ある日を境に、グルー一家は工房の居候となった。
なんでも、便利屋からアクセサリー職人に転職するのだと言う。
師匠としてシードに弟子入りをし、手先が器用だった相棒は中々に綺麗な作品を作る。
半人前程度になるまできっちりみっちり叩き込むつもりで居候を強制していた。
これを機にシードも正式に店名を考える気になったようで、銘を入れる代わりにロゴを考えているのだとか。
師匠を家主に、その養子と弟子と三人姉妹。
うち悪魔一匹、半魔一人、人間四人。
デコボコすぎる六人組の短い共同生活が始まったのである。
現在午後二時過ぎ。
俺はグルーと三人姉妹が材料の買い出しに行っている間、最近すっかり武器を作らなくなったシードと書斎で寛いでいた。
La Divina Commedia.
神曲。
最初にその本を手に取った時、シードが口にした言葉である。
重々しい皮の表紙が禍々しい。
タイトルはイタリアの詩人による代表作であるはずなのに、つけているカバーに不思議なほど嫌悪感を覚える。
悪趣味、と言うべきなのだろうか。
「
「
いや確かに見ての通りなのだけれど。
このおじさんが悪趣味だと言うことは一緒に住み始めてから嫌という程学んだが、今日の私物は特に酷い。
先日のグルー一家、シード家に居候事件から随分座りが悪いのか、そう言ったものを取り出してくることが増えた。
今まで奥底にしまっていたものを何故わざわざ取り出してきているのか。
「そのハードカバー、やけに気味悪い」
「ああ、お前にも半分血が流れている同族の皮だ。確か背中のあたりだったかな」
「悪魔の皮かよ!通りで極彩色な訳だ!」
カラカラと笑った彼が言うには、人間の皮や悪魔の皮で作られた本など昔は珍しくもなかったのだと言う。
今でこそめっきり見なくなったのは、悪魔の皮で作られたものは殆どが読めるはずもない魔界の言葉で書かれたもので、マニアなどに買われて行方知れずとなり、人間の皮の物は知らず知らずのうちに消えていたらしい。
ここに仕舞ってある蔵書にもそのようなものはいくつかあるのだとか。
「この皮はちょっと前に俺が作ったものだから、中身もそれほど古くない。四百年から六百年前ぐらいだったかな?」
「四百年以上前でちょっと前ね。それ、初版本じゃないか」
「ああ。神を悪魔で冒涜するのってなんとなく愉悦感があるだろ」
「やる事が小物くさいぜ」
「ちょっとしたお遊びさ」
ヘルブライトは骨ばってて皮が剥ぎ取り辛いんだ、なんてどうでもいい豆知識を口にしながら本を閉じた。
病院で起こったジェシカの一件について事の顛末を聞き、叔父と慕ってきた人の昔の恋話を聞かされてから早二週間。
あれ以来シードは自らの意思で工房に入っていない。
別の場所に小さく用意したグルー用の作業部屋があり、その隣に服飾デザイン用の広間を作ったようだ。
暇があればそこに篭って何やらごそごそと弄り倒している。
急に大きな物音がしたと思ったら三姉妹にドレスを作ってやったりと、どう見ても遊んでいるようにしか見えないのだが本人はいたって真剣に何かを作っている様子だった。
シードが何を作ろうと本人の勝手だが、彼が作業に入ってしまった事で俺のコートが全く進んでいない。
というか手すらつけていない様子だった。
おじさんの戦闘服だという黒いコートを支給され、それっきりだ。
「なあ、俺のイカしたコートはいつ出来上がるんだよ」
「今作ってるものができたら手をつける」
「そう言って五日も経つぜ。あんたらしくないぐらい時間がかかってるじゃないか」
「ちょっとな」
曖昧な返答をし、本を置いた。
思案するように俺の顔を見て懐かしそうに目を細める。
ああ、前からあったけど最近は特にこの仕草が増えたな。
家主は廊下へと出て行く。
あの様子だとまた作業部屋にこもるのだろう。
この二週間、人間らしい食事しかしていない。
夜にこっそり出て行って輸血パックと生きた悪魔の踊り食いパーティーをした様子もない。
そうまでして一体何を作っているのだろうか。
