ちょっと露悪的な表現がありますが安心してください
この物語は平和な話です
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第二章~高等部二年、夏。
夏という漢字から連想されるのは直射や汗など、青春に連なる熟語ばかりだ。青春という熟語には春という漢字が含まれるが、青春は得てして夏の代名詞だ。私は識者に提言したい。青春の春を夏に置き換え、青夏と呼ぶのはどうだろう? 読みはせいか、語呂が悪い。昔生み出した造語に蒼夏というものがあるが、今回彼らの夏を描写するにあたってその語を当てはめるのはいかんせん不適切であるから、困ったものである。彼らの夏はそう、いうなれば倦怠や投げ槍、そういった語句が適切な夏だった。茹だる熱気に気をやられるのは彼らの特権ではない。それは筆者にしたって同じことなのだ。つまるところ、これまで以上に気を抜いた描写をさせていただくと、そういう話である。
夏の前兆である雨季を、文と椛とにとりの三人組はいつも通りの平穏めいた波乱さで乗り切った。しかし異変が起きたのは夏が茹だり始めたころ、夏休みを間近に控えた灼熱のときだった。
「おい文、おまえそれ、なに書いてるんだよ。授業中も、休み時間もひたすらにやってるけどさ」
「ああ、これですか……。これはねえ、椛の悪いとこリストですよ。みますか?」
汗ばむ季節、白いシャツは汗に透け、中にはシャツの着用すらボイコットする生徒も現れだした。唐突に椛が出席のボイコットを始めてからというもの、文は病的にノートに向かうようになった。にとりは恐怖を感じながらも手渡されたノートを吟味する。
“椛のわるいところ!”
・急に学校に来なくなる。
・女子によくモテる。
・ラブレターを億面もなく処分する。
・うっすらきょとんのあの顔が憎たらしい。
・音楽の趣味が中途半端。
・私の言動に対しててきとーな紋切り型の美辞麗句を吐く。
・学校に来ない。
・私にすら理由を話さない。
・学校に来ない。
にとりは戦々恐々とした。震える手でページを捲ると、これまた文の情緒不安定が体現された語句が羅列されているから慄いた。
“椛のいいところ!”
・私の幼馴染、ともだち。
・空気が読める。
・バーターの誹りを気にすら留めない。
・優しいようで優しくない。そこがまた憎らしいけどムカつく。
・運動能力がわりと高い。
・私と同様にお酒が嫌い。
・うっすらきょとんのあの顔は愛嬌がある。
・よくモテる。
・私の幼馴染、親友!
にとりは辟易とした。だったら家に引きこもっている椛を慰めに行ってやればいいのではないか。そう思って、それをそのまま口にした。
「そんなこと、できるはずかない!」
「なんでさ、友達だろ? 気にかけてやれよ」
「わ、私には、私には無理なんですよう!」
(これは仕方ない、どうしようもないな。わたしが動かざるを負えないだろう)
春を過ぎてからというもの、にとりの習性にも幾許かの変化があった。自身が取りたい行動の意義についてとやかく考えることはない。必要なのは軽率さである。にとりは春に起きた一連の出来事から、一種の軽率さと年相応の全能感に突き動かされていた。わたしが動けば丸く収まる。わたしにはそれができる。現に文を救ったのはわたしなんだから。にとりは年相応の傲慢さを、夏の開放的な雰囲気に流されるまま、それを全肯定し行動するようになった。夜毎訪れる内面のあらしですら遠ざかって、そんなものは古い過去のように思えたし、伴って自信満々という風情で軽率に行動を起こせるようになった。それが正しいことであると、にとりは疑いもせずに決めつけていた。
「しょうがないなぁ。わたし、今日あいつの家に行くよ。文、おまえは来なくてもいいよ。わたしがみんな、なんとかしてやるからさ」
