「
緩く頷くエヴァの瞳は何かの心当たりでもあるのか、さほど不安には揺れていない。
対する俺は幼い双子と妻のエヴァにべったりだったあのスパーダがいきなり失踪する珍事件に首を傾げざるを得なかった。
奴は一体何を考えているのだろうか。
魔界と人間界を分断したとはいえ、悪魔達は虎視眈々と人間界を狙っている。
スパーダに恨みを持つ、特にムンドゥスなんかは真っ先にここを狙ってくるだろう。
それなのに既に三日も開けていると言う。
俺が少し遠くまで鉱石を買い付けに行っている間に何をしているんだか。
「帰ってくる見込みはあるのかい」
「…多分、もう帰ってはこないでしょう」
エヴァは確信に満ちた声色だ。
"あの"スパーダが…。
今一つ納得できないことが多々あるが、エヴァの言葉にケチをつけるつもりはない。
悪魔とは本来残忍なもので、スパーダがかなりおかしい奴なのだ。
俺の想像より遥かに外れていても不思議ではない。
「これからどうするんだ」
「ここに居続けるわ。子供達にとっての帰る場所はここですもの」
「世界一安全な場所から世界一危険な場所に変わっちまったんだぜ?」
「どこに行っても同じことよ」
揺るぎない気持ちに立ち入る隙はない。
彼女がそう言うのなら、俺はもうこれ以上何も言えなかった。
死ぬんだろうな、と。
どこか諦めたような目でエヴァを見ることしかできなかった。
これだから悪魔ってやつは最低なんだ。
「一つだけ、お願いがあります」
「…分かってるよ。子供達の事だろう」
「ごめんなさい。本当は私が一人でなんとかしなければいけないのに」
「人間一人で全ての悪魔に立ち向かうなんざ無謀だ。それに、俺もなんだかんだ狙われる立場でね。君達と大して変わりはしない」
スパーダ家に飾られた大きな家族写真に目を向ける。
二千年以上も前から見てきた憎たらしい顔が突然会えなくなると思うと、締め付けられるような感覚が胸を刺す。
俺がどんな存在か知りながらも一緒に居てくれた君がいなくなったら、俺はどうやって心を学べばいいのさ。
もう二度と武器達の嬉しそうな顔が見られないのかい?
武器職人としての気力さえも失ってしまいそうだよ。
君が振るった時に溢れ出るあの高揚感が俺の唯一の楽しみだったのに。
本当に何考えてるんだよ。
エヴァがコップを持って静かに席を立った。
一番悲しんでいるだろう彼女を慰める言葉を俺は知らない。
今すぐ泣き崩れたいだろうに、恐怖に震慄たいだろうに、彼女は笑顔を浮かべる。
母親とはかくも強い生き物だ。
「
そっくりな二人が手を繋いで片手に閻魔刀とリベリオンを引きずっている。
今まで稽古の時にしか持たなかったそれを、しっかり抱えるように持ち歩いていた。
この子達は、もう分かっているのだ。
自分達の父親が帰ってこないことを。
「
思わず色を宿さない白のような灰色の目を見開いた。
どちらともなく当たり前のように言われた言葉に歯を食いしばる。
なんだよ、なんで今俺にそんなこと言うんだよ。
「
子供は大人しく守られていろよ。
騒がしい街の中心部。
食料の調達にマーケットの中へと進む俺の背には大きなギターケースがある。
「この街を帯刀して歩く日が来るとはなぁ」
まさかレッドグレイブ市の街中で堂々と刃物を持つわけにも行かず、ギターケースに入れて愛刀を背負っている。
愛刀の"
閻魔刀の後に作った彼女は紅い綺麗な刀身と共に吸血によって魔力が増大する。
俺の悪魔としての捕食、吸血を補助する魔剣である。
一度敵を斬れば文字通り
スパーダのいない街で武器無しなど自殺行為だ。
子供達も最近は公園で遊ぶと言うから、軽い材質で作った専用のギターケースをあげた。
リベリオンと閻魔刀、それぞれのサイズに合わせて持ち易いようにしたが、あれは大人にならないと似合いそうにない。
そういえばここから双子お気に入りの公園が近かった。
もしかしたら二人が遊んでいるかもしれない。
歩いて来た道を少し進み、何度か曲がると広い公園に出た。
小さな子供達が楽しそうに遊ぶ広場の中心から少し外れて、目立つ銀髪の少年が一人だけいた。
トスンッと隣に腰を下ろすと、少年が顔を上げる。
「こんにちは、バージル」
「こんにちは。シードおじさん」
「今日は一人で読書かい?」
「ダンテは母さんとお勉強中」
先に終わって遊べるようになったから公園でダンテを待ってる。
そう言って俺の持っているギターケースに目線を送った。
自分の持っているものとデザインが似通っているのが気になるのだろう。
三つ全部アクセント以外は同じ形に作られているのだから似ていて当然だ。
「おじさんも持ち歩いてるの?」
「中身が見たいか?」
「気になる」
「ちょっとだけだぜ」
バージルだけに見えるようにそっと中身を見せると、軽く首をかしげる。
