【未完】被らない帽子と抜かない刀【ワンピース】   作:千葉 仁史

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7,名もない君には名前を付けましょう

 刀を鞘から抜く音がする。

 二本の刀を手に持った男は、目にも止まらぬ早さで群がる敵共を次々と鎮めていった。

 

 その男の真後ろで敵の声がした。

 男が振り返ると、もう一人の男がお得意の蹴り技で敵をブっ飛ばしている光景が視界に入ってきた。

 

 二人の男の合わさる視線。

 双方の口端が上がったのを合図に、敵の団体に突き進む二つの影。

 

 猩々緋(ショウジョウヒ)(意味:限り無く黒に近い赤色)の柄をし、鍔(ツバ)には桜吹雪(サクラフブキ)が刻まれた愛刀と、それと同じ紋様の脇差しを握り直し、男は近付いて来た敵を斬りつけ、もう片方の男は地面に両の手の平を付き、開脚した両足を回し、敵を倒していく。

 

 そして、"海賊"である二人は戦いに明け暮れる。

 

(なんて、懐かしい)

 

 ふと、"誰か"はそう思った。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

「くっさーーっ!!」

 

 昨夜、自分が記憶喪失だと自覚した男が目覚めた時の第一声が"コレ"だった。

 

「ったく、何なんだよ、この匂(ニオ)いは?」

 

 男は、部屋中に漂う、あまりの臭さに目が覚めてしまった。鼻をつまみ、嗅がないように試(ココロ)みたが、やっぱり無理な話で匂ってきてしまう。様々な薬品の匂いと焦げた匂いがまぜこぜになったのが、この部屋に充満しきっていた。目の前に飛び交う虫(匂い)を追い払うかのように、顔面を余った手で扇(アオ)ぎながら、記憶喪失の男は立ち上がった。どうやら、匂いの元はこの部屋ではないらしい。ガウンの代わりに、昨夜、医者に手渡された白いパーカーと灰色の長ズボンを着こなした男は、隣り部屋に通じる扉を思いっきり開けた。

 

「うわっ、くっさーーっ!!」

 

 匂いの元となる部屋――台所の扉を開けた事で、名無しの男は更に声を上げるハメになった。

 

「あ、おはよ」

 

 ボサボサ頭の青髪はそのままに、だらしなく白衣を着つつも、何故か緑縁(ミドリフチ)の眼鏡だけはしっかりとキメている医者が朝の挨拶をした。

 

「ああ、おはよ……って、何なんだよ、この匂いは!?」

 

 匂いの元を作成しているだろう医者の能天気な挨拶に、男は一瞬だけ毒気を抜かれたが、すぐに元に戻った。

 

「朝から騒ぐな、耳に響く」

 

 作業を続ける手元を止める事なく、医者はしかめっ面で返答した。台所のシンクの上には、大きなビンやら小さなビン、幾つかのコップとスプーンが転がっていた。ビンからスプーンで掬(スク)った粉を鍋に入れ、熱しながら、かき混ぜる動作を医者は先程から、ずっと繰り返している。

 

「……医者」

「『医者』じゃねぇ、『ジョリー』だ」

 

 男の呼び掛けに、医者ことジョリーが抗議する。余程、手元にあるものが気になるのか、至って口調は静かだった。

 

「臭くねぇのかよ?」

「何が?」

 

 男に尋ねられても尚(ナオ)、カチャカチャと鳴らす手元は止めない医者。

 

「それ」

「それ?」

 

 男に指差された方――自分の手元を見たジョリーが男の言葉を鸚鵡(オウム)返しした。

しばしの沈黙。

 

「うわっ、くっさーーっ!」

「気付くの遅過ぎんだよ!」

 

 ジョリーの叫び声に、名無しの男がツッコミをいれた。

 

「とっとと、窓を開けろーーっ!」

「言われんでもするっての!」

 

 ジョリーが言うと、口では素直に受け入れずとも、男の窓へと向かう行動は承諾を意味した。ダイニングルームにある全ての窓を開ける作業を、二人で急いで実行する。

 

「手、動くようになったんだな」

 

 男の反対側で窓を開けていたジョリーがいきなり呟いた。一瞬、何の事を言われたのか分からなかった男だったが、昨日、自分の両手が硬直していたのを思い出し、「あ……、ああ」と頷(ウナヅ)いた。ジョリーは窓を開ける手を止める事なく、「普通、掴み過ぎで硬直した筋肉はほぐれにくいんだが、まさか一日で治っちまうとはな」と医者的見解述べた。男はそれに背を向けたまま、黙って聞いていた。

 

 男は何も言い返さなかった。いや、何も言い返せなかった。何故か分からないが、そんなジョリーの雰囲気にドキリとしたのだ。

 ジョリーは名も無き男が会った時から、何処か抜けているような雰囲気が漂わせていた。しかし、やはり、医者は医者。見ているところは見ているし、患者の事を常に心配していて、誰かが怪我したら、すぐに医者の顔に変貌する"アイツ"に似ていた。

 

(医者って、みんな、あんなものなのか?)

