蓬莱山輝夜お嬢様がコナンの世界入りした話   作:よつん

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露題:ほころびに宿るまぼろし

 

 CMが当たりすぎて「この他にもぜひ!」と熱心な誘いが日に日に増えていく。それを周囲が断っているのを眺めながら、輝夜は適度な忙しさの中、のんびりと日々を送っていた。

 

 マネージャーの話によると、輝夜がCM出演した化粧品は、少し高めの価格帯であるにも関わらず、女性のみならず男性からも買い求められているらしい。それはひとえに「『カグヤ』がやってたから」という理由に過ぎないのだが、「買ったはいいものの、もったいないので」と使用してみる人も出てきたとかで、「カグヤ」の男性ファンの肌はすべすべもちもちしているらしいと専らの噂だ。

 

 さらに、殺人および殺人未遂事件によって「人魚伝説」が霧散した美國島も、CMの撮影地ということで注目されている。中には事件解決に「カグヤ」が貢献しているという、「どこの誰に取材したんだ」と関係者に呆れられるような記事を載せている週刊誌まであるため、「カグヤ」ファンや、不謹慎ながらに事件に好奇心を抱いた人々が集っているそうだ。もちろん、美國島のもともとの魅力である海産物や美しい海も再注目され、祭りの時期に関係なく、観光客で賑わっているらしい。

 

「あら、見事な富士の山ね」

 

 そんな現象を世の中に巻き起こしている輝夜はというと、博士の運転するレンタカーの助手席に座りながら、上機嫌に景色を眺めていた。

 

 「きれいですねぇ」「やっぱ日本一の山だぜ!」と口々に感想を述べる後部座席の子どもたちのテンションは高く、きゃあきゃあと可愛らしくはしゃいでいる。

 

「ん? あれ何だろう?」

 

 そんな中、歩美が一際目立つ高層ビルを指差した。他の探偵団や輝夜もつられてそちらを見る。運転中の博士は、一拍遅れてその建物を見やり、それから「ああ」とビルの説明を始めた。

 

「あれは西多摩市に新しくできたツインタワービルじゃ。高さ三百十九メートルと二百九十四メートルの、日本一のっぽな双子じゃよ」

 

「行ってみてぇなぁ」

 

 元太が目を輝かせながら言うと、同じく目を輝かせた光彦が「博士、明日キャンプの帰りに寄ってみましょうよ!」と提案する。

 

「少し回り道になるが、まあいいじゃろう。輝夜さんの予定は大丈夫かね?」

 

「もちろん大丈夫よ。今日明日は一切仕事を入れていないもの」

 

 マネージャーおよび事務所の人々は悲鳴を上げていたが、何せ契約内容の中にしっかりと「輝夜がやりたくない仕事はやらない」「輝夜が希望した日時は空ける」というものが明記されているので、無理強いもできない。彼らは数多のオファーから、輝夜が興味を持ちそうなものを厳選し、「どうにか雑誌の撮影以外も受けてもらえないか」と試行錯誤しているようである。

 

「さあ、着いたぞ。みんなでテントの準備をしようかのう」

 

 オートキャンプ場に到着し、博士と輝夜を中心に、子どもたちが手伝いながらせっせと荷物を下ろす中で、彼らの周りに、オートキャンプの利用客がわらわらと集まり始めた。

 

「あ、あの……もしかして『カグヤ』さんじゃありませんか?」

 

「ええ、そうよ」

 

「やっぱり! テントを張るんですよね? 手伝いますよ!」

 

 その中の一人、若い男性から声を掛けられた輝夜は、ちらりと少年探偵団の方を見て、それから男性に笑顔を向けた。

 

「ありがたいけど、遠慮するわ。自分たちでやるから楽しい『苦労』もあるものね」

 

 ぽん、と近くにいた元太の頭に手を置いてそう言った彼女は、周りにいる野次馬を気にもせず、博士に「次はどうするんだったかしら?」と声を掛ける。

 

 以前のキャンプでも、泊まるのは叶わなかったものの、テントだけは張ったことがある輝夜は指示に従いながらてきぱきと動いていた。コツが必要なところは探偵団の子どもたちに聞いたり、博士に一緒にやってもらったりしながら行うことで、準備はあっという間に完了である。