興味が湧いたら居ても立っても居られなくなった。
二階に新しく出来た部屋にはまだ一度も立ち入っていない。
拡張したグルー一家のスペース全てをふんだんに使った作業部屋とは如何程のものなのか。
別に立ち入り禁止と言われた訳でもない。
軽い気持ちで作業部屋へと足を進めた。
他の部屋と違うところは両開きの扉という事だけだろう。
デザインの変わらない質素な扉を一応ノックしてから薄く隙間を開ける。
カコンッと軽い物に当たる音を聞き、音のする下方を見ると籠が置かれていた。
中には一応形になっているいくつものコートやズボン、なぜか下着類もある。
生地は人間界のものやシードの言う魔界のものが入り混じり、仮縫いされただけの失敗作のようだ。
更に押し開けて中を見ると、およそ失敗作とは思えない完成品でさえも床に転がされていた。
まだ裁断されていない布は綺麗にまとめられているのに、気に食わないものは皆床の上。
たった一体のマネキンだけが置かれ、シードはその前に座って静かに新しく作ったのであろうコートを着せている。
白、黒、緑、黄色、橙、兎に角有るだけの布を集めて片っ端から形にしてしまっていた。
傍に立てかけられたイーゼルに一応の形はあっても、色は塗られていない。
色だけがどうしても決められないのか。
「それ、プレゼントか?レディにしちゃあ随分と逞しそうだ」
「ああ。頭飛び越して下着から足先までコーディネートするつもりでな。だがどうしてもコートだけがなぁ…」
「ブーツも手作りかよ」
いやに手先が器用な悪魔だ。
壊すことが専門な悪魔の常識を覆すほど、作ることに関して一級品。
今作っている服だってどうせプレゼント用だろうが、売ればかなりの金額になること間違いなしだ。
にしてもゴツイな、このマネキン。
「コートの色が決まらない?」
「絶対に似合う色地は知ってる。きっとそれが一番似合う」
「じゃあそれでいいじゃねぇか」
「俺の予想通りにその子が成長していれば、の話なのがネックだ」
手に取ったのは透き通るような青色。
元々曇天のような雰囲気の衣服の上に被せると覚めるような、それでいて均等になるような。
まさにこの色のコートを合わせるためだけに全てを作り上げたのではないかと思うほど似合う。
これのどこが駄目なのか。
「神経質でキレ癖があって生真面目で疑り深い、そんな子に育っているような気がする。だから青を選んだ…だが…」
「それだけ聞くと大分危ねぇ奴じゃねぇか」
「どこでどう転ぶか分からないのが人間のいいところであり悪いところだからなぁ」
きっとどんな性格でも一式身につけて仕舞えば様になるだろう。
しかし、シードのこだわりは似合う似合わないではない。
その者を表し、かつ予め用意された服を作る理由や目的を果たせるか。
これら全てが達成されない限り、シードにとっての完成とは言えない。
「容姿とかも変わってるんじゃねぇの」
「身体的にどう成長してるかはありありとわかる。そこは抜かりない」
チラリと俺の方を見た。
なんだよ。
俺の顔に何かついてるのか。
「まだそこまで差のつく年齢じゃないだろうしな…」
やっぱり青かなあ…。
ブツブツと独り言を言いながら布地をそっと小さな人形の少女に渡した。
イーゼルの位置で気がつかなかったが、黒い髪に赤い瞳をした美しい少女の人形が質素な椅子に座っている。
じーっと見ていると、不意に少女の首がこちらを向いた。
「なに、私がそんなに珍しいかしら」
「お喋りする人形なんていつ作ったんだ?」
「失礼ね。私の服を脱がせたこともあるくせに」
「はぁ?」
「ああ、彼女はマリーだよ。ブラッディマリー」
思わず冷たい大きな瞳を向ける少女を見た。
人ならざる者特有の現実味のない容貌が彼女は悪魔なのだと告げている。
たしか血が力となる悪魔の中でも特に血に固執する吸血種だったか。
シードのように血か魔力が無ければ生きることすらままならないと言う。
