小洒落たカフェのテラス席でコーヒーを片手に本を読む。
今日ついたばかりの街でたまたま見かけたカフェだが、中々に過ごしやすい環境だ。
側に座る一組みの女性客がこちらを見てきゃあきゃあと騒ぐのを横目に、活字に視線を落とす。
人間界では目立つ、三色のカラフルな頭髪が風に煽られ、少し舞い上がった。
一瞬視線がそれた瞬間、すぐ側に立つ男が目の前に空いた席に着いた。
確認もなく相席とはマナーのなっていない奴だ。
いや、昔からだったかな。
「やあ。スパーダ。この街に君がいるなんて知らなかったよ」
「こんにちは。シード。君こそ、いつこの街に来たんだい?」
「今日だよ。少し見て回っていたところさ」
自分の縄張りに悪魔が入り込めば分かる癖に、わざわざ確認するように問いかけてきたキザな男を見る。
数百年前にバッタリと会ったきり、長らく会わなかった悪魔がにこやかに笑っていた。
目立つ白い髪を撫で付け、人間に扮した彼は同じようにコーヒーを注文している。
「知り合いの美少女にフラれたのかい?」
「フラれてないよ。それは心を知らない俺への嫌味かい」
「おや、まだ学習出来ていないのか。相変わらず気難しい子だ」
「所詮記憶なんだ。理解するとなると俺自身が納得する答えがないと」
パタンッ。
活字から目を離し、人が行き交う往来に目を向ける。
笑う、喜ぶ、泣く、悲しむ。
一つの事象が生じ、対になる何かが現れる。
それだけが感情ならば俺でも理解できただろう。
しかし、人間の感情という存在は複雑怪奇で二度と解けない糸のように絡み合う。
表情を分析しただけでは人間の感情は読み取れず、声のトーンや細かな動作にも注意を払うべきだと学んだ。
千年と何百年かけて学習できたのがそれだけなのだ。
自らがおざなりに状況判断をして模倣できても、理解には及ばない。
人間には本能で存在しているから、そも感情を理解する必要すら無いのだろうけど。
「いくら分析しても、答えが見えない」
「人間が理論的に考察した心理学に基づいた考え方はどうだろう」
「もちろん試したさ。ただ、あれは自分たちの本能に理論を付け足しているだけだ。所詮後付け。本質を射抜くほどじゃない」
人間にはごく一般に広がる感情の成り立ちを理解できない部類もいるらしい。
それは俺と近しい存在なのではないかと調べたが、残念な結果に終わっただけ。
理解できないだけで存在しない訳ではない彼らに理論を問うても無駄なことだ。
あれもダメ、これもダメ、それもダメ。
何を手に取っても理解できない心に、俺はもう一種の諦めを抱いていた。
それでもやはり、どうしても手に入れたいと思うのは憧れが少なからずあるからだろうか。
「私はそんなに難しく考えなくてもいいと思うけどなぁ」
「人間に溶け込む以上、異質な存在と排除されないために必要条件だ。出来るだけ完璧に近い形であるに越したことはない」
算段もなしに大口を開けて笑ってみたい。
可動域以上に開いて、諦めてしまった。
しょうもないことをまるで大きなことのように語りながら泣いてみたい。
人の形をしているこの肉体に涙腺なんて機能があるのか疑問だが、やってみたいと思ってしまうのだ。
それだけ人という存在の慟哭は目を見張るものがある。
「うーん…君自身が知らないものを体験してみるってのはどう?」
「ほう、したことのないこと。こっちは新しいものをすぐ作るからなぁ。人間の新しい娯楽でも?」
「いいや。古典的かつどこにでも発生する自然現象さ。刹那でありながら永久に感じることもある。感情の一種なんだけれど、多分理解しやすいと思うよ。理論なんて存在しない物だからね」
「興味深い話だ。どんなものだ?」
「恋さ」
「ウェッホッ!!ゲホッ!!」
口につけていたティーカップを離し、盛大にむせた。
少し離れた席で、美形が二人並んでいると騒いでいた女性客二人組がこちらを見る。
スパーダが軽く手を振ると、軽く黄色い声をあげた二人組はコソコソと何かを話し出した。
くっそこの天然タラシめが…とんでも無いことを言いやがって。
おっかしいなぁ、擬態が溶けて耳が腐ってしまったのだろうか。
不可解な単語が聞こえた気がする。
「もう一回言ってもらえる?」
「恋をしよう、と言ったね」
「スパーダ…君の頭にはヘルバイダーでも湧いているのかい?」
「へるばいだー?」
「その辺の塵から生まれる雑魚の悪魔種だよ。昔っから君は悪魔の名前を覚えようとしないね。昔の主人しか覚えてないじゃないか」
「覚えても意味がないからつい。それに、シードの名前だって覚えてるよ」
「そりゃどうも。って話が逸れた。俺に恋をしろだって?」
正確には提案系の"しよう"だったがこの際どうでもいい問題だ。
何故俺が、悪魔のこの俺が恋などしなければならないのだ。
悪魔は放っておけば勝手に増えていくし、何だかんだ悪魔というブランドに関して高潔な誇りを持っている節がある。
人間のような劣等種、下等種族とは程度が違うのだ。
ここは人間界。
スパーダに恋をするなんて死んでも嫌だから、必然的にその感情の矛先は人間になる。
二千年前から知り合いである、吸血種の少女ならワンチャンあるか?