 

「さて、わしと哀君は米を炊くから、君たちはそこの川で魚を釣ってきてくれんかのう? 輝夜君はどっちがいいかね?」

 

「私、みんなと一緒に釣りがしたいわ」

 

 二つ返事をした輝夜に、本人以外の全員がその答えを予想していたのか「やっぱり」という顔をした。彼女は単純作業的なことよりは変化のある活動を好むことを、「友達」である彼らは理解しているためだ。博士は下ろした荷物の中から釣り道具一式を出してやり、にっこり笑った。

 

「それなら、ほれ。わしの釣り道具を貸そう。一匹も釣れなければおにぎりと野菜だけじゃからな。頑張るんじゃぞ」

 

「頼んだわね」

 

「任せてください! 輝夜さん、釣りはしたことありますか?」

 

 博士と灰原の言葉に対し、どん、と胸を胸をたたいた光彦が、輝夜へと振り返る。輝夜は「ええ、少しなら」と返事をして、「でも、こういう道具は使ったことがないわね……」と博士や子どもたちが家から持ってきた釣り道具を珍しそうに眺めていた。

 

「ええっ? 逆に、どんな道具で釣りを?」

 

「その辺の枝に糸と針をつけてたのよ。暇つぶしにはなったわ」

 

「そんなんで釣れるのかよ? まあいいけどよ、エサ買いに行こうぜ。あっちで売ってるって」

 

 輝夜がキャンプ初心者ということと、前回のような落盤事故などによってまた中止になってしまわないように、と今回選ばれたのは、それなりに施設の整ったキャンプ場である。テントを張る場所だけでなく、コテージなども貸し出しており、宿泊しない客に向けてのバーベキュー場や釣り堀の解放、釣り具のレンタルも行っていた。元太の先導について行きながら、周囲の人々の注目を集め続ける輝夜は、「マスクをしてきた方がよかったかしら?」と首を傾げた。

 

「輝夜さんが気にならないならいいんじゃない? ただ、テントの場所がバレちゃってるから、危ない人とかが寄って来ちゃうようなら、泊まらず避難した方がいいかも」

 

「……そうね。危ない人が私に『寄って来れたら』、そうするわ」

 

「…………輝夜さん、お願いだから人を殺せそうな眼力で睨むのだけはやめてよ。睨まれてない人も怖いんだから」

 

「あら。じゃあ、コナン君が守ってくれるのかしら? 今日も怪我をしないように厚着しろってうるさいんだもの」

 

 クスクスと笑った輝夜に、探偵団の子どもたちが「コナン君の言う通りですよ!」と会話に加わった。

 

「輝夜さん、人気者なのに『危機感』ってやつがないんですから! 釣りをするだけでも、誰かの針が引っかかって怪我をすることがあるんですよ!」

 

「そうだよぉ。ばい菌とか入っちゃったら大変だもん! コナン君が言うみたいに、ちゃんと怪我しないように気を付けてなきゃだめなんだからね?」

 

「輝夜の姉ちゃんはのんびりしてるからなぁ。まあ、いざとなったらオレたちが守ってやるからいいけど」

 

「頼もしいわね」

 

 上機嫌な輝夜は、出発前に灰原に一つに結ってもらった髪を揺らしながら、小さな友人たちへやわらかな視線を向ける。ちなみに、彼らの様子から目が離せない周囲の利用客は、ついにその光景を見て拝み始めた。

 

「……す、すごいですねぇ、輝夜さんの笑顔って。神々しいというか」

 

「オレ、何にもしてねぇのに拝まれる人初めて見たぞ」

 

「輝夜さん、本当にきれいだもんねぇ。歩美だってどきどきしちゃうもん!」

 

「あ、すみません。釣りエサ五人分ください」

 

 人気者の「友人」にきゃあきゃあとはしゃぐ子どもたちの中、慣れた様子のコナンは代表して釣りエサを買っていた。店主が「写真を撮らせてくれたら無料で良い」という言葉に、「どうせ本人に許可も取らずにみんな撮っていることだし」と輝夜は考え、子どもたちも巻き込んでみんなで写真撮影をしてから、ありがたくエサを受け取る。

