早朝のランニングで2人の怪我をした深海棲艦を拾った私、若葉。相当な大怪我であったが、飛鳥医師の治療により一命を取り留め、今は医務室で眠っている。
今の私は、その2人を助けたことが本当に正しかったかどうかで悩んでいる。悔いの残らない道を選んだつもりだが、これがキッカケで誰かが傷付こうものなら、私は耐えられない。
「雷、すまない」
「いいのいいの! 頼ってくれたのは嬉しいわ!」
不安に押し潰されそうになり、夜も寝ることが出来なそうだったため、雷に一緒に寝てもらうことにした。人肌恋しいというわけでもないのだが、近くにいてもらえれば安心出来る。
「明日も朝早くに起きるんでしょ? じゃあもう寝ましょ。私も眠いわ」
「ああ、そうしよう」
こんなことにはなっているが、日課のランニングを休むつもりはない。むしろ、より懸命に打ち込むことで、不安を取り除きたいと思った。走っている間だけは無心になれる。いつも以上に身体を酷使してしまいそうだ。
「大丈夫よ、大丈夫。きっといい方向に行くわ」
「……そうあってくれると嬉しい」
私はきっと、誰でもいいからこの言葉を言ってもらいたかったんだと思う。根拠が無くても、大丈夫と、たった一言言ってもらえれば、私の不安は少しくらい消える。
飛鳥医師も摩耶も大人だから、そういった部分は少し濁す。だが雷は違う。記憶を失っているのも含めて、少し子供っぽいため、ズケズケと本心を言ってくれる。その雷に大丈夫と言ってもらえたのは救いだった。
「若葉が選んだことだもの。大丈夫」
「……ああ」
この時ばかりは、雷が姉のように思えた。
翌朝。雷が隣で眠っている中で目を覚ます。日課にしたことで、目覚ましが無くともこの時間には起きることが出来た。雨は止み、うっすら明るくなった外。今日は何事も無いことを祈りながら、雷を起こさないようにベッドから抜け出た。
「……大丈夫。きっといい方向に行く」
自分に言い聞かせるように、雷の言葉を反芻する。自分で選択したことだ。後悔なんてしちゃいけない。助けを求めているものを救い、それが無事助かった。それでいいじゃないか。
あまり気持ちを沈めすぎると、上手く行くことも行かなくなる。今は目を覚ますのを待つことにしよう。
ランニングに行く前に、チラッと医務室を覗く。まだ飛鳥医師も目を覚ましていない早朝。部屋は少しだけ薄暗い。2人の深海棲艦に繋がれた機械が小さく音を立てているのみ。あの機械、私にも繋がれていたものだ。
なるべく静かに2人に近付く。今は安定しているのか、小さな寝息が聞こえた。私の時もこうだったのだろうか。
「……」
無言でその場から立ち去った。これ以上いても無意味だし、変に騒ぎ立てて無理矢理起こすのも可哀想。普段通りに過ごし、来たるべき時に備えることが私の今やるべきことだ。
「ン……」
心臓が飛び出るかと思った。
ただの寝言か、はたまた本当に目を覚ましたのか、私が部屋を出ようとした瞬間に、深海棲艦の片方、黒い方が息を漏らした。どちらにせよ、ほとんど人間や艦娘と同じ仕草であることは言うまでも無い。
思わず振り向く。と、そこには身体を起こした黒い方。ぼんやりした瞳でこちらを見ていた。身体に付けられた機械に関しては気にしていないようだった。
「……」
「……」
無言で見つめ合うこと数秒。
「アネキ、アネキ、ワタシタチ、タスカッタミタイダヨ」
「……ンン……ナニ……イモウトチャン……」
私を無視して隣の白い方に声をかけた。黒い方に声をかけられ、白い方も起き上がってしまった。2人とも腹を抉られて、飛鳥医師が内臓の移植をしていたというのに、たった1日で痛みすら感じていないように思える。
身体を起こした後、徐ろに傷のある腹を押さえていた。撫で回し、時にはペチペチと叩き、抉られたはずの肉がしっかりあることを確認している。
「スゴイスゴイ、オナカモトニモドッテル」
「……ソウ……ダネ」
やかましい黒い方が妹で、静かな白い方が姉。やはり姉妹のようだった。深海棲艦にも姉妹とかそういう関係性があるとは思わなかった。本当に人間や艦娘のような存在。
