リコリス棲姫から事情聴取をした午後、今度は下呂大将から連絡が来た。大本営の内通者、目出の弾劾裁判が終了し、次は家村の行方を突き止める作業に入ったという。事が事だけに、手続きもそこそこに即行で叩き落としたようである。
尋問から裁判終了までの流れから得られた情報は機密が多く、現在部外者である飛鳥医師に公開される内容は少ない。しかし、家村に狙われているため、ある程度の情報開示はされることになった。これについては大本営の一部にも理解されており、この施設は明確に鎮守府への協力施設として認定されたようである。
「説明のために先生がこちらに向かっている。電話で話すような内容では無いからな」
「来栖提督んトコで別れたきりだから、ざっと1週間くらいか。久々っちゃ久々だな」
「そうだな。あとは回復した風雲と初春の様子もみたいらしい。あの人は働きすぎだ」
別れてからは徹底的に目出の周囲を洗い出し、ぐうの音も出ないくらいに追い詰め、鎮守府を制圧しつつ尋問。それが終わったら休む間もなく次の調査。いつ休んでいるのかわからないレベルである。
それを言ったら飛鳥医師もではあるのだが、治療を来栖鎮守府に頼れるようになってからは、治療法を模索している時よりは落ち着いている。
「来栖のところ経由だから、そろそろ来るんじゃないかな。朝に出たとは言っていたし」
「全然もてなす準備してないわ!」
「構わないさ。説明してすぐに帰ると言っていた。泊まっていくわけでもないしな」
本当に説明のために施設に立ち寄るだけのようだ。立ち寄るといってもそれなりに時間がかかるので、来栖鎮守府で1泊したりするのかもしれない。
下呂大将が来たら、リコリス棲姫のことも説明することになるだろう。この件はまだ話が出来ていない内容だ。
それから数時間。そろそろ日が落ちようとしているが、未だに下呂大将が施設に来ない。当然来栖提督もである。さすがにこれは遅すぎる。このタイミングで来たとしても、話している間に外は暗くなるだろう。
「ちょっと遅すぎない? 来るって言っといて来ないのはどうかと思うんだけど」
別にこの話を待っていたわけではないが、約束をすっぽかされるのではないかと考え、少しイライラし始めているのは曙。
そもそも提督という存在に対していい思いを持ってないが故に、些細なことでもイラつく傾向がある。今回はその中でもあり得ないようなことが起きている。
「まさか、襲撃を受けたのか?」
「……無くは無いな。こちらに来る最中に襲撃を受けたというのなら、連絡が来なくてもおかしくない」
来栖提督と下呂大将がこちらに来る時は、誰かの運用する大発動艇だ。当然だが通信設備は整っておらず、強いて言うならその部隊の旗艦を務める者が鎮守府と通信出来るようにしている程度だ。
こちらに連絡が来るのは、まず来栖鎮守府に連絡が行ってから、あちらの誰かから連絡が来るのを待つしかない。そもそも鎮守府に通信出来ないような状況だった場合、こちらには永遠に連絡が来ないだろう。
例えば、
「流石に不安よ。先生、私達で見に行っちゃダメかしら」
嫌な予感は連鎖するもの。私だけじゃ無く、雷も不安なようだ。下呂大将が名将であるとしても、神風型の5人が達人であるとしても、あちらはそれを知った状態で対策もとってくるはずだ。雑に数の暴力というのも考えられる。
だが、こちらは内通者も押さえ込み、秘密裏にこちらに向かってきているはずだ。まだ内通者がいるのか、そこまで読んだ軍師があちらにいるのか。
「若葉もそうした方がいいと思う」
「手間かけさせるわねホント。仕方ないから迎えに行ってやるわよ。絶対文句言ってやるわ」
三日月も無言で頷く。第五三駆逐隊の気持ちは一致している。
「艤装のメンテは終わってる。行こうと思えばいつでも行ける。早く行った方がいいんじゃねぇか?」
「大惨事になる前に行かなきゃダメよ!」
悩んでいるのは飛鳥医師だ。
万が一のことがあった場合、敵はあの下呂大将の指揮する神風型をも圧倒するような敵になるかもしれない。そうなった場合、私達ではまず確実に相手にならない。死なないにしろ、大怪我は免れない。そうで無くても、危険であることは確かだ。
私達を信じていないわけではない。この施設で命を預かるものとして、死が付いて回る戦場に出すこと自体に抵抗があるのだろう。特に今回は危険だ。
