「あの三人の中で一番スカートの短いのは誰だ? 赤蛮奇だろう。野暮ったく髪を伸ばした茶髪のスカートは長いし、青髪のやつに関しちゃもっと長い。まるでなにか隠してるみたいにな」
相変わらずの校舎裏、正邪はアンパンに噛みつきながら話し続ける。針妙丸も今日の正邪の論調に慣れてきた様子で、牛乳、ストローを噛んで飲む。数分前に鳴り響いたのは昼休みを告げるチャイムだった。どうせ授業に出ないわりには、なかなかどうして律儀である。
「たしかにね」針妙丸は同級生の「まるでなにかを隠しているようなスカート」を夢想してはかき消し、今度は赤蛮奇のスカートについて考えた。するとひとつ、即した心当たりがあった。「ばんきちゃんはアレ、私服もすごいんだよ」
「なんだよばんきちゃんって。恋人か!」同級生の名前にちゃんを付けるだけで恋人呼ばわりされてはキリがない。ともすれば朝すれ違って挨拶を交わしたとあれば、もはや夫婦になってしまう。針妙丸は茶化す正邪を無視して続ける。「こないださ」
「こないだ見たんだ、彼女の私服。すごいよ、色とかさ。上はとりわけ無難なのに、なんだろうねあのスカートは。何色かもわかんないくらい奇抜で、模様だって、奇抜通り越して面妖なんだよ。うん、すごかった」
「へぇ」正邪は途端に興味を無くしたように相槌を打つ。心の僅かに苛立った針妙丸はまったく別のことを考えた。
(なんだっけ。たしか、射命丸。射命丸先輩だ)
半ば伝説的な文に纏わるエキセントリックなエピソードの数々を思い出しながら、あらましエキセントリックな隣人を一瞥する。正邪は腕を組んで、なにやら考え込んでいる。正邪の黙考は不吉の予兆だった。組んだ片方の手には依然アンパンが握り込まれている。包装から顔を出したアンパンの歯型は妙に、針妙丸の目についた。「おい!」
「へっ?」突然の正邪の咆哮に、針妙丸は素っ頓狂な声をあげる。パンから即座に視線を外せば、そこには訝しげな顔があった。
「ヒメ、おまえそれ、どこで見たんだよ」正邪の眉間は深くなる。殆ど睨みつけながら、正邪は吠える。「わかるか? 今回の噂は赤色が体を売ったって話なんだ。なんでそんな噂がでた? 誰がどこで目撃すればそんな噂が立つ? なあヒメ、今回の火種はまさかおまえじゃあるまいな。今の今まで、すべて知っておきながらわたしの妄言を愉しんでたんじゃなかろうな。ええ? おい!」
針妙丸は全てがめんどうになった。ヒメ、という呼称も、やや被害妄想の入った言動も、語勢にきょとんとしている最中に奪われた牛乳も、すべてが青い空に溶けた。「あーあ」「なんだよ?」
「知ってるくせに」
「わたしが何を知ってるってんだ? おい、いいか。わたしはな、例の“おしろ”だってまだ見たことがないんだぞ。西洋風だよ、目立つよ、すぐ見つかるよ。見つかりゃしねえよ! なあ、昨日わたしが何度歩数計のボタンを押したと思う? 六万回だぞ! 海に囲まれたこんな小島で、なんで“おしろ”が見つけられない? それも、わたしだけ!」
なあ、おい。なんでだ。隣ではしゃぐ正邪をよそに、針妙丸の心は凪いだ。正邪の発言は針妙丸にとってはすべて嫌味といっても過言ではなかった。しかし、針妙丸は青空に凪ぐ。
「はいはい。せーじゃ、お前はなんにも知らないんだな。あー、憐れ。げに憐憫」
早業で奪い返した牛乳のストローを咥えて空を仰ぐ針妙丸に、アンパンを完食した正邪が噛み付く。
「おいヒメ。そういうのよくないよ。そういう、適当なやつがいちばん、人を傷つける。ね、友達だろう? いっしょにうたお」「ほら、せーのっ」「わーたーしーは知りませんー! けーっぱくだー! うわはははは!」
即興の「わたしは知りませんの歌」を笑いながらギャーギャーとやる正邪の隣で、針妙丸はため息を吐いた。
(じゃあなんでったって“ヒメ”なんだ? 何が潔白だ。白々しいの間違いだろ)
しかし実際、正邪はなにも知らなかった。中等部三年の秋に編入してきた正邪には、針妙丸の意図するところなぞ知る由もなかった。
「やめてくださいよ! 私はお酒なんてもの、大嫌いなんですから!」
「そうだそうだ!」
頑な過ぎる文の意思と椛の追撃に、にとりはもはやくたびれた。春の陽気に酔った空、にとりは家に脱いできた詰襟を思い、顔をしかめる。
(春も暑い。夏は論外。じゃあ、アレは一体いつ着るんだ?)