 

「うう……歩美、釣りは好きだけど、エサを付けるのはちょっと苦手……」

 

「まあ、気持ち悪いもんな。歩美ちゃん、貸して。オレが付けるよ」

 

 さらりと歩美の手を取って針が誤って刺さらないように自分のもとへと引き寄せ、手早くエサを付けたコナンに、ぽっと顔を赤くする歩美。そんな様子におもしろくなさそうな顔をしていた元太と光彦だったが、輝夜が「それなら、二人は私にエサの付け方を教えてちょうだい」と頼まれ、機嫌を直していた。

 

「か、輝夜さん……百発百中ですね……」

 

「うふふ。タイミングを合わせるの、得意なの」

 

 五人分の夕飯の量には多すぎる戦果に、輝夜は得意そうに笑った。周囲の人々は、彼女たちが全然釣れないようなら魚を分けてやり、あわよくば夕飯を共にしたいと目論んでいたため、その光景に残念そうな顔をしている。食べない分はリリースし、彼らは博士と灰原の待つテントへと戻ることとした。

 

 ちなみに、釣りをしている間に輝夜に話し掛けようとしていた人々もいたが、全てのらりくらりとかわされた挙句、顔は穏やかだし口調も決してきつくないのに、輝夜に妙な迫力を出されたことによって最終的に皆すごすごと去って行った。そんなこんなで、釣りが終わるころには周囲の利用客も「プライベートで楽しんでいるんだから、遠くから愛でるだけにしよう」と近づきすぎることを控えるようになったのだった。

 

「おおー! こりゃすごいのう。焼くだけじゃなくて、潮汁なんかも良さそうじゃな。よーし、わしが魚をさばくから、みんなは野菜を焼く準備をしてくれんか」

 

「はーい!」

 

 子どもたちの元気な返事を聞いて、博士はうんうんとうれしそうに頷いた。

 

 空がオレンジ色に染まり、もうすぐ夜になろうかという頃に「ごちそうさま!」と光彦が器をテーブルに置いた。その様子を見ていた元太が「なんだよ、ご飯粒残ってるじゃねぇか」と顔をしかめる。ちなみに、おかわりを何杯もしている元太と、灰原に睨まれながらよく噛んで食べている博士以外、これで全員が食べ終わった状態だ。

 

「米粒一粒でも残すと罰が当たるって母ちゃんが言ってたぞ」

 

「その通りじゃ! 米は農家の人が八十八回、手間を掛けて作るんじゃからなぁ」

 

 元太の言葉に、博士が補足すると「八十八回?」と歩美が首を傾げる。

 

「ああ。米という字を分解すると八十八になるじゃろ?」

 

 そこからは、「米」という字から発展して、米寿、喜寿、白寿の話になり、わいわいと盛り上がる子どもたちを、輝夜はにこにこしながら見ていた。途中、物知りなコナンと灰原に対し、元太が「オメーらほんとは年誤魔化してんじゃねぇか?」と笑う。乾いた笑いを浮かべたコナンと、コップに口を付けることで表情を隠した灰原の様子を見て、輝夜はくすくすと笑った。

 

「そういえば、輝夜お姉さんはいくつなの?」

 

 歩美に水を向けられて、輝夜は「公称二十二歳よ」と答えた。

 

「公称って、何?」

 

「表向きに言われてることってことですよ。輝夜さんの場合は、きっと事務所で二十二歳って答えなさいって言われているんじゃないですか? 年齢は非公開みたいですけど……」

 

「じゃあ、本当は何歳なんだよ!」

 

「あら、ちゃんと戸籍も二十二歳よ」

 

「なーんだ! なんでややこしい言い方するんだよ。それなら、『二十二歳』って素直に答えりゃいいじゃねぇか」

 

 輝夜はその言葉には答えなかったが、会話が途切れる前に博士が口を開いた。

 

「米寿は八十八歳。それなら、二十二歳は何というか分かるかね? 『寿』は付けんでいいぞ」

 

「あ! 歩美分かった! それって、『一たす一は』と同じ答えでしょ!」

 

