ワンダーラスト   作:kodai

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 ――やだなぁ、センパイ。ここ、私の実家だよ。

 

 針妙丸の一言でもって、文とにとりの焦燥には一時終止符が打たれたが、この町唯一の〝おしろの跡継ぎ〟との遭遇は、それはそれで形容しがたい衝撃だった。火事をようやく消し止めたような漠然とした安堵に、二人は半ば呼吸を止めて、眉を潜めては、どこを見つめるでもなく見つめていた。そんな二人は何がどうして、202号室の中にいた。同性二人でもって瀟洒の過ぎるベッドに腰掛けては、一点を見つめている。

 

 ――センパイたちも遊んで行ったらいいよ。202号とか良いよ。なんでって、私のできた部屋だから!

 

 そういってハを二、三乾かせた針妙丸の声を思い返しては、にとりはまた複雑な、まるでこの町の街路に絡め取られたような気持ちになっていた。

 

(あいつ、嫌いなんだろうな。この部屋)

 

 どういうわけか、にとりは針妙丸の一種諧謔的な態度に、深い共感をもってふれていた。ぐるぐると、網のような思考の中で暗い感情ばかりがその目を縫うように飛び交っていた。にとりは中等部時代の記憶に、詰襟を着て優等生然と課外を受ける後輩、お城の一人息子の姿を見つけた。自身が都合のいい家庭の事情でもって課外を免れ下校をする段に、廊下から覗くその後輩の姿がいやに象徴的に感じたことを思い返していた。ともすればその教室は〝なに組〟の課外に使われる教室だったか、それが思い出せず、にとりはそれを思い出すことばかりに苦心した。一方で、文はおもむろに腰を上げた。ベッドの揺れる振動で、にとりは文の行動に気がついた。

 

「なあ文、やっぱ帰ろうよ。あいつらが現に他の部屋で遊んでるったって、やっぱりこういう場所はさぁ」

 

「で、でもにとりさん。わ、私、私ちょっとだけ、興味があるんですよね。興味があったんですよ、こ、こういうの……」

 

 やおら興奮した様子の文に、にとりは呆れて一つ息を吐いた。文は興奮に震える手で、今にもそれに触れようとしている。薄暗い照明が、妖しく調度を照らしている。ホテルニュー輝針城202号の実態は、文へとたしかに健全な感動を与えているようだった。

 

(まあ、いいか。わたしも興味ないわけじゃ、ないし)

 

 何よりも、それが文の身に起きているであろう鬱屈としたあらしの発散、ないしは解消のためになるなら、にとりの不服は俄然薄れた。すると、にとりにしたって文の高揚が伝播して、やおらやる気になってきた。よく言えばノリが良く、悪く言えば流されやすい。それはにとりの習性でもあるが、同時にかっぱ組の類型でもあった。

 

「いいよ、文。やってみようじゃないか」

「は、はい!」

 

 文は途端に、勇んでそれに触れた。感触を確かめるように両手で暫し撫で、持ち上げては、付属した細棒の先端で、四角形の中央をおずおずと突いた。ぴっ、と音が鳴り、四角形には画面と呼ぶべき色彩と明かりが点いた。「お、おぉ……」文も、文の背後から覗くように見ていたにとりも、思わず感嘆をもらす。新曲、歌手名、曲名、あの頃、デュエット。等々、画面にはそれらの項目がずらりとあり、ともすればその四角形はデンモクに違いなかった。ホテルニュー輝針城にはカラオケがあった。部屋に各一台づつ、カラオケがあったのだ。正邪の早計によりここまで連れてこられた二人にとって、それは革命的な娯楽だった。レコードやカセット、8センチなどというのはこの町の学生にとってはお宝で、親から譲り受けるもの、時化た質屋雑貨屋の類で見つけ出したもの、学生たちの間で互いにやり取りされるものを除いては、それらすべてが出所不明のものだった。学生たちの親世代にしたってそれは同じことだった。とにかく音楽は聴くもので、口ずさむことはあれど歌うなどということを、二人は一切考えたことがなかった。加えて、音楽やその他のいろいろなものが〝遅れて〟流入することに薄々気が付き始めた年頃の二人ならば、この部屋の機械すべては、やはり革命的だった。かれこれ数分間逡巡したのち、文は初めて送信ボタンを押した。その間、リモコンを膝に曲番号の羅列された分厚い本を睨みつけていたにとりだったが、曲が鳴り始めると慌てて顔を上げ、瞳を輝かせた。文の選曲も相まって、それはまるで幼児の呆けてテレビに食い入るような、おおよそ瀟洒すぎるベッドの上には、釣り合いの取れぬ表情だった。

