駆けるその足は、もっと速く動かせるはずだった。いや、急がなくてはならないはずだった。
だが、友をこの数時間のうちに二人喪い、しかもその事跡がなかったことにされたということが、ソウゴの心に重くのしかかかっていた。
もしかしたらウォズも……と仄かに感じる不安が、足を遅れさせていた。
〈サーチホーク! サガシタカ、サガシタカ、サガシタカ!〉
自身のサポートガジェットに先導されるままに、道を急ぐ。その先に、良く見たローブ姿を認めた瞬間、全身を一時的な安堵が包んだ。
自身の周囲にまとわりつくタカウォッチロイドを少し煩わしげに指で追い払いながら、ウォズは主人へと振り返り、そして一礼した。
「ウォズ、ゲイツたちが……!」
「あぁ、状況はなんとなく把握しているよ、我が魔王」
合流するなり切り出したソウゴを、ウォズは制した。
普段は冷淡、薄情とさえとれるこの落ち着きぶりが、今この事態を迎えては無条件に頼もしい。
いくらか落ち着きを取り戻したソウゴに、顔を持ち上げ、歴史の語り手は本を取り出してみせた。
王にも決して中身を見せなかった『逢魔降臨暦』。そのページを開いて。
無造作に選んだと思われるそのページには、何物も、一字さえも記されてはいなかった。その異変が彼のプライドをいたく傷つけるのか、平静さを装いつつも悔しさが口端に滲み出ていた。
「君のことだ。薄々は勘付いているとは思うが、この世界において私の立ち位置というのは少々特殊でね……その私をして、
何を今更、と言いたくなるような自己紹介とともに彼は嘆息する。
だが、と白紙の本を閉じて、空いた手で遥か先を示した。
「問題の源流は、分かっている」
指先にあるのは、件の大橋。もはや制御不能となったアナザーキカイたちの群れの向こう側。ライセと『再会』をしたあの地点だった。
「あそこを起点として、周囲に無作為にアナザーライダーが発生しているようだ。そしてゲイツ君とツクヨミ君も、あの場所に向かっていたのを最後に消息を絶った」
ソウゴの表情に、心に、驚きはない。
簡単な計算式の答え合わせでもするように、当然として受け入れていた。
そんな主君の様子に「おや」と眉を持ち上げ、ウォズは多少機嫌を改めた。
「さすがは我が魔王だ。その表情から察するに、私よりもこの一件の核心に気付いていると」
だが、とウォズは彼を突き飛ばした。
ソウゴの眼前を、鎌のような湾曲した刃が通過した。
無論、ウォズのものではない。彼はむしろ、自身の戴く王を救わんと非礼を承知で彼を庇い、そして自身で襲撃してきたアナザーライダーに組みついたのだった。
「アナザーライダー……!? でもこいつは!?」
「もうひとつ、君に伝えておかなければならないことがある。こいつらについてだ……!」
生身でソウゴが凶刃から逃れる時間を稼ぎながら、ウォズは続けた。
「分かったことは大きく分けて三つ。こいつらに宿主は存在しない。自然発生したものだ。第二に、すべてこの時間軸にはいないはずのライダーのアナザーだということ! そして最後に……これが重要なのは、こいつらが接触したものそれ自体に……時空の歪みが発生し、最悪の場合消滅するということだっ!」
力に押し負けたウォズが、鎌の柄に胴を叩かれて地を転がる。
乱れたマフラーを整えながら、ウォズは苦り切った表情をそのアナザーライダーへと向けた。
「なるほど思えばコレも、本来ならこの時間軸にはいなかったな……っ」
煤けた白いアンダースーツに、竜の逆鱗を思わせる突起が無数に逆立つ。その正中線を奔る溝には、錆びた歯車が乱雑に押し込まれている。
くすんでヒビ割れたダークグリーンのバイザーの奥底に、殺意と叛意に満ちた真紅の眼と牙が閃く。
「あまりいい気分ではないね、歪められた『自分』を見るというのは」
そのバイザーの片隅には歪んだ三字で、
WOZ
と刻まれていた。
それに抗するべく、ウォズは自身のライドウォッチを手にした。
もうひとりの自分から奪った、ライダーの力。そしてドライバー。
だがそれと戦う事が何を意味するのか。ウォズ自身が説明をしたはずだった。
ソウゴが制止の声をかける間もなく、マフラーに巻き取られた。
「それでも誰かが街への流入を食い止めねばなるまい。君は、君のすべきことをしてくれ」
声が聞こえた。直後、視界が開けた。ソウゴの先に、遠くにあったはずの橋が見えた。
小さく剣戟の音が尾を引くようにして鳴る。
一度その方向を顧みたソウゴだったが、すぐに強く地を踏みしめ、そして駆け出した。
友のため、民のため、そして臣のため。
一刻でも躊躇う猶予などあろうはずもなかった。
孤独も、抱いた怖れも二の次に、彼は強く走り始めた。
ウォズという男は、自他ともに認める謎の多い男だった。
高揚の裏で冷徹に打算し、饒舌の中に真意を隠し、主人に盲従しているかのように見えて、必要が生じれば平然と欺く。
そしてそこには、常盤ソウゴにも、そしてその未来の姿であるオーマジオウにも伝えてはいない本当の思惑がある。
もはや彼自身でさえ、本心がどの方角を向いているのか分からなくてなっているフシがある。
だがそんな曖昧な彼でも、信じられるものはある。
それは謎は謎のままに呑み込んで、自分に迷いなく信を置くソウゴの度量、そして当事者でさえ知覚し得ない本質を射抜く慧眼だ。
先を読み取り、現在を変革し、過去のライダーを統べる力以上に、それは時として彼の武器となりうるだろう。
そして今、世界はウォズの手に余るほどに混沌としていた。
この状況は誰にとっても望まれたものではない。
だから今この時ばかりは、誰の気兼ねなく、何を隠すこともなく本心から、ウォズは動く。
「変身!」
〈スゴイ! ジダイ! ミライ! 仮面ライダーウォズ! ウォズ!〉
変身する。
その矢先、拳を覆うスムースハンドからシュウシュウと音が立つ。
本ばかりではなく、自分自身も無へと還ろうとしていた。
それを握り隠して無理やりに抑え込み、彼は自身の半身に挑む。
王を佐け、人々を、世界を守るために。
結果、自分が消滅することになろうと、それが最善の道だと信じて。
たとえそれが掠奪した力と姿であったにしても。
たとえ今まで一度も正義や自由など頭をかすめたことがなかったとしても。
今この瞬間だけは、ウォズという男は、異議の挟まれる余地のないほどに『仮面ライダー』だった。