 

そう考えると、なんだか笑えてきてしまう。

 

(でも)

 

男は思った。

 

("アイツ"って、誰だ?)

 

 そう自問した途端、頭がズキリと痛んだ。一瞬の事だったが、何時間ものの痛みを凝縮されたかのような頭痛に男は片手で頭を押さえた。もし、男の目の前に窓縁(マドブチ)がなくて、余った片手でそれを掴んでなかったら、床に膝を着いていたかもしれなかった。

 

「おい、どうした?」

 

 男の異変に気付いたジョリーが声を掛ける。

 

「いや、何でもねぇよ」

 

 心配をかけたくない意地が、男にその台詞とその続きを言わせた。

 

「あまりの臭さに嫌気が差したんだ、よ!」

 

 大きく一歩を隣りへと踏み出し、台詞の『よ』の部分で男は最後の窓を勢い良く開け放った。新鮮な空気が部屋に流れ込んで来る。

 

「ンな、クサイ・くさい連呼すんじゃねぇ」

 

 ジョリーが不貞腐(フテクサ)れたように呟くと、匂いの元凶である、謎の煙(湯気?)が立ち込める鍋を覗き込んだ。

 

「で、何を作ってたんだ?」

 

 どうせ、薬か何かだろう、と思いながら、男は医者に近付いた。

 

「コーヒー」

 

 医者の回答に、窓から入って来る涼しげな風が寒くなったように感じたのは、男の気のせいだろうか?

 

「……今、何つった?」

「コーヒー」

「……って」

 

 静かに問い掛けて、先ほど聞いた答えが幻聴ではないことを確認すると、男は大声で言った。

 

「こんなのが"コーヒー"な訳ないだろうがっ!」

 

 男が指差す鍋の中には、絵の具の紫色と黒色を混ぜ合わせたかのような液体がぐつぐつと煮立っている。ジョリーはそれを覗き込みながら、火力のスイッチを切った。

 

「こんなの、ちっと(ちょっとの意味)失敗しただけだろ」

「これの何処が"ちっと"だ!?」

 

 年齢にそぐわない不貞腐(フテクサ)れた口調のジョリーに、男が攻め立てる。この結果が"ちっと"の失敗なら、大失敗した際は虹色のコーヒーにでもなるのだろうか?

 

「……で、どーすんだよ、コレ?」

 

 おれは飲みたくないぞ、とぼやく男の横で、ジョリーは「飲む」と見事に言ってのけた。

 

「は?」

 

 マジかよ、と言いたげな表情を男はつくった。

 

「自分でつくったんだから、責任持って飲むのは当然だろう?」

 

 ジョリーはそう言うと、カップに"コーヒー"とはとてもじゃないが呼べない代物(シロモノ)を注ぎ込んだ。その"コーヒー"は蒸発してしまったせいか、カップ一杯分しかなく、ジャリジャリと底に固形物が残らずに、すべてが溶け込んでいた。

 

「確かにな」

 

 恐ろしい味がするのは間違いない飲み物を見ながら、記憶喪失の金髪男が呟いた。

 

「それに、食べ物を粗末にしたらいけねぇからな」

 

 その台詞は一字一句(イチジイック)違(たが)えず、同時にジョリーと男の口から放たれた。

 

「え? お前、どうして……」

「ホラ、しぶってないで飲めよ」

 

 その事に疑問を抱いたのは、ジョリーだけだった。男は"さも当然だ"とばかりにその事実をスルーし、ジョリーに"それ"を飲むよう促(うなが)した。医者は唖然としていたが、男の言葉で元に戻ると、カップの取っ手を掴んだ。やはり抵抗があるのか、なかなか飲もうとしない。だが、ジョリーは一息ついて覚悟を決めると、"コーヒー"を自分の喉に流し込んだ。 医者には失礼を通り越して可哀想なのだが、男にとっては、それから先が面白かった。目を白黒させながら、両手で鼻と口を押さえ、ジョリーは必死になって飲み込もうとした。目を天井に向け、一歩二歩とその場で足踏みをする。その行動そのものが、ジョリーがつくったコーヒーの味の凄まじさを代弁していた。医者の喉仏がゆっくり動き出す頃には、男はたえきれなくなって笑い出していた。

