男は、そしてシャッターを切った。
ぱちりとはじける泡のような、軽い音。
この写真もなかったことになるかもしれないが、彼の記憶の中にこの旅路は刻まれる。
「同じように夢と消えた戦いの終わり、始まりの男は言った」
戦いの中心地から少し離れたガードレールのあたり、そこにもたれかかりながら再生する世界を見ながら、不遜げに。
「自分たちの戦いは、光を浴びることのない戦いだと。だが、影、闇から生まれた者だからこそ、光を目指す」
ひとりの青年が消えたあたりへとレンズ越しにではなく、ちゃんと自身の肉眼を向けた世界の旅人は、彼にしては珍しい、素直な笑顔を手向けた。
「良い船出をな、仮面ライダーミライ」
………………
…………
……
常盤ソウゴが目覚めると、そこには『今朝』と同じ一日の始まりが待っていた。
だが、アナザーシノビたちの襲撃の報せはない。
激戦の狭間に生じた、慈しむべき日常が、そこにはあった。
まるで重大な不具合を起こしたネットゲームが、その間のデータを消してロールバックするように。
重い頭と心を引きずりながらも私室から下りたソウゴに
「おはよう、ソウゴ君」
と順一郎がいつものようにのほほんと笑いながら、朝の挨拶をかけてくれる。
その叔父の用意した朝食をテーブルにてきぱきと並べる、ふたりの姿があった。
「さすが王様になろうってやつだ。他人を働かせて自分は爆睡とはいいご身分だな」
「おはよう、ソウゴ」
ネックウォーマーのようなものがついた、近未来的な黒服をトレードマークとする短髪の青年、ゲイツが皮肉を言う。
女神然とした白い服の娘、ツクヨミが、ほろ苦く笑って相棒の毒舌を聞き流し、
少し面食らったソウゴだったが、彼らがそうしていてくれることこそが、自分の時間に戻って来れたことへの何よりの証左だった。
「ツクヨミ~! お帰りー! ゲイツ、ちゃんと若いじゃん~!」
そして感極まって飛びついて、ふたりを両腕で抱きしめる。
「はぁ!? あの、ちょっとまだ寝ぼけてんの!?」
「なんだ突然気色悪い!? 若いってなんだ若いって! 俺は老人かっ」
左右の腕の中で頓狂な声を発するふたりに、はしゃぐソウゴの身体は強引に離される。
叔父は相変わらず「いつもながらよくわかんないなぁ」などとぼやきながら、かつソウゴたちの都合に合わせる調子で適当に流して、三人に食卓につくよう促す。
すでにテーブルに着座している青年がいた。
まるで本の装丁を確かめるかのように一ページ一ページ、熟読していた彼……黒い方のウォズは、ソウゴの登場に気づくと、いわくありげな目線を返し、そしていつものようにミステリアスに微笑むのだった。
「私はすべて覚えているよ」と、暗に語りつつ。
――そんな従者のみを伴って、ソウゴはかつての通学路、住宅街に挟まれた急勾配にやってきた。
ソウゴとウォズとの、出会いの場所。
コンクリートの階段に腰掛けながら、ひそかに自分が救った街が、世界を見下ろす。
アナザーライダーたちに破壊された街並みも、『無』に呑まれたすべての事物も、あっけないほどに元通りだった。
――だがこの世界には、『彼』はいない。
「当たり前だけど、みんなライセのこととか世界の崩壊なんて覚えてないみたいだ」
「だろうね」
自身の王のそばに侍りながら、にべなくウォズは答えた。
「そのミライというライダーは、本人の認めたとおり、本来は存在しない、してはいけないイレギュラーなライダーだ。当然、この世界の
そう言ってウォズは、自身の歴史書からページを指でつまみ上げて破いた。
さながら乱丁のように差し挟まれた、白紙の一ページ。それはウォズの指先から離れると、ひらひらと風に舞って彼方へ流されていく。
彼の言葉は、穏やかながら冷淡だった。そしてそれは、きっと現実的でそういう結果となる公算が高いものなのだろう。
事実、ソウゴの心の一片に「あれは夢だったのではないか」という錯覚が芽生えつつあった。
それでもソウゴは、首を振る。
「それでも、彼の照らしてくれた先に、きっと誰かの路がある。その人が彼のことを覚えてくれていたなら、きっとまた」
続きは言わず視線を持ち上げる。
気の遠くなるような長い一日を経験した。その濃密な時間を、彼とともに駆け抜けた。
その想いを抱いて仰いだ天は、きれい過ぎて泣きたくなるような、果てのない夏空だった。
「――俺も、ずっと覚えてる」
それを、屈託ない笑みを包んで、時の王者は改めて宣告する。
「何度でも誓うよ、ライセ。仮面ライダーミライ」
世界の理不尽さにさえ挑み、打ち崩すような強さを言霊に込めて。
「俺は王様になる。そしてまたいつか……みんなと一緒に、君の待つ
たとえ今は遠く離れていたとしても。
共に重ねたこの胸の痛みが消えない限り、自分の時間と彼の時間はつながっている。
だから常盤ソウゴは駆け抜ける。
最後の一秒までも、最大の加速で。
――語り部は本を紐解き、口を開く。
かくして、魔王となる宿命を間近に控えた常盤ソウゴは、より一層の覚悟を重ねてその道に踏み出すことになる。
『無』であったはずとモノとの出会いが、彼の王道をより輝かしいものにしたというのなら、あながち彼の語るところの『無』より心が誕生する奇跡というのも、あながち否定しきれない。
あるいは本当に……いや。
さて、このすぐ後に、彼は時空の果てより降り立ったひとつの形の『未来』と出会うことになるわけですが……
そして語り部は「おっと」とわざとらしく本を閉ざして、悪戯っぽく
「――果たしてこれは、皆さんにとっては過去の物語でしょうか? それとも未来の話でしょうか?」