キョロキョロと周りを見回した後、身体中に付けられた機械を毟り取ってしまった。身体が完治していたとしても、飛鳥医師の許可なくそれをやるのはよろしくない。
「おいおいおい、流石にそれはまずい」
「ジャマダッタンダモーン」
「……ウン……ジャマ」
一応私のことは認識してくれていたらしい。とはいえあまりに気まますぎる。やかましい方だけならともかく、静かな方まで同じ感覚とは。
機械が無くなったことでベッドから降りる2人。直立しても私も同じくらいの背格好。施術後であったため、今は以前私が着せられていた検査着の状態。
2人とも、私の姿をしっかりと見据えた後、黒い方がニンマリと笑って近寄ってきた。白い方も薄いながらも笑顔を携えて近付いてくる。
「タスケテクレタノ、キミデショ」
「オボエテル……タシカ……ワカバ」
「ソウ、ワカバ! ワカバ、アリガトネ」
2人にハグされた。
正直、近付かれたときに一歩も動けなかった。深海棲艦に対する恐怖心で、身体が竦んでいた。目の前の2人がいくら全く違う姿だとしても、私を死の寸前にまで追い込んだ深海棲艦の仲間であることは間違いないのだ。私の中では完全にトラウマになっている。
それが、友好的にこの態度。訳がわからない。いい方向には向かったように思えるが、何が起きているのか。
「ソレジャ、ソウイウコトデ」
「イモウトチャン……ギソウ……ドコ……?」
「……ナイジャン!」
私のことなど気に留めずにここから去ろうとしたようだが、少なくとも今ここにこの2人の艤装は無い。私達は艤装が無ければ海上に立つことすら出来ないが、深海棲艦も同じな様子。
「ワカバ、ワタシタチノギソウ、シラナイ?」
「……お前達しか見てない。他に何も無かった」
「ジャア、カエレナイジャン! ドウスンノアネキ!?」
大混乱の黒い方。それに対して白い方は茫然自失。正反対な事態の受け止め方。
「どうした、騒がしいが……」
さすがにこれだけ騒げば飛鳥医師が起きてくる。寝起きの飛鳥医師を見るのは初めてだが、少し寝ぼけ眼だった。
医務室の状況を見て一転、眠気が吹き飛んだかのように2人に接近し、首根っこを掴んだかと思ったら、ベッドまで引きずって寝かせる。
「患者が勝手に動き回るんじゃない! 傷口が開くかもしれないだろうが!」
「イヤ、モウイタクナイシ」
「そうだとしても、医者の言うことは聞け! 君達が深海棲艦だろうが何だろうが関係ない! 僕が許可を出すまでそこから動くな! すぐに診察してやるから大人しくしていろ!」
あまりの勢いに2人の深海棲艦も黙ってしまった。目が覚めたところにあの剣幕で言われたら嫌でも萎縮してしまう。それは種族なんて関係なかった。
「わかったら返事は!」
「ウ、ウッス」
「……ハイ」
ついには完全に飛鳥医師に屈してしまった。艤装があったらまた違ったかもしれないが、今は抵抗する術がない。素直に従うしかないと2人とも察したらしい。2人で見合った後、小さく溜息を吐いていた。
そこからは少しバタバタする。私も朝のランニングが頓挫し、2人の深海棲艦の診察の手伝いをすることになってしまった。まだ雷も摩耶も起きてきていないし、飛鳥医師の剣幕に気圧されてしまい苦手意識を持ってしまったか、診察中に私が側にいることを望んだためである。
私が発見し、ここまで運んだという記憶は、2人共にしっかり刻まれているらしく、少なくとも私には一時の友人感覚くらいは持っているようだった。事が済んだらお別れ出来る程度の仲ではあるが。
「本当に傷が治っている……傷痕は残っているが、たった1日でここまで修復されるものか……?」
「若葉達と違って、深海同士だからでは?」
「かもしれないな」
艦娘の治療はしてきたが、深海棲艦の治療などしたことがないという。むしろ治療したことがあるというなら逆に怖い。今のところ、嵐の後の浜辺には深海棲艦の死骸しか流れてきていないらしく、生きた深海棲艦が流れ着いたのは本当に初めてだそうだ。