「それなら、答えは『田んぼの田』ですね!」

 

「楽勝だな!」

 

 得意げに『二十二』を『田』の文字に組み替えながら指で文字を書く小学生たちに、博士は「ふっふっふ」と笑う。コナンと灰原は会話に参加する気がないのか、頬杖をついて博士と子どもたちのやり取りを眺めていた。

 

「今のは準備運動みたいなもんじゃ。本命のクイズはこっち! 米寿は八十八歳、田は二十二歳。それでは、四十四歳は何というか分かるかな?」

 

「四十四歳……ですか?」

 

 とびきりの笑顔で、子どもたちに「ヒントは漢字一文字に、片仮名三文字じゃ」と言う博士に、子どもたちは「うーん」と一生懸命考えている。

 

「まさか……」

 

 コナンが「分かったけど、すっげーくだらねーぞ?」と博士に半目を向けると、「そうかのう?」と博士はピンときていない様子で答えた。

 

「それに、多分輝夜さんには分かんねーよ。輝夜さん、ラーメン屋とか行ったことある?」

 

「ないわ。ラーメン自体は食べたことがあるけれど」

 

「ラーメンが関係あんのか? 四十四歳に? うな重じゃなくて?」

 

 コナン以外答えが分かっていない子どもたちの様子を見て、博士は得意げに笑う。

 

「八十八は米。米は英語でライス。その半分だから半ライスじゃ」

 

 その答えに、輝夜を除く全員がため息を吐き、俯く。そんな子どもたちの様子と「あれぇ? どうしたのかなぁ?」と言いながら余ったご飯を紙の器によそいながら歌を歌う博士を見比べて、輝夜は飽きもせずに、またくすくすと笑った。

 

「博士はクイズが好きなのね」

 

「くだらねーダジャレなぞなぞばっかだよ……」

 

「いいじゃない。楽しかったわよ。『半ライス』っていう言葉も知れたし、今度はラーメン屋さんに行きましょうね」

 

「輝夜さんがラーメン屋になんか行ったらパニックになっちまうんじゃねーか? 前に鰻食べに行ったときも、個室の高そうな店だっただろ」

 

 コナンの指摘通り、輝夜は外食に行くときは大抵相手が社長や仕事の関係者なので、基本的には個室である。そうでない場合は、店自体を貸し切ってしまうこともあるため、ラーメン屋のような店には行ったことがないし、多少は面倒だろうなという予想もついたので、この小さなお友達と一緒でなければ行こうとも思わなかっただろう。

 

「それでもいいのよ。それもまた『思い出』だもの。それとも、私と一緒に行くのは嫌かしら?」

 

 見つめられたコナンは顔を赤くして「その言い方、卑怯だよなぁ……」と呟きながら俯いてしまった。そんな様子を探偵団にからかわれ、「うるせー! さっさと片付けすっぞ!」とぷりぷり怒りながら、ゴミの回収を始める。

 

「年端も行かない少年をたぶらかして、いい趣味ね」

 

 コナンに続いて、洗い物を手に立ち上がった灰原が輝夜へ向かってちくりと言う。同じく洗い物を手にした輝夜は少女の後ろについて歩き始めた。他の子たちはコナンを手伝ってゴミの回収に精を出しているようだった。

 

「焼きもちかしら?」

 

「そんなんじゃないわ!」

 

 キッ、と振り返った灰原の小さな鼻を、輝夜はすらりとした指でつんとつつく。子ども扱いされたように感じた灰原は、鋭い視線のまま輝夜を正面から睨みつけた。

 

「ふふ、それなら――あなたが、私にたぶらかされてみる?」

 

 笑み。普段から、彼女は笑みを浮かべている。真顔が笑顔なのだと言われても、そうかもしれないと納得してしまうくらい、美しく口角が上がっているのだ。けれど、同じように目が細められていても、口角が上がっていても、その雰囲気はその都度違う。大抵はのんびりとした、のんきで好奇心旺盛な彼女の性格を表すような、平和なものである。

 

 しかし。

 

「っ――!」

 