 

「笑うな……ゔっ!」

 

 ようやく飲み干したジョリーだったが、敵はしぶとかった。空になったカップに水道水を入れると、ジョリーはがぶがぶ飲んだ。この辺になると、男の笑いも最高潮に達していた。

 

「笑うなっ!」

 

 口のまわりを水で濡らしたまま、ジョリーが怒鳴った。今度は吐き気がこなかった。

 

「はははっ、コーヒーでそんなんだったら、テメェ、飯(メシ)はどーしてんだよ?」

 

 そんなジョリーの頼み事を無視し、笑いをやめようともせずに、男は尋ねた。

 

「飯(メシ)なら、いつも、シルクに作ってもらってる」

 

 淡白にそう答えたジョリーに、男は笑うのをやめた……かと思うと、「ってことは、クソ医者、テメェ、シルクちゃんの手料理を食ってんのか!?」と急に男は怒りだした。

 

「おい! 誰がクソ医者だ、このクソぐる眉毛!! お前も昨夜、シルクの料理を食ったじゃねぇか!?」

「ぐ、ぐる眉毛だぁ? この青髪っ! テメェが毎食、シルクちゃんの手料理を食ってるってことがいただけねぇんだよ!」

「ンだとっ、このアホ金髪っ! 人を髪の色で呼ぶんじゃねぇよ!!」

 

 売り言葉に買い言葉。暴言を暴言で返し合う言い争いは、いつの間にか睨み合いにかわっていた。二十歳前の男と、三十路前後の医者が互いを恐ろしい表情で睨み合うこと、数秒。

 先に視線を外したのはジョリーだった。いや、それは視線を外したというより、「ゔっ……」と表情を崩したのであった。どうやら、先ほどのコーヒーが祟(タタ)ったらしい。第一、あんなコーヒーらしからぬ色のコーヒーを飲んで、何も身体に異変を起こさない方がおかしいのだ。急に顔色を変えた自分を怪訝(ケゲン)がる金髪男に「ちょっと、厠(カワヤ/意味:トイレ)に行ってくる」とだけ伝えると、ジョリーはくるりと背を向けた。

 医者がそうなった原因を思い立ったからか、よろよろ歩くジョリーを男は黙って見送っていたが、ふと思い出したように忠告した。

 

「……吐くなよ」

「誰が吐くかぁっ!!」

 

 大声で反すると共に、ジョリーは音を立てて、洗面所に通じる扉を閉めた。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

(なぁんか、調子狂うよな)

 

 手を洗いながら、ジョリーは心の内で感想を漏らした。無論、"調子が狂う"とは先ほどのコーヒーから催した体調不良ではなく、あの記憶喪失男の所業からである。

 今まで、記憶喪失の患者を見たことがないから分からないが、記憶喪失になった場合、普通、自分が何者であるか分からないから、精神不安定に陥(オチイ)って、『ここはどこ? 私は誰?』状態になり、パニックを引き起こすはずだ。

 

(なのに、あの男は……!)

 

 最初こそは慌てはしたが、後は至極落ち着いている。いや、落ち着いているを通り越して、『お前、本当に記憶喪失ってか、病人か!?』と怒鳴りたくなるほど、男は飄々(ヒョウヒョウ)としていた。おそらく、性格も記憶を失う前と変わってはいないだろう。

 

(まぁ、他人から指摘されるまで、自分が記憶喪失であることに気付かないような奴だしな)

 

 昨夜、男が目覚めた後、シルクの料理を食わせ、検査をしたが、生活上で困る記憶喪失はなかった。目覚めた瞬間に、あれだけ騒げたんだから、当然と言えば当然か。現時点であの男について分かっていることは、手に持っていた麦わら帽子と刀に異常なほどの執着を示していることと、異常なほどの女好き(本人曰(イワ)く"レディーファースト")であることだ。後はもう名前すら知らない。

 

(もし、強(シ)いて言うなら、"あの人"と似たようなことを言ったぐらいか)

 

 手洗いのついでに顔を再度洗うと、キュッと蛇口を閉めた。

 

 確かに、あの記憶喪失野郎は『食べ物を粗末にしたらいけねぇからな。』と言った。だが、『食料を粗末にするな』という言葉は、海賊にせよ、船乗りにせよ、海上で生きる者には当然の戒(イマシ)めだ。知っていても、おかしくはない。

 

(……にしても、アイツは一体何者なんだ?)