「う、うぐーっ! にとりさん、あなたはどうしてそう、私の喜ぶことばかりを言う! ああにとりさん、何卒、何卒、椛によろしくしてやってくださいね。……私はどうしても動けない! 無力、無力のその字が胸中森林に蔓延る蔦のように這い回っています。ああ、にとりさん、本当に、よろしくおねがいしますね。椛を、私を救ってやってくださいよ。後生、後生ですから……」
文の自信は椛の情緒的支援によって安定のもたらされる事象であった。にとりは余裕綽々の笑みを乾かせては「まあ、わたしに任せておくといい」を自信満々に吐き捨てて、放課後、椛の家に向かった。おおいぬ組たちがグラウンドで連載しているスポ根をフェンスの外から一瞥し、道中椛の行きつけの駄菓子屋で椛の好物の三つ四つ購入せしめては、それを携え椛の家のチャイムを押した。しかし、チャイムの音は虚しく響き、間抜けな夏の白昼をしじまが支配する。この時間であれば椛の両親が働きに出ていることを知っていたにとりは臆面もなく、ポストに隠匿された鍵を慣れた手付きで手中に収め、当然であるかの如く木造二階建ての戸を解錠せしめた。椛の部屋は文の部屋同様に、二階にある。しかし椛の家は文のどこか“洋風”なフローリングとは違って、徹頭徹尾、湿気た木製と畳の臭気に満ちていた。いささか、角度の急すぎる階段をなんとか登って、ぼやけたガラス戸を開けば、そこには世の終わりを象徴するかのような缶酎ハイを煽る椛の姿があった。
「ああ、にとりさん。いらっしゃい。私、私はねぇ、おおいぬ組ですから、こういう缶酎ハイを嗜んで、肉体労働の疲労をぼかしているところです。なんせおおいぬ組、加えて、私は詰め襟ですから、将来発達した筋肉でもって勤労を慰める彼らに迎合する、その予行練習をしているわけですよ。はは! 愉快だとは思いませんか」
それを受け、にとりの胸中には呆れと、まあ仕方ないで飽和した。しかし文を、赤髪の下級生を、同級生の緑色を救った張本人である自分ならば、椛の非行を諌め、また明るい日常へ回帰できるに違いない。にとりはあの春から、妙な全能感に支配されていた。
「まあまあ。それはおおいぬ組の類型で、ともすれば宿命ってやつかもしれないが、大丈夫だよ。だいたい夏休みが始まるぞ。どうするつもりなんだ、そんな二、三級の酒をやって、文がどう思うか。ちっとは考えてみることだな」
酩酊した椛は不敵に笑う。わかってないですねと、言わんばかりの不敵さはにとりにとってはさしたる問題でないような気がした。それが、夏の持つ特有の魔力に起因することは言うまでもない。にとりは余裕綽々といった面持ちで、椛と似た不敵な笑みを浮かべては返答を編んだ。
(椛、椛は今絶望をやっているが、そんなものは一過性のものだ。文をみてみろ。今ではすっかりエキセントリックに回帰して、椛の悪いとことといいところのリストを積み上げている)
にとりは片手で顎を撫で、今にも処世の洗礼を口にしようとしていた。しかし、椛は不敵に笑みをこぼしては、にとりに対して牽制の語句をもって口を切った。
「にとりさぁん。わかってませんね、にとりさんは。私は文さんの大嫌いな酒でもって気の大きくなってる今なら言えますが、いえ、気恥ずかしさは当然ありますよ。でも、あえて言います。カミングアウトをします。私はね、同性愛者なんです。ホモなんです、ゲイなんですよ。はは!」
アルコールの饐えた臭気と、郷愁を煽る畳の匂いはにとりをどん引かせた。にとりの口から思わず漏れ出した「えっ」という語句を耳にするが早いか、椛は極めてわざとらしくため息を吐いてみせる。
「にとりさぁん。そんなに萎縮しないでくださいよ。そんな、あとずさりはよしてください。ねえ、おおいぬ組の末路を知っていますか? 私はね、知ってます。男同士のいびつな色の沙汰。紫外線で焼けたカルビのような角質でもって、彼らは仲間のカマを掘るんです。それがね、現場仕事につきまとう、どうしたって変えられない摂理なんですよ。私はおおいぬ組だから、それに迎合せざるを負えない。だからこの鯨飲は、そのための予行練習というわけですよ。はは! どうしましたか、笑ってくださいよぉ」