 黄昏時。「誰そ」など尋ねることすら許さない、圧倒的な存在感。彼女の艶やかな黒髪を照らす陽の光は、昼間のそれと違ってどこか昏い。細められた赤茶の目のその先、感情の読めない瞳は夜を招く今の時間の妖しさと妙に重なって見える。それ縁取る、けぶるほど長い睫毛に、光に照らされて輪郭のぼけた白い肌が、夢と現の境界までも曖昧にしているように錯覚させる。笑みの形を作る口元、華やかに色付いた唇のその先、整然と並ぶ真白の歯にあらゆるものが砕かれ、喉の奥まで吸い込まれそうだ。

 

 言われた言葉、その通りにならなければならないという、どこか強制的な、しかし自主的にそうなってしまいたいという感情を呼び起こさせる、途方もない――『狂喜』であり、まさしく『狂気』を孕む、彼女のすべて。

 

 人心狂わす魔性に逢った灰原は、口をぱくぱくさせながら、己が上手く呼吸できないことに混乱していた。ただ、顔が妙に熱い。

 

「あら、可愛い顔ね。何かに悩んだり怯えたりするより、そっちの方がずっといいわ」

 

 洗い場に着き、輝夜はしゃがみこみんで、タワシを使って飯盒や網を洗い始めた。あまりに平然とした様子に、ようやく呼吸を整えた灰原は、行き場もなく、とらえどころもない感情を発散させるように、吠えるようにして文句を言った。

 

「あ、あなたねぇ! からかい方があまりに性悪なのよ!」

 

 手を動かしながら、輝夜はにこりと微笑む。

 

「せっかくのキャンプなのに、あなた、どこか表情が暗かったわ。空気が重いとでも言うのかしらね。何か心配事があるのかと思ったのよ。自分から話したくないのなら、せめて気を紛らわせてあげようかと思って」

 

「……気を遣わせてしまったようだけど、心配はいらないわ。それと、もう二度とこういうこと、しないでちょうだい」

 

「つれないのね。別に取って食いやしないわよ」

 

「いいからっ、絶対にっ!!」

 

 輝夜はくすりと笑って、蛇口をひねった。きゅ、という音と共に止まった水、その一滴がぴちゃりと洗い場のコンクリートに落ちる。

 

「さあ、汚れが落ちたわ。みんなのところへ戻りましょうか」

 

「え……ちょっと、今まで気が付かなかったけど、その網、なんか形がおかしくない?」

 

 水に浸けもせずに力任せに洗った飯盒と網は、心なしか形が歪んでいた。一度大きく形が変わった物を無理やり元に戻そうとしたようにも見える。

 

「気のせいだわ。差支えがあるようなら、博士には新しいものを買って返すから心配しないでちょうだい」

 

「あの、網はともかく、飯盒ってそんなに簡単に形が変わるようなものなのかしら……?」

 

「形が変わったと思う人には変わって見えるし、そう思わない人にはそうは見えないものよ。つまり、これは受け取り手の問題だわ。私は形が変わっているようには思えない。ちゃんと曲がったところは戻したもの」

 

「変わってるじゃないの」

 

 すたすたと歩き始めた輝夜の背中を見て、灰原は大きく長く息を吐いた。

 

(輝夜さんには、きっと裏も表もないのね)

 

 そして、仮面もない。だからこそ、灰原にとっては心底恐ろしい存在だった。

 

 裏も表もなく、仮面もないのに、姿かたちを捉えることが叶わない。幻のようであるのに、確かにそこにいる。死者のごとく手が届かないように思えるのに、触れれば温かく、言葉を交わせる。そんな彼女は、本人は全く意図せずとも、灰原の胸をずきりと痛め、重く冷たいしこりを残すのだ。

 

(輝夜さんは、お姉ちゃんとまるで逆の存在だわ)

 

 そこにいたのに、幻と消えてしまった人。とても大切だった家族。今でもそこにいるような気がするのに、触れることは叶わず、言葉は届かない。

 

 ――お姉ちゃん。

 

 言葉も、声も、届きはしないと分かっているのに。

 

 

 

 *

 

 

 