 

 タオルで手と頭を拭きながら、ジョリーは推測してみた。

 

(海賊の死骸が違う海岸から見つかったから、海賊か? 刀を持っていたから、剣士か?)

 

 だが、どちらもしっくりこない。短い金髪で、ぐる眉毛。黒いスーツに、麦わら帽子。トドメに強気で、女好き。

 

(これが海賊? これが剣士か? ははっ、……冗談じゃねぇ)

 

 昔の自分は棚に上げといて笑うと、医者は眼鏡をかけ、洗面所の扉を開いた。

 

 ジョリーがキッチンルームに戻ると、金髪男が冷蔵庫の中を覗き込んでいた。

 

「ンなに腹が減ったのかよ。俺は料理が出来ねぇんだから、シルクが来るまで待ち」

「なぁ、医者」

 

 ――やがれ、とジョリーが皆まで言うのを遮って、男が呼び掛けてきた。だぁかぁらぁ、俺の名前は"医者"じゃねぇ、と青髪の男性が意見する前に、男はこう尋ねた。

 

「料理、つくっていいか?」

 

 それが年相応の表情で(無論、ジョリーは男の年齢なんて知らないが)、真面目な眼差しで言われたのだから、医者はその視線に促されるようにして「ああ。」と頷いていた。

 

 ジョリーから許可を貰ってからの男の行動は早かった。料理に使う材料を冷蔵庫から取り出すと、腕を捲(まく)り上げ、包丁を手に持ち、調理し始めた。まるで流れるような、男の慣れた手付きに驚きつつ、ジョリーはキッチンの後ろにあるテーブルの椅子を引き、音を立てぬよう座った。こちらからは男の後ろ姿しか見えない。調理に没頭する背中を見ながら、なんだか懐かしいな、とぼんやり思った。調理するシルクの背中姿を見ても、そんな思いには駆られなかった。なのに、今、見知らぬ男の後ろ姿を見て、そう思うのは何故だろう?

 

 一瞬でも、"あの人"の影がちらついたから?

 今朝から、"あんな夢"を見たから?

 

(いやいやいや、単に疲れているだけだろ、俺)

 

 頭の中で、自分で自分に言い訳していると、皿を目の前に置かれた。皿からは湯気(ゆげ)と、メシの匂いがただよってきている。

 

「朝っぱらから、ピラフかよ」

「冷蔵庫にある材料で、手っ取り早く作れる料理はそれぐらいだからな。クソ医者のくせに文句を言うんじゃねぇよ」

 

 それだけ言うと、男はスプーンをジョリーの手に握らせた。その行動にジョリーがシーフードピラフから顔を上げると、男は顎(あご)をしゃくった。

 

――食えってか。

 

「うまいのか、これ?」

「クソうまいに決まってんだろ」

 

 ジョリーに不安染みた質問に、男は快活に答えた。

 

(根拠ねぇのに、その自信はどっから来るんだよ)

 

 先ほどのコーヒーのこともある。朝からまずいものを食べるのは、アレだけで十分だ。

だが、男は睨み付けるような視線で促(うなが)してくる。

 

(……しゃあねぇ)

 

 ジョリーは溜め息を一つだけすると、ピラフをすくったスプーンを口に含んだ。

 

「……うまい」

「だろっ!」

 

 ジョリーの感想に、男はニカッと笑った。その笑顔はシルク(女/♀)に見せるような表情ではなく、純粋な嬉しさだけがこもったものだった。

 

 だが、ジョリーは脈絡なく椅子から立ち上がると、信じられない、という表情で男を見て言った。

 

「お前、"この味"をどこで……」

「医者、おはようっ!!」

 

 ジョリーの言葉を遮るようにして、玄関の扉が開き、薄茶髪の少女が朝日を背負って現れた。

 

「ごめんね、今日は寝坊しちゃって……」

「嗚呼、おはようございます、シルクちゃん」

 

 シュタッ、と今までジョリーの目の前にいた男がシルクの前に片膝を付いた。

 

「後光を背負って現れるなんて、君はまぁるで女神様のようだっ!」

「あ。お、おはよう」

 

 昨日、"黒崖"で拾った男の存在をシルクは、どうやら、すっかり忘れていたらしい。ハイ・ハイテンションな男に驚きながらも、シルクは卓上にあった料理に視線を向けた。

 

「あれっ? コレ、貴方がつくったの?」

「ハイ! 貴女(アナタ)への愛を込めて、つくりましたーっ!!」

 