しかし、ここで下呂大将も来栖提督もやられるような敵だった場合、遅かれ早かれ施設も滅ぼされるだろう。ならば、今向かった方がいい。数で押し潰そうとしているのなら、私達の援軍でも充分戦える。
ただ遅れてるだけならば、迎えに行けばいい。心配して損したと笑い飛ばせばいいだけだ。曙はさんざん罵りそうだが。
「皆、航路はわかっているな」
「ああ、来栖鎮守府に向かった道だろう。覚えている」
「なら、頼んだ。万全の状態で向かってくれ」
向かうのは私達、第五三駆逐隊。摩耶とセスは、本当に万が一の場合、施設を守ってもらわなくてはいけない。
「第五三駆逐隊、出るぞ」
何も無ければいい。不安を取り除くため出撃する。
海の上で夕暮れを見る。これでもトップスピードで向かっているが、まだ下呂大将達は確認出来ない。
「音は」
「何も聞こえないわ」
「匂いは」
「感じない」
「色は」
「無いです」
私は嗅覚に、雷は聴覚に、そして三日月は視覚に集中しながら突き進む。そのため、先頭を駆けるのは曙。定期的に私達に声がけをしながら、まだ何事もないことを確認していく。
私達のように妙な能力に目覚めていない分、戦場をよく見てくれている。持久力のおかげで、他に神経を割いても息一つ切らさない。私が旗艦をやっているものの、今は曙が中心である。
「ったく、クソ面倒なことしてくれるわね。敵に襲われてなかったらボロクソに叩いてやる」
「そうじゃ無かったら敵をボコボコにしてやれ」
「当たり前よ。手を煩わせるなっての」
悪態をつきながらも心配はしているようである。これが所謂
「匂い、感じたぞ」
そこからまた進んだところで、海の上では感じることがない匂いを感じた。一度嗅いだことがある匂い。下呂大将と来栖提督の匂いだ。
護衛艦は神風型5人と阿武隈、そして第二二駆逐隊。阿武隈と二二駆が援護に徹し、神風型が襲いかかってくる敵と一進一退の攻防を繰り広げている。
敵は案の定、
「大将、援軍だ!」
「君達は下がっていなさい! 今までのものとはレベルが違います!」
下呂大将が声を荒げるほどだ。あちらはもうなりふり構わず本気で殺しに来ている。
今までは泳がしていたようだが、内通者が暴かれ、弾劾裁判も終わり、いよいよ追い詰められたことで、下呂大将が本格的に狙われている。敵は下呂大将をここで確実に殺すための部隊だ。
「人形とは思えない精度よ! スピードに対応してくる!」
「僕の剣撃も受けるのかい! あはっ、楽しいじゃないか!」
「松風、遊んでんじゃないわよ!」
5人が5人、まるで違う流派を使っているのに、それにしっかり対応している人形達。そうなると、私達にはなす術もない。ここにいるだけで足手纏いになりかねない。
ならばと、戦場をよく確認する。そんな人形をコントロール出来るのだから、さぞかしとんでもない姫がいるのだろう。噂の巻雲や朝霜かもしれない。
「いた。……なんだアレは」
姫らしき艦娘を発見した。が、今までにない感覚を持った。
匂いがおかしい。夕雲や風雲から感じた
「何ですか……あの人……」
三日月も気付いたのだろう。左目でその艦娘を見たことで、異質なものを感じ取っていた。ガタガタと震え出し、完全に怖気付いている。
聴覚には何もないらしく、雷は反応なし。当然曙も……と言いたいところだが、少し息苦しそうにしていた。深海棲艦の心臓と肺が、その艦娘に反応しているのだろうか。
「お前は一体何だ」
「あら、気付かれてしまいましたか。下呂提督は既に当たりをつけているようでしたので、ここで消えてもらいたかったのですが、まさか貴女達もとは」
にこやかな笑みでこちらを見てきた。だが、その笑みが、私達の知る家村のように、貼り付いたものであることはすぐにわかった。こちらのことを気にも留めていないような仕草。
奴にとっては、私達など木端な艦娘の1人に過ぎないのだろう。だが、ここに辿り着き、奴の何かに気付けたことで、多少は私達の方を見るように。
「私、軽巡洋艦大淀です」
「お前が……!」
家村の秘書艦という、素面のまま家村の方針に自ら従っている艦娘、大淀。その方針について何とも思っていないようで、素面なのに人形を扱っている異常者。
というのが、今までの私達の認識だ。だが、同じ場所に居合わせたことで、強烈な違和感を覚えた。
