CDデビューが決まった。昨晩の夜、スマホ越しの音質の悪い若干曇りがかったような声色で凛から聞いたその言葉が耳から離れない。確か、あの時はおめでとうと返した気がする。
放課後の食堂付近には、自分以外の姿はない。
百円玉と十円玉を一枚自販機に飲み込ませ、缶ジュースを吐き出させる。しゃがんで右手でしっかりとつかんだ冷え切った缶、少し暖かい俺の手の温度差が、何かに似ている気がした。
「可愛いわね。ジュースなんて」
少しからかうような声色が横から飛んでくる。見上げるような形で顔をあげると、幾日かぶりに見る顔がそこにあった。緩め切ったネクタイと首元のボタンを開けている様子から、完全にオフモードに入っていることが見て取れる。
口うるさい教師に見つかったらなんか言われそうだけど、上手い事やっているのだろう。俺も放課後はネクタイと首元は緩めるし、同じようなもんだな。
「解釈違いか?」
「まぁ、あんまり飲むイメージはないけれど」
「気分だよ。なに飲む?」
「いらないわよ」
「何しに来たんだよ」
「珍しく変な方に帰る姿が見えたから、ちょっと気になっただけよ」
なんだよ、こういう時くらいかっこつけさせてくれてもいいじゃんか。お給料とかはそっちの方が多いのかもだけど。
諦めて缶ジュースを開け、一口流し込む。砂糖の甘ったるさとみかんの若干の酸味が心地良い。
変な方に帰る。まぁ、間違ってはいないな。普段なら駅前のコンビニで買うし、遠回りしてこんな誰もいない時間の食堂前に来ることなんかない。
「何か心境の変化でも?」
「気分だよ。偶々に決まってんでしょ」
「人間、何か思いつめることがあると普段と違った行動を起こすものよ?」
腕を組みながらそんな余裕ある表情で言われても。何か若干心の中を見透かされているみたいでむずむずする。
普段行かない場所に行って普段飲まないものを飲んでいるもので、奏の言う通り心境が行動に出まくっているのは事実なのかもな。俺、わかりやすすぎんだろ。恥ずかし。
「……笑わない?」
「場合によっては笑うかも」
「凛がCDデビューすることになった」
「朗報じゃない」
「いや、なんかトントン拍子に物事が進み過ぎててさ……」
「それが怖いの?」
「杞憂なんだけどな」
ずっと近くにいた奴が、俺が知らない間にどんどん遠くに行く。
凛があの世界に行く後押しをしたのは俺だ。だけど自分の近くから離れていく凛を見ていくと、どうしようもない感情に襲われる。
アイドルとしての階段を何段も飛ばして駆け上がってく黒髪ロングの美しい後姿を眺めていると、あぁ、彼女は俺の知ってる渋谷凛じゃなくなっていくのかな。なんて、そんな不安が知らない間に生まれている。
「男ってバカね」
「悪いか」
「嫌いだけれど、好きよ。そういう不器用な所」
「あー、そう」
「女の子って、貴方が思ってるほど弱くはないのよ」
「見りゃわかる」
「なんか癪に障るわ」
目の前にいる女性が死ぬほど強そうだし、俺の知ってる渋谷凛も単機性能クッソ高いから知ってる。ただ俺一人が心配になるって話だけなの! 心配になるじゃんだって!
