【未完】被らない帽子と抜かない刀【ワンピース】 作:千葉 仁史
「医者ーーっ!」
聞こえてきた少女の声に、男性は肩を落とした。
本名は知っているだろうに、どうして、彼女は自分の事を職名で呼ぶのだろうか? 寝起きそのものである青髪をガシガシと片手でかきながら、医者は白衣を手に取った。
嵐があった翌朝の海岸には様々な漂流物が流れ着いている。破損した船の破片、貨物船なら商品が、海賊船系統なら財宝が、そして、死体が。それらは海軍が保管、あるいは調査するため、海岸は立ち入り禁止になっているが、海軍は大概、砂浜にとどまっており、他の所に来る事はない。つまり、"砂浜"以外なら、一般人も入り込んで良いのである――何処ぞの誰とも知れぬ奴等が持っていたお宝を拾うために。
先程、自分の本名を呼ばずに職名で呼んだ少女の狩り場は、"黒崖"と呼ばれる所である。ゴツゴツとした黒い岩場が緩(ユル)い角度で海に入り組んでいる場所だ。どちらかと言うと、重い物――宝箱や船のマストの破片や死体――は流れ着きにくく、小さな金属片や付属品(アクセサリー)等が流れ着きやすい。だから、彼女の獲物も小物ばかりであるが、死体を発見してしまうかもしれない危険性に曝(サラ)されるぐらいなら、これぐらいの短所(デメリット)なんて大(タイ)した事はない。つい最近なんか、鍛冶屋の親父がでっかい箱を拾ってきて、蓋を開けたら、実は棺桶で、海水によって腐った死体が入っていたという、笑えに笑えない話があった。そして、その日を境に、親父は"お宝拾い"から、すっぱり手を洗っている。
(とうとう、シルクも"当"たっちまったか~。やめときゃ良かったものを……)
罰(バチ)か、死体か。目的語をはっきり形にせずに、医者は黒い笑みを浮かべた。
(もしも、その通りになっていたら……)
医者はテーブルに置いてあった、緑色の四角いフレームの眼鏡を耳に掛け、「"因果応報"・"自業自得"ってヤツよ」と思いながら、扉の前に立った。
「医者っ!」
ソプラノ調の掛け声と共に、扉を開けた少女――シルクに医者は言った。
「シルク、何度も言うが、俺の名前は『医者』じゃねぇ! ちゃんとした『ジョリー』って名前が……」
「『医者』は『医者』なんだから、呼び方も『医者』で良いじゃない!」
医者――ジョリーの言い分を無視して、シルクが主張する。
「そんな事よりも、『医者』、大変なの!」
またまた本名を言わずに職名で呼ぶシルクに、ジョリーは腰に手を当てた。
「あのなー、俺の名前は『医者』じゃねぇって……」
「人が倒れてるの!」
シルクの発言に、急遽(キュウキョ)ジョリーは次に出す予定だった文章を一文字に代えた。
「は……?」
今度は、シルクが腰に手を当てて言った。
「だーかーらー、人が倒れてるって言っているでしょ!?」
医者は恐る恐る少女に尋ねてみた。
「何処で?」
「"黒崖"で」
「何が?」
「人が」
「何してるって?」
「倒れてる」
きっぱりと答えるシルクに、ジョリーは心の内でガッツポーズを決めた。
「ほぉら、俺の言った通りだったろ? ンな事(コタ)ぁ、やめとけって、その内、罰(バチ)が当たるぞって。だから、死体なんて見つけちまうんだ、お前は。これに懲りて、"お宝拾い"は……」
前々から"お宝拾い"に反対していたジョリーがここぞとばかりに、口で攻撃する。
「そうそう、言い忘れたけど……」
説教の止まらないジョリーにシルクが水をさした。
「その人、"生きて"ますから」
残念! とジョリーの目と鼻の先で手をひらひらさせながら、シルクは宣言した。された側の男は開いた口が塞がらない。
「……ンな事(コタ)ぁ、ある訳ねぇだろ! 嵐を生きて越えて来るなんて!」
やっと、言葉を紡(ツム)げたジョリーに、"してやったり"顔のシルクが話し出す。
「此処(ココ)は"偉大なる航路(グランド=ライン)"。何があっても、不思議じゃないんでしょ?」
「なら、尚更(ナオサラ)、有り得ねぇだろ!」
「運が目茶苦茶(メチャクチャ)良かったんじゃない?」
囃(ハヤシ)立てるジョリーに、涼しげな態度でシルクは受け答えた。
「ンな訳あるかーーっ!」
思わず絶叫するジョリー。これが、三十路(ミソジ)前後の男性が、十七かそこらの少女とする会話だろうか?
