いろはすは捕まえたい!   作:スポポポーイ

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3.いろはすは勾留したい!

 一色家のリビングでのんべんだらりんと寛ぐ一色いろは。

 反対に、そわそわと落ち着かない様子の比企谷八幡。

 

「さっさと手錠の鍵出せ」

「まぁまぁ、とりまお茶でもどうですか?」

「いらん。鍵を出せ」

「わたしが飲みたいんですよー」

 

 座っていたソファからすっくと立ち上がった一色いろはに連動して比企谷八幡も席を立つ。

 一色家に到着して早十数分。未だ二人の手首は手錠に繋がれたままだった。

 

「じゃあ、先輩。まずはお湯を沸かしてください」

「作る段階からセルフサービスかよ……」

「だって、わたしの利き手塞がってますし」

「確信犯か貴様……」

 

 比企谷八幡は彼女から渡された電気ケトルの容器に水を入れ、指定された台座へとセットする。

 言われるがままティーポットに茶葉を入れ、ふと気付く。

 

「なんでわざわざ手間のかかる飲み物をチョイスしたんだ? 出来合いの飲み物とか冷蔵庫に入ってないのかよ」

「今は紅茶の気分なんです」

「つーかこれ、別に利き手じゃなくてもできただろ?」

「わたしが働いてる横で先輩が楽してるとか許せません」

「……あの、そこは許してあげよう? ね?」

 

 沸騰したお湯をティーポットに注ぎ、蓋をして数分蒸らす。

 二人の間に紅茶の香りがふわりと漂い鼻孔をくすぐる。

 

「知ってます、先輩? 茶葉を入れる前にお湯を一度ティーポットに注いで、事前に温めておくのが紅茶を美味しく入れるコツなんですよ」

「ならそれを先に言えよ。もうこの紅茶美味しくないの確定じゃねえか」

 

 得意気な一色いろはと苦い顔で愚痴る比企谷八幡。

 二人で飲んだ紅茶の味は、部室で飲み慣れた紅茶とは比ぶべくもない。

 

「先輩、これ美味しくないです」

「……だな」

「茶葉は入れ過ぎだし、蒸らし過ぎだしでちょっと渋いですし」

「俺の男としての渋みが滲み出たんだな、きっと」

「……加齢臭?」

「まだそんな歳じゃねえよ」

 

 軽口を叩き合いながら、お互いに紅茶を啜り、息をつく。

 ゆっくりと流れる時間の中で、彼女は慈しむような眼差しを紅茶へと向けた。

 

「でも、こんな紅茶も嫌いじゃないです」

 

 両手で包み込むようにして持ったティーカップを覗き込みながら、一色いろはがポツリとこぼす。

 

 

 

*  *  *

 

 

 

 紅茶を飲み終えた二人。

 

「先輩、お腹空きました」

「あ、そう。鍵出せ」

 

 彼女はブレない。彼もブレない。

 

「先輩、夕飯食べていきません?」

「可愛い妹が晩飯用意して待ってくれてるからいらない。あと手錠の鍵出せ」

 

 彼女は揺るがない。彼も揺るがない。

 

「小町ちゃんには、先輩は今日泊まっていくって伝えてあるから大丈夫ですよ」

「はいはい。いいから早く手錠を外せ…………なんて?」

 

 彼女は動じない。彼は思わず二度見した。

 

「小町ちゃんに『先輩借りてもいい?』って聞いたら、『どうぞどうぞ! 明日は学校休みですし、全然問題ないです! なんだったら返却は不要ですので!!』って返ってきましたよ、ほら」

「小町ェ……」

 

 比企谷八幡の前に差し出されたのは、彼女のスマートフォンに映るトークアプリのやりとり。

 実妹によるノータイムノーシンキングなレスポンスに比企谷八幡はげんなり項垂れる。

 