「若葉さん、貴女の質問に答えます。私が何かでしたね。私はどの鎮守府にでも1人いる任務娘、大淀。それ以上でもそれ以下でもありません」
「嘘をつけ。なら、なんで……」
確かに大淀は、来栖提督の鎮守府で滞在させてもらっているときに姿を見た。艤装は身につけておらず、事務職をしていると聞いたので、話す機会は無かった。
だが、私が感じているものはそういうことではない。意を決して、真実を突きつける。
「なんでお前から
それは、嗅ぎ慣れた匂いに近かった。施設にいるシロクロやセス、リコリスに近い、姫級の深海棲艦の匂い。霰や姉の中に含まれたイロハ級の体液ではなく、夕雲や風雲の中に含まれた姫の匂いをより強くしたような匂いを、大淀から感じた。
三日月が怯えているのは、深海棲艦の何かを感じ取る左目で大淀を捉えた時、艦娘や人形、ましてや姫にされた艦娘からも感じ取ることが出来ない何かを感じ取ってしまったのだろう。
「あら、あらあら、そこまでわかるんですか。少し嘗めていましたね」
貼り付いた笑みが変化し、満面の笑みになった。まるで私のことを、
「匂いですか。なるほど、そこは盲点でした。私にもそれはわからないです」
「答えろ。何故お前から深海棲艦の匂いがする」
「そこまで教える義理はないです。それに知ったって無意味でしょう。貴女達はここで死んでもらわなくてはいけないんですから」
あちらが拮抗しているため、大淀をどうにか出来るのは私達しかいない。むしろ大淀が一切あちらに手を出さないのが不思議で仕方なかった。神風達相手に遊んでいるとでもいうのか。
だが、三日月はその得体の知れない存在に怯えてしまい、戦力としてカウント出来ない。私達だけでどうにか出来るか。あの人形が相当な力を持っているのに、それをコントロールする大淀が力を持っていないわけがない。
「不思議な4人ですね。艦娘なのに深海らしさも持っているじゃないですか」
「お前らのせいで、そういう治療を受けざるを得なくなったんでな」
「なるほどなるほど、死者の蘇生だけでは無かったんですね。認識を改めます。殺すのは惜しいですね」
腕と脚が疼く。大淀が本当の敵なんだと知らせるように、今までにないほど強く疼く。
ここであいつを如何にかしなければ、被害者は増える一方になるなんて私でもわかっている。救出など考えない。今ここで死んでもらわなくてはダメだ。
「曙、雷、三日月、アレはダメだ。救出なんて考えられない」
「わかってるわ。あのクソ淀はここで終わらせないとダメ」
曙も胸を押さえて大淀を睨み付けていた。私の四肢と同じように、深海のパーツが疼いて仕方ないのだろう。
「……素面……なのよね。話し合いで解決出来ないかしら……」
「素面だから無理だ。あいつはあいつの意思で他の艦娘をゴミのように扱ってるんだぞ」
「……だけど……」
雷は最後まで命の奪い合いを拒む。気持ちはわかる。だが、あれはもう無理なのだ。洗脳により意思を捻じ曲げられているわけでも、無理やり働かさせられているわけでもない。確固たる意思を持って、今までの行ないをしてきているのだ。
下手をしたら、家村よりもドス黒い何かを持っている。大淀が黒幕である可能性だって秘めている。
「雷さん……覚悟を決めてください。私は……私はやります。イライラが止まりません」
「三日月……」
恐怖を乗り越えたわけではないが、三日月も決心したように顔を上げた。左目はこれ以上無いほど輝いている。
「わかった。でも殺さないようにする。どうせ水鉄砲だもの、殺せないしね」
「ああ」
「大丈夫よ。きっといい方向に行くわ。大淀さんを捕まえちゃえばいいのよね!」
雷も意を決したようだ。
「大淀、若葉達は殺されないぞ」
「では、やりましょうか。私、どちらかといえば裏方なんですが」
笑みは崩さない。まるで私達を吟味しているようだった。特に私に対して、舐めるように眺めてきたのは視線からわかる。
ここで大淀を倒すことが出来れば、これ以上の被害者が出ないだろうと感じた。その予感が当たっているかはわからない。だが、大淀を野放しにしているわけにはいかない。
深海の匂いがする得体の知れない者とは当然初めて戦う。未知の存在相手に、私達は太刀打ち出来るのだろうか。
謎の存在、大淀。深海の匂いがするらしいですが、果たして。