蓬莱山輝夜お嬢様がコナンの世界入りした話   作:よつん

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謎題:永遠と須臾の狭間

 帰る前に寄るところがある、と輝夜は自宅マンションへと寄った。永遠亭に顔を出したらすぐに戻るつもりではあるが、もとより「カグヤ」は幻想郷へ戻ることがあれば、やめるつもりだった。だから、事務所に言われて契約したマンションはもういらないし、事務所にもそう伝えなければならない。

 

「もしもし、今大丈夫かしら?」

 

 電話に出たマネージャーは、輝夜が事務所を――「カグヤ」をやめると話せば、長い長い沈黙のあと、「そういう契約でしたからねぇ」と諦めたように、ため息のような弱々しさで呟いた。

 

 芸能活動をするにあたって、輝夜は譲れない条件をいくつか提示していた。その一つが「やめたいと言った時にやめる」というものである。不動産の解約と事務所の解約、どちらも済ませてしまえば、輝夜にはもう「友達」との約束しかこの世界には残らない。けれど、それを「惜しい」とは思わなかった。

 

 事務所を訪れると、社長室へ通された。社長も、マネージャーも、「実家から迎えが来た」と言えば、輝夜ではなく永琳に対して、必死の説得を試みている。永琳は穏やかな顔で、「今まで姫様がお世話になりました」と、一歩も退かぬ様子で輝夜を連れ帰る姿勢を示していた。

 

「悪いわね、突然。もう決まっている仕事はどれくらいかしら?」

 

 マネージャーにスケジュール帳を見せられた輝夜は、自身の性格を理解していたらしいこのマネージャーが、あまり先の予定まで埋めていなかったことに、改めて感心した。いくらスケジュールを空けておいても、「カグヤ」であるならば、取りたいときに仕事が取れるという自信と信頼もあるのだろう。

 

「じゃあ、全部消化しちゃいましょう。先方への連絡は永琳がするわ」

 

 従者へと丸投げて、一日で全ての仕事をこなすと断言した。そんな輝夜に、マネージャーは泣きそうな顔で、無理やりに作ったくしゃくしゃの笑顔を浮かべた。

 

「一日じゃ無理ですよ……せめて、二日とか、三日とかに分けることはできないんですか?」

 

「悪いわね。こっちも『期限付き』なのよ。何せ移動を人に頼んでいるから。先方の都合で今日にずらせない場合に発生する損害賠償は、当然私が負担するわ。まあ、でも……すぐに終わらせられるけれど」

 

 その日、輝夜と仕事をした人々は「信じられないことが起こった」と話す。普通、一時間は掛かる撮影が――それも、自身もそれくらいの時間撮影していたと体感しているのに、たったの五分で終わっていたのだ。そんなことはありえない。ありえないはずなのに、どこの時計も間違ってはいない。どういうことなんだと誰もが疑問を浮かべたけれど、そういうわけで輝夜の分刻みのスケジュールは見事にこなされていった。

 

「これほど濃密な一日は初めてですよ! いつから一日は二十四時間じゃなくなったんですか?」

 

 へとへとの様子で椅子に座り込んだマネージャーがそう言うと、輝夜と永琳は顔を見合わせて笑った。

 

「何を言っているの? 一日は二十四時間よ。一分一秒、一瞬でさえ、どのように使うかはその人次第だわ」

 

 輝夜は笑いながら、マネージャーに手を差し伸べた。

 

 

「そう、全部あなた次第なのよ。あなたさえ良ければ、私と一緒に永遠亭へ来ない? 歓迎するわ」

 

「永遠亭って――輝夜さんの御実家が、そう呼ばれてるんでしたっけ?」

 

 マネージャーは、指先まで美しい輝夜の手をじっと見る。それから輝夜の顔を見た。笑みだ。自信と挑発と、それからいくばくかの寛大さを孕む、絶対的な支配者の笑みだった。

 

「ええ。だけど、来るならあなたは今の仕事はもちろん、家族とも離れ離れになる。永遠亭は、遠いところにあるの」

 

「……本当に、『かぐや姫』のような人ですよね。輝夜さんって」

 

 輝夜の手を取る。ぎゅ、と力を込めて、彼はその手を取った。

 

「ありがたいお誘いですが、お断りします。輝夜さんのおかげで気付けたんです。自分はとても平凡な人間で、だから、『月』には行けません。輝夜さんと出会って、本当に忙しかったけれど、すごく楽しかった。今まで本当にありがとうございました」

 

 けれどそれは導いてもらいたくてそうしたわけではない。誰よりも敬愛し、憧憬を抱く人へ、ちがう道を歩む覚悟を示す、別れの握手。そのまま深く深く頭を下げた男に、輝夜は小さく笑った。

 

「そう。じゃあ、『蓬莱の薬』も、あなたには必要ないわね」

 

 手を離して、男はまっすぐに輝夜を見た。美の極致。その言葉が全く過言ではない、至上の美女。本当に、この世の者ではないのかもしれないと錯覚させる、現実離れした美しさ。