「あ! こんな事してる場合じゃない!」
頭を抱えて悶絶するジョリーに笑っていたシルクだったが、やらなくてはならない事を思い出すと、慌てて彼の腕を掴んだ。
「医者、早く"黒崖"に行かなきゃ!」
「……へ?」
シルクの言動で正気に戻った医者が間抜けな声を出した。
「早く助けなきゃ、"あの子"、死んじゃうでしょ!」
そう捲(マク)し立てると、シルクはジョリーの腕を更に強く引っ張った。
「ちょちょちょ、ちょっと待てよ!」
「何!?」
吃(ドモ)りながらも反発するジョリーに、シルクがキツい視線(ガン)をきかせた。
「ンなもん、海軍に任せれば良いだろ!」
「馬鹿ね!」
ジョリーの提案を、シルクは事も無げに一蹴した。
「第一、"黒崖"に海軍は来ないのよ! 今、ほっといたら、"あの子"、死んじゃうじゃないの!」
「いや~、俺、朝飯すら喰ってねぇし……」
小さい声でしつこく文句を言うジョリーに、とうとうシルクは怒鳴った。
「"医者"!」
根気折れしたジョリーが同じように大声で言い返した。
「わーーったよ! 行けば良いんだろ! 行けば!」
「さっすが、お"医者"様! わかっていらっしゃる!」
説得出来て嬉しいのか、シルクが手の平を返したように笑った。少女に腕を掴まえられまま、ジョリーはげんなりとした顔で肩を落とした。
ジョリーの家、兼(ケン)診療所から"黒崖"までは、そう五分も掛からない。むしろ、診療所はどの家よりも"黒崖"に近い。そのせいか、シルクは"黒崖"で"お宝拾い"をした後は必ずと言って良い程、診療所に寄り、お宝自慢をするのだ。
(今日も"それ"だけで終わると思ったのになぁ……)
少女の一つに結んだ亜麻色(アマイロ/意味:ベージュ色)の髪が左右に揺れるのを見ながら、ジョリーは溜め息を吐いた。
「こっちよ!」
ジョリーの心の内なんて気にもせずに、"黒崖"へと通じる、足場の悪い岩場をシルクはいとも簡単に飛び跳ねて行く。
(履き慣れた、歩きやすい靴で良かった)
ジョリーも岩場を慎重に進んで行く。此処で転んだりしたら、シルクの言う"あの娘(子)(コ)"ではなく、自分が病院へと担ぎ込まれる事となってしまう。
(まぁ、この場合、自分自身が"医者"なんだけど、な)
歩けそうな所を探しながら、一歩、また一歩と足を運んで行く。
「ちんたらしてないで、早く!」
「じゃあかしい! 俺はお前みたいに、ンな所、最近は来た事がないから、慣れてないっての!」
先に岩場を抜けた少女の言葉に、医者は同年齢(タメ)のように反発した。
「……よっと」
上手くバランスを取りながら、ジョリーは岩場を飛び跳ねた。
「あそこ」
"黒崖"が見下ろせる所まで来た時、シルクが下を指差した。
「なんだ、"野郎"かよ」
ジョリーは"医者"としての発言ではなく、"男"としての発言をしただけだった。
「私、一度も"女の子"とは言ってませんけど」
「"あの娘(子)(コ)"と言われれば、女性(レディー)だと思っちまうだろが」
嵐のあった翌朝に、見目麗(ウルワ)しき女性(レディー)が倒れている。そんな、何処か在り来たりな状況(シチュエーション)を想像していたジョリーは見事に期待を裏切られた。
「医者、あからさまにがっかりしないでよ。」
シルクは肘鉄を医者にかますと、"黒崖"へと通じる道を先に降りて行ってしまった。落とした肩を元の位置まで直すと、ジョリーはシルクの後をついていった。
その男は"黒崖"の波の掛からない所で仰向けに倒れていた。瞼(マブタ)は開けられていない。
「……医者」
心配気に振り返った少女に、医者は頷くと歩み寄り、男の側にしゃがみ込んだ。まずは、男の手首に自分の手を添えた。
(脈有り)
次に、男の口許や鼻に手を翳(カザ)す。
(呼吸有り)
それから、男の頬を数度、叩いた。
(意識無し)
骨折があるかどうか、ジョリーは男の体を触って調べた。
(骨折無し)
冷静に分析を続けていく。
(体が冷えきっており、嵐を越えて来たせいか疲労も大きい。そんなに大[タイ]した事はないが、打撲痕・切り傷・擦過傷[サッカショウ][意味:擦り傷]有り。嵐に巻き込まれて傷付いたというより、これは……)
