「ゲイツ!?」
「我が救世主!」
ソウゴの白ウォズは、諍いも忘れ、共通すべき敬愛すべき同胞へと駆け寄った。
白い地面を喀血で汚しながら、ゲイツは彼らを手で制して起き上がった。
――忘れていた。
ソウゴたちの時間軸では、ゲイツが強靭な精神力によって克服した、リバイブの反動。
自分自身の時間を凝縮することで高速化や剛腕を手にする一方で、肉体への負担は多大なものとなる。
この時間軸のゲイツとて、おそらくは同様に乗り越えたはずだ。
だが、老いて衰えた肉体を、精神がカバーできるのにも限度はあるはずだ。
その限界と限度を超えて、何度も、これまで幾度とない危機に向かうたびに、体を酷使してきたはずだ。
ソウゴとの約束を、自分たちの家を守るために。この世界を、守るために。
唯一となってしまった仮面ライダーとして。
――そうして死守してきた時間が間違っていると、自分たちの世界こそが正史であると、ソウゴがどうして非難できるだろうか。
「ひとつだけ断っておくが、俺は事前に聞かされてはいなかった。主水やお前たちの世界を犠牲にするなんてことはな」
口にこびりついた血をぬぐい、ゲイツは言った。
鋭く臣下を睨みつけ、よろめきながら我が身を支えていた。
「――すまなかった。お前にとっては、徒労で終わってしまったようだな」
ソウゴにはそうはっきりと詫びて、なお逡巡を見せた。そして弱々しいはにかみとともに、彼は続けた。
「それでも……俺はせめて一目、お前に会っておきたかった。たとえ世界の危機を理由にかこつけてもな。笑ってくれ」
「笑わないよ」
ソウゴは友のために機嫌を改めて、笑って見せた。
その曇りのない表情を、ゲイツはまぶしそうに眼をすがめていた。
「さぁ、もう行け。
ゲイツがそう見送ろうとしたところで、ソウゴはその言葉によって認識の齟齬を感じた。だが、今までの流れを客観的に振り返って、少なくとも自分の中でそれは解消された。
「違うよ。ゲイツ」
なんとなしに、言ったつもりだった。
「この俺は、君とは戦わなかった。みんな揃って、今を生き抜いているんだ」
その答えを、特に考えもなく、ただそういう可能性もあり得るのだと、示しただけだった。
「なん……だと……っ!?」
だがゲイツの受けた衝撃は、ソウゴの思っていた以上だった。
彼を支えていた力が全身から抜け落ちた。この闘士が、今度こそ本当に、力なく膝を折って屈した。
そして気づく。ゲイツを支えながら、激しく後悔する。
「そんな、そんな可能性があったのか……!? じゃあ今まで俺がしてきたことは、なんだったんだ……?」
何気なく放った言葉は、彼のここまでの働きを全否定するものであったのだと。
「お前を死なせてしまった。ツクヨミも、黒い方のウォズも消えた……そして、最後には主水も」
あり得る可能性は、彼にとっては切り捨てた側の選択肢、取り返しのつかないものだったということに。
「……つくづく、道化だな、俺は」
血の跡を残す唇を震わせて、かすれた声でゲイツは自嘲する。
泣きたそうになりながらも、泣けない。そんな涙は、彼の中でとうに枯れ果てているように。
「あのさ、ゲイツ」
ソウゴはそんな彼の、全盛期より細まった肩を手で挟み込むようにして、正面に立った。
「たしかに、俺はあの時君と手を取る選択を取った常盤ソウゴだ。……けどさ、その後もずっと苦しい状況は続いてて、多くのライダーの力が失われたり、仲違いしたり……みんなに忘れられたり」
今となってはすべて過ぎたことの話ではあるが、それでもまだ癒えない心の傷が残っている。
「そしてきっと、もっと辛いこと、悲しいことがあるかもしれない。いや、きっとある気がする」
何を言っている。そう弱って枯れた眼差しで問いかけるゲイツに、ソウゴは「それでも」と身を押し出し、はにかんだ。
「俺は自分の選択を後悔しないし、王様になる道を諦めたりもしない。だってまだ先のことなんて、分かんないでしょ」
そうだ。
たとえ最低最悪の魔王になることが確定事項だと誰かが言ったとしても、今更この道を他の誰かに譲る気はない。たしかに自分は未来を見てきた。荒廃した大地に君臨する、覇者としての自分を見た。何度も戦った。それでもやはり、どうしても、『彼』が自分の進む先にいるとは思えなかった。
目の前にいるゲイツだって、そうだ。
「昔選んだ道が良かったかどうかとか、どっちの歴史が正しいかとか、そんなの関係ない。だからゲイツもさ、自分が間違ってたとか思わないで、今を生きてよ。……まだ、俺たちの未来は、決まってないんだから!」
ゲイツは俯いた。震えた呼気を地に向けるように俯き、唇を噛みしめる。
