朝もやにスズメの声が響いている。にとりは寝間着のまま、小さな庭の小さな木椅子に腰かけていた。にとりは上の方を見ながらぼんやりとする。遠くでゴミの焼ける匂いがした。それはにとりが今朝はじめて感じたスズメ以外の生き物の営み、その気配だった。にとりの座る木椅子は本当に小さなもので、ともすれば膝元にすら届かないほどの高さしかなかった。幼いころ、何度目かの誕生日に、父親のつくってくれた椅子だった。朝露にじっと湿っている側面を、にとりの手が無意識に撫でる。半自動的に大脳皮質が思い出を出力すれば、にとりの朝は俄然しらんだ。それは思い出せない思い出で、幼さという抽象だった。霧が揺れている。吸い込めば溺れてしまいそうなほど白い霧だ。にとりは深く息を吸う。呼吸と、スズメの鳴き声と、幼い記憶の抽象のみが、夏の庭に茫洋と在った。「あー」声を出そうとまったく動じぬ霧の朝に、にとりは漠然と包まれ続けた。あんまりにまぼろしめいてこわくなったから、にとりは母親を起こしに行った。訳もなく起こした母親にお腹が減ったと小さな嘘をついてみると、にとりはぐんと現実が戻ってくるような不思議な感覚を覚えた。実際、ちょっとお腹が減っていたことに気が付いた。
来る日も来る日も、にとりはゴミを拾い続けていた。初日こそ集合場所を聞き損じて合流に手間取ったにとりだが、二日目からはそつなく雛と合流してゴミを拾った。雛と子供たちは言葉通りに夏休みの最中はずっとゴミ拾いに明け暮れているらしかった。不思議に思わないにとりでもなかったが、如何せん毎日変わらない子供らの顔ぶれには率直にどうしてを尋ねることはできなかった。なによりもって不可解なのは引率を務める鍵山雛なのだが、にとりにとっては理由などはどうでもいいことだった。それこそ空き缶などと変わらない、どうでもいいこと。にとりにとって重要なのは自分をそのつながりに混ぜてくれない二人組の二つだけだった。文と椛、正邪と針妙丸、それぞれ睦まじくやってる様子の詰襟どもより、自分はもっと価値のある二人組を形成してやろうと、にとりはそう考えていたのだ。真夏、青い空が夕暮れ真っ赤に焼けるまで奉仕活動に興じる男子と女子、それはどうして素敵かもしれないと、にとりはそれだけを考えていた。よって、子供たち乃至は雛の境遇などちっとも興味がなかった。にとりにとって大切なのは男子と女子を対外的に強調する、長い髪や細い手足といった、雛の身体的特徴のみだった。
(もしあいつらに見つかれば、わたしはきっと一目おかれるに違いない。これはどうみてもなんだかいい感じだから)
今日だって、にとりは二人組の二つ、そのいずれかに見つかることを空想してはゴミ拾いの退屈を埋めていた。しかしいくら時間を費やせど空想が実現することはなかった。にとりはもう何日も同じようにして、夏休みの貴重な一日をむなしいゴミ拾いで埋め続けていた。そう、学生にとって夏休み以上に大切な時間などあるはずもない。にとり自身それをわかっていたが、どうして退屈だった。理由と云えば明白なもので、間違いなくにとりの一人に起因するだろう。にとりは転がる蝉の死骸をゴミばさみで挟んで捨てる。鳴かなくなって転がるそれはまるで青春の抜け殻のようで、にとりは俄然むなしくなった。たまに死骸が音を立て蠢けばにとりは驚く。驚けば都度むなしさは“二人組”への妬みや僻みに転化した。
(……おもしろくない! これはどうして、おもしろくないぞ。なんだ、椛といい射命丸といい……わたしをのけものにして、いまごろ夏休みは青春の一ページを更新してる……違いないんだ!)
青春の語句につられて、にとりの中で春以来の卑屈さが再燃していた。あたりにそれらしい“一人”がいれば八つ当たりすることもできたかもしれない。けれどにとりの周りにそれらしい一人は自身を除いてほかになかった。遠目に子供と笑いあってる雛の姿がみえる。にとりはどうしていたたまれずに、雛に声をかけることすらできない。
(おもしろくない、おもしろくない! なにが“それらとは明確にちがうふたり”だ! ばかばかしい。これじゃようわからん悪だくみをする正邪と針妙丸のほうが、よっぽどたのしそうじゃないか)
それらしい一人が自分のほかにいないのなら、にとりはすぐに八つ当たりの標的を自分に定めた。そうすれば考えるのはひとつで、それは連日のゴミ拾いを決めた自身の軽薄さについてだった。にとりは即断即決のやり方をとれば、椛に起きた問題さえすぐに解決できると考えていた。しかし現実、上手くはいかなかった。男子と女子という“明確にちがうふたり”を形成すれば、それだけで楽しい日々が送れるだろうと高を括っていた。悪いのはぜんぶじぶんだ! にとりは急にすべてがばかばかしくなってきた。
(な、なにがゴミ拾いだ! わたしは馬鹿か? 馬鹿にちがいない! こんな、こんな無料の、無償の労働……金の為に働くのもばかばかしいのに、どうしてこんなことをしなきゃいけない? 馬鹿だ、こんな馬鹿なはなし、ほかにない……)
そうと決まればにとりははやい。きたないゴミばさみと蝉でいっぱいのゴミ袋の両方をどこかにうっちゃってしまおうと、お誂え向きの場所を探した。雛や子供たちにすぐみつからないような茂みがいい。幸い、ここは公園だった。にとりは茂みに寄って、誰も見てやしないかと公園中を睨みつける。子供たちは遠くで集まってゴミを拾っている。(チャンスだ!)にとりは茂みの中に屈んで、両手のそれらを手放した。
「にとりちゃん、そんなところまで拾いにいくなんて。熱心ね」
「うわあっ!」
気付けば茂みの前にいた雛に名前を呼ばれて、にとりはひっくり返った。にとりの反応に雛も一瞬驚いた素振りをみせたが、すぐに口元に手をやってくすくすと笑った。
「そろそろ休憩にしましょうか。お弁当、今日も食べるでしょう。ねえ、にとりちゃん?」
「う、うん……」
尻もちをついて目をぱちくりやりながら、にとりはおずおずと答えた。