ヘクトールとぐだ男が料理に失敗する話。

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パエリアは犠牲となったのだ

 身に纏う魔術礼装が強化してくれるのは身体能力だけだ。

 その反動があるのも身体にだけだ。精神面の強化は何一つ施されていない。ただの自己防衛だ。

 進退窮まった今を乗り切ろう、次に繋げよう、生きて帰ろうなどの必死さによって己の内部から発生する高揚で強く前へと踏み出させてくれる。そして今までなんとか生き残れている。

 

 そんな自主精神強化にも、残念なことに反動がある。

 

 カルデアに戻り安全地帯に落ち着けたことへの安心感でどっと脳の動きは愚鈍になる。思考回路が回らなくなる。

 レイシフトを重ねれば重ねるほど、死線上で思考を回せば回すほどその揺れ幅は大きくなっていく。

 会議だ勉強だとなればいくらかは回ってはくれるものの、それでも現場にいる時に比べれば緩慢なものだ。

 訓練であるならもう少ししゃっきりするのだけど……。

 もちろん包丁を持つ時に気を抜いたりはしない。なんといっても切れるのだから。

 息抜きでもある料理中に怪我なんてしてカルデアの貴重な物資を減らすわけにはいかない。余計な心配をされるのも心苦しいし呆れられたりしても心が痛い。訓練や戦場にいる時と同じような緊張感でそれを振るっている。つもりだ。そこに抜かりはない。

 のだが、

 問題はそこではない。

 それ以外の工程なのだ。

 

 調味料を入れた時の記憶が既にない。

 

 およそポトフと思えない激味にぼやけた意識は一瞬にして覚醒する。

 これはまずい。とてもまずい。ありとあらゆる意味でまずい。人が食べていい代物ではない。家畜にだって食べさせるには躊躇いが生じる。

 通常ならば即廃棄。いや罪のない食べ物にこれ以上礼を欠いてはいけない。全て食べる。まずいとはいえ厨房に置かれた食材と調味料なのだ。いくら分量を間違えまくったとしても毒にはなっていないだろう。仮に毒になっていたとしても今の自分なら大丈夫、らしい。全部食べる。

 しかし今はそうではない。そういう問題ではない。この場にいるは自分だけではないのだ。ヘクトールと食べるものを作っていたのだ。ヘクトールが食べるのだ。

 当然こんなものを食べさせるわけにはいかない。しかし今から作り直す時間もない。

 

 どうしよう。

 

 絶体絶命の大ピンチに一度覚醒した思考がまた彼方へと吹き飛び白の更地と化す。

 そのまっさらな思考の背後から「マスター」と呼ぶ声が届いて再び我に返る。

 「悪い。焦がした」

 「……え?うわあああああ!匂いが真っ黒焦げ!」

 というわけで、本日のふたりの夜食は味覚の合体事故を起こしたポトフと焦げを通り越して炭になったところは取り除いたものの、全体に染み付いた炭風味は消えなかったパエリアである。残った野菜をまとめただけのサラダがせめてもの救いであった。

 やはりこのところ反動に任せて気を緩めすぎだ。もっと引き締めていかないと。そんな反省を促すには十分すぎるくらいの惨状であった。

 「今はここを家だと思っていい」とは言われているものの、やはり限度があるという話だ。

 いくら人類最後のマスターで今は希少な存在であるとはいえ、私生活がこうあまりにもあまりであるのなら失望されてしまうのも時間の問題だ。それは避けたい。けれど今だってこの様なのに……。カウントの間は確実に進むごとに急速に狭まっているだろう。

 分かりやすく肩を落として気分表情そのままの苦味を頬張っていく。

 「いやあ、やっぱりビギナーってのはラッキー以外じゃ上手くいかないもんだねえ」

 「……まあ、そういうものだけど」

 そんな彼とは裏腹に、いやちょっと苦笑い気味であるけれど、ヘクトールはいつも通りの呑気で朗らかな調子で失敗作たちを口に運んでいく。

 「でも、ヘクトールが失敗するなんてちょっと意外」

 「幻滅しました?」

 「そんなわけあるか!どの成果を下げて!」

 申し訳なさそうに苦笑するヘクトールに彼は慌てて首を振る。

 レイシフト先では常に誰が相手であろうと無礼千万大胆不敵に立ち回れる彼であるが、この惨状を棚に上げられるほど己都合で生きてはいない。

 

 の、だけれども、

 それでも思ってしまうのだ。

 

 「ヘクトールはオレよりずっと大人で、いつでも何でもソツなくこなしているから。料理だって楽勝なんだろうなって」

 「そう見えているのなら光栄です。けど一応マスターよりは長く生きているから経験で何とかなってるだけですよ」

 「……経験?」

 「そ。経験」

 告げられた言葉をおずおずと反芻すれば何でもないような口調で返ってくる。

 「別に、オジサンに何でも簡単に出来る天才めいた才能なんてありゃしないよ。ただ回数を重ねているからやりようを知っているだけ。防衛戦なんてその最たるものさ。嫌になるほどやり続けたから嫌になるほど得意になった。だけどやったことのない料理はこの程度のこの有様」

 そう言いながら炭味のパエリアを一口頬張りわずかに眉根を寄せて飲み込んだ。

 「大人になるってのは何でもソツなくこなせる人っていうより、なんとかそれっぽくこなせるようになった人ってことなのかもねえ」

 「……」

 「幻滅した?」

 「そんなことない!」

 ぽかんと聞き入る彼に再びかけられた問いに再び大きく首を振る。それにヘクトールは「ならよかった」と安堵で頬を和らげた。

 

 そう。考えてみたらそうなのかもしれない。誰だってある日突然大人に変質するものではないのだ。

 ヘクトールだってそう。

 ヘクトールなりの幼い頃があって子供の頃があって未熟な頃があって、紆余曲折の末に今目の前にいてくれるのだ。

 そんな当然がすんと胸に落ち全身に優しく沁みていく。それはとても温かく熱いものであった。

 揺れ潤む瞳の先で変わらずヘクトールはバツの悪そうな笑みのまま、語りかける。

 「これからふたりで頑張って、どうにか何とかそれなりになっていきましょうか」

 「うん」

 優しい誘いに彼は満面の笑みで躊躇うことなく頷いた。

 

 こうして彼の大失敗によって生じかけた傷は最小限に抑えられ、また一緒に作ろうと約束を繋げて心暖かに解散した。翌日。

 「貴様マスターが調味料を間違えていることを気付いていながら止めもせず、それどころか取り返しが付かなくなった瞬間に順調に出来ていたパエリアの火力を一気に上げたな。貴重な食料をなんと心得る」

 と、どこかで霊体化して見守っていたらしい赤の料理長に呼び出されたヘクトールが延々苦言を刺されたのは、彼が知ることはない話。



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