ワンダーラスト   作:kodai

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久々すぎて編集の仕方を忘れて再投稿になりました
元のからちょっと加筆しただけです


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 軒先で茹だりブロック塀にへたり込むにとりを見つけたのは椛の父親だった。父親の怪訝そうな眼差しと「なにをしてるの」系の問いかけに、にとりはすわ飛び上がり「いえ、なんでも」系の言葉を発音してお茶を濁した。椛の父親はそんな返答に対し穏和そうに微笑んでは「それはそれは」系の言葉を発音して家のなかに入っていった。息子の友人が家の前にへたり込んでいるところを二、三言でもって納得し、そのまま置き去りにして玄関に入っていく汚れた作業着をみて、にとりは緩い郷愁に駆られた。

 

(あのひとは昔から変わんないな。うっすらきょとんとして、そっくりだ)

 

 土間に上がる前に土で汚れた地下足袋を脱ぐ椛の父親の習性は、にとりにとっても見慣れた光景だった。にとりたちが三人で遊ぶ際はたいてい椛の部屋が拠点となっていたし、土曜の半ドンや日曜日なら昼食だって何度も一緒にした。にとりは椛の父のみならず、母親のことだってよく知っていた。有り合わせで恥ずかしいけど、などとはにかみながら食卓に三人分の昼食を並べてくれた椛の母親は、にとりに言わせれば“気立ての良い奥さん”で、夫婦仲にしても円満のその語句がぴったり当てはまると、にとりは常々思っていた。両親共々おおいぬ組の出身であることを知っているにとりには、椛の放った“おおいぬ組の末路”などと云うのはやはり度が過ぎた一過性の絶望としか捉えられなかった。「……あの!」

 

 地下足袋を脱ぐのに滑稽にも四苦八苦する椛の父に、にとりは思わず声をかけた。「いま、椛は」

 

「いま、椛の部屋には文がいるんです。それで、わたしはその。ふたりが話し終わるのを待っている、というか。そのぅ、ええと……」

 

 うっすらきょとんの振り向き顔に、にとりの頭はぐちゃぐちゃだった。

 

(このひとは椛のことをどのくらいわかってるんだろう。親なんだから、わたしなんかよりわかってるに決まってる。けど、椛はお酒を飲んだり、セーラー服を持ってたりしてて、ああ! わたしはどこまでを話せばいいんだろう! どこまで話すのならゆるされるだろう!)

 

 煩悶するにとりを、椛の父は暫し例の面持ちで眺めていたが、そのうちに「まあ、大丈夫だよ」系の言葉を吐いて、そのまま家に入っていってしまった。椛の家の壁は薄い。生活音など殆ど筒抜けだ。だから、椛の父が二階に上がろうと階段を登ればにとりにもそれがわかるはずだった。しかし、階段の軋むことはなく、代わりに洗濯機が駆動し、その音はにとりに克明な“事なかれ”の感を与えた。すこし呑気すぎやしないか。そうも思ったにとりだったが、結局なにひとつできることはなく、けたたましい洗濯機の駆動音と、夕空、間の抜けたカラスの鳴き声を傍観することに終始せざるを得なかった。三つ四つとカラスの鳴き声を数えるのにも飽いた頃になってようやく、にとりは階段の軋む音を聞いた。

 

 ――ああ、どうも。おじゃましました。

 

 土間からそんな声が聞こえてから数秒立たずに、玄関の戸はがらがらと開いた。軒先で腕を組みっぱなしで足を棒にするにとりを見つけるが早いか、文は思い出したように頭を掻いて口を切った。

 

「いやあ、随分とお待たせしてしまって……どうも、申し訳ないことをしましたかね」

 

「申し訳ないというかだなぁ……まあ、いいよ。それで、どうなんだ椛は」

 

 それがですね、と、文は口を止める。しばしの沈黙の間にとりは組んだ腕の片方、人差し指で二の腕をとんとんと叩いて文の二の句を待った。眉は潜んでいたし、唇だって少なからず尖らせていた。今にもカラスが鳴いてしまいそうだった。にとりは痺れを切らして文を急かす。

 

「おい、どうなんだよ。こんだけ待たせといてなんもなし、なんてことないだろうな」

 

「ああいやそんな。……じゃあ、言いますがね。椛は、そのぉ……あーでもやっぱり、言っちゃまずいですかねぇ……」

「ああいえ、にとりさんがどこまで知っているかにもよりますが……ああでも、なんにせよ、やっぱりまずいかなぁ……」

 