 

 

 

「こんな清々しい気持ちがあるもんですかね! ねぇにとりさん!」

「ほんと! いやあ、よかった。だって、今でもまだいい気持ちなんだもん。信じらんないね!」

 

 夕暮れ五時、二人は例の、沿岸沿いの、工業地帯を歩いていた。歌唱によってもたらされるオキシトシンの昂揚を抱えたままに、ひび割れたアスファルト、割れ目の雑草をはらり、はらりと横切っていく。二人の歩調は軽やかだったが、張り切りすぎたカラオケにより多少の疲弊の感もあった。半ば恍惚として真白い脳でもってふらりとふらつけば、時折二人は肩をぶつけた。ぶつかる右肩と左肩に伝わる振動ですらも、いまの二人にとっては素晴らしく、意味のある事象に思えた。

 

「や、でも意外でしたね。にとりさんがあんなの歌うなんて」

「そっちこそ! あんな音楽、どこで聴いたんだよ。椛の部屋にないやつばっかりだったじゃないか」

 

 二人の選曲に関しては紆余曲折があった。文の初めに選曲したのは〝ぞうさん〟というかの有名な童謡で、それは文なりの初めてのカラオケに対する照れ隠し、誤魔化しの類でもって選曲なされたものだった。文の照れ臭そうなぞうさんを聴きながら、にとりはおずおずと〝線路は続くよどこまでも〟を選曲せしめた。それから『故郷の空、紅葉、おお牧場はみどり』等々、互いに「これはちがうよね」を言い出せないままの童謡メドレーが続いたが、童謡のストックが切れかけてきたころに文の入れた『たま』によって童謡メドレーに終止符が打たれた。ふわふわとした優しく気丈とした童謡の世界から、たまの奇怪な世界観に引きずりこまれた際に感じたにとりの温度差は並大抵のものではなかった。しかしその温度差でもってにとりもようやっと自棄っぱちになり、自身の趣味を明かす覚悟ができた。にとりはやおら昂揚で震える指先でもって、デンモクの送信ボタンを押した。すると『夕方ガッタン電車が通るよ夕間暮れの空』の上部『あなたに会えてよかった』の十文字が、きらびやかにフェードインをした。暫し続いた互いの趣味の明かし合いもほどほどに、二人は共通した音楽を選曲しはじめ、二本のマイクでもって共に歌った。椛の部屋でよく聴く〝青春パンク〟を共に歌えば、口に出さずとも、内心、二人は今度の機会は椛を連れてくることに決めた。それほどまでに、二人の青春パンクに対する共通認識は深く、また、深さと同等の熱を帯びていた。ともかくとして、いい気分だった。

 

 二人はそんないい気分のままに、沿岸沿いの構造物の網目を這う。おしろを出る際に針妙丸の言った「ああセンパイたち、楽しかったでしょ? いつでも来ていいからさ。安くしとくよ、それじゃ」でもって帰途をたどるには、あまりにも淡白すぎた。だからといって、二人は何処へ行くともない。ふらふらと、オキシトシンの酩酊のままにほっつき回れば、自然と、ここに行き着いた。

 

「ああ、でもさ。その、わたしの歌った曲だけど、ええと……」

「はいはい、わかってますよ。椛さんには言いませんから」

 

「うん、なんかね。なんだろ、ええと、はは。いいや、そうして。ありがとね」

 

 文はにとりの有する中性を、無自覚なにとりよりも克明に察していた。にとりはなんだか面映い気持ちになって、そのまま、針妙丸と赤蛮奇の間柄について、ぼんやりと考えた。

 

(あいつら、妙に親しげだったけど。ほんとに歌うたってただけなのかな)

 