「という訳で、ごはん食べましょう」

「俺の意思を無視するな。泊まらないから。そもそも一色が手錠を外してくれれば済む話だから」

「でも、家に帰っても先輩の夕飯は無いですよ?」

「……分かった。食べる。食べてくから。……つっても、さすがに片手で料理作れる自信はないぞ」

「大丈夫です。こんなこともあろうかと!」

 

 そういって一色いろはがキッチンの戸棚をガサゴソし、取り出したるはカップ麺。

 赤いパッケージと緑のパッケージ。それを見た比企谷八幡は咎めるようにスッと目を細めた。

 

「……俺、真っ赤なきつね派なんですけど」

「残念! 私はどん左衛門派です!!」

 

 赤がタヌキで緑がキツネで……。

 

「なんでだよ……赤って言ったら普通はきつねだろ!? 緑はたぬきなんだよ!」

「知りませんよ、そんなの。きつねうどんの主役はお揚げなんです。そのお揚げをふっくらジューシーに仕上げている『どん左衛門』こそが正義なんですよ」

「いやいや、『真っ赤なきつね』食べたことねーのかよ? あの甘みが染み込んだお揚げとダシ、うどんとして噛み応えのある麺。真なるきつねうどんは『真っ赤なきつね』だから」

 

「は?」

「あ?」

 

「先輩に『どん左衛門』の何が分かるって言うんですか!? パッケージの中央にわざわざ『ふっくら。』って印字してるんですからね! どれだけ自信あるんだって話ですよ!!」

「バッカおまえ世界で初めてカップうどん作ったのこっちだから。元祖カップうどんだから!」

「何言ってるんですか? 『どん左衛門』の方が『真っ赤なきつね』より先に販売始まってるんですからね? 本家カップうどんは『どん左衛門』なんです!!」

 

 不毛な争いだった。

 

「……いいです。分かりました。なら、先輩はこちらの天ぷらそばをどうぞ」

「なん…だと……?」

「始めは先輩に好きな方を選んでもらおうと思いましたけど、そこまで『どん左衛門』のきつねうどんを否定するなら選ぶ必要ないですよね!」

「いやいや待て待て! まさか、おまえ……こんだけきつねうどんでテンションが上がった俺に天ぷらそばを食わす気か!?」

「何ですか、それ? 天ぷらそばを馬鹿にするつもりですか?」

「違う! 天ぷらそば美味いよ? でもさ、いま俺の胃は完全にきつねうどんを待ち受けてる状態なんだよ。手ぐすね引いて待ってんだよ」

「……先輩」

「考え直してくれたか!?」

「もうわたしには、きつねうどんしか見えねえ──」

「名言風に言うのヤメロ」

 

 ダイニングテーブルへと二人並んで席に着く。

 彼女の前には緑のパッケージ。彼の前には赤いパッケージ。

 既にお湯は注がれ、五分が経過した。

 

「かんせーい!」

「……」

 

 ペリペリと剥がした蓋を脇に置き、一色いろははいそいそと箸で麺を掻き混ぜた。ほわほわと漂う和風ダシの香りに思わず胃がキュッとなる。

 

「ではでは……」

 

 一口目をどうするかは既に決まっているのだろう。

 パッケージに違わぬふっくら感。五分間の苦行と引き換えに成長したそれを迷わず箸で摘み上げ、一色いろはは口を開ける。

 だが、彼女の口にそのふっくらお揚げが届けられることはなかった。

 

「……ちょっと先輩?」

「食わせろ……。きつねうどんを俺に食わせろぉ……」

「この先輩、自分がきつねうどんを食べるために、わたしの右手を封じてきた!?」

 

 一色いろはがお揚げを口に入れる直前、比企谷八幡は左手を頭上に掲げた。

 たったそれだけで、手錠で繋がれた彼女の右手は自由を失ってしまう。

 