 にとりは苛々とした。人差し指はよりしたたかに、かつついと二の腕を叩く。木製の電柱、疎らに貼られた電線に一匹のカラスが飛来し、とまった。カラスは動物然ときょろきょろ首を動かしては、そこかしこに丸い瞳を泳がせていた。今にも、間抜けな鳴き声が響いてしまいそうで、にとりの気持ちは俄然逸った。「おい、いい加減に――」

 

「――にとりさん、今回の件はやっぱり、私に任せてもらえませんか」

 

 にとりは組んだ腕のまま、がっくりと項垂れた。上空で間抜けなカラスが、カア、と鳴いた。

 

「いやあ、着いてきてくれとも言いましたし、待っててくれともお願いしました。ですからこんなことを言うのは大変恐縮ではあるんですけどね、ただ、今回に関しましては、ちょっと、そのぅ……」

 

「あー、あー。いいよ、もう。ふたりで勝手にやってたらいいよ。どうせ、お前らは仲良しなんだからさ。もう、勝手にやっててくれ」

 

 文の言葉に、にとりは一種の薄情さを感じて拗ねた。これまで三人組だったのが、不意にふたりとひとりにすり替わってしまったような感じがした。

 

「途中途中で、にとりさんにもなにかお願いしたり、すると思うんですけど。とりあえず私はしばらく椛の部屋に通おうと思うんです。ああ、夏休みの間にはきっと解決してみせますよ。にとりさん、なんだかごめんなさいね。……それじゃあ!」

 

 文は申し訳無さそうに頭を掻きながらも、にとりに礼をして、そのまま去っていった。頭の上でまた間抜けな声が、カア、と鳴くから、にとりはなにか捨て鉢になって、少々息を巻きながら家路を辿った。

 

(結局、わたしには関わって欲しくないってことだろ? なんだよ、それ。……もういいや!)

 

 軋轢と呼ぶにはどこか足りない不協和を抱えて、にとりはこの夏を一人で楽しむことに決めた。帰宅すればちょうど夕飯の時間で、にとりは何杯もおかわりをした。それは気が立ったにとりの悪い習慣で、その日の夕飯には団らんと呼ぶに足る会話はなく、しらじらとブラウン管のお茶の間味のみが食卓を滑っていった。にとりの両親は息子の不機嫌さを克明に察せたので、とりわけて、カラスの間抜けな声ばかりが耳につく、気まずい夕飯であったといえよう。

 

 にとりは拗ねた。夏を拗らせた。やはりそれは自棄っぱちの心で、自棄というのは往々にして破滅願望の色味を帯びる。ビコーズ、やけに活動的になった。心情は敢えて正邪に重ねて、鼓膜にはラモーンズを突き刺して狭い町を徘徊した。性に合わない赤色の半袖を着て、半袖の胸元には痛ましくも“NO FUTURE”の文字が綴られていた。にとりはまず例の海沿い、赤茶のブロックで舗装された道に立ち、堤防の向こう、遊泳用の砂浜、水平線を睨みつけた。水平線は遣る瀬無く、にとりにこの町の狭さをどうしようもなく自覚させた。それは苛立ちだった。ともすれば、視界の端に映るヤシの木が妙に憎たらしく思えて、ついついげしげしとやってしまった。そうして年相応の偽悪的な笑みを浮かべては、鼻で笑ってその場を去った。もちろん、ジーンズのポケットには両手を突っ込んでわざとらしく背筋を曲げた。

 

(海、海、海なんて消えっちまえばいいんだ。壁を建てろ。水平線なんて、わたしに見せてくれるなよ)

 

  にとりはそうして路地を縫った。頭の中では片手にウイスキーのボトルを持って咥え煙草をする自身のイメージばかりが跋扈していた。しかしにとりに空想を実現するほどの豪胆さはない。にとりは自身の中途半端さを自覚して、また苦々しく口元を歪めては自身を嘲った。

 

 湿気った路地を抜け大通りに出れば身体は白日に晒される。にとりは煌々と照る太陽を視るともなく睥睨してはその眩さに毒を吐いた。シャツは汗で肌に張り付いて、周囲では蝉がけたたましかった。

 

(夏はバカだ。アホだ。わたしのことなんか気にもとめないで、嘘まみれに町を照らす!)