というか、強いか弱いかなんて人によるだろうしなぁ。大人しくてメンタル弱そうな男の人いるし、性別が変わるだけで中身はそんなに変わらない人もいるし、マジで性別とか飾り。
目の前にいる女性とかバチボコにメンタル強そうだし。メンタルだけじゃなくて物理的にも強そうだし、本当にいろんな意味で強そう。
「貴方がシャキッとしてないでどうするのよ。そういう時に彼女の背中を押してあげる立場でしょ」
「大丈夫。凛の前ではシャキッと出来る」
「そういう風に見せれてるだけよ。所詮丸裸」
「なんか奏が言うと違う意味に聞こえるね」
「軽口叩けるくらいには余裕あるじゃない。セクハラよ」
「普通に悪かった」
なんか奏にはちょっとくらい殴りかかっても良いのかなって。同い年だし、なんかそういう適正ありそうだし。
凛の前ではそれなりにちゃんとお兄さんお兄さん出来てると思うんだけどな。
バレてるのかな、言われてみたらなんかバレていそうな気もするな。あの娘、そういうの見抜くの凄く上手だから。
「ちょっと心配して損したわ」
「いやー、奏が言うと説得力あるなって。将来そういう仕事つけるよ」
「アイドルがダメになったらそういう仕事しようかしら」
「まぁ顔が良いから生涯アイドルで生きていけるだろうけど」
「急に梯子外すじゃない」
「いや、まさか乗ってくるとは思わなくて」
クールビューティ系な速水奏さんはこういうの無視してぶっ飛ばすイメージあったから。まさかこういうのに乗ってくるなんて思わないじゃないの。
初対面から全然日にち経ってないからイメージとかいくらでも崩れそうなもんかもしれないけど。
「私、バラエティ番組とか出演経験普通にあるから」
「お前そんなに凄いんか」
「自慢する気はないけど、私それなりにお仕事とかもらってるのよ?」
「知らんかった」
「テレビとか見ないの?」
「野球中継以外見ん」
だって最近別にわざわざテレビ見なくてもそんなに困らないし……ニュースだって動画サイトとかで普通に公式チャンネルが出してるし……正直言ってアイドルとか微塵も興味がなかったし……ていうか動画サイト永遠に延々にもうずっと未来永劫見てられるし……
「奏って凄い人なんだなぁ。サインとかもあるの?」
「当たり前でしょ。なんだったらスマホとかに書いてあげましょうか?」
「いや、別にいらね。気になっただけだし、なんなら調べれば良いし」
「本人の目の前で即行調べるのね」
「……え、これなんて書いてあんの」
「見ればわかるじゃない」
「もみやで?」
「張り倒すわよ」
読めるかこんなもん! どう見ても『もみやで』って書いてあるじゃん!
なーんて話をしてたが、寮に帰って飯を食って風呂に入って一息付くと、やっぱり変に考えてしまう。今日は事務所で凛と一回も会わなかったのもあって、余計にそういう思考になってる。
ひゃだ……私、メンヘラ彼女? 男だったわ、僕。
「どうして君はそうタイミングよく来るんだね」
「なに、そういう処理中だった?」
「女の子が変なことを言うもんじゃないよ」
「男の子だもん。仕方ないよね」
「してないからね? してた前提の話やめない?」
とうとうこの女の子、用事も何もないのに突撃するようになってきた。
いや、本来というか昔というか、俺が実家にいる時はずっとそうだったから別にいいんだけどね。もう最近来客来ても警戒しないで普通に服着ないで出そうになるからね。危ないからねアレ。
「光って服着ないもんね」
「包まれてる感がヤダ」
「人間向いてないよ」
それはそう、事実そう。
ベッドにぽすんと腰掛ける凛と。モニターの置かれた机の椅子に腰掛ける僕。先ほどまで弾いていたベースの弦をきゅるきゅる緩めていく。
「風呂入った後って裸でもいいじゃんって思わん?」
「パンツ穿くようになったのは本当に成長したよ」
「小学生の時の話掘り返すのやめない?」
今思ったら女子の前ですっぽんぽんで普通に遊ぶの狂気の沙汰だったんだから。よく母親とか止めなかったよな。
同じ部屋に隣の家の娘さんがいるのにすっぽんぽんの息子放置しておくとか、人の親として頭おかしいよ(ド直球)
「ちゃんと人前では服着るからいいじゃん。一人の時に服を着るか着ないかなんて人の勝手だと思わないかい?」
「私は?」
「いや……凛はまたちょっと別じゃん。特例じゃん」
「ふーん」
実際、凛から服着なよとか言われたことないし。すっぽんぽんの時ですら言われなかったな。あれ、こいつももしかしてなんか倫理観ぶっ壊れてるんでは? そもそも俺が裸族じゃなければこうはなってないから俺のせいか(納得)
「あ、そういやCDデビュー決定おめ」
「昨日聞いたよ」
「面と向かって言う方が良いかなって」
「面見すぎじゃない?」
