いろはすは捕まえたい!   作:スポポポーイ

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5.いろはすは捕まえた!

 その言葉を受けて、彼女はゆっくりと手を下ろした。

 

「……やっぱり、そうですか」

「そりゃ、そうだろ。俺が依頼以外で一色みたいなトップカーストとつるむなんてありえん」

 

 比企谷八幡が告げる、純然たる事実。

 

「やっぱり、人生ってままならないものですよねぇ……」

「十七年ぽっちしか生きてない奴の台詞じゃねえだろ」

 

 どこか諦観したような彼女の言葉に、比企谷八幡は苦々しく笑う。

 

「ちょっと待ってくださいね……」

 

 そう言うと、一色いろはは上半身だけを起こし、ゴソゴソと着ていた制服のポケットをまさぐる。

 やがて彼女がポケットから取り出したのは、生徒会室で見たものと同じ鍵。

 

「どうぞ。手錠の鍵です」

「……もう、いいのか?」

「……はい。それに、このままじゃ寝返りもろくに打てないですし」

 

 比企谷八幡は手渡された鍵をマジマジと見つめながら、慮るように問いかけた。

 その姿に、一色いろはは苦笑しつつ、こくりとひとつ頷く。

 

「これで、晴れて自由の身か……」

「……先輩」

 

 お決まりなカチリという開錠音とともに、二人を拘束していた手錠が外された。

 久しぶりに自由となった左手を擦っていた比企谷八幡へ、一色いろはが少し畏まって声を掛ける。

 

「ご迷惑をおかけしました」

 

 ペコリと頭を下げる少女。

 

「それと……」

「それと?」

「ありがとう、ございました」

「……」

 

 そして、続けざまに発せられた感謝の言葉に、少年は押し黙る。

 

「やっぱり、先輩は何だかんだで優しいです」

「そんなこと……」

「そして、それ以上に残酷です」

「……」

 

 少女は、彼女は、一色いろはは、まるで何か振り切るように勢いよく布団の上へと倒れ込む。

 ぽすりと気の抜けたような音をたてて、彼女の顔が枕に沈み込んだ。

 

「卑屈で最低で陰湿で……なのに、どこか憎めなくて、気が付いたら傍にいて、居心地が良すぎるんですよぉ……」

 

 少しくぐもったような声が比企谷八幡の、彼の、少年の耳を打つ。

 

「先輩なんて嫌いです。仕事を頼んだら文句ばっかり言って、わたしが本当に困ってるときにしか助けてくれなくて、わたしがどうしても傍にいてほしいときしか傍にいてくれない」

 

 彼女は泣いてるのだろうか、怒っているのだろうか、それとも、笑っているのだろうか。

 俯せで横になる一色いろはの表情は、比企谷八幡から見えることはない。

 

「だから、わたしはそんな先輩が──」

「なぁ、一色」

 

 怯えるような彼女の言葉を遮るように、彼は声を発した。

 

「ちょっと左手出してみろ」

「え? あ、はい……ふぇ?」

 

 戸惑いがちに差し出された一色いろはの左手首に、それはカシャリと音を立てて装着された。

 黒い光沢を放つ円形の拘束具。チキチキと小さな音を鳴らして、比企谷八幡の手によってどんどんと拘束の輪が狭まっていく。

 

「せん…ぱい……?」

 

 彼女の左手にはめられた手錠。その鎖が繋がる先を確認して、一色いろはは大きく目を見開いた。

 

「……あれだ。俺ってとんでもなく寝相が悪いんだよ」

「……」

「だから、誰かに捕まえられてないと、お前の部屋をゴロンゴロン転がり回るかもしれない」

「なん…ですか、それ……」

「だから──」

 

 

 少年は知っているのだろう。それが少女にとってどれだけ酷なことであるかを。自分の行いが、卑怯で無責任な、最低の行為だということを。

 彼は分かっているのだろう。それが彼女を縛ってしまうであろうことを。傷ついてなお、前に進もうとした彼女の勇気を踏み躙る行為だということを。

 

 理性と自意識の狭間。どれだけ考えても、自分がやっていることは間違っていると、そう理解できているはずなのに、それでも残るひとつの感情。

 だからこそ、比企谷八幡は、その感情に従ったのかもしれない。一色いろはという一人の後輩へ抱く感情に……。

 

 

 彼は自らの右手にかけられた手錠を一撫ですると、どこか照れくさそうで、誤魔化すような、悪戯めいた笑みを浮かべた。

 

「今日だけは、俺を捕まえておいてくれ」

 

 彼女は泣いていたのだろうか、怒っていたのだろうか、それとも、笑っていたのだろうか。

 勢いよく彼の胸へと飛び込んだ一色いろはの表情は、比企谷八幡から見えることはない。

 