触診までしてほぼほぼ完治したことを確認した。私にもその傷が、私の身体の傷のように行動に問題が無いほどにまで回復しているように見える。触られても痛みが無いようだ。
「モウイイデショー。カエリタインダヨー」
「艤装も無しにどう帰るつもりだ」
「……ムリ」
白い方が俯く。帰る手段が無くなっているため、ここから動くことが出来ずに落ち込んでしまった。私の腕を握る手も少し震えている。深海棲艦にもそんな感情があるのか。
逆に黒い方は何とか帰ることが出来ないかと頭を捻っているが、全く案が浮かばないらしい。八方塞がり。
「何か思い浮かぶまでは、ここに住むか?」
「ソレデオネガイシマース!」
黒い方が食い気味に来た。人間や艦娘がいるこの施設に住み込むことに何の躊躇もない。逆に白い方は抵抗がある様子。
「……ダイジョウブ……? マタオソワレナイ……?」
「ダイジョウブデショ。ワタシタチヲナオシテクレタンダシ」
そういうところから信用してもらえるのなら良かった。少し考える仕草をした後、妹がいいならと姉も了承。別々に行動するという考えは最初から無いらしく、必ず2人1組。どちらかの意見に寄せるようだ。
「一応聞きたいんだが、君達は何と呼べばいい。名前はあるか?」
「ナマエ? ワタシタチニソンナノナイヨ」
「……ソッチガカッテニヨンデルダケ……ダカラ」
イロハ級だとか姫級だとかは、人間が勝手に決めたルールである。
飛鳥医師が詳細は後から調べておくから今の名目上の呼称が欲しいと言う。カルテを残しておくにしても、名前が無いのは後々大変だ。それに、私達もこの2人をどう呼べばいいか。
「タシカ……シンカイフタゴセイキ……ッテ、イッテタ」
「アー、ソンナコトイッテタネ。アレ、ワタシタチノコトダッタンダ」
深海双子棲姫。それが人間側が決めたこの2人の名前らしい。
後々わかることだが、この2人、本当に2人1組の深海棲艦らしく、艤装も2人で1つを使う、おそろしくレアな個体だそうだ。今までの言動と、色だけ違う似た外見から、『双子』と銘打たれたのだろう。
だが、その名前もカルテには書けない。飛鳥医師はあくまでも1人1人の固有名称が欲しいと言っている。2人1組だろうが、同一個体だろうが、患者としては2人いる。カルテは2枚なのだから、名前も2つ必要だ。
「ナンデモイイヨ。ソッチデカッテニキメレバ」
「なら暫定で
「単純すぎやしないか。ペットじゃあるまいし」
「イロハの順で番号振るよりはマシだろ」
「似たようなものだと思う」
ネーミングセンスは無いようだが、当の本人達は気に入ったようだ。
「アネキ、ワタシ、クロダッテ!」
「シロ……シロ……?」
ケラケラ笑う
「少なくとも今日くらいは安静にしてもらうぞ。今動き出して傷が開いて酷いことになったと言われても困る。ずっと寝てろとは言わないが、この部屋から出るな」
「エー、モウイタクナイヨ」
「じっとしてろ。いいな?」
「ウッス」
ひと睨みでクロが言うことを聞くまでに。随分と深く苦手意識が刷り込まれたようだ。
「大丈夫か? 食費とか」
「その辺りは心配しなくていい。4人で生活していても赤字になっていない。2人増えたところでまだ余裕はある」
先日の深海艤装の件でまた臨時収入があったらしく、安定した収入の方でも私達を養っていくのに余裕なほどはあるらしい。突然貧乏生活というのも無いとのこと。まだ1人2人なら受け入れられるのだとか。本当に謎が多い。
「シロ、クロ、今日から少しの間、君達は僕の仲間だ。よろしく」
「カゾク……カゾク! イイネ、イイネ!」
「ヨロシク……」
ひょんなことから、深海双子棲姫、シロとクロが施設の一員として仲間に加わることになった。手段を探して本来の居場所に帰るまでの一時的な仲間ではあるが、果たしてそんな時が来るのかどうか。
深海双子棲姫は過去1回だけ出てきたラスボス深海棲艦。ウルシー泊地をモチーフにした陸上型……と思いきや、停泊していた艦がモチーフらしく、種別は航空戦艦だけど一部潜水艦というおかしな双子。深海双子棲姫-壊のグラフィックは、どっちが悪なんだよと言われるほどでした。
どっちが悪か。それが今回のテーマです。