 

「こちらこそ、あなたのおかげで楽しかったわ。また遊びに来るつもりだから、もしも心変わりをしたのなら教えてちょうだいね。永遠亭はいつでもあなたを受け入れるわ」

 

「…………はい。お達者で」

 

 お互い、涙は出なかった。笑顔で手を振って、また頭を下げて。

 

 そして、なぜか――ほどなくして「カグヤ」という自分がマネジメントしていたはずのモデルの本名を思い出せなくなった。

 

 その時、彼の目には大粒の涙が浮かんだ。わけも分からぬまま、己の意思に反して溢れるその雫は、ぽたり、ぽたりと散敷くように染みを作る。けれど、それもまた、いつの間にかまぼろしのように消えていた。

 

 

 

 *

 

 

 

 江戸川コナンは困惑していた。それというのも、ある日を境に、ぱったりと誰もが蓬莱山輝夜という女性のことを忘れてしまったからだ。

 

 「カグヤ」というモデルがいた事実は残っている。けれど、淡白に「引退した」という報道だけが出て、それ以来不気味なほどに、急速に人々の記憶から薄れていってしまっているのだ。

 

 あんなにファンを公言していた小五郎も。一緒にカレーパーティーをした園子と蘭も。いろいろな場所へ一緒に出掛けた少年探偵団と阿笠博士も。彼女のマネージャーだった人でさえ。

 

 それなのに、コナンだけは覚えている。世界中でただひとり、コナンだけが「蓬莱山輝夜」という女性と関わり、握手を、笑顔を交わしたことを覚えている。

 

「……また会いに来るって、言ってたじゃねぇかよ」

 

 小学校から帰宅して、乱暴にランドセルを下ろす。事務所では小五郎が競馬の中継に夢中になっているし、蘭は部活があって、まだ帰ってきていない。その「日常」が、彼にとってはあまりにかなしい。

 

 

 まだ、コナンは「蓬莱山輝夜」という謎を解けていない。彼女にまつわる謎は増え続けるばかりなのだ。

 

 誰に言っても、訝しがられるか、心配されるか、笑われた。そんな人物は知らないと否定された。けれど、コナンは確かに覚えている。一緒に撮った写真だって残っている。けれども、周りはみんな、「『カグヤ』と一緒に写真撮ってもらえたなんてラッキーだったよね」とその程度の認識しかない。

 

 その「カグヤ」に対しても「もともと家庭の事情とか体調とかあって、あんまり長く続ける気なかったらしいよ。残念だよね」というあっさりした噂話ばかりが広がって、数日もすれば、まるで遠い昔に引退した伝説の人みたいな扱いになっていた。

 

(輝夜さんはここにいたのに……どうしてみんな覚えてねぇんだよ!! 確かに、ここにいたんだ!!)

 

 コナンは悔しかった。どれほど語っても、写真を見せても、誰も関心を示さない。

 

「輝夜さん、どこに行っちまったんだよ……!」

 

「うふふ、コナン君は本当に可愛いわね」

 

「………………へ?」

 

 ちょん、と鼻を指でつつかれる。

 

 そこには忘れることなどできるはずもない、絶世の美女がのんきに微笑んでいた。

 

「え、い、いつの間に? ていうか、なんでオレの部屋……!?」

 

「『また会いに来る』って約束したでしょう?」

 

 コナンには言葉が紡げなかった。自分だけが覚えている、忘れられるはずのない人。それが今、実体を伴って目の前にいる。

 

「さ、行くわよ」

 

 固まってしまったコナンを抱き上げた輝夜は、そのまま窓に足を掛けた。よく見れば、彼女は土足だ。

 

「まっ……なっ……!? 何する気だよ、輝夜さん!」

 

「何って、みんなに会いに行くのよ。そういう約束じゃない」

 

「だ、だけど……その、」

 

 輝夜の腕の中で、コナンは言いにくそうにもごもごと口を動かした。上手く説明ができないし、事実を事実のまま言えば、彼女が傷付くかもしれない。そんな彼の気遣いが透けて見えて、輝夜は心優しい少年に笑い掛けた。

 

「私がみんなに忘れられていることを心配してくれているのね。だけど、大丈夫よ。予想できなかったわけじゃないもの。それに……たった一人でも覚えてくれている人がいるなら、僥倖だわ」

 

 凛とした笑みだ。しなやかな強さがある。それは、美貌より先に心に訴えかけてくる、蓬莱山輝夜という人のひととなりを表すようだった。

 

 そして、窓枠を蹴って、彼女は羽根もなしに空を飛んだ。

 

「えっえっ、えっ!?」

 

「面会時間にうるさい人がいるのよ。移動時間は短縮させてもらうわ」

 

 まだ夕方というには早い時間。空はまだ青く、空気も心なしかやわらかい。

 

 ありえないと脳は否定するのに、それでも心は納得していた。

 

 蓬莱山輝夜は空を飛べる。少年にはそれが、なんだかとても自然なことのように思えたのだ。

 