そんなことはないよ。今のうちに目に焼き付けといた方がいいのかなーなんてろくでもないことを考えたとか。そんなことは何一つないよ。
なんだったら、よく見たらこいつ顔整ってるよなーとか。なんか怪訝な顔してるなーとか、そういうことも思ってないからね。
「なに」
「なんにも」
「もう一回だけ聞こうか」
「なんにも」
「未央に余計なこと言うよ」
「凛がなんか遠くに行きそうで寂しい」
それはもう最強の受け札じゃん。デーモンハンドじゃん、アクアサーファーじゃん、スーパースパークじゃん、クロックじゃん。それを出されたらこっちとしてはもうどうしようもないんですよ。
本田になんか変な情報を握られる=僕の知り合いの7割にその情報が広まるということを意味するからな。
ガチでヤバそうなことは言わなさそうだけど、そこのラインを超えない限りはひょんな拍子に普通に言いそうだからなあいつ。圧倒的陽キャ。
「…………はぁー」
「泣くぞ」
最強の受け札を前にあっけなく本心を吐露した結果、滅茶苦茶溜めを入れたフルな感じのため息をつかれました。
良いのか、そんな態度をとって。男の子のプライドをボロボロに破壊して発言したのにそんな風にされたら泣いちゃうぞ。年甲斐もなくボロボロ泣くぞ。
「バカだなぁ」
「平均点くらい取れるぞ」
「そうじゃないよ」
赤点とか今のところ1回しか取ったことないんだからな。ちゃんと毎回平均点はクリアしてるんだから、大体8割くらいの確率で。
8割なんて野球で考えたらもう伝説だぞ。ほぼほぼヒットなんて凶悪すぎるだろ。全打席単打でも価値あるわ。
「私はそばにいるよ」
「今はな」
「これからも」
少し怒っているよな、なのに初めてのお留守番に不安がる子供をあやすようなそんな声色。
俺はガキかなにかか? 正直、初めての留守番の時の5000倍は不安な気持ちに心臓が支配されてる。
「ダメだね」
「私の事、嫌い?」
「まさか」
馬鹿言っちゃいけない。だったらこんなこと思っちゃいない。お嬢さん多感なお年頃だぜ?
これからいろんなことを経験して、お付き合いもして結婚していくんだから、これからもそばになんて無理な話だ。俺は凛の幸せを願いてぇよ。
「お前の事が好きだから言ってんのよ」
「……そんなこと、よく言えるね」
「正直今すぐ逃げたい恥ずかしい」
「ガラじゃないね」
「わかってるじゃん」
「何年一緒だと思ってんの」
だって言わずに俺が凛を嫌ってるって思われてもね……それの方が明らかに死あるのみだからね。
まぁさっきの話は勿論本心として、また別の話になるが、凛が彼氏なんか連れて歩いてる所を見たらどうなるんだろうな。もう俺の場合、凛を見る目線が兄みたいになってるからな。小さいころから見続けてきた女の子が、どこの馬の骨とも知らん男とお付き合いなんて考えられねぇ。
「失ってから初めて気が付くものってあるだろ」
「私はここにいるよ」
「そうだけど」
「煮え切らないなぁ」
何を思ったのか、しびれを切らしたように立ち上がったかと思うと、ずかずかとこちらに大股で歩いてくる。そんなに大股で歩くなんて珍しいなぁ、なんて思ってると右手で後頭部をガッシリ掴まれて急に前に持っていかれる。
少し硬いけど、クッションみたいな感覚。いつの間にか頭の後ろに回されていた手は、両腕で抱きかかえられるような形で、がっちりと頭をホールドされていた。
「今、私はここにいる」
「……ん」
「考えすぎだよ、疲れてるんじゃない?」
「そんなことない」
「そういうことにしときなよ」
最初は驚きで固まっていた体が、少しずつ解けていく。両腕は力なくひじ掛けに乗せられ、今の状況、まさにされるがまま。
生まれ年が同じとは言え、一応年下の女の子にこんなことされて落ち着いてるって、なんか恥ずかしい。嬉しくはあるけど、恥ずかしい。
ドクドクと脈打つ凛の心音が耳に入ってくる。今なら心音ASMRをヘビロテする人の気持ちが分かるな。すげぇ落ち着く。なんというか、本当にずっとこのままが良い。
「どう、落ち着いた?」
「自分からやっておいてなんで緊張してんの」
「うるさい」
痛い痛い痛い。腕に力を入れるなよ痛いだろ。いや、前が柔らかいからそんなに痛くはないけど、主に後頭部の方が痛い。あと、めっちゃいい香りする。近すぎてもはや一心同体。フュージョンしかけてる。
全く関係ないけど、俺は今、頭の中に母親の顔とレイザーラ〇ンHGの顔を一生思い浮かべている。なんでだろうな。本当になんでなんだろうな。理由は聞かないでほしい。
「これ、いいな」
「二度目は無いから」
「あとこれ息出来るんだな」
「このまま首絞めるよ」
「ごめん」
読者層気になるので知りたいアンケ
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