 へぇ、とシルクは感嘆を漏らしながら、変な箇所(カショ)にアクセントを付けて喋る男と、自分たちのやり取りに連(つ)いていけてない医者を素通りして、台所に置いてあったスプーンを手に持つと、ピラフを一口食べてみた。勿論、彼女の口から零(こぼ)れ出た感想は――。

 

「おいしい……!」

「シルクちゃんにそう言って貰えるなんて、俺は……、至高の幸せ者だ~っ!!」

 

 男は大袈裟すぎるほどに歓喜、いや、狂喜した。コイツの世界は、レディーを中心にして回っているに違いない。

 

「じゃあっ、今日の朝ご飯、頼んでもイイ?」

 

 シルクも男の身振りに呆れはしたが、料理の腕は認めたようだ。

 

「もっちろんでさ~♪」

 

 快諾すると、男は飛(跳/と)ぶような足取りでキッチンに歩を進めた。

 

「ほら、医者。朝ご飯の準備っ」

 

 ここでシルクは、はじめてジョリーに注意を向けた。だが、ジョリーは心、此処に在(あ)らず、というような表情をしていて、怪しく思ったシルクが「医者?」と再度呼び掛けると、「あ、ああ。そうだな。朝ご飯の準備をしねぇとな」と我に返ったように返事をした。

 

(変な医者)

 

 シルクはそう思いながらも、直(ジカ)に問い質(ただ)すことはなかった。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

「あー、おいしかった!! こんなおいしいごはんを食べたの、はじめて!」

 

 朝食終了後、記憶喪失の男がつくった朝食に少女は大満足していた。

 

「シルクちゃん、食後のレモンティーです」

 

 そんな彼女に、見事な給仕っぷりで男が静かにティーカップを手渡した。

 

「あら、ありがとう」

「おい、俺の分は?」

 

 レディー(シルク)にだけ渡されるティーを、ジョリーが腕組みをしたままで催促する。

 

「なーんで、おれが野郎に給仕しなくちゃいけねぇんだ?」

 

 ジョリーの発言に、男がオーバーリアクションで振り向いた。

 

「残りはポットにあるから、野郎は自分で入れやがれ」

「……」

 

 当然のごとく女尊男卑を行う男に、ジョリーは怒りを押さえつつ、自分のティーを入れるため、立ち上がった。

 

「でも、こんなに早く元気になるなんて、びっくりした」

「いえ、これもシルクちゃんのおかげです」

「待て、治療したのは俺だろが」

 

 背中越しに聞こえてくる会話にジョリーがツッコミを入れると。

 

「はっ。こんな傷、レディーの愛さえあれば治るんだよ」

 

 男は平然とそう返してきた。

 

(……やべぇ。殺意が止まらない)

 

 命を助ける医者とは思えぬ、物騒なことを思いながら、ジョリーはどかっと椅子に座り込んだ。一口、ティーを飲んでみる。つくった本人はむかつくが、悔しいことに、ティーは本当にうまい。

 

「そういえば、今日はどう過ごすの?」

 

 ジョリーがティーを飲む横で、シルクが男にそう尋ねた。

 

「そりゃあ、シルクちゃんとデート♪」

「たわけ」

 

 カチャリと、ジョリーがカップを受け皿に置いた。

 

「なんだぁ、クソ医者。おれとシルクちゃんとのアバンチュール(意味:恋愛ごっこと思ってほしい)を邪魔すんのかよ?」

「……お前、本当に頭沸(わ)いてんな。あのなぁ、今日はお前の刀を鍛冶屋に持ってくんだよ」

 

 テーブルに手を着いて反対側にいるジョリーを威嚇する男に、医者は出来るだけ冷静に事を伝える。

 

「鍛冶屋? なんで?」

 

 普通の剣士ならピンときそうな単語に男は首を傾げた。

 

「なんでって、なぁ……」

 

 ジョリーが両手を肩の高さまであげて説明する。

 

「いくら、お前の持っている刀が上質のヤツでも、丸一晩、海水に浸(つ)かってたんだから、鍛冶屋で手入れしてもらわねぇと駄目だろうが」

「そーなのか……?」

 

 医者の説明に男がぼんやりと反応した。

 

(おいおい。コイツ、本当に"剣士"かよ。刀に対する知識がなさすぎるぜ)

 

 腕をだらんと下げて、今度こそ、医者は呆れた。

 

「鍛冶屋か……。つまり、"ルーブル"まで行くのね。私、今日は仕事が休みなんだ。一緒についていってもイイ?」

「はいっ、モチロンです♪」

 