無論、秋である。しかしにとりの頭は梅雨すら通り越し、来たる猛暑を嫌っていた。「肝臓いわすは海馬は縮む。吐くわ歌うわ喚き散らすわ。しまいにゃ暴力の沙汰ときましてね。なんもいいことありません。なんにも!」文は首に掛けたカメラをいじくり回しながら独りごちる。文はにとりと同様に詰襟を脱いできたようだが、椛は違った。「歌はいいんじゃないですか?」「たしかに!」
椛の口から能天気な春の歌が零れると、文はそれをかき消すほどの大音声で椛に続いた。椛も負けじと声を張る。シャッターを切る音はキャッキャと猿楽う二人の声に混ざり、しきりに響いた。路傍の雑草や石っころにレンズを近づける文に、にとりは疑問を抱かずにはいられなかった。
「なあ、せっかくの良いカメラなら、もっと良いもの撮るべきじゃないか」
「えー? いいんですよ、これで。とりあえずは」カメラを構えっぱなしに文は答える。なにがよくて、どうしてとりあえずなのか。釈然としないにとりだったが、不意にどうでもよくなった。「そんなもんかな」「そんなもんですよ、そんなもん」
ひび割れたアスファルト、雑草を揺らす微風は潮と油の匂いを運ぶ。工場の群れ、高い煙突に照る日差し。道の真中の白線は、物資搬入車両のためだけに引かれたものだった。しかし車両の行来は明け方にのみ行われる。三人がそれを知ったのは中等部のころだった。中等部、二年目といえば難しい年頃である。毎日なにかに感動し、絶望し、悲喜交交の眠りに就いて、夢の中でさえもあらしに見舞われるような年頃だ。なにもかも嫌になることがままあり、たまたまそういったタイミングの一致した夜には家を抜け出し、白む空に行き交う貨物自動車を三人で見送った。思い出の場所といえなくもなかったが、如何せん、今日ではいつもどおりの春の日だった。にとりはどうでもよくなって、胸中湧いた僅かな興味で口を切る。
「でもそれって結局アナログだろう? 支給品となにが違うんだ」
「なにもかも!」
写真部所属の文は両手でカメラを天に掲げて叫んだ。「あんな安っぽい量産品と一緒にしないでくださいよ!」それを口切りに、目を皿にして掲げたカメラに食入りつつ、文は早口で性能についての呪文を繰り出し始める。ときにぶつぶつと、ときに揚々と。不安定な抑揚のついた文の呪文に、二人は苦笑する。椛は自身の襟を掴んで、混迷極まる文を眺めた。
「文さん、好きですよねえ。カメラ。私には正直なにが良いのかさっぱりです」
「わたしも。バラさせてくれるってんなら話は別だけど。……椛おまえ、暑くないか。脱いでくりゃいいのに」
椛は襟を掴んだままきょとんとして、一寸の間を置いて、にとりに向き直って笑う。「いいんです。私はこれで」
にとりは曖昧に「へえ」を発音し、慌てて目をそらした。最近、にとりには椛の笑顔が妙に思えた。常にうっすらきょとんとした顔立ちも、控えめで、しかしあっけらかんとした笑顔も、どちらも見慣れた顔のはずなのに、ふとした瞬間、にとりは椛の顔から目をそらしてしまうようになった。青い空、春の陽の下、黒い詰襟はよく映えた。「……おわーっ!」
すべてをかき消すように文が叫ぶ。ひっ、と声を上げたにとりも、奇癖からなる文の奇声に興味津々の椛も、不可思議そうに文へと向き直る。視線の先には自身の頭を両手で押さえつける文がいた。文はまた目を見開き、なにかを見上げている。二人が文の視線を辿ると、そこには古びた信号機があった。それは横断用に設置されたものではなく、貨物自動車の運搬整理用に設置された信号機だった。L字を逆さまにして地面に突き刺さった信号機は、道のまんなかに影を落とす。無論灯りは消えている。信号機の点灯はやはり深夜から明朝に限られていた。「これですよ!」