 

 にとりはそのまま椛の家の方面へと向かった。無論目的地は椛の家ではない。にとりは道中、学園の校舎裏、フェンスの前で足を止めた。

 

「おい不純分子ども! 何をするかはわからんが、火薬の激しさのなんたるかを、わたしが教えてやろうじゃないか!」

 

 にとりはフェンスに短い足をかけ、そのままひょいと飛び越えた。生け垣の細枝を堂々たる闊歩でへし折りながら、犬走りにてへらへらとする二人組に近づいていく。

 

「あー。どうもセンパイ! かっぱ組のセンパイが協力してくれるってんなら百人力ですよ」

 

 鬼人正邪は胡散臭い敬語でもって快く、にとり悪巧みの一員に招き入れた。

 

「でも、意外だなぁ。こういう悪巧みに加担するひととは思ってなかったんだけど。……もしかしてなんか嫌なことでもあったって、そういうわけ?」

 

 にやにやと自身の胸中を見透かす少名針妙丸に、にとりはひとつ舌打ちを打った。

 

「おい少名、少名針妙丸。おまえは敬語を使うべきじゃないか? 年功序列の語句を胸に刻めよ」

 

 針妙丸はハをへらへらと二、三乾かしてみせたが、別段にとりが腹をたてることはなかった。焼ききれそうなほどの夏空に詰め襟をまとった二人組は暑苦しくも犬走りに胡座をかいて、ふたりの間に散乱する山のようなロケット花火を一瞥して、にとりは輩然とした座位で腰をおろした。

 

「揃いも揃ってそんなもん着て、暑苦しいったらないよ。おまえら、だいたいわかっちゃいないね。ロケット花火弄るにしたって、これじゃあ自分の方に吹っ飛んできてしまうよ。それに、火薬だって詰め込み過ぎだな。飛ぶ飛ばない以前に、これじゃあもはや爆弾だぞ」

 

 おおいぬ組たちの「いちに! さんし!」をバックグラウンドミュージックに、にとりはその手腕でもってふたりに火薬のなんたるかを教授せしめたが、不良ふたりはその間ずっと生暖かくにやけ面で笑うことに終始した。

 

「これをこうしてこうすれば……どうだ、連装式ってやつだよ。火力だって朝刊ギリギリを攻めてるし、なにをするかは知らんが、これならお前らの企ても上手くゆくんじゃないか」

 

「へえ。さすが、かっぱ組の、にとりさんですねえ。おいヒメ、みろよこれ……て、あれ? おまえ、いつからカセットなんてもん持ち歩くようになったんだよ」

 

 にとりは狼狽した。工作の最中、犬走りになおざりにしたカセットが、針妙丸によって接収されていたのだ。針妙丸はイヤホンを耳にぶっ刺してにやにやとしている。

 

「あー、ひどいね。録音するにしたってもうちょいやり方ってもんがあると思うんだけど……なにより曲がひどいよ」

 

 正邪は嬉々として針妙丸からイヤホンを奪って、耳につけた。そうして不良ふたりに、にとりの録音したラモーンズが発覚してしまったのだった。

 

 イヤホンをつけ、正邪はにたぁっと笑った。それは本当に厭な笑い顔で、にとりはなにか生温かい汚泥に触れるような感覚がした。舐めるような正邪の視線から逃げるとまた針妙丸の顔が映る。針妙丸は正邪のようにわかりやすく笑いこそしなかったものの、貼り付いた微笑と笑わない瞳にはやはり何か厭な感じを讃えていて、にとりにはふたりの後輩はまるで生き写しかのように映った。

 

「先輩こんなの聞いてさぁ。ビートルズなんかも聞いてたりして。懐古趣味っての? 偏屈だなあ。もっとこう、そうだな……ビリージョエル、アバ、ポリス、突然段ボール、ザモッズを聴きなよ」

 

 正邪の心底馬鹿にした口調に、にとりは怒りを通り越して呆れかえった。

 

(ひねくれどもの嫌いな歌手リストの羅列はそれで終わりか? 流行が嫌いなのは言わずもがな、アングラにすら噛みつきやがって。とんでもないひねくれども……)

 

 にとりはカセットごとひったくって、ふたりの前でこれ見よがしにイヤホンをつけた。塞ぐ両耳でアイドンケアを示し、鼻で笑ってその場を去った。しかし冷静になればにとりは自分の行動はよくわからなかった。馬鹿にされて、イヤホンを奪い返して、それも負け惜しみのような嘲笑を残し、立ち去る。もしかすると自分は物凄くみじめなのではないか。背後から笑い声が聞こえそうだった。振り向けば二人は指をさして笑っているに違いない。駆け出したくなったにとりだが、それもできない。走って逃げれば、走って逃げたと笑われる!

 

 にとりはもうみじめで仕方なかった。フェンスにかけた短い足が一層、にとりの自意識を苛んだ。フェンスを越え、地に足をつけるがはやいかにとりはとうとう駆け出した。イヤホンから流れるラモーンズの向こう、さんざめくのは果たして蝉か、それともふたりの笑い声か、わからないままにとりは走った。

 

(なんて、なんて嫌な暑さ!)

 

 火照った顔の汗を拭い拭いに、にとりは走り続けたのだった。


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