酩酊、至らない呂律でもって椛は声をふらつかせては言葉を紡ぐ。普段うっすらきょとんとした椛の表情しか知らないにとりにとって、それは青天の霹靂めいた事象であったが、夏の魔力か、春以来の全能感か、にとりはなんだかやれそうな気がした。
「文は毎日、椛のことで気を病んでいるよ。おまえの悪いとこリストと良いとこリストでノートを飽和させる毎日だ。赤点の危惧なんかしちゃいない。どうだ? 文のためを思って考え直すってのは」
「はは! それこそ無意味ってやつですよ。再三再四にはなりますがね、私は同性愛者。どこまでいってもおおいぬ組の類型で、労働者という綴りにぴったり当てはまる、汗と汚濁にまみれたおおいぬ組なんですから!」
昨今のにとりは考える前に行動する。それを是としている。椛の言葉など聞いてはいなかったのかもしれない。にとりはまた諌めるようにまあ、まあ、と笑って、押入れの戸に手をかけた。椛の部屋には低い机があり、机の上には蓄音機が置かれている。にとりたちはよくレコードを聴いた。押入れのなかには椛秘蔵の、レコードの山があることをにとりは心得ていた。勝手知ったる人の家とは、よくいったものである。しかしそのとき、どうせなんとかなるだろうを体現するかのようなにとりのにやけ面にぴしゃりと冷水が浴びせられる。
「やめてっ!」
ずい、とシャツの襟を引っ張られ、にとりは「ひっ」と声をあげ、そのまますってんころりん尻餅をついた。幸い怪我には至らず、せいぜい尻の痛む程度のにとりだったが、椛の襟を引く勢いは半ば暴力的で、またしても、それはにとりの知らない友人の一面だった。間抜けな姿勢で両手をつくにとりに、椛は暗い表情で口を切る。
「……ごめんなさい。引っ張ったりして。……でも、すいません、今日は帰ってもらえませんか」
にとりの口はどうしようもなく、考える前に動いてしまう。
「な、なんでさ。わたしはただ、いつもみたいにレコードでも聴いて、話しようと、しただけなのに。そんな、なにかみられたくないものでもあるみたいにして……あっ」
押入れの戸は、にとりのかけた手によって僅かばかり開かれていた。その隙間からわずかに覗いたそれを、にとりの視界は捉えてしまう。押入れは二段あり、下段にはレコード類の収まったダンボールがあり、上段は、ハンガーラックに吊るされた衣類に満たされていた。替えの詰め襟や、椛が休日によく着る衣類のなか、異様に真新しく、異質すぎるものがあった。おそらくおろしたてであろうそれは、紛れもなくセーラー服だった。
「も、椛おまえ、これ……」
「……帰って。帰ってください!」
椛の剣幕ににとりはたじろがざるを得なかった。自身の混乱などさておき、立ち退くほかなかった。なにかとんでもないものをみてしまったような、とんでもないことをやらかしてしまったような気持ちで、おずおずと「ご、ごめん」の三字半を吐き、にとりは椛の部屋を去った。後悔と申し訳無さと一寸の不服でもって靴紐を結び、玄関を出た。
(こ、このまま帰っていいのかな。それにしても、あの、セーラー……)
後ろ髪を引かれるような気持ちもあったが、今までみたことのない椛の激昂が自身に向けられてることを思えば、恐ろしくて、悲しくて、申し訳なくてやりきれなかった。再度謝るべきだろうか、或いは不意に後ろの戸が開いて、椛の方から謝りに来てはくれないだろうか。数秒待ったが、にとりはとうとういたたまれずに、その場を去った。右手で二の腕を掴み、左手を額にあてて歩いた。後悔と自責と不服の念は、どうしたって振り切れなかった。
よろしゅーに!