い。海風や山風ほど手練れになれば変わるかもしれないが。
せめて曙と一緒に動くのが正解だ。今までそうやってきたのに、敵の数が増えたことで個人戦を複数個作った方が戦いやすいと思ってしまった。
「連携はまともに出来ていませんでしたね。今後は前衛後衛ではない組み合わせで訓練をしてみましょう。若葉さんは三日月さんと、曙さんは雷さんと組んでください」
前衛と後衛で組んで、連携を学ぶ方向で行く。
私の相方は三日月。連携が一番出来ていた者と出来ていない者の組み合わせ。平均化するならそれが妥当。あとは相性の問題か。曙と三日月という組み合わせは、失礼だが少し難しそうである。
それに、お互い持つ深海棲艦のパーツに駆逐棲姫が含まれているという共通点がある。
「すまない三日月。足を引っ張ると思うが」
「こちらこそ……私はすぐ動揺してしまいますから……」
だが、危機回避能力は動揺していても健在だった。わかっていても動けないという状況さえ作らなければ、三日月はおそらくこの中で一番強い。
私は匂いから危機回避は出来るが、それは基本
「若葉は、もっと周りを見ることを覚える」
「私は……もっと心を落ち着かせます」
2人で今後の教訓を決め、それに則って訓練を続けていこう。この鎮守府に世話になる間は演習も定期的に行なうと鳳翔が言うし。
「つっても、こっちも結構ギリギリだったンだよな。江風は結局撃たれちまったし」
「あたいがフォローしてやったから取り返せたようなもんだよね」
「貴女達はチームワークはとても良いですが、個人技に欠けます。だからこそ、五三駆と戦わせたかったんですよ」
お互いに足りているところと足りていないところが正反対だった。4人ずつであり、時間制限もある演習だからこの結果になったが、例えば1対1の個人演習だった場合は、私達が総合で勝っているだろうというのが鳳翔の分析。
次はそういう形の演習も取り入れると言うので、その時は今回のようにはいかないようにしよう。
その後、数回の演習。お互い疲れ果てるほどに身体を動かし、曙以外は息も絶え絶え。曙は流石の持久力である。
勝率としては3割程度。やはりチームワークに関しては二四駆の方に分があり、探り探りの私達ではなかなかうまくいかない。特に、三日月と組むのは今日が初めてだ。連携も少しずつ出来るようになってきたものの、まだまだである。
演習終了後、工廠で摩耶に夕雲の処置が終わったことを聞いた。前回の霰の時よりも早く終了しており、既に透析中とのこと。このペースで行けば、日が変わる前どころか、眠る時間前には全てが終わるのではないかと言われている。透析は装置を繋いで放置のため、飛鳥医師もようやく息を吐いた。
私達も風呂の後に夕雲の状態を見に行くことに。
「傷は無いんだな」
「来栖が高速修復材を提供してくれた。そのおかげで処置も早く終わったんだ」
霰の時は後から下呂大将が届けてくれたが、ここは鎮守府、即座に手に入る。また、鎮守府から持ち出しているわけではないため、抵抗なく使わせてもらえたそうだ。
おかげで夕雲は傷一つ無い。霰も透析終了後に下呂大将から貰った高速修復材を使っているため傷は無いが、夕雲は処置の段階から使われているので色々と心配が無い。
「事が早く進んでいる。今日中には目を覚ますだろう」
「でも、そこからなのよね……夕雲の地獄は」
雷が眠っている夕雲の頬を撫でる。私達と戦闘をしていた頃に比べると、幾分か穏やかな表情に見えた。
だが、目覚めた瞬間から夕雲の地獄が始まるのはみんながわかっていることだった。今でも部屋に引き篭もり、シロクロが付きっきりの霰がそれを体現している。
麻薬の禁断症状による幻覚と今までやってきたことの罪悪感に押し潰されてしまう。特に後者。霰のもの以上に酷い行いを笑顔でやってきた記憶は、確実に夕雲を蝕む。
「……僕達が支えてやるしかない」
「勿論。あっちのいいように使われて捨てられるなんてダメよ! ちゃんとした生き方しなくちゃ!」
立ち直ることが出来るかもわからない険しい道のりだ。まずは最初が肝心。しっかりと支えてあげなくては。
夕雲に誰が付くかはまだ決めてはいない。少なくとも三日月は難しく、曙はいろいろあるため少し不向き。となると、雷が妥当。羽黒のPTSD治療にも貢献したというし、傷だらけの夕雲を癒してもらいたい。
そして、夜。その時がやってくる。
まだ消灯時間には早いというくらい、透析完了という報せを受けた。装置は全て外され、機材も全て撤去。ただ眠るのみとなった夕雲を、私と雷が付き添う。そこに来栖提督と鳳翔もやってきたことで準備が整った。