 ジョリーが何か言い出す前に、男はシルクの提案に承諾していた。そもそも、レディーの提案に、この金髪男が断る訳がない。

 

「でも、その格好じゃ行けねぇだろ」

「?」

 

 ジョリーの言葉に、男は自分の服装を足下から順に見やった。白いパーカーと、灰色の長ズボン姿の自分。町へ行くには、ちょっと、だらしのない格好だ。

 

「一応、流れ着いた時のお前の服をとってあるんだが、流石にもう一度着るのは無理そうでな。……けど、ちょうど、俺と背格好が同じだから、その時の服装と似たようなヤツを貸してやるよ」

 

 ジョリーの言った通り、二人の背格好はよく似通っていた。もしかすると、ジョリーの服は男にぴったりとおあつらえ向きに合うかもしれない。だが、男は嫌そうな表情を浮かべ、我が儘に近い反論をした。

 

「なんで、おれがテメェの服なんか……、」

「よし、シルク。お前の服をコイツに貸してやれ」

 

 医者の発言に、私の服!? とギョッとするシルクの隣りで、男は猛スピードで頭を下げた。

 

「医者の服、有り難く着させて戴きます」

 

口の減らない男をやっと言い負かせることが出来たことに、ジョリーはひそりとほくそ笑んだのだった。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

「おい……、医者。本当にこんな服装だったんだな?」

「ああ、そんな服装だった。なぁ、シルク?」

「うん、そんな服装だった」

 

 数分もしない内に、医者から手渡された白のワイシャツに黒のスーツを、男は身に纏っていた。

 

「ホントかよ……」

 

 似たような服装とはいえ、こんな服装で自分は倒れていたのだ。うろたえるのも無理はない。だが、記憶喪失の男がこの上なく愛するレディーのシルクが言ったのだから、信じるに限る。

 

「ついでに、"あれら"も装備してみたら、どうだ?」

 

 ジョリーの指差す先の棚の上には、昨日、男が、手の筋肉が硬直するぐらい握り締めていた麦わら帽子と刀があった。

 男はまんじりともしない表情で、まずは、麦わら帽子を手に取ったみた。普通の麦わら帽子である。しいていうなら、かなりボロい。よく見ると、"つば"の一ヵ所だけが、やけにシワが寄っていた。男が握っていた箇所だ。不思議そうに、ベタベタ触る代わりに、ジロジロと見ていた男だったが、ふと、麦わら帽子の紐が切れていることに気がついた。

 

(あ、切れてら)

 

 男は紐の端と端を結び付け、被(かぶ)ろうとしたが、その一瞬、帽子から手を放したくなった。何故かは分からない。駄目だ、と思った。

 

「どうしたの?」

「いや」

 

 なかなか被ろうとしない男にシルクが尋ねたが、男は手短に返事をすると、帽子を被った……と思いきや、紐を首に引っ掛け、帽子を背の方に回しただけだった。

 

「……って、被らねぇのかよ」

 

 ジョリーが呆れたように言う。

 

「部屋の中で帽子を被るなんて、マナーのねぇ奴がすることだぜ」

 

 被らない理由は、今は、そーゆーことにしておこう。

 男はジョリーのツッコミを軽く躱(かわ)すと、今度は白鞘の刀を手に持った。

 

「意外と重いんだな」

 

 ポツリと、男が漏らした感想に、医者は首を捻(ひね)った。はてな? と思う医者を余所(よそ)に、一回抜いて、刃を確認することなく、男は刀を差そうとした……が。

 

「どうやって、腰に差すんだ?」

「はぁ?」

 

 男の剣士とはとても思えないお間抜け発言に、とうとうジョリーは声が出た。

 

「ンなもん、ベルトのホルダーに……」

「ねぇぞ」

 

 ジョリーが男に手渡したのは、普通のベルトだ。刀をストックするためのホルダーなんぞ、ある訳がない。

 

(そういや)

 

 ジョリーは思った。

 

(コイツのベルトに、刀のホルダーはあったか?)