 夜。輝夜はこそこそと周囲を歩き回る人間たちを誘い出すように、子どもたちが心配する中、「少し夜空を見たいから」とテントから外へと出た。昼とは違う、ひやりと冷たい空気が流れていたが、彼女はそれに身を震わせることはない。

 

「困るのよね」

 

 硬質な響きをもった声で、輝夜がそっと呟く。それから、物陰に隠れていた人々を見透かすように、ひとりひとりの目を見つめ、甘やかに微笑んだ。

 

「良い子は寝る時間よ。自分たちのテントでおやすみなさいな。良い夢を」

 

 翌日、輝夜たちのテントの周りでは、幸せそうな顔をしながら心臓を押さえて蹲り、体が冷え切って少々危険な健康状態の者たちが何人も発見された。しかし、灰原やコナンから疑惑の目を向けられた輝夜本人は一切興味を示しておらず、「睨みもしていないし、自分のせいではない」と断言していた。

 

 さて、すっきりと快晴の中で、輝夜たちは朝食の準備をしていた。早起きの博士と光彦、灰原の三人が飯盒でご飯を炊き、輝夜とコナン、歩美がクーラーボックスから食材を取り出して調理、寝坊助の元太はテーブルを拭いたり飲み物を用意したりを雑務を行っている。

 

「飯はまだ炊けねぇのか? オレもうお腹空いちまったよぉ」

 

「ったく、一番遅く起きたやつが何言ってんだ! 三人はわざわざ早起きしてくれて、先に準備してくれてたんだぞ!」

 

「だってよぉ」

 

 分厚いベーコンブロックを切り分けながら呆れ顔をするコナンに叱責されると、元太はしゅんとしたように腹をさすった。

 

「お味噌汁ならできたわよ。元太君、これ、テーブルに並べてちょうだい」

 

「お野菜も茹でたよ! あとはコナン君が切ってくれたベーコンを焼いて、目玉焼きも作って……。えへへ、美味しそう!」

 

 歩美の言葉につられるように、よだれを垂らした元太が慌てて袖口でそれを拭う。結局元太は朝食のご飯を五杯もおかわりし、「多めに炊いといて正解でしたね……」とこそこそ言った光彦に、全員が同意していた。

 

 片付けを済ませ、帰りの間際に「せめて少しだけでも言葉を交わしたい」と群がろうとする人々にきららかな笑顔を向けて故意に彼らの時間と思考を停止させた輝夜は、「今のうちに行くわよ」と、さっさとオートキャンプ場を出発することとした。

 

「輝夜さん……慣れてきたね……」

 

「そうさせているのは周りよ。私が悪いみたいな目をしないでくれるかしら?」

 

 後部座席から助手席をじっとり見てくるコナンに対し、輝夜は振り返りながら抗議の言葉を掛ける。

 

「輝夜君は人気者じゃからのう。そういう処世術みたいなものも必要じゃろうて」

 

 笑いながら車を発進させた博士に、輝夜はうんうんと頷いている。ちなみに、今日の輝夜は歩美の手により髪を耳の下で二つに結っている。髪型にこだわりはないらしく、普段からヘアスタイルを変えることのない歩美が、灰原に手伝ってもらいながら自分の髪を一生懸命いじるのを容認していた。

 

 ツインタワービルに向かう途中、二列になっている後部座席の真ん中、歩美、コナン、元太たちのいる座席では個人の手荷物がまとめて置いてあることもあり、元太が「狭い」と文句を言い始めた。

 

「朝飯五杯も食うからだろ? それに、後ろはキャンプの道具も置いてあって狭そうだからってわざわざこっち来たのオメーなんだから、文句言うなっつーの」

 

「腹減ってたんだよ。いいからコナン、もうちょっとそっち詰めろ」

 

「ったく……ごめん、詰めるよ、歩美ちゃん」

 

 詰められた歩美は照れたように頬を赤く染めていたが、頬を染めさせた本人は全く気が付いていない。うれしそうにちらりとコナンを見つめる歩美に気付かないまま、少年たちは「ゲームやろうぜ」と盛り上がり、ストップウォッチを取り出した光彦が提案した「三十秒当てゲーム」をやることになった。遠慮した輝夜と、運転中の博士を除き、子どもたちは全員試してみたが、最後にやった歩美は三十秒ぴったりでストップウォッチを止めることができ、少年たちから称賛されていた。