「若葉、念のためお願いできるか」
「了解。胸だな?」
「ああ」
霰の時と同じように匂いを嗅ぐ。改装されたことで、より嗅ぎ分けの力が上昇しており、胸に直に鼻を付けなくても、夕雲の匂いがリセットされている事がわかった。透析による血液の浄化は成功。つまり、洗脳も解除されたということになる。
あとは目を覚ましてもらうだけ。それは雷にお願いする。私は夕雲と直接戦闘しているが、雷は会話をしたこともない。刺激はなるべく少なめにすることにも繋がった。
「優しく起こせばいいのよね」
「ああ、頼む。確実に錯乱するだろうから、気をつけてやってくれ」
「わかったわ」
ベッドの横に立った雷が優しく肩を揺すり、夕雲に呼びかける。
「夕雲、起きて」
優しく、罪の意識を刺激しないように。あくまでも夕雲は何も悪くないというスタンスで。
悪いのは全て、この状況を作り出した家村であり、夕雲はそれを強制的に従わさせられただけだ。それは誰もが理解していること。夕雲が直接手をかけたこともあるかもしれないが、それは夕雲の意思ではない。
「夕雲」
「……ん……」
霰の時と同じように、ゆっくりと目を開く。虚ろな瞳ではあるが、奴隷の時のような泥沼のように濁った瞳ではなくなっている。霰とは違う不安。
霰はここから、他人の顔を見ただけで怯え、錯乱し、恐怖に慄きながら絶叫し、部屋の隅まで駆け出した。同じ事が起こるかもしれないと、私達は身構えた。
「よかった、ちゃんと目を覚ましたわね」
雷の言葉には無反応。目は開けたが意思を失ってしまったかのようだった。
そして一言。
「……殺してください」
耳を疑った。夕雲の心は、既に罪悪感に押し潰されてしまっていた。開口一番、望んだのが自らの死である。
「そんなのダメよ! 殺すわけないじゃない!」
「夕雲は生きている価値が無いんです。ほら、みんな言ってるじゃないですか。夕雲は死ねと。こちらに来いと。ほら、ほら、ほら! そこでも、そこでも!」
霰とは違った禁断症状。幻覚と幻聴により、周囲に何かが見えているようだ。その幻覚に、死ねと言われ続けていると言う。
当然私達には何も見えない。夕雲が指差す方には、何もない空間があるだけだ。だが、夕雲には自分が殺した艦娘の姿が見えてしまっている。
「夕雲は死なないとダメなんです。贖罪にすらなりはしないでしょうが、死んで償わないと。死なないとダメ。死にたい。死なせてください。殺してください。今すぐに、何度も、何度も死ななくちゃダメなんです。殺した数だけ死ななくちゃ。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も!」
雷にすがるように抱きつき、死を望み続ける。罪悪感も禁断症状が合わさり、ただただ自殺願望だけが肥大化している。ここには自分で死ねる方法が無いため、雷にお願いし続けるしか無かった。部屋から出て死のうという考えにも至れないほど狂ってしまっている。舌を噛むという手段すら思い付いていない。
「みんなが、みんなが言うんです。よくも殺したなと。みんな、みんな夕雲が殺した、殺したんです。自爆させて、限界を超えさせて、夕雲自身が後ろから撃って。こんな、こんな血に染まった手で、生きてる価値なんてないでしょう。ねぇ、殺して、殺してください、殺してよ。ねぇ、ねぇ、ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」
狂気に染まりきった瞳で雷を見つめ、ガタガタと肩を揺らし、薄ら笑いすら浮かべながら殺せ殺せと叫んでいた。
あまりにも必死に縋り付くため、雷は逆に怯えてしまった。恐怖でそこから動けず、ガタガタ震えながら夕雲の言葉を目の前で聞き続けるのみ。あんなことされたら誰だって慄いてしまう。
「誰でも、誰でもいいですから、夕雲を、夕雲を殺して、殺してください。周りの人は言うだけなんです。直接手を下してくれないんです。だから、だから死ぬ方法をください。今すぐ死にます。死にたいんです。生きている価値のない夕雲を誰か、誰か死なせて。死なせて死なせて死なせて死なせて死なせて!」
霰よりも壮絶かもしれない。幻覚を怖がり叫び続ける霰とは対照的に、幻聴を受け入れ本当に死を望む姿は、痛々しくて見ていられないほどだった。より深く狂ってしまっていることが見て取れた。理性があるようでない。
夕雲は止まらない。幻覚も幻聴も途切れないのだろう。改二であり、主戦力でもあった夕雲だ。練度的にも、霰よりも多くのクスリを使われていたのかもしれない。