 

 なかったような気がする。刀を収納するためのベルトを持ってないのに、刀を持っている剣士。頭がこんがりがらそうだ。

 そうこう悩むジョリーを放っといて、シルクが提案した。

 

「じゃあ、"コレ"で刀をベルトに結んだら?」

 

 シルクは自分の髪を一つに結っていたピンクのリボンを取ると、男に手渡した。途端に、シルクの長い薄茶髪が少女の肩に掛かる。

 

「シルクちゃん、なんて君は優しいんだっ!!」

「貸すだけだから、後で返してね」

 

 素(そ)っ気(け)ないシルクの返事にも、はいぃぃっ!! と目をハートにしながら、男は承諾すると、ピンクのリボンで刀をしっかりとベルトに結び付けた。

 

(う゛っ……腰が重い)

 

 慣れない重さに顔をしかめながらも、男は医者と少女に「どうだっ?」と訊いた。

 

(どうだって言われても)

(なぁ……)

 

 シルクとジョリーは顔を見合わせて、互いに思ったことが同じであることを確認した。

 

 短い金髪で左目だけを隠していて、右目に見えるはぐるぐる眉毛。白のシャツに黒のスーツ。帽子は被らずに紐で首に掛けてあって、白鞘の刀はピンクのリボンで男のベルトに固定してある。

 

「変」

 

 どきっぱりと一文字で感想を告げた医者に、男が怒らない訳がない。

 

「"変"って、テメェがそうするよう言ったんじゃねぇかよっ!!」

「それは俺のせいか!? 第一、ンな服装をしていたのは事実じゃねぇかっ!?」

「事実もクソもあるか、こンの、クソ医者っ!!」

「ク、クソ医者だぁぁっ!? 俺の名前は"ジョリー"だ! いい加減、人の名前ぐらい覚えやがれ、この"ぐるぐる眉星人"っ!!」

「なんだとっ!! テメェこそ、人の名前を言ってねぇじゃねぇか、クソアホ青髪っ!!」

「なら、お前はクソバカ金髪だっ!! それに、お前、自分の名前すら知らねぇだろがっ!」

「う゛っ……」

 

 いつ終わるともしれぬ言い争いは、ジョリーの一言で終止符が打たれた。その台詞は、自分の名前すら覚えてない男には、決定的な一撃となっただろう。

 

「あっ、そうだ♪」

「あ?」

「ん?」

 

 今まで、傍観者を決め込んでいたシルクの明るい声に、ジョリーと男は二人揃って、少女を見た。怒りが冷めやらぬ医者と、少女にメロリン状態の記憶喪失男の、二つの視線を一身に受けながらも、笑顔を崩すことなく、シルクは言った。

 

「名前、付けてあげようよ!」

「はぁ?」

 

 突拍子のないシルクの発案に、ジョリーは間抜けな声をあげた。

 

「だから、名前よ、名前! ないと困るから、付けてあげるのよ!!」

「なぁんてグッドな名案なんだ、シルクちゃんっ!」

 

 我ながら名案♪ とばかりに、はしゃぐシルクに、ジョリーは、どうしたもんかな、と思った。記憶喪失男の発言も手伝ってか、シルクのはしゃぎっぷりは止まらない。

 

「それに、私。さっき、すっごく良い名前を思い付いたの!」

「へぇ、どんな?」

 

 無関心のような問い掛けをしながらも、この金髪ぐる眉男にどんなネーミングを付けるのか、ジョリーは気になっていた。シルクは笑顔満開にして告げた。

 

「"ムギガタナ"!」

 

 トライアングルの音が一つ、尾を引っ張るような感じで医者の頭に鳴り響いた。

 

「"麦"わら帽子と"刀"を持っていたから、"ムギガタナ"!! ねっ、すっごく良い名前でしょ!?」

 

 喜々として理由を語るシルクに、ジョリーは頭が痛くなった。

 

 "ムギガタナ"。

 ネーミングコンテストとなるものがあるとしたら、鐘が一つ、いや、一つも鳴らないような名前だ。ころころとした犬に"コロ"、ちびっこい猫に"チビ"と名付けるのと同レベルのネーミングセンスである。確かに、この男を"拾ってきた"のは事実だが、拾ってきた犬や猫に付けるような名付け方で良いのか!? と思う。ジョリーが呆れるのも当然だ。それに、ほら、記憶喪失男の握り締めた拳が震えている。

 

(女好きとはいえ、流石に呆れるよなー)

 

 お気の毒様、と言わんばかりの眼差(まなざ)しを向けていると、男が顔をあげて言った。

 

「なんて……素敵な名前なんだぁーーっ!!」

 

 男の台詞(セリフ)に、ジョリーは自分の頭を壁に本気(マジ)で打ち付けたくなった。ついでに、この男の頭も壁にぶつけたくなった。

 

「シルクちゃん、こんな素敵すぎる名前を付けてくれて、ありがとーーっ!!」

「喜んでくれて何よりだわ!」

 

 喜び合う二人に、ジョリーは完全に取り残されていた。先ほど、男の拳(こぶし)が震えていたのは、感動のためだったのだ。

 