「でも、みんな輝夜さんのこと忘れちゃってるんだぜ? 約束だって――」

 

「いいのよ、別に。約束を果たしたいのは私の勝手だし、私は自分が友達だと思っている人に、会いたいから会いに行くだけだもの。みんなに忘れられていようが、私は覚えている。それでいいのよ」

 

 輝夜はあっと言う間に、阿笠邸の前に降り立った。抱き上げられていたコナンも、やさしく地面に下ろされる。

 

「輝夜さんって……何者?」

 

「そうねぇ。あなたが解き明かすのを待つつもりだったけど……江戸川コナン君。あなたに『難題』を与えましょう」

 

 輝夜はしゃがんで、コナンと視線を合わせた。

 

「『進みながら繰り返す永遠』。この『謎』を解けとは言わないわ。けれど――解決してごらんなさい。それが私からの『難題』よ」

 

 まるでかぐや姫だ。コナンはもう何度目かも分からない感想を彼女に抱く。輝夜の言っていることはよく分からない。蓬莱山輝夜という人は、いつものんきで、のらりくらりとはぐらかしてきて、曖昧な表現とか独特な言い回しばかりする。

 

 けれど、輝夜はコナンに嘘を吐かない。それを知っているからこそ、この「難題」が「解決できるもの」と分かる。

 

「じゃあ、『約束』しようぜ。オレは輝夜さんからの『難題』を絶対に解決してみせる。オレが『難題』を解決したら、輝夜さんはオレに正体を教える。あっ、もちろん、教えられるまでもなくオレが分かったら、そのときは答え合わせになるけど」

 

 言いながら、コナンは阿笠邸のインターフォンを押した。

 

「博士ー、オレだよ。ちょっとお客さん連れてきたんだ。中入れてくれ」

 

『なんじゃ、新一か。先に連絡くらいせい!』

 

 ばたばたと博士の足音が家の中から忙しなく聞こえる。コナンははにかんで、輝夜の方を見た。律義にしゃがんだままだった輝夜は、つられたようにはにかんだ。

 

「だから輝夜さん、いつでも遊びに来てよ。みんなが何度忘れても、オレだけは忘れないから。今度は海でもスキーでも旅行でも、もちろんまたキャンプでも、輝夜さんがやってみたいことをやろうぜ。サッカー観戦もいいな。どうせ輝夜さん、やったことない遊び、まだまだいっぱいあるんだろ?」

 

 がちゃり。ドアが開いて、博士が門まで駆け寄ってきた。

 

「待たせたのう。……って、誰じゃ? そのとんでもない美人は」

 

「こんにちは、阿笠博士。私はコナン君のお友達の、蓬莱山輝夜よ。あなたに会いに来たの」

 

 立ち上がり、にこりと微笑む輝夜に感傷はない。彼女は何度忘れられても、こうやって言葉を交わすのだろう。「はじめまして」だなんて、絶対に言わずに。

 

「なあ、輝夜さん。さっきの話、ホントに『約束』だからな!」

 

「ええ、もちろんよ。楽しみだわ」

 

 かくして、かぐや姫は昔話のごとく、少年に難題を与えた。探偵は難題に立ち向かう。それは今更特筆すべきでもないあたりまえのことだった。

 

 輝夜が、ふいにちらりと遠くを見る。その視線の先には何もなかったけれど、誰かがため息を吐いたような気がして、コナンは自分でもよく分からず、笑ってしまった。

 

「えーと、会いに来たなら、わしも話に入れてくれんかのう?」

 

 ぽりぽりと頬をかく博士に、輝夜はにこにこと笑みを向けた。

 

「もちろんよ。さて、それじゃあ中に案内してちょうだい」

 

 ふわり。輝夜の長い黒髪がなびく。彼女の横顔は、一挙一動は、あまりに可憐で幻想的だった。

 

 蓬莱山輝夜は、江戸川コナンの友達だ。そして、解くべき謎であり、「難題」を与えた出題者でもある。浮世離れしていて、世間知らずで、優しくて、自分勝手で、空を飛べて、嘘は吐かない。

 

 それにすごく、安心する。

 

 輝夜は約束を守ってくれる。だから、輝夜がたとえ何者であろうと、コナンにとって輝夜は友達のままだ。そうありたいと輝夜が思ってくれていて、コナンもまた、そう願っていれば。

 

 たとえ、江戸川コナンという少年がいなくなったとしても。いつかみんなと同じように、蓬莱山輝夜という人を忘れてしまったとしても。

 

 

 これは、蓬莱山輝夜お嬢様がコナンの世界入りした話。

 

 ただそれだけの話。二人は友達になって、きっとこれからも友達で、少年は謎を追い、少女は思い出を抱いて、月ではなく幻想郷へ帰る。ただ、それだけの話。




ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
みなさまの感想や評価がとても励みになりました。
私にとってこのお話が特別なものとなったような気がします。
また何かの機会がありましたら、よろしくお願いいたします。

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