ワンダーラスト   作:kodai

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 文が教室に来なくなってから二週間ほどが経った。正邪と針妙丸の仲がどうなったのかも、にとりは知らない。にとりは椛とも、文が居なければうまく話せないことに気付いた。けれど、それでもぎこちなくではあるが、友人との対話は欠かさなかった。欠かせなかったというのが正鵠に近いかもしれない。休み時間の、喧騒と言うには穏やかすぎる日常のなかで、椛の好きな音楽グループの話や、映画の話をした。桜花はとうに落ちていたが、新緑の深まる頃だった。どうしたって、にとりは正邪から受けた依頼と、それに伴う追跡劇、ホテルニュー輝針城、それらのことの顛末について話さずにはいられなかった。あの日の翌日にはまっさきに椛にそれらを語ったし、音楽グループや映画の話といった日常的な会話の終着点にしたって、いつもそれら心配事の話になった。けれども、椛は相変わらず、あの日の暗室で言ったのと同じ顔をして「まあ、文さんなら大丈夫ですよ」と云う。薄情だ。そうも思ったが、そう語る椛の瞳は、クラスメイトたちが“淫売の緑色”などについて話すときの軽薄さが微塵も感じられず、むしろ確信に近い、いわば母性を感じさせる色をしていたから、にとりは椛を薄情と糾弾することができなかった。にとりはまた、自身のまわりを螺旋のように取り囲む時の流れを、感じていた。やはり、それは無力感だった。相変わらず、にとりは口内、下唇を収めていた。

 

 

 

「おいヒメ。おまえ、最近なんか、あったろ。あーいや、その、誰かと会っただろ。これはわたしの、いつもの妄言なんかじゃあない。わかるか? いや、わかってるんだ。この疑念ライクア想念は半ば確信に近いレベルで蛭状と化し、わたしの脳内を這い回っている。いいか、ヒメ。おまえは最近誰かと会った。もっといえば、そう、センパイだな。ヒメ、おまえはセンパイに会ったはずだよ」

 

 四限が終わり、食堂へ向かう最中だった。正邪が校内にいるのは異常で、ともすれば晴天の霹靂だった。優良、はたまた“ふつー”の生徒たちの奇異の眼差しを集めながら、針妙丸は構内を歩く。渡り廊下にずらりと在る窓は電車の車窓なんかとよく似ていて、グラウンドや体育館、それから幼、初等部の校舎といった構造物の遠い向こうには、街路樹が緑々と茂っていた。針妙丸は正邪と同様にサボるが、所謂“単位だけは取る素行不良の優等生”だった。母親譲りの背の低さと父親譲りの中性的なルックスでもって、針妙丸はよく“モテ”た。今にしても、下駄箱から持ってきた数枚のラブレターを眺めるともなく眺め、ともすれば、便箋やメモ書きの余白の白のみを眺めていた。その白色は校内食堂の壁の、不健康な白色とよく似ていたから、いつもなら砂埃や何かで白っぽく汚れた正邪の詰め襟が、針妙丸には不自然なまでに黒く思えた。

 

「おばちゃんサンドイッチひとつ。トマトのね。あと牛乳も」

「へー、針妙丸さんはトマトのサンドイッチがお好みですか。ジョー・ヤブキみたいですね。知ってる? あいつの好物なんだよ。あ、おばちゃん、こいつの頼んだのと同じものをひとつずつね」

 

 四限を終えてから、正邪はふらっと現れ、針妙丸にいつも通りの馴れ馴れしさでもって針妙丸に語りかけた。しかし、針妙丸は四限を終え、下駄箱から持ってきた恋文の数枚を携え渡り廊下を歩き、学食で注文した品を受け取り、それを持って席につくまでの間、徹頭徹尾正邪を無視した。素行不良の優等生と、好き勝手に喋りまくる一切の出席すらしないザ・不良生徒という対比は、傍から見れば混沌としたものだった。先程言及したその他の生徒から二人に送られる奇異の眼差しというものは、その点に起因しもたらされる現象だった。喧騒というにはあまりにも穏やかすぎる校内食堂の席にて、ようやっと、針妙丸は口を切った。

 

「わかった。望み通りを言ってやるよ。私はこの町で唯一のおしろ、ラブホの跡継ぎ。一人息子だよ。どうだ、満足か? センパイ方まで差し向けやがって、趣味が悪いにもほどがあるよ」

 

 針妙丸は自嘲気味にひとつ鼻で笑って、サンドイッチにかじりついた。咀嚼している間、針妙丸は対面の正邪をどうでもよさげに眺めた。針妙丸の放った言葉に対し、正邪はじっと、考え込むように俯き、腕を組んでいた。

 

(いつまで猿芝居を続けようってんだ。どうせ笑うんだろうに。なんせ知ってたんだ。知ってた上で私にセリフを吐かせようと画策したんだ。笑うなら早く笑えよ。ひひひ、知ってましたぁ、ってな)

