「『無』って……虚無とかの、あの無?」
「そうだ。その『無』だ」
その会話は自分のそば近くで交わされているはずなのに、どこか遠く上滑りしていく。
「魔王、君の世界で最近何かしらの時間改変がされなかったかい?」
「……あった。アナザージオウⅡの能力で」
「おそらくはそれが大元となったのだろう。あれは、時間改変によって生じた波。その隙間を埋めるために生じる
白ウォズという男はペンタブでもってパッドに何かしらを書き込み、そしてその帖を音を立てて閉じた。
「入り込んだそれは、この世からはじき出されたもの、生まれ出でなかった可能性。そういったものを取り込み、核としてひとつの仮想世界を形成して現実を塗り替える」
「そんな大それたものが存在していたなんて……」
ソウゴの軽い驚きに、白ウォズは笑い声を転がした。
「そもそもそれ自体は、他愛ない代物でね。所詮、一瞬の混沌状態が生み出したものに過ぎないから、時間とともに世界が正常な状態を取り戻せば、形成された空間ごと消滅する。たとえその世界でどんなことが起ころうとも、誰かの見たバカげた夢で終わることだろう」
どれほど凍てつくような雪が降ろうと、春陽に溶けるように。
どれほど強く浜に書き入れた砂絵が、波にさらわれれば消えるように。
それはどうあっても、
「だが、今回は取り込んだものが悪かった」
白ウォズは語る。
ソウゴはついさっきまで、宙に浮かんでいた映像を思い出した。
ベルトの設計図。そして、固定された時間軸。
「……まさか」
「ご名答。『無』は、ミライドライバーを取り込んだのさ」
ご名答、と言うものの、解答を先回りして従者は造り出した者として、自嘲する。
「未来を固定させるドライバーと、存在しない『無』。相反する属性の両者が合わさった時、『無』は自己矛盾を引き起こした。そしてガン細胞が健全な細胞を侵していくように、一過性のものとはならずに本当に世界を無限に汚染していった」
ゲイツという老人も苦い顔をしていた。
それも無理のないことだろう。白ウォズの言ったことが本当であれば、善意とはいえミライドライバーを『無かったこと』にしてしまった彼自身にも、責任が生じてしまうのだから。
「それがこのいびつな状況の元凶さ。いや、あるいは『無』が確固たる自我を手に入れ、この状況を利用して自身の目的たるすべてを虚無へと還す手段としたか……たとえばその亡びを加速させるために、同じくあり得ない可能性の中から自身のアバターを生み出し、それにドライバーを持たせて世界を動き回らせるとか」
そして、ライセの伏せた頭の上で彼らは言う。
今まで説明のために先送りにしていた問題は、彼らの追及した真実は、憎むべき敵の正体は、
「君はどう思う? 『来海ライセ』――我々は、君の話を今しているんだがね?」
――
「……俺が、『無』だって?」
ライセは笑い飛ばした。否、しようとした。
舌がへばりついて、息が詰まる。苦しみ、せき込みながら上ずった声を張り上げた。
「冗談じゃない! 俺はこの世界にこうして生きている人間だ! たとえソウゴとは世界が違っても、こいつと一緒にいた過去は変わらないんだ!! そうだろ、ソウゴッ!?」
すがるように同意を求めた。ソウゴの肩をつかみ、揺さぶる。
何かに突き動かされるように必死なライセに対して、友は顔を伏せたままに何も答えなかった。
「まだ気づかないのかい? それとも、必死に目を背けているのか。あるいは君の本体がそれについて言及するのを拒絶しているのかな?」
「……なにがだ」
あくまでも挑発的な白ウォズに、ライセは低い声で問い返し、顧みた。
「そもそもそれが、矛盾しているだろう。君がそこの魔王と出会ったのは、十年前。つまりこの二つの世界が分岐する前のことだ。……つまり例外なく、どちらの世界においても来海ライセという少年は死んでいる」
声が漏れる。見落としていた。いや、堂安主水が同じことを指摘しかけたまま消滅したときに、無意識のうちに自分の中から抜け落としていた。
そんなはずはないと心が慟哭をあげる。軋んで痛む。
――そうだ。なにも自分の記憶はソウゴとのものだけではない。
ほかにも多くのライダーたちとの出会いがあった。ここに至るまでに多くの戦いがあった。
そのうちのどれが一つでも思い出せれば、それが自分がここまで生きてきた証となるはずではないか。簡単なことではないか。
そうだ
せめて
どれか
ひとつ
……
「あ、れ……」
声が、枯れる。頭が真っ白になる。いや、元からその頭の中には、何も存在などしていなかった。
自我と思考能力が確保できるだけの最低限の記憶の設定され、あたかもそれが、『彼』の一生が断続的に続いていたのだと錯覚させるための、まがいものだと。
痛ませることさえできない頭を押さえつけながら、ライセは、いや来海ライセの『IF』を模しただけの人形は、その場にうずくまった。
「ライセ……」
痛ましげにソウゴが偽りの名を呼ぶ。
「さて、以上の点を踏まえたうえでこの問題をどう解決すべきかという点だが」
だがそんなふたりの様子は些末なものと言いたげな、無頓着で横柄な態度で、白ウォズは切り出した。
瞬間、ライセは嫌な予感をおぼえた。
なぜ自分を元凶であったとしたならば、タイムマシンを連れてきた理由はただひとつしかない。
それは……
「君やそのドライバーを破壊するつもりなら、とっくにやっているよ」
後ずさりしたライセを脇目に見つつ、白ウォズは筋の通った鼻を鳴らした。
「だが、君は所詮ただの端末に過ぎない。ドライバーを破壊すればあるいは歴史が修正されるかもしれないが、迂闊にそういう強硬手段に出れば、両方ともの時間がよりねじれる算段のほうが高い」
「ではどうしろと言うんだ?」
ゲイツが白いものの混じる眉をしかめてみせた。
「俺も、この先は聞かされていないぞ」
言葉を重ねて問いかける主人と世界の崩壊を前にしていながら、白ウォズは一定の冷静さと余裕を保ったままに言った。
「本来の計画に立ち返る」
「本来の、計画?」
「すなわちミライドライバーの、完成だ」
得意げに言い放ちつつ、彼は自身のノート型デバイスをふたたび開帳してみせた。
「すでに先ほど、そのお膳立ては済んでいてね」
その真っ白な画面には、中央でただ一文、荘厳な書体で記されていただけだった。
『仮面ライダーギンガ、この地に降り立つ』
――と。
その直後、クジゴジ堂を地震じみた衝撃が、そしてそれを内包した宮殿を、突風と熱が襲った。
そして店から飛び出した当事者たちは、風圧で剥がれ落ちた外壁の向こう側から、こちらめがけて禍々しい妖星が落下したのを、間近で目の当たりにしたのだった。