いや、彼女は確かに大切な存在だけれど彼女が俺をそういう目で見てくれるはずもない。
生意気な子供だっていっつもバカにしてくる。
「ちなみに私は気になっている子がいてね?」
「またお遊びか」
「違うよ。今回は本気。子供が欲しいとさえ思っているよ」
「君が子供?馬鹿げてる!」
君は悪魔だぜ!
グッと言葉を飲み込んで言外にそう伝える。
しかし、魔界最強の魔剣士はニコニコと笑うだけでそれがどうしたとでも言いたげだ。
その辺の雑魚が人間に恋をして子供をもうけ、半魔が生まれた話なんかは聞いたことがある。
人間界と魔界が分け隔てられる前は珍しくはあれど、なくは無い話だった。
けれど、スパーダはそれらとは訳が違う。
彼の存在そのものが今の人間界の要でありながら、彼自身が特定の誰かを愛すことは大きなリスクになるはずだ。
自分の弱みを進んで作るなんて馬鹿のすることだ。
「ムンドゥス様はまだ俺達を諦めてな…いっ!?」
「違うだろう?ムンドゥス、だ。様をつけるなら私にだろう。また名前を縛られたいのかい?」
「わ、悪かったって。今の主人は君だってちゃんと理解してるさ」
机の下で足を踏まれ、顔を歪める。
今のは俺の失態だ。
乗り換えたのに未練がましい発言は控えるべきだった。
悪魔は独占欲が強いから。
スパーダは比較的、温厚で優しい部類だ。
名前を一度奪って躾けられた時は流石に思い出したくないが、従順に従っていれば大抵のことは許される。
「とにかく。俺は反対だ。その女が弱みになるし、生まれてきた子供は半魔だ。ほとんど記録の無い訳の分からない存在だ」
「今は君が恋をするかしないかの話だろう?私のことはいいから自分のことを悩みなさい」
「俺の感情云々よりも君の恋愛の方が大問題なんだよ」
恨めしそうに低く唸る。
本人が一番真剣に考えていないのが問題だ。
君が後何年生きられるかすら分からないのに子供だって?
ずっとふらふらしてないでいい加減腰を落ち着けろとは思っていたけれど人間でいう結婚をしろとは言ってないだろう。
冗談じゃない!
「まあまあ。実はその女性とそこで待ち合わせをしていてね?君に恋愛の何たるかを教えてあげようじゃ無いか」
「いらない!そんな講義いらない!大きな失敗でもしてこっぴどくフラれてしまえ!」
上品に笑い、席を立って少し離れた場所に行ってしまった。
約束の時間までの暇つぶしにしては悪質な男がいたものだ。
今回の件について俺は口出しするなって警告だったのか?
それともただの話の流れ?
スパーダの考えはよく分からん。
追加でブラックコーヒーを頼み、諦めて再び本を読むこと数分。
スパーダの元に金髪碧眼の美しい女性が座った。
優しそうな微笑みを浮かべる彼女に不規則に胸が高鳴る。
なんだこれは。
動悸、息切れ、精神の興奮作用?
精神異常の類か?
何かしらの魔術を使用できる人種か?