 

 針妙丸はやおら苛立たしげにストローを噛み噛み吸う。しかし、相変わらずに正邪は腕を組んでは俯き、黙考している。依然として変わらぬ状況に痺れを切らして、針妙丸はまた、急き立てるように口を開いた。

 

「この町には何もないなんて言ってたな、お前。生憎この町にはカラオケがあるよ。サ店だってあるし、終いにゃ公園だってある。カラオケの場所か? 私の実家、おしろだよ。そんでもって私はカラオケのついたおしろの202号室で作られたガキ、このルックスでもって中等部が二年についたあだ名はヒメ。ほらどうだ満足か? 回りくどいやり方しやがって。どうしてお前はいつもそうなんだよ。いい加減、付き合いきれないね」

 

 正邪は俄然俯き黙考した。下唇すら口内に収めて黙考した。前髪に隠れた瞳はずっと右方の虚空を眺めているようで、眺めていないようで、まるで焦点がどこにも合わぬ様子だった。不健康な白の食堂、茶色と黒の簡易テーブル、クリーム色はチープなプラスチックの丸い椅子。喧騒というには穏やかすぎる食堂の静寂が数秒続き、針妙丸がいたたまれずに席を立とうとする。

 そのときだった。

 

「……それ、マジ?」

 

 正邪は俯いていた顔をあげ、組んだ腕のままに針妙丸に訪ねた。その表情といえば真実きょとんとしていて、本当に何も知らなさそうにするものだから、針妙丸は放心した。

 

「……は?」

 

 放心のままに針妙丸の口から漏れるそれに対し、正邪は似たような「え?」を返した。皿のような丸い目を自身に向ける正邪に対し、針妙丸は無自覚にまるきり同じ目の玉でもって正邪の瞳を見つめてしまっていた。針妙丸と正邪が出会ったのは半年ほど前、中等部三年の秋のことだった。二人は瞬く間に互いを友人或いは腐れ縁と呼べるほどの仲になった。きっかけらしきものはもはや定かではない。正邪は常に諧謔的な口調でもって針妙丸と接していた。だから、針妙丸は正邪の“嘘を言っているときの表情”を深く知っていた。しかし逆に言えば“本当のことを言っているときの表情”は知らなかった。現在針妙丸の眼前、友人は針妙丸の知らない表情をしていた。やはり、正邪の黙考は不吉の予兆だった。堰を切るように湧き続ける疑念から、絶とうと思っていた友人関係は、正邪の黙考により落ち着かされた。すなわち、針妙丸は依然、正邪と友人でいなければいけなくなってしまったというわけだ。なんとも、椅子の座り心地が悪いような気のする針妙丸だった。

 

「ヒメ! わ、わたしをおまえの実家に連れてってくれ! わたしにも歌わせろ、歌わせろよぉ!」

 

「いやだね。お前はもはや出禁だよ」

 

 ちなみに、その後判明したことがひとつある。正邪が針妙丸に対し用いるヒメ、という呼称については、詰め襟のくせに中性的な顔立ちをした針妙丸に対する正邪自作の皮肉だったという話だ。やいヒメ、やいヒメと、針妙丸がからかわれ、冷笑されていた事実を正邪は真実知らなかった。それから、これは筆者のみが知る事柄にはなるが、なにがどうして導き出されたヒメ、という皮肉はやはり、腕を組み項垂れた正邪の黙考の果てに、導き出されたものだった。

 

「出禁てなんだよ、まだ入ったことすらねーのに……あ? おい待てよ。じゃああの、赤色はなんだ。緑色はなんだよ」

 

「赤? 緑? なんのはなしだか。さっぱりだね」

 

 それから、針妙丸は必要最低限の出席もほどほどに放棄し、正邪と共に、校舎裏へと帰っていった。

 

「言っただろ! 正反対、赤も緑も、性犯罪の色だって!」

 

「さあね。まあ、ばんきちゃんの方なら話してもいいけど」

 

 二人は犬走りに胡座を書いて、生け垣と、緑色がところどころが剥げて赤茶羽になったフェンスの方へと視線をやった。もちろん、なにも見ちゃいなかった。「アレはね」

 

「アレの火種は本人だよ。一人カラオケが恥ずかしいんだってさ」

「ハァ? だとしたらあいつの首から上、どうかしてるぜ」

 

 二人はなんとはなしに、同級生の奇抜な服装、面妖なスカートについて思いを馳せる。イメージの中で彼女のスカートの模様は、ちょうど、色合いまでも、錆びたフェンスの緑と、赤茶羽色のまだらと、合致していた。

 

「ところで、おまえなに組?」

 

「それを聞くには、お前じゃまだはやいよ」

 

 互いの早計が、新学期に伴い始まったふたりの奇妙な不和のすべてだった。二人は互いに、校舎裏の犬走りに肩を並べる友人が、なに組出身であるのかさえ、未だ知らなかった。

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