「……選べ。俺にお揚げを一口食わせるか、このまま目の前でうどんがのびていく様をただ眺めるか」

「──ッ!? 選べって…言うんですか……? どん左衛門きつねうどんをこよなく愛するわたしに、きつねうどんを捨てるか、どん左衛門を冒涜するかの二択を……!?」

「あぁ、そうだ。好きな方を選んでいいぜ? ちなみに俺は右手空いてるから普通に天ぷらそばも頂くけどな!」

「まさに…外道……っ!」

 

 挑発するように遠慮なくズルズルそばを啜り出す比企谷八幡と、それを見て某ムーンシャドウ先生ばりに『先輩……恐ろしい子ッ!』と戦慄する一色いろは。仲良しさんか。

 

「……くっ! 分かりましたよ! わたしのお揚げ一口あげます!!」

「フゥーハハハ! 屈したなッ! お揚げを犠牲に『どん左衛門』を選ぶとは、きつねうどん好きが聞いて呆れるわーッ!!」

「わたしがきつねうどんを優先したら、どうせ『どん左衛門』を見捨てたとか言って煽るくせに……っ!」

「当然だ! そういう二択だからなっ!! どうだ? 今すぐに手錠の鍵を差し出すなら許してやっても……」

「……はい、あーん!」

「なん…だと……?」

 

 自由を取り戻した右手でお揚げを摘まみ、比企谷八幡の眼前へと差し出す一色いろは。

 

「いや、俺は右手使えるし。自分で食えるから」

「嫌ですよ。だって先輩、もうその箸に口つけてるじゃないですか」

「ぐ…っ! だが……」

「さっきまでのノリはどこいったんですかー? 早くしてくれないと、わたしのうどんがのびちゃうんですけどー?」

「分かった。なら、もらうぞ」

「……一口ですよ? 絶対に一口だけですからね!」

「あむっ」

 

 一色いろはのフリとも思える念押しを聞き流し、比企谷八幡はお揚げに食らいつく。

 たった一口。されど一口。その犠牲は、あまりにも大きかった……。

 

「……うまし」

 

 噛むごとにお揚げからじゅわりと溢れる和風ダシ。口内で咀嚼する度、さっぱりとした醤油とかつお節ベースのお出汁がお揚げ本来が持つ油分と程よく混ざり合う。

 まだ熱さを失っていないお揚げで口をほふほふさせながら、ほくほく顔で比企谷八幡は一つ頷くのだった。

 『真っ赤なきつね』の貫禄ある甘めなお揚げとはまた違う。けれど、これはこれで乙なものだと。

 

「あっ……。あああーーーっ! ひとっ…ひとくちって……一口って言ったじゃないですかーっ!?」

「だから一口で食ったじゃねーか」

「どこの世界にきつねうどんのお揚げを一口で食べきる馬鹿がいますか!?」

「馬鹿とはなんだ。こっちは一口でいったせいで、口の中を盛大に火傷したんだぜ?」

「馬鹿じゃないですかっ!?」

 

 若干涙目で睨みつける一色いろはと素知らぬ顔でむっしゃむっしゃ口内に残ったお揚げを堪能する比企谷八幡。

 人間には時を巻き戻すことはできないし、一度失ったモノは元には戻らない。例え新しいモノを用意できたとしても、所詮それはよく似た別のナニかでしかない。

 まだ時間はあるし、また次の機会があるから。だから大丈夫だと、そんな根拠もない幻想を抱くべきではない。

 彼女は手放すべきでなかったのだ。それが大事なモノなのだとしたら、大切なモノであればあるほど、何をおいても守るべきだった。

 ……ちなみに、きつねうどんの話である。

 

「わたしのきつねうどんが…ただのかけうどんに……」

「……」

「きつねうどんの一口目はお揚げって決めてたのに……」

「……」

「……雪乃先輩と結衣先輩に『わたしの大事なモノを先輩に無理矢理奪われた』って泣きついてやる」

「OK、分かった。ちょっと話し合おうか一色」

 

 親の仇でも見るような目で主役のいなくなったうどんを睨みつける一色いろは。

 比企谷八幡が背中にダラダラと嫌な汗を流しながら決死のネゴシエーション。

 