だが、死にかけていたその眼光がふたたび往年の漲りを取り戻した。
半死人が息を吹き返すように、深く海に潜っていたダイバーが海面に顔を持ち上げるように、息を弾ませ、肩を揺らす。
「――まったく、お前と言う奴は……!」
ソウゴを押し戻し、みずからの脚で立つ。
ふたたび顔を上げた時、その表情は、苦く笑いながらも、どこか晴れ晴れしいものだった。
「相変わらず、どこまでも優しく甘い男だ」
「そうかな」
「だからこそ、残酷でもあるがな」
照れるソウゴに軽く憎まれ口の苦言を呈するあたり、やはりゲイツだと思った。
「持って行け」
あの雪の日のように、ふたりして笑い合った後、旧友は一つのライドウォッチを、押し付けるように差し出した。
それは、他ならぬ仮面ライダーゲイツのライドウォッチ。黒と赤とが反転しながらも、それでも革命の戦士としての彼を象徴する力の結晶だった。
良いの? と目で問う。当惑する。だが構わず、躊躇せず、彼はそれをソウゴに握らせた。
「俺にはもう必要のないものだが、お前なら、せめて何かの役には立たせられるだろう。……今度こそ、行け。お前も今を必死に戦い、お前の未来をつなげ」
それは、ただの力の継承ではない。今のゲイツが友へと送ってやれる、最大限のエールであったのだろう。
「――わかった。これは、預かっておく」
結局打開策は見つからなかった。けれども、もはやそこに不安はなかった。この時代に招かれて、決して無駄ではなかったと思った。
放心状態のライセを伴い、常盤ソウゴは廃墟と化した宮殿を出た。
遠ざかって、姿が見えなくなるその最後の一瞬まで目に焼き付けるように、ゲイツはそれを見送っていた。
そして、完全に気配が消えたあとも、眼差しはまっすぐ、彼のいた場所へと留め置かれたままだった。
その状態のままに、ゲイツは居並ぶウォズに尋ねた。
「――お前、ウソをついたな?」
と。
「ウソ? 君と魔王が和解する可能性があることかい? それとも力を手放した主水が消滅することをかい? どちらにせよ、この時間軸の存続には必要なこと」
「違う」
ゲイツは首を振って臣の言葉を遮った。
もう腐れ縁と呼べるほどの長い付き合いである。
あれほどいがみ合っていた黒い方よりもずっと、共に過ごした年月は長くなっていた。
となれば、ある程度彼の思惑の察しはつく。
「この時間軸は、もう消滅する。そうだろう?」
ウォズは、張り付いた笑みを退かせた。
それは果たして、ゲイツの言葉が核心を突いていたことを証するものだった。
いくら彼の未来ノートであったとしても、ギンガを呼ぶにはそれなりの理由が要る。
つまり、この世界には先がない。そう見切りをつけたからこそ、アレが降りて来たのだ。
そもそも、だ。
「来海ライセが『無』から生じた存在しない人間だとするならば、この世界だって同じく弾かれた可能性から『無』が拾い上げたに過ぎない。だから、事態が鎮静化すれば、俺たちは消える。ミライドライバーとは関係なくな」
ウォズは黙りこくっていた。何故そんな虚言をあえてソウゴに誇って見せたのか。自分たちが消えることを承知でミライドライバーをこ完成させた本当の理由はなんなのか。簡単に説明できるような事柄ではないのだろう。
動機としてはおそらく、この男が黒い方以上に素直で純良な性格ではないことが起因するのだが。
だが、その善良ならざる男は、それ以上あがくことをしなかった。ただ従者として、黙して救世主に侍り続けた。
「良いのか? お前だけなら、どうとでも逃れられるかもしれんぞ」
「多くの犠牲の果てに実現した、この理想の世界を捨ててかい?」
ウォズはそう問いかけてようやく口を開いた。
それ以上は、語ることも翻意することもしない様子だった。
ゲイツは鼻白んで、従者を脇目に見た。
「どうだろうな、お前のことだ。案外すぐ復活するような気もするがな」
「だとしても、それはこのわたしではないよ」
そうだろうな。適当な調子で相槌を打ち、ゲイツは一歩先に出る。みずからの殻でもあった王宮を出た。
隕石が突っ切ってきたことにより、白く覆っていた雲は切れて、青空と太陽が広がっていた。
久々に、本物の太陽や、色というものを拝んだ気がした。
「それで、君はどうする?」
従者は問う。
対する主人は天を仰ぎながら、眼を細めた。
ゲイツはしばらく答えずにいた。
救世主としての座を喪った時、男はただひとりの人間に戻った。
だが空っぽだと思わない。それが『無』だとは思えない。
すべての積み重ねがあって、自分は今、この未来に、こんな晴れやかな気持ちで立っている。
「前を向いて生きてみる。最後の一瞬までな」
そして彼は、自分の足でふたたび歩き始めた。