 

 そのまま、しりとりや連想ゲームなどみんなで楽しめるゲームをやりながら暇つぶしに興じる。車内が盛り上がる中、いつの間にか目的地まで来ていたらしい。「到着したぞい」と、博士が車を停めた。駐車場から正面玄関まで移動すると、「早く早く!」とゆっくり歩いていた博士や灰原を急かしていた子どもたちも、自然と足を止める。

 

「たっけー!」

 

「てっぺんが見えませんよ!」

 

「雲の上まで伸びてるみたい!」

 

 きらきらとした目で子どもたちがビルを見上げていると、一台のタクシーが目の前に停まった。降りてきた人物が、「あっ」と声をあげ、輝夜と目が合う。建物に夢中の子どもたちも、視線を地上へ戻した。

 

「か、輝夜しゃん!」

 

「コナンくんも!」

 

「あらまぁ、勢ぞろいじゃないの」

 

 小五郎に呼び掛けられた輝夜はにこりと微笑み、蘭に呼び掛けられたコナンは軽い足取りで駆け寄った。園子は目を丸くしながらそんな光景を見て呟いている。

 

「え、えーと……輝夜さんはどうしてここに? 小僧とキャンプに出掛けていると聞いていましたが」

 

「ええ。キャンプはとても楽しかったわ。ここへは帰りがてら、見学したいと子どもたちが言ったから立ち寄ったの。毛利さんはスーツ姿だけれど、蘭ちゃんや園子ちゃんを連れてお仕事かしら?」

 

「い、いやぁ……それが……」

 

 頭をかきながら照れ笑いをした小五郎に、蘭が鋭い視線を向ける。向けられた小五郎はちらちらと娘の顔と輝夜の顔を交互に見ていた。

 

「このツインタワービルのオーナーさんが、父の大学の後輩だそうで、来週のオープンを前に特別に招待していただいたそうなんです。娘にも知らせてなくって、様子がおかしいと思って問い詰めたら白状したんです」

 

「は、白状って、お前なぁ……!」

 

「知らなかったぁ。おじさんの行動を監視するために、蘭姉ちゃんたちが一緒にいるんだね!」

 

 もごもごと反論しようとする小五郎を悪戯小僧そのものの笑みを浮かべながら迎撃したコナンに、同じく少し嗜虐的な笑みを浮かべた園子がさらに追撃する。

 

「常盤美緒さんと言えば、常盤財閥の令嬢で、まだ独身だからね。両親が別居中の蘭としては、心配なわけよ」

 

「オレァ別に、そんなつもりは……」

 

 しどろもどろしている小五郎の背後から、カツカツとヒールの音を響かせながら女性が近づいてきた。輝夜たちがそちらへ視線を向けると、たおやかな笑みを浮かべたスーツ姿の女性に「失礼ですが、毛利小五郎様でしょうか?」に声を掛けられる。

 

「ああ、はい」

 

 小五郎にとっては、地獄に仏だったのだろう。きりりとした顔にようやく切り替えることができた彼は、「あなたは?」と女性に自己紹介を求めた。スーツ姿の女性は沢口ちなみと名乗り、「社長は現在立て込んでおりまして」と、代わりに迎えに来たことを伝える。

 

 小五郎たちがビルを案内してもらおうと歩き出した、その時。輝夜の携帯電話が震えた。「オフの日は基本的には仕事の話はしない」ことになっているはずのマネージャーからの着信を訝しみながら取った輝夜は、彼の発した言葉に、わずかに眉を動かす。

 

「ごめんなさい。急用ができてしまったから、私はこれで失礼するわ」

 

「えっ。輝夜さん、行かないの? 今日は仕事はないって……」

 

 子どもたちが残念そうな顔をすると、輝夜は微笑みながら「仕事ではないけど、急用よ」と言って、先ほど小五郎たちが乗ってきたタクシーに乗り込んだ。

 

「キャンプ、楽しかったわ。また遊びましょうね」

 