フリルがふんだんに遇らわれた黒いゴシック様式のドレスから覗く白い首筋に、ブラッディマリーの刀身に掘られている紋様が薄く浮かんでいる。
名を奪って服従させ、魔具にした悪魔にしては嫌に大人しい。
「魔具が悪魔に戻らないように封印してるんじゃなかったか?」
「マリーは別なのさ。彼女は外への出入りも工房の改装も自由にできる権限を与えてる。滅多に行使しないみたいだけど」
「面倒くさいもの。動くのも、魔力を使うのも。私が不在の間に名前も返さずにこのクズに死なれても困るわ」
魔具として肉体ごと武器に縛り付けられたことで、血を欲する必要もなくなったとか。
シードを詰ることしかやることが無いらしい。
「名前を返して頂戴って言ってもどうせ素直には返さないし。喜んで私の足元に跪くような男だし。ひねくれ過ぎていて反吐がでるわ」
「魔具の時はそれなりにやる気なくせに本来の姿になるとズボラで数倍辛辣になるんだ。可愛いハニーだろ?」
「アンタが少女趣味でドMなのはよく分かった」
少し顔をしかめたシードが早口に訂正を求めてくる。
「この見た目なのは彼女自身の姿がこうだからだよ。吸血種は身体的な年齢経過をしない悪魔なんだ。それと、俺の好みはエヴァみたいに優しくてグラマラスなレディだ!」
「死になさい」
「オグゥッ!し、心臓を素手で掴まないでくれよマリー。へこんだらどうしてくれるんだ」
「丁度いいわ。樹木風情が血液の真似事なんておこがましいと思っていたの」
「ゴッフッ…マジで、潰れ、てるよ!」
なんだこのグロテスクな夫婦寸劇は。
背中から雪のように白い腕で骨を砕かれ、心臓を鷲掴みにされているらしい。
聞きたくも無い粘着質な音が何度かしたと思ったら、不意に腕が引き抜かれた。
血が溢れ出るでもなく、大穴から破壊された内臓が見える。
自分の母親が好きな叔父の言葉など聞きたくもなかった。
「シードも私も、理想の姿形で血や魂の美しさに価値を求めるの。私達みたいな人間に友好的な吸血種はいないのよ。人間は醜いもの」
「友好的?」
「マリーは元々人間社会に紛れて生きている吸血種さ。魔界と人間界が隔たれる前から
確かに、悪魔特有の匂いがしない。
人間を殺している悪魔ほど酷く匂うものなのだが、マリーにはその手の気配が一切ない。
塵芥のような雑魚以外、悪魔が人間界に来ることなどできようはずもないこのご時世で、マリーほどの力を持った悪魔がこちら側に実体としているということはそういうことだ。
スパーダに見逃され、人間と共に共存することを選んだ吸血種。
「ん?じゃあなんで魔具になったんだ?無理矢理名を奪われたんだろ?」
「この屑は生き物の愛し方を知らないのよ。愛する為に、側に置く為に、殺して魔具にするか標本にするかしか、やり方を知らないの。可哀想な子よね。これで何千歳なんだから手に負えないわ」
シードが手記に書き込んでいた"狂気の愛と罵られた悲しき重み"という一文を思い出す。
自分の愛し方は人のソレと大きくかけ離れ、悪魔の誘惑にしては醜悪で無様で可哀想だと愛する吸血種に言われたらしい。
恐らくマリーに言われたのだろうが、確かに異常だ。
悪魔自身が誰かに服従する事で自ら魔具になることもあれば、気まぐれに魔具として流れることもある。
悪魔の本当の名前を無理矢理奪って従わせる手法はそもそも無理難題だ。
それだけシードの種族が特殊で特別なのである。
食った悪魔や人間を再利用なんて神ですら出来ない芸当をやってのけているのだ。
「今この服を作るのに一人じゃ面倒なことが多いから、手伝ってもらっているのさ。まあ、見ての通り"ほんの少し"だがな」
「"この椅子から一歩も動かない"なら手伝ってあげるわ。
「
恭しく傅いてその小さな手に口付ける。
白百合のような少女は血に濡れた手で白い髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜ、赤黒く染まった頭を突き返した。
その頭のまま再び違う色の布を小さなナイフで素早く綺麗に切り抜いていく姿を横目に見る。