「あれだ。俺の天ぷらやるよ。俺、あとのせサクサク派だから、まだ原型残ってるぜ? デロデロしてないぜ?」

「わたしのおあげぇ……」

「ほーら! 天ぷらうどんもきっと美味しいぞー! 一色さーん? 見えてますかー? いま君の目の前に天ぷらがタッチダウンを決めたぞー?」

「先輩……知ってます? 食べ物の恨みって、恐ろしいんですよ?」

「……何が望みだ?」

 

 ごくりと喉を鳴らす比企谷八幡に、花が咲くような笑顔で一色いろはが宣告する。

 

「先輩、明日の朝ごはんは何がいいですか?」

 

 比企谷八幡のお泊りが確定した瞬間だった。

 

 

 

*  *  *

 

 

 

 天ぷらうどんとかけそばを平らげた二人は、リビングのソワァでまったりしていた。

 

「だいたい何なんだよ、あの『どん左衛門』のCMは? あざとすぎるんだよ、どん女狐。初めて見たとき某下町のプリンスの奥さんかと思ったわ」

「それは先輩の感性が昭和なだけです」

「いや、平成だから。バリバリ平成生まれだから」

「やーい、ゆとり世代ぃー!」

「お前も一年しか世代違わないからね?」

「……そうでしたね」

 

 そんな他愛もない会話に興じる二人に試練が降りかかる。

 

「……あ」

「どした?」

「……」

「……一色?」

「……ィレ」

「あ?」

「……先輩。わたし、お手洗い行きたいです」

「……」

 

 羞恥からか俯きふるふると震える一色いろは。

 自らと彼女を繋ぐ手錠に視線を落とし、困惑したような表情を浮かべる比企谷八幡。

 

「……どうやって?」

「どうしましょう?」

「こうなることを想定してなかったのか?」

「……はい」

「なぁ、手錠外せば良くね?」

「それはイヤです」

「なんでそこだけ頑ななの……」

 

 そこから数分間の話し合いの末、妥協点が見つかった。

 

「……見えてます?」

「……」

「せんぱーい?」

「……」

「……よし」

 

 比企谷八幡はいま、何重にも巻いたタオルで厳重に目隠しされ、イヤホンを耳に突っ込まれて大音量の『おさかな天国』を延々聴かされ続けていた。

 ちなみに、鼻にも丸めたティッシュが詰め込まれている。

 

「新手の拷問か洗脳なのかこれは……」

「なら別な音楽にしますか?」

「早く終わってくれぇ……」

「……よし! ちゃんと聞こえてない!」

 

 当初はトイレのドアを隔てる予定だったが、思いのほか二人を繋ぐ鎖が短く、計画は頓挫した。

 故に、彼と彼女は狭い個室を共有することとなる。……これなんてエロゲ?

 

 

 

「……いいですか、先輩? 先輩は何も見てないし、何も聞いてないんです。匂いなんて以ての外です」

「心配しなくても俺の記憶にあるのは暗闇とエンドレスリピートされるおさかな天国だけだ」

「本当ですか……?」

「……こんな特殊なプレイを楽しむ趣味はねえよ」

 

 トイレからリビングへと戻る道すがら、一色いろはは真顔で念押ししていた。乙女にとっては看過できない問題なので。

 ほんのりと頬を朱色に染めた彼女を横目に、溜息交じりに言葉を返す比企谷八幡。

 リビングへと足を踏み入れる直前、そんな彼の足がピタリと止まった。

 

「……あ」

「どうしました、先輩?」

「……」

「先輩?」

「……一色、大事な話がある」

「え……?」

 

 いつになく真剣な表情の比企谷八幡。

 何か重大事を告白するような重苦しい声音で、彼は言葉を紡ぐ。

 

「……一色、トイレ貸してくれ」

 

 一色いろはは苦笑しながら『だんご三兄弟』を聴き続けた。

 

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