 

 

*  *  *

 

 

 

 ──朝チュン。

 これがどこぞのR-18指定なゲームなら、もう一勝負するか、昼までまったりイチャイチャ惰眠を貪るような展開だったのかもしれない。

 

「……それで、君といろはは仲良く一緒に寝ていたのかね?」

「いや、別に仲良くは……」

「では何かね? 君は大して仲も良くない年頃の娘と一緒に寝たと、そう言いたいのかね?」

「いえ、決してそのようなことは……」

 

 想像してみてほしい。

 もし自分が一人娘の父親だったとして、娘が一人で留守番しているはずの我が家に、見知らぬ男物の靴が置いてあるのである。

 スルーできるだろうか? いや、スルーなどできるはずがない。

 確実に見敵必殺(サーチアンドデストロイ)待ったなしである。

 

「……本当に、昨日は二人で一緒に眠っていただけで何も無かったと?」

 

 早朝に帰宅した一色いろはの父と母。

 玄関を開けてたっぷり十秒ほど硬直し、鬼の形相で娘の部屋へと走り出した彼女の父親。

 綺麗に並べられた二足の靴を見て、あらあらうふふと口に掌に当てる彼女の母親。

 

 二人が娘の部屋で見た光景。

 部屋の中央に敷かれた布団の中で、仲睦まじく、ぴったりと寄り添うように眠る二人の男女。

 まるで幼子のように安心しきった表情で静かに眠る娘と、何故か『罵倒と手作りクッキーはやめてくれ……』と寝言を呟きながら魘されている少年。

 

 少々毒気が抜かれてしまった彼女の両親は、お互いに顔を見合わせると、ゆっくりと部屋の扉を閉め、そっと娘の部屋を後にした。

 そんなこととは露知らず、どこか幼い兄妹のようで、昔からの幼馴染のような、手錠で繋がれた先輩と後輩は眠り続ける。

 五分後、やっぱり納得いかないと戻ってきた父親に叩き起こされるまで……。

 

「比企谷くんと言ったね?」

「……はい」

 

 そしていま、荒ぶる父親によって布団から引っ張り出された二人は、一色家のリビングで正座させられていた。

 

「実際のところ、どうなんだい?」

「何もなかったです」

「……いろは?」

「遺憾ながら……」

 

 そんな三人の問答に、クスクスと可笑しそうに笑った母親が声を掛ける。

 

「とりあえず、朝ごはんの用意ができたから、三人ともそこまでにしてこっちにいらっしゃい」

「ぐぬぬ……」

 

 素直に腰を上げるも、やはり納得がいかないのか唸り続ける一色いろはの父親。

 そんな父親を尻目に、二人は安堵からほっと息をつく。

 

「昨日、両親は帰ってこないとか言ってなかったか、おまえ」

「……昨日は帰ってこないとは言いましたけど、今日の朝に帰ってこないとは言ってませんよ?」

「謀ったな、一色!」

「知りませーん。きちんと確認しない先輩が悪いんですよーだ」

 

 ヒソヒソと、そんな子どものようなやり取りを続ける二人。

 それを微笑ましく見守っていた一色いろはの母親が、ふと何かに思い至ったかのように問いかけた。

 

「そういえば、ずっと気になってたんだけど……」

 

 少し困惑したような母親の視線が、二人の手元へと注がれる。

 

「どうして、二人は手錠なんてかけてるのかしら?」

 

 キョトンと、一色いろはと比企谷八幡はお互いに顔を見合わせる。

 

「「 あっ…… 」」

 

 まるで二人の関係を繋ぎ止めるかのように、少女の左手と、少年の右手にかけられた手錠。

 

「そういや、鍵って何処やったっけ……?」

「……先輩」

「あ? なんだよ? それより鍵探そうぜ。多分、おまえの部屋にあると思うんだが……」

「先輩、これなーんだ?」

 

 ニコリとあざとく。ふわりと笑う。

 総武高校の現生徒会長で、二年生になった、後輩である一色いろは。

 

「なんだ、一色が鍵持ってたのか。失くしたかと思って超焦ったわ」

 

 彼の目の前に掲げられた、二人を繋ぐ手錠の鍵。

 それを掴み取ろうとした比企谷八幡の手が空を切る。

 

「……おい」

「……あはっ!」

 

 少女は笑う。それは、彼女が久しく忘れていた笑顔のカタチ。

 ただ嬉しくて、ただただ楽しくて、ただひたすらに愛おしい。

 

「せーんぱい?」

「……なんだよ」

 

 そんな心の底から湧き出る、一色いろはの本物の笑顔。

 

 

 

「もう一泊、していきます?」

 

 

 

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