 にとりはそのまま、年相応の性に対する憧れに似た泥沼にやおら沈んでいく。思い出されるのは、やはり同級生の緑色。鍵山雛のことだった。誰かが、雛がおしろに入っていくのをみたと云う。しかしそれは単なる噂で、彼女の持つ特有の神秘的な膜によってもたらされた、年の頃にはよくある邪推、今回、正邪が陥った早計と似たようなものなのかもしれない。とにかくとして、にとりはやおら沈んだ。首にさげたカメラを朗々と弄る友人に気が付かないほど物思いにふけった。

 

「ほら!」不意に友人のあげたいつも通りの大声に、にとりはいつも通りに「ひっ」と短く声を切る。友人の朗々と、煌々と輝く視線の先には例の、古びた信号機があった。貨物車両の運搬整理用に設置された信号機、ひび割れたアスファルト、かすれた白線上の夕暮れに、L字を逆さまにして突き刺さっていた。しかし、にとりは友人の視線の意図するところが、信号機にないことがすぐにわかった。にとりは美しく巻雲の散った夕間暮れの空を、すぐさま文と同等の煌きの籠もった目つきで捉えた。にとりはこういったときには、いつも友人の情熱に感化され、半ば同化してしまう。言わずもがな、それはかっぱ組の類型だった。

 

「私、私ね! 今なら撮れるんです! この信号機のてっぺんでもって、私は空を撮れるんですよ! この、美しい空を!」

 

 文がそう言って信号機の細い棒を滑稽にも、しかし情動をもってよじ登ろうとする。にとりは俄然うれしくなった。文のその姿はまさに自分たちが“かっぱ組”、“からす組”だった際の憧景と合致していた。しかしまた、すぐににとりは不安になる。にとりは文の首からさげた古びたカメラが、文の家庭における所謂“家宝”であることを知っていたし、なにより、信号機のアルミめいたポールは幾分、人の立つにも座るにも細すぎた。

 

「お、おい文。危ないよ、やめとけよ。家宝だろ、やっともらったんだろ、それ!」

 

「いいやできます! ねえにとりさんわかるでしょう、私がいま最高だってこと! こんなセーフティなんざも必要ありませんよ! だって、昔ならこんなものつけてなかった! いつだって私は生身でもって生きていたんだから!」

 

 なんとか逆さのL字のてっぺんに達した文は、括り付けた紐を首から外した。よろめく足でもって、不安定な細い鋼管に立ち、堂々とカメラを空に構える。今にも、身体もカメラも、なにもかもが、落下してしまいそうだった。にとりは急激に湧いた不安でもって文に叫ぶ。「やい文! やめろったら!」

 

 ――依然、文は煌々とレンズを覗き込み、憧景に舌舐めずりをする。にとりはずっと、不安げに言葉を吐き出していたが、不意に、夕間暮れの空にシャッター音が響いた。

 

 にとりのあ、という小さな悲鳴よりもずっと小さな「きゃっ」は、踏み外した足でもって急転直下をする文の口から漏れたものだった。

 

 どこかで、チャルメラが鳴っていた。夕間暮れの空の下、間抜けで、陽気で、しかしどこか寂然としたメロディーは、地べたで放心した文と、身を強張らせるにとりとのしじまに、曖昧に響いた。

 

「あー、やっぱり。……だめなんですよね、今ではもう」

 

 痛む身体を気にもとめずにやおら立ち上がり、そのまま去っていく友人の背中を、にとりは下唇を噛んだまま、見送った。それは今朝の暗室で覚えた感情と同じものだった。無力感、とでもいうべきだろうか。とにかく、にとりは自らのまわりを螺旋のように取り囲む時間を、下唇に噛み締めていた。強いて今朝との違いをあげるならば、もたげる首の角度だった。後方、自身には用途のない信号機と、まるで同じ角度をしていた。そうして動き出せたのは、またチャルメラの鳴ったころだった。にとりは家路を辿っては、いつも通りの夜を過ごした。水曜一八半時のアニメ、歌謡ショー、メロドラマ、深夜の映画。いびつに与えられる大好きな娯楽と、大好きな町が、にとりはいつも大嫌いだった。けれども、いつだって不誠実なまでに意味を変えるお気に入りにアイドル歌謡は、どうしたって優しく、自室の窓から見る夜空は悲しいほどにきれいだった。




よろしゅ
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