 呆然とする一同を置いて、輝夜は事務所の住所を告げて、タクシーの後部座席に座りながら思案した。

 

 マネージャーから受けたのは、「カグヤ」のファンというか崇拝者の域に達している吞口議員が亡くなった、との連絡だった。自殺との見解がされているそうだが、不審な点がいくつかあり、事件と自殺どちらの線でも捜査している最中だという。以前暗殺を未然に防ぎ、さらには被害者本人が依存と言ってもいいほど心酔していた輝夜には知らせておきたい、ということで彼の親しい者たちが、公になる前に連絡をしてほしいと事務所に頼み込んだらしい。

 

 事務所に到着した輝夜は、「顔を見てやってください……」と彼の家族なのか友人なのか、ともかく知らない男の車に乗って移動した。案内された場所で、検視が済み、安置されているという吞口議員の遺体の傍へ寄る。

 

(……穢れが濃い。他殺だわ)

 

 口には出さず、輝夜は眉を寄せた。

 

「今まで、『カグヤ』さんのことを話すとき以外、とても怯えていたんです。だから、保釈金を払うこともなく、『誰かに見られていた方が安心だ』なんて言って……実は、『カグヤ』さんに宛てた遺書があるんです。お読みいただけますか」

 

 手紙を受け取り、中身は開けないまま、輝夜は吞口議員の顔をじっと見つめる。それから、ぽつりと零れるような、小さな声を出した。

 

「……やっぱり」

 

「ん? 何か?」

 

「何でもないわ。それより、私はもう失礼するわね」

 

「お忙しい中来ていただき、ありがとうございました。それと……警察から、『カグヤ』さんと連絡が取りたいと言われていまして」

 

「ええ。事務所に寄ったとき、マネージャーから聞いたわ。どうもありがとう。彼の安らかな眠りを祈るわ」

 

 輝夜は「頭の中を整理したいから」と警察に伝え、会うのは今度の仕事終わりということになった。「これが自殺でなかった場合、以前彼の命を救った『カグヤ』さんにも危険があるかもしれない」という忠告をしてきた警察に対し、輝夜は淡白に礼を述べ、電話を切る。

 

 

 自室に戻って一人になった輝夜は、吞口議員からの遺書を開封した。内容としては、長々とした感謝の言葉ばかりだったが、輝夜は察しが悪い方ではない。その遺書の言葉に隠れたメッセージを読み解いて、彼女は目を瞑った。

 

(組織。薬。暗殺。二人の歪な子ども。歪な永遠。時計の針。めぐりゆく季節。高さの変わらない階段。先へ進むための条件)

 

 ぐるぐると、彼女の頭の中に単語が浮かんでは消える。それから、これまでの経験、己が直感として受け取ったこと、耳に入れた発言、様々なことをピースとして、パズルのようにかちかちと当てはめた。もちろん、ピースはまだ足りない。しかしその輪郭が捕えられた今、ピースの数は問題ではない。絡まり、固く結ばれた紐を慎重に解くのと同じだ。

 

 ピースがなくても、輝夜はその常人とは異なる能力によって、その穴を埋めることができる。固く結ばれた紐も、力任せに解くことができる。しかし、それゆえパズルの額を破壊してしまう。常人ではちぎることなど心配しなくてもよいはずの紐を、簡単に引きちぎってしまう。額を壊せば、パズルは未完成のまま、輪郭すら保てず瓦解する。紐を引きちぎれば、「その先」はなくなる。

 

 彼女の覆水を盆に返す能力をもってしても、瓦解したパズルは戻らず、ちぎられた紐はつながらないだろう。

 

 ゆるり。輝夜は緩慢に目を開けた。

 

「なるほど、紛うことなき『難題』だわ」

 

 ――「謎」は解けた。

 

 歪な永遠の示すところ、この世界のからくり、そして――「彼ら」のこと。

 

 くしゃり。遺書を見つめて、輝夜は笑った。それは第三者が見ていれば、「困ったように」とも、「何かを耐えるように」とも、「挑戦的に」とも、十人十色の枕詞を付けただろう。

 

 輝夜は笑った。

 

 あるいは、「かなしそうに」。


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