「これ、武器庫になかったヤツだ」
「可愛い恋人をあんなムサイ部屋に放り込む訳ないだろ。コイツは俺の寝室に居るのさ」
「あの書斎の奥にある狭い部屋」
「彼女と俺だけの愛の巣と言ってくれ」
言い回しがオヤジ臭いと言わんばかりの目線を無視して気障ったらしく彼女を仕舞う。
武器は皆平等に大切に扱うが、愛刀ばかりはさらに大事に扱うことになるものだ。
命を預ける大事な武器を雑には扱えない。
もちろん双子には閻魔刀とリベリオンのメンテナンスの仕方をちゃんと一から十まで厳しく指導した。
バージルはともかくダンテはめちゃくちゃに下手だったが、何度かやればそのうち出来るようになるだろう。
魔剣達は相当雑に扱わない限り突然折れたりはしない。
「さて、もう少し買い物して来ますかね」
「もう行くの?」
「目的地に近かったから寄っただけなんだ。また帰りも様子見にくるよ」
先ほど買ったばかりの林檎を一つ渡し、座っていたベンチから立ち上がる。
バージルに見送られて次の目的地へと足を進める道すがら、嫌な気配を感じた。
裏路地付近から感じる"同族"の気配に眉を寄せる。
なんでこんな真っ昼間から出て来てるんだ。
気配はとても弱い。
別に積極的に狩りたい訳でもなし、見て見ぬ振りを決め込もうと思った矢先に巨大な揺れが足元を襲う。
立っていられなくなるほどの激しい揺れと共に先ほど感じていた弱い気配がどんどん膨れ上がっていく。
異常な速度で街のあちこちから発生する気配の塊に嫌な思考が脳裏をよぎる。
揺れは緩やかに収まり始めたが、それと同時にあちこちからの爆発音。
人々の悲鳴が近くでも遠くでも聞こえてくる。
まるでこの時を待っていたのかと言うほど事態の進行が早い。
まさか街ごと襲撃してくるなんて。
これほどの悪魔を一気に人間界に送り込める奴なんて魔界には一人しかいない。
「バージル!」
来たはずの道を人の目など気にせず悪魔の脚力で駆け抜ける。
速度を誇る脚で一瞬にして公園まで戻ってこられたがそこには既にバージルの姿がなかった。
先程までいたはずの場所には食べかけの林檎と本だけが残されている。
ここからスパーダの家までは遠い。
足の速いバージルでも閻魔刀を持った状態ではろくに走れない。
更に悪魔にでも遭遇しようものなら…!
スパーダ家だって今は人間のエヴァと子供のダンテしか居ない!
急いでスパーダ家まで行かなければ最悪の事態になる!
道中でバージルを探しながらスパーダ家へと向かうために足を踏み込んだ刹那、一瞬の殺気に大きく飛び退く。
立っていた位置は隕石でも落ちたかのように抉れ、巨大な鎧が舞い降りる。
やはりアイツの仕業か!!
「邪魔をするなデカブツが!!」
「久しいな。裏切り者のシード」
「今テメェと遊んでる暇はない!人間でもなんでも食って失せろ!」
魔帝ムンドゥスの手下、巨大な鎧の悪魔であるトゥウリが目の前に立ちはだかる。
厄介なことにコイツはでかい割に動きが速い。
俺に追いつけるほどでもないが、今ここで周りを気にしながら戦うにはかなり分が悪い。
生きている人間のことなどどうでも良いが居着いた街には愛着がある。
「残念ながらムンドゥス様の命により貴様には捕まるしか選択肢がない」
「俺はムンドゥスの所には行かねぇ。アイツにはもう禁忌をやった。二つもおんなじ物をやる気はねぇ」
「忌々しいことに貴様には存在価値がある。一度捕まえ、従わぬなら殺すだけだ」
「俺が大人しく捕まらなかったら?」
「愚問だ」
殺すに決まっている。
引き抜いたマリーとトゥウリの獲物が凄まじい音を立てて衝突する。
どうせ死ぬのならここで逃げた方が良いに決まっているが、コイツはきっと俺を追いかけてくる。
そんな状態でバージルを抱えてスパーダ家まで走るなど自殺行為だ。
皆助けるのなら、厄介だがコイツを倒すしかない。
「魔界の門はどうやって開きやがった」
「答えると思うか」
俺よりも遥かに巨大な拳が降り注ぐ前に体を捻る。
魔界からの瘴気と人間界の空気が混じり合い、独特の異臭が鼻を犯す。
次元を裂くにも何処かで無理矢理歪められた所為でこの街全体が歪み、特定の場所には逃げ込めない。
「お前が今回の襲撃の中で一番でかい気配だ。ムンドゥスの野郎はこっちに来てない。完全復活には至ってねぇな」
「貴様がこちらに来ればムンドゥス様は完全となる」
「禁忌で魔力補充を考えていたのならお生憎様だ!もう品切れでお前らにやる分はないさ!」
俺がムンドゥスの復活に手を貸す筈もない。
次いで飛んでくる剣技を受け流し、空高く飛び上がる。
街は一瞬にして轟々と燃え上がる血の海と化し、生き残った人々の悲鳴ばかりがこだまする。
下級悪魔にさえ勝てない人間などいい餌だ。
上空でマリーを構え、刃先に一点集中。
硬い兜めがけ、その刃を振り下ろした。