あの食えないシードおじさんが完全に尻に敷かれている。
閻魔刀の妹分であるブラッディマリーをいつもハニーだとか恋人だとか呼んでいるが、もしかして本気でそう呼んでいたのだろうか。
「なあ、マリー」
「なあに」
「シードってアンタとそういう関係なのか?」
「いいえ全く」
バッサリと彼女は否定を示した。
後ろでズルッと何かを踏んでズッコケタ可哀想な音がする。
ああ、あっちは本気のつもりでもこっちが冗談だと受け止めてたのか。
通りで真実味が薄かったわけだ。
「ちょ、ちょっとマリー!」
「私は武器。貴方は樹。どこに恋愛に発展する要素があるのかしら」
「どっちも悪魔だろう!?種族をすっ飛ばして属性を持ち出さないでくれよ!君の元へ通いつめてやっと思いが通じた頃があったじゃないか!」
「お生憎様。自分を殺して縛り付けてくる男に死んでからも恋するほど馬鹿じゃないの」
「先に純粋無垢だった俺を汚したのは君だった!」
「エヴァをスパーダに盗られて落ち込んでいた貴方は可愛らしかったのよ。今は全く、可愛くも愛しくもないわ。寧ろくたばりなさい。今すぐに」
ぎゃーぎゃー!と言い合う二人の間に挟まれ、肩をすぼめる。
どうやら地雷だったらしい。
悪魔同士のしょうもない色恋の喧嘩なんて殺しを生業にする奴らですら吐きそうだ。
マリーのことになるとどうにもシードは子供っぽい。
「もう!マリーのば…ば…うーん…嫌いじゃないけど!好きだけど!ちょっとコーヒー飲んで落ち着いてくる!」
「コーヒーより紅茶の方が落ち着くわよ」
「じゃあ紅茶飲んできますっ!!」
そう吐き捨てながらバタンッ!と扉を閉めて作業部屋から出て行った。
泣く子も黙る裏路地で美しい太陽と笑い声しか知らないようないい子ちゃんのような罵りを聞くことになるとは思わなかった。
いつものシードなら皮肉のこもったジョークの一つでも飛ばしそうなのに。
「あんなシード見たことねぇ」
「可愛いでしょう。私の前だと罵声の一つも出てこなくなってしまうの。好きな人に嫌われないよう、どう接したらいいか分からないんだって。だからいじりたくなるのだけど。本当、可愛くて可愛くてもっと泣かせたくなるわ」
「うっわ」
「悪魔にしては可愛いイタズラでしょう?」
無表情だった先程とは打って変わって惚けるような笑顔を俺に見せてくる。
あと数年大人の姿であればいい女だろうな、と頭の片隅で思いながらも惚れた女がドSなおじさんに同情する。
しかし随分と人間味が溢れる吸血鬼だ。
こちら側の住人というのは本当のことなのだろう。
「あの子はね、素直な感情に弱いの。捻くれてるから。試しに"ありがとう、愛しています"とでも言ってみなさい。顔を真っ赤にして固まるから」
「そりゃあいいこと聞いた」
あまりにもチープで単純なセリフに背中がむず痒い。
お天道様の下で生きてきた表の人間ならまだしも、裏社会の連中ならあまりの似合わなさに自分の腹に銃を突きつけそうだ。
しかしシードのからかい方は貴重だ。
今度やってみよう。
鈴が鳴るような笑い声と共に、マリーがゆっくりと周囲に落ちた布を隅へと避ける。
スペースを作り終えたと思えば簡易の小さなテーブルの上にティーセットを呼び出した。
「暇だし、お喋りしましょうよ。あの子が戻ってくるまで少し昔話でもしてあげるわ」
ぽんぽん、と布に埋もれていたソファーを目の前に呼び出し、座るように促してきた。
上に積まれていた布はどこか別の机の上に積み直したようだ。
言われるがままに座ると、目の前にトマトジュースが差し出された。
こんなシミのつきそうな場所に出す飲み物かよ。
飲むけど。
「どんな話が聞きたい?」
「シードの弱みになりそうな話」
「そうね…エヴァとスパーダがあの子に"心"を教えていた頃、とか」
「心を教える?」
「そう。貴方達が生まれるほんの数年前まであの子はなぁんの感情も知らない小さな子供だったの」
心と言う名の感情を知らない悪魔。
話は、その悪魔がある人間に恋をするところから始まる。