「私は今日、これを撮るために二人をここに連れてきたんです! さあさあ、とっとと射線上からはけてください! 私の画角に影のひとつ落としたらひどいめに合わせますよ。ほら、もっとさがってさがって!」
連れてこられたというより拉致されてきたにとりは夥しく浮かぶはてなマークを押さえ込み、文の言うとおりにした。椛はなんの不満を感じさせないニコニコとした表情で、にとりの隣につく。にとりの胸中、支離滅裂な文の言動に湧いた少量の不服はすぐに消え去った。嬉々としてファインダーを覗き込む文をみると、にとりにはすべてがどうでもよく思えた。にとりは文の撮る写真を思い浮かべる。ほどよく広い道路。途切れ途切れではあるが、たしかに色濃い一本の白線。青い空。端にはきっと、僅かばかり、ごちゃごちゃとした工場の群れが煙を吐く。写真には映らずとも、微かにきっと海の香る。それが、にとりの思い描く文の写真だった。「現像したらわたしにも一枚くれよな」「あっ、にとりさんずるい。私にもくださいね、文さん!」
「言われなくとも!」そう言って、文は唇を舐める。嬉々とした表情に、やや真剣な雰囲気が混ざる。
(ああ、やっぱり文は文だ。どうしたってからす組だ。部活サボらなきゃいいのに、そんだけ好きならさ)
にとりは内心と同じだけ微笑んで、文の背中を眺める。なんとなくシャッター音が待ち遠しく感ぜられて、しばしやきもきとする。それは椛も同様だったようで、すこし緊迫した空気のなか、椛はにとりに困ったように笑いかけた。
しかし、いつまで経ってもシャッター音は響かない。かれこれ数十秒が過ぎ去って、にとりも椛も首をかしげた。「文のやつ、どうしたんだろ」「さあ?」
ファインダーを覗いたまま硬直した文に怪訝な視線が突き刺さる。また数秒間、こんどは先程までの緊迫感とは多少ずれた時間が流れる。ふと、青空に無常の鳥がチュンと鳴けば、おもむろに、文はカメラを降ろした。
「えーと」
文は二人に向き直り、人差し指、恥ずかしげに頬を掻く。
「……やっぱりやめにします。なんか、恥ずかしくなっちゃって。アハハ……」
「わっ、でた!」「なんだよ! 引っ張るだけ引っ張って!」
にとりと椛の冗談めかした声が重なる。文のそれが始まったのはつい最近のことだったが、二人にとって事の直前に冷める文というのは、もはや見慣れた習性となっていた。二人が文のいないところで協議した結果、新たなる文の奇癖は「瞬間冷凍」の名がついた。名前のわりに、現れるととりわけて盛り上がることが多い現象だった。今回も例に漏れず、にとりと椛は可笑しくなって、文の背中や肩を叩き続けた。
「なんなんですか文さんのそれ! 最近よくやりますけど、変ですよ。可笑しいです」
「いやあ……」
「まあそれが出たってことは、今日の撮影はここまでだな。どうする? このまま解散ってのも芸がないよね」
「あはは……」
背中や肩へと訪れる規則的な衝撃に、文はへつらうように笑うのみだった。対照的に上機嫌なにとりはこのあとのことを考えた。椛が行きつけの駄菓子屋へ行くことを提案した。にとりは椛の部屋のラジオや雑誌類に思いを馳せた。ふたりは互いに進歩のない娯楽にはにかみながら、文の背中を押しつつ歩く。
(カラオケとかありゃいいのに。なんか、しょぼいよなあ)
にとりは未知なる激しい娯楽を夢想したが、すぐに邪魔が入った。カラオケに連なってやってきたイメージは、おとなたちしか立ち寄らない町外れのスナックやらなにやらで、それは文の嫌いなアルコールに関連したものばかりだった。にとりも文ほどではないが、友人の嫌うものにはそれとない嫌悪があった。結局、肩を落とす文を尻目にふたりで協議した結果、駄菓子屋に寄って椛の家へ行くことになった。にとりの思うとおり、この町は狭かった。
今のとこどうですか?おもしろい?つまんない?評価で教えてやってちょうだいな!
よろしゅーに!