「雷、離れろ」
「わ、若葉……?」
怯えて動けない雷を無理矢理引き剥がす。縋り付く相手がいなくなり、少しつんのめるが、今度は私が標的になったようだ。
「若葉さん、若葉さんなら夕雲を殺してくれますよね。夕雲の首を絞めてくれました。あの時のようにお願いします。絞めてください。殺してください。今度は止めないでください。お願い、お願いします、お願い、ねぇ、お願いします。お願いします」
「……なんでお前の望みを叶えてこちらが手を汚さないといけないんだ」
肩を掴み、ベッドに押し倒す。
私は夕雲を殺すつもりなんて無い。一緒に歩いていきたいのだ。死んだら元も子もないし、もし罪があったとしても、それは逃げだ。死ねば償えるものではない。
「償いたいなら生きて償え。だがな、若葉達はお前に罪なんて無いと考えているんだからな。血塗られた手なんかじゃない。クソのような提督に、無理矢理やらされたんだ」
「やらされたとしても、やったのは夕雲です。罪は罪です。みんなの言う通りにしなくては償いになりません。望まれてるんです。夕雲は、今まで手をかけてきたみんなから、死を望まれてるんですよ。だから死ななくては、死ななくてはダメ。ダメ、ダメダメダメダメダメ!」
時折壊れたおもちゃのようになるのも、禁断症状の一種なのだろうか。死ななくてはいけないと自分に言い聞かせるように同じ言葉を連呼して、罪を深く深く自分に刻み込む。
「夕雲は許されてはいけないんです。償い続けるために死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死に続けなくてはダメです」
「いい加減にしろ!」
思わず手が出てしまった。あまりにも必死に死を求める姿に、私は夕雲の頬をビンタしてしまった。これで正気に戻るとは思えないが、この痛みで何かしら考え方を変えてくれればと思って。
今の夕雲は禁断症状に囚われ、まともな思考が出来ない状態だ。外からのショックで多少は話が聞ける状態になってもらいたい。
「死んだら何も意味が無いだろうが! お前に死を求める者も、死を求める声も、全部
私がビンタしたことで、キョトンとした顔をしている夕雲。焦点が合わず、目の前の私が視界に入っていないような壊れた表情。
そんなこと気にせず、私は夕雲に捲し立てる。
「お前が殺した奴らはお前の死を望んでるかもしれないけどな、死んだら終わりなんだよ! もうそれで償えなくなるんだぞ! 何人分償いたいか知らないが、罪だと思うのなら全部償うまで死ぬな!」
私の言葉が届いているかはわからない。それに、私が夕雲のそれを罪と肯定してしまっているようで辛い。だが、今この場で死を望まなくなるようにするために、無い語彙を使って咄嗟に出た言葉がこれだ。
「みんなが……消えた。消えちゃいました。死ねというみんなが、そこにもそこにもいたみんなが、いないんです。なんで、なんで、夕雲の罪はまだ全然償えてないのに、なんでなんでなんでなんで」
禁断症状が一時的に落ち着いたのだろう。幻覚と幻聴が消えてなくなったらしい。
だが、これが夕雲を間違った道に向かわせるキッカケになってしまったのかもしれない。
「若葉さんから与えられた痛みが、この痛みが、償いになっている……?」
「待て。そんなわけあるか。たまたまだ。クスリの禁断症状が」
「痛みを……もっと痛みを! 若葉さん、殴ってください。蹴ってください。それが夕雲の贖罪となるのなら、生きて痛みを受け続けます。さぁ、さぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁさぁ!」
余計恐ろしい状態になった。これは立ち直ったなんて到底言えない。
クスリの禁断症状と罪悪感で心が壊れた結果、そして私のビンタがトドメとなり、痛みこそが償いと思い込むようになってしまった。
「もっと、もっとお願いします。若葉さん、夕雲に痛みを。死ぬなんて言いません。痛く、痛くしてください。永劫痛みを受け続けることが贖罪なんです。お願いします。若葉さん、また叩いて、好きなようにしてください」
先程とは違う理由で縋り付かれるようになってしまった。痛みを求めて私に訴えかけるその姿は、今までで一番怖かった。むしろ、ここまでの恐怖は初めて感じたかもしれない。
霰とは違う形で禁断症状に苛まれることになった夕雲は、常に痛みを求め続けるマゾヒストとして壊れてしまう結果となりました。救われない。