「医者も"ムギガタナ"でイイよねっ?」

 

 目を輝かせて、同意を求めるシルクにジョリーは投げ槍で頷いた。

 

「テメェなんかにシルクちゃんのようなネーミングセンスはねぇもんな」

 

 へらへらと男はジョリーをからかう。

 

(この男の名前は、もう"色ボケ馬鹿ヤロー"に決定だ。)

 

 この男。

 ジョリーが考えた名前"色ボケ馬鹿ヤロー"でも、レディーから付けられたのなら、喜んで譲受するだろう。

 

(一瞬でも、この男に同情した俺が、シルクのネーミングセンスと男の感性に期待した俺が、馬鹿だった。)

 

 心の底から、ジョリーはそう思った。ありったけの暴言をぶちまけたい気分に襲われている医者の横では、男がシルクのネーミングセンスをべた褒めしている。

 

「"ムギガタナ"、なぁんて、エレガントでイイ響きの名前なんだぁ!!」

(むしろ、コイツに普通の名前を付ける方が勿体ないような気がするぜ。)

 

 男の発言に、ジョリーが心の中で逐一(ちくいち)ツッコミを入れてやる。

 

「シルクちゃん。君はまさしく、ネーミングの女神様だぁぁ!!」

(いや、"悪魔"の間違いだろ。)

「そして、"あの方"と同じ、最高のネーミングセンスっ!!」

(そうそう、"あの方"同様、最低のネーミングセンス……って、)

 

 ハッとして、ジョリーは男を見た。シルクも同じことを思ったのか、男を見つめている。ガラリと変わった雰囲気に「えっ?」というような表情をした男に、ジョリーとシルクは同時に言ってやった。

 

「"あの方"って、だれ?」

「……え、あ、"あの方"?」

 

 途端、男を酷い頭痛が襲った。"あいつ"と思った時と同じ痛みだ。「頭が……痛ぇ……」と呻(うめ)いたかと思うと、男はその場に崩れていた。前回と違って、掴むものがなかったせいか、その場で頭を押さえて座り込む患者(クランケ)に、シルクとジョリーは「大丈夫っ!?」「おいっ、お前っ!」と咄嗟(とっさ)に声をあげていた。それでも、男は顔を上げない。

 

「ねぇっ、大丈夫っ!?」

 

 もう一度、声を掛け、シルクは男に手を伸ばしていた。すると、男はその手を掴んだ。

 

「はいっ!」

 

 その手を掴んだまま、顔を上げた男は、目をハートにした、ジョリーの言う"色ボケ馬鹿ヤロー"だった。大丈夫だと確認すると否(いな)や、シルクは躊躇(ちゅうちょ)なく、男を蹴り飛ばしてやった。

 

「ぐえっ!」

 

 そのまま、壁に激突した男に、シルクは「心配するだけ無駄ね」と呟き、ジョリーは「そうだな」と同感の意を表した。

 

(壁に頭をぶつけたついでに、その記憶喪失同様、お前のアホな性格も吹っ飛んじまえ。)

 

 いてて……、と頭痛とは違う痛みに頭を押さえる男に、ジョリーはそんな非情なことを思っていた。

 

「さて、ショウゲキ(衝撃/笑劇)も終わったし、"ルーブル"に行きましょうか」

 

 キュロットスカートを翻(ひるがえ)しながら、玄関の扉を全開にするシルクに、今、思い付いた、とでも言うように、記憶喪失の男は、いや、"ムギガタナ"は座り込んだままで尋ねた。

 

「そういえば、この島の名前はなんて言うんだい?」

 

 玄関から、日光がさっと差し込み、少女の体の輪郭をきらきら光らせる。

 

「ここの名前?」

 

 立つジョリーの隣りに座り込みながら、シルクの問い掛けにムギガタナは頷いた。

 

「ここの名前はね……」

 

 シルクは言葉を続けた。

 

「"シロツメ島"の"プラド"よ!」

 

 シルクはあの満開の笑顔でそう言ったのだった。

 

 

 

つづき




※お気付きの方もいらっしゃると思うが、大抵の地名は美術関係から引用している。

■深緑の島“フォリー・ベルジェール”
画家ルノワールの絵画『フォリー・ベルジェールのバー』より。

■セント・ヴィクトワール山
画家セザンヌが好んで描いた山。

■エディンバラ
イギリスの都市名。美術館や城などがある。

■プラド
スペインのプラド美術館より。



→ちなみに、ナミたちがいる島とサンジが流れ着いた島は別の島である。
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