これは知らない感覚だ。
惚けるような笑みを浮かべた彼女はスパーダの一つ一つの言葉に小さく頷き、微笑む。
優しいけれど、どこか強い意志も感じる瞳だ。
なんだろう、あの煌めくような虹彩は。
全てにおいて疑問符の浮かぶ不思議な女性だった。
短い会話の後、何処かへと連れ立っていくのか二人が立ち上がる。
女性が見ていないうちにスパーダがこちらへウィンクを飛ばしてきた。
"後で君の工房へ行くよ"という合図だろう。
肉体を苛むよく分からない感情の連鎖にただ二人を見送るしかなかった。
「チャーミングで素敵な子だったろう?」
「…ああ」
「でも結構頑固者でさ。やりたいことは絶対やらないと気が済まないんだ!そんなところも可愛いんだけどね」
「…ああ」
「ねぇ?聞いてる?」
「…ああ」
「クーリーフォートー?」
「…なんだ。その名で呼ぶな。ちゃんと返事しているだろう」
閻魔刀を使ってやってきた親友はリビングから大声を上げる。
キッチンでコーヒーを入れ、持って行ってやるとぶすくれたように頬を膨らませていた。
お前がやっても可愛く無いぜ。
「相槌と返事は違うよ。君が上の空なのがいけないんじゃないか」
「はいはい。ほら、ホットコーヒー」
「…これ冷めてるよ?」
「あー…アイスコーヒーだったかも」
ふーんと納得行かなそうにマグカップを受け取り、一口。
しかしすぐに口を離し、眉間にしわを寄せた。
「しょっぱい」
「ああ?…ほんとだ」
「本当にどうしたのさ。私の子供問題、まだ引きずってたりとか」
「そこはまあ、君の好きにすればいいと思ってるさ。俺じゃ止められないし」
「じゃあ本当にどうしたの」
受け取ったマグカップの中身をシンクに流し込み、コーヒーを淹れ直す。
俺だってなんでこんなにボーッとしているのか分からない。
何か気がかりなことでもあるのか。
ふとちらつくのがあのスパーダと話していた女性の顔ばかりで、全然分からない。
「…君が会っていた女性は、なにか魔術を使用できたりしないか」
「魔術ぅ?彼女は普通の人間だよ」
「…そうか。そうだな」
確かに魔力の気配は感じなかった。
スパーダが何も言わないなら悪魔でもない普通の人間だろうし。
じゃあこの身体症状はなんだ。
「彼女を見ると動悸息切れ不自然な興奮作用が確認できた。これはなんだ」
「ん?ごめんもう一回言ってくれる?」
「君と待ち合わせをしていた女性を一目見たら不思議なことに具合が悪くなった」
「わざわざ噛み砕く必要はなかったんだけど…うわぁ…テンプレートってあるんだぁ…」
まあ自分がまいた種だし、文句は言えないけどさ。
諦めたように言われた言葉に首をかしげる。
おい、お前が何故知ったような口を聞いている。
俺のこの症状の解決方法を知っているような態度なのだ。
「君が原因か」
「いやいや。君自身の問題だよ。君は彼女に一目惚れしたのさ」
ひ、と、め、ぼ、れ。
ひとめぼれ。
ヒトメボレ。
一目ぼれ。
一目惚れ!?
「俺が!人間に!一目惚れ!?デタラメなことを言うんじゃない!俺は樹だぞ!しかも魔界の魔樹だ!」
「樹も恋ぐらいするんだって証明できたね」
「そんな証明なんの役にも立たん!」
「でもそれはまさに恋の病ってやつだよ。感情的と言える君の姿が正しくそうだ」
ぐっぬぬ。
言い返せない自分の言動の数々に押し黙る。
この感情の答えを認めない、認められないのはそれが正しいと冷静な判断が降っているからだ。
残念なことにスパーダの言う恋愛とやらの感情を俺は獲得してしまったらしい。
「不名誉だ!こんな不可思議な感情など欲しくない!」
「まあまあ、そう言わずに。まずはエヴァとお話しすることから始めようか」
「変に気を回すな!」
楽しげに肩に腕を回してくるスパーダの腕を振り払った。
ーーカタンッ。
ティーカップの置かれる音に、ダンテは顔を上げた。
話をしていたマリーが笑いながら作業部屋の扉を見たのだ。
話し相手の若造に、彼女は上品に笑いかける。
「あまりに恥ずかしい話をされるから、思わず逃げちゃったみたい」
「誰が?」
「シードよ。あの子、この領域から出て行ったわ」
冷めてアイスティーになった紅茶をティーカップに注ぎ、マリーは微笑むだけ。
追いかけようともしない。