「ねぇ、医者。"その子"、大丈夫?」
ふいに、少女より年上だと思われる男を"その子"呼ばわりで、シルクが尋ねてきた。
「え? ……ああ、大丈夫だよ」
思考を打ち切って、医者は少女に答えてやる。
「良かったぁ」
我が身のように、素姓の知らぬ男を心配し、安堵の息を吐き出す少女に、医者の頬が弛(ユル)んだ。
「……さて、と」
ジョリーは立ち上がり、ズボンに付いた砂を払った。
「彼を診療所に運ぶ前に、シルク、一つ尋ねたい事がある」
ジョリーの真剣な声色(コワイロ)に、シルクの体が強張(コワバ)った。
「何?」
二人の間に緊張が走る。
「それはだな……」
ジョリーの話の切り出しに、シルクは喉を鳴らした。
「"コイツ"が一体何者なのか、だ」
シルクは自分と医者との間に、木枯(コガ)らしが吹いたような気に陥った。
「そんな事、私が知る訳ないでしょ!?」
シルクの荒げた声に、ジョリーも負けじと言い返した。
「はぁ!? 知ってたから、助けようとしてたんじゃないのか!?」
「知ってる人でも、知らない人でも、死にかけてたら、助けるのが人の良心ってもんじゃないの!?」
「仮にそうだとしても、"コイツ"、ツッコミどころ満載だぞ!」
ジョリーがこんな阿呆な事を言うのも無理も無い。
なぜなら……
「金髪に、ぐるぐる眉毛に、黒スーツ。ンでもって、左手に麦わら帽子、右手に刀を持っていたら、怪しすぎるだろっ!」
……そう、あまりにも"アンバランス"すぎるのであった。
「刀を持ってるって事は、剣士じゃないのかしら?」
シルクの推察に、ジョリーが静かな声で答えた。
「……シルク。スーツ姿で麦わら帽子を被った剣士なんて、想像出来っか?」
「無理」
きっぱりと、シルクが即答した。
(想像しようと思えば、出来るんだが……)
医者は"麦わら帽子を被り、黒スーツを着た、ぐるぐる眉毛の金髪剣士"を想像してみたが、考えていたよりも滑稽すぎた。
(否、有り得ん)
すぐさま、ジョリーはその像を打ち消した。
「この子……、無茶苦茶怪しいじゃん!」
「さっきから、俺が言ってるだろ!」
今更、気付きました、というシルクの態度にジョリーがツッコミをいれた。
「それはともかく、彼をどう運ぶかが問題だな」
一時、問題を引き下げたジョリーは、また新たな問題を引き上げた。
「定番の"お姫様だっこ"は?」
人差し指を出しながら、シルクが提案する。
「……シルク。お前、実はかなりの力持ちだったんだな」
「アホか! 医者がやるに決まってんでしょ! そのためにアンタを連れて来たんだから!」
「げぇっ! 本気(マジ)で!?」
「本気(マジ)よ、マ・ジ!」
ジョリーとシルクの言い争いが続く。
「足場の悪い所を通るんだ、二人で――」
「あ! 私、酒場の仕事があるんだ! 医者、後は頼んだわよ!」
ジョリーの提案に遮るように言うと、シルクは岩場に向かって走り出した。
「な゙っ! テメェ、仕事にはまだ早いだろが!」
「医者! その子、ちゃんと助けてやってね!」
ジョリーの言葉には答えずに、シルクはそう言い残すと、"黒崖"を後にしてしまった。"黒崖"にいるのは、医者と海から来た患者(クランケ)だけ。
「逃げられた……」
ジョリーは、もう何度したか分からない溜め息を吐いた。
「……患者、置いて行っちまうぞ」
彼の呟きは、うみねこだけが聞いていた。
それから数分後。
(くっそー、シルクめ。後で時間外労働手当てを請求してやる!)
意識の無い男を背負い、足場の悪い岩場を来た時以上に慎重に歩きながら、今はいない少女に報復を誓っている医者の姿があった。
つづく
オリジナルキャラ
◆ジョリー(男性)(三十路以上)
尾田栄一郎先生の短編集「MONSTERS」に登場する名無しの眼鏡のモブ男性がモデル(名前と姿を借りているだけで同一人物ではない)。
医者であり、シルクの保護者。
◇シルク(女性)(16歳)
尾田栄一郎先生の短編集「ROMANCE DAWN」に登場するヒロインがモデル(名前と姿を借りているだけで同一人物ではない)。
パブでウェイトレスをしている。