シード一人で雑魚や人間に負けるとは微塵も思っていないけれど、大丈夫なのだろうか。
ダンテはそっと扉の方を見る。
「どうせニール・ゴールドスタインのところよ」
「婆さんのところ?なんでだよ」
「あら。知らないの?ニール・ゴールドスタインとは彼女が二十歳の頃から知り合いなの」
「聞いてねぇよ」
どっちからも聞いてねぇし。
ボヤいたところで二人が教えてくれるはずもないだろうが。
それよりも意外な話を聞いた。
数年前のシードは随分と若い思考をしていた。
ここ数年で考えを変えたとしか思えないほどに。
「俺達が生まれて、考えが変わったってことか」
「認識を改めたのよ。シードは論理的に思考に基づき、感情を優先する歪な存在なの。人間が最近開発してるスーパーコンピューターってやつね。あれが感情を擬似的に手に入れて、自立していると考えて差し支えないわ」
「悪魔がコンピューターかよ」
今まで食い潰してきた膨大な人間の記憶を保有した血に染まったコンピューター。
その説明は言い得て妙だ。
もっとも人間に近く、もっとも悪魔に遠い思考を持つ樹を形容するにはあまりにも矛盾している。
樹が与えられた役割以外を自立的に行なっていること自体が摩訶不思議だ。
「あいつの弱点ってのは感情か」
「そうね。特に親愛に対するものはとても弱い。過剰に反応するからいじっていて面白いわ」
「本当に悪趣味だな」
「悪魔ですもの」
血のような真紅の瞳を細め、優雅に笑うマリーが席を立った。
散らばった布を拾い集め、適当な箱に放り投げる。
「今頃、ニール・ゴールドスタインにご飯でも作らされてるんじゃないかしら」
ありそう。
あの婆さん、肝が座ってるからなぁ。
外の無い窓に浮かび上がる、偽物の街並みを眺めた。
「
「
「んな無茶な。秒ではできねぇって」
出されたベーコンエッグの卵にフォークを突き立てながら、ニールは眉間にしわを寄せた。
突然やってきた昔からの知り合いがいきなり寝ぐらに帰り辛いと言い出し、今夜は泊めてくれと頼みこんできた。
この掃き溜めの街で若い頃からの顔なじみを追い出せるほどニールは薄情では無い。
仕方なく招き入れ、掃除洗濯料理をさせているのである。
一人暮らしが長いせいかシードの手際はよく、店内は見違えるほど綺麗になった。
溜まっていた洗濯物も片付いてしまった。
それが無性にイラついた。
こちとら一児の母やってたんだぞ。
なんでアンタの方が家事できるの。
「トニーに飯作ってやらなくていいのかい」
「大丈夫だ。ジェシカ達がもうすぐ帰ってくるしな」
「ああ…グルーの一家と住み始めたんだってね。偏屈なジジイのアンタが弟子をとったってんでそれなりに話題になってたよ」
「偏屈で悪かったなぁ」
自分の分のベーコンエッグを上品にもナイフで切りながら、スコーンをかじる。
うちにスコーンなんてなかったのに、どこから買ってきたんだか。
不審な目でみると、ここから見えるキッチンのオーブンをシードが指差した。
まさかこれアンタが焼いたのか。
「ウチは手料理で健やかに育ててる」
「ここまでこだわることないだろうに」
「
なにもかもがシードの手作り。
それがあの工房だ。
彼は材料には寛容だが、完成品にはすこぶるうるさい。
既製品に対する圧倒的信頼感のなさが原因だと本人は言うが、果たしてどうだか。
自分の周りに自分以外の存在がいることを異常なほど恐れていただけだと、私は思っている。
そんな彼が、ある日突然自分と違う存在を受け入れた。
私がどれだけ驚いたか、彼は知らないだろうけど。
更に大所帯になった彼のねぐらは大変なことになっているだろう。
「で、いつになったら本題に入るんだい?」
私の問いにシードが目を伏せた。
泊めてほしいという要件は建前で、実際のところ他にも何か話しがある。
でなければ彼はわざわざここへは来ない。
隠れて眠る場所などいくらでもある。
今は夕焼けだが、最悪一晩中起きてゴロツキが散り始めた日の出に帰ればいい。
「…あー些細な悩みなんだ」
「面倒臭いから早めに言いなさい」
緩やかに暖かいスコーンを千切って口にいれ、話を待つ。
何か思い悩むように視線を巡らせ、意を決したように音を発した。
本当に些細なことを。
「俺、ガンスミスの才能、あるかも」