蓬莱山輝夜お嬢様がコナンの世界入りした話   作:よつん

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付題:闇を解かす劇薬

 受け取るのはいいけれど、打つのは中々慣れないメールを使ってコナンに「三人で花を買いに行かないか」と誘ったものの、どうにも灰原が風邪をこじらせてしまったらしい。どうせなら、と事務所に飾る花を頼まれたコナンと二人で買い物をし、美しい白と紅、そしてそれを彩る緑の花束を手に、輝夜はご満悦な表情だった。

 

「これで輝夜さんの部屋も少しは華やかになるね」

 

「そうね。うれしいわ」

 

「輝夜さんって、植物の世話とかできるの? 一応、水を替えるタイミングとかはお店の人に聞いてたけど……」

 

「あら、それくらい大丈夫よ。まあ、でも、この花は枯れる前に燃やしてしまおうかしら」

 

 にこにこと歩くだけで道行く人に断りもなく写真を撮られたり、それすらも忘れて魅入られたりしている輝夜の穏やかではない発言に、コナンは困惑した視線を向けた。

 

「あの……輝夜さん、たしかに捨てるなら燃えるゴミとか生ゴミ扱いだろうけど……いや、ていうか、燃やすって捨てるってことでいいんだよね? もしそうでないなら、自宅でやるのは絶対にやめなよ。輝夜さんのマンションには火災報知器が付いてるし、花ひとつで大騒ぎになっちゃうし、何より危険だし」

 

 華やかで色とりどりの花束を抱えるようにして持つコナンが、矢継ぎ早にそう言う。彼女は己の手の中にある、紅白の――華やかではあるもののどこか寂しさを感じさせる花束を見やった。それは、凛としてどこか孤独に見える白、明るさよりはほの暗さを感じさせる深い紅。そしてそれらを取り囲む、落ち着いた色の緑。アクセントになっている若い葉が、妙に眩しい。花屋に指示して輝夜が作らせた花束だ。コナンが手にしている物の方が、使われている花の種類も色も多いから、賑やかに見えるだけと言われれば、それまでなのだが。

 

「――もちろん、冗談よ。ちょっと刺激を求めたくなっただけ」

 

「刺激はいいけど、輝夜さんは怪我できないんだろ。危険なことをする前に周りに相談してくれよな。あのマネージャーでも、オレでもいいから」

 

「優しいのね」

 

 くすくすと笑いながら、ただ日常の営みとして道を歩いていただけの通行人を無自覚のまま呼吸困難に至らしめる絶世の美少女は、空いている手でコナンの頭をくしゃりと撫でた。

 

「その心配性が高じて、以前私の部屋に来た時、妙な物を仕掛けてたのかしら。テレビで特集していた『盗聴器』みたいだなと思ってよく見ようとしたら、力加減を間違えて、うっかり壊してしまったのだけど」

 

 ビクリ、と頭に手を置かれたままのコナンが体を震わせる。それから視線を泳がせ、頬に人差し指を当てながら、ひきつった顔を無理やり笑顔に変えた。

 

「えーとぉ、ボク、子どもだからよく分かんなぁい」

 

「ふふ。聞かれて困ることも別にないからいいけれど。楽しくなかったでしょう?」

 

 つん、とからかうように少年の側頭部をつついた輝夜は、本当に気にしていない様子で穏やかに言う。その態度が逆に罪悪感を煽るもので、少年の胸はズキズキと痛んだ。この人気モデルに対して警戒心を抱く友人のために情報を集めてやろうとしただけなのだが、結果として輝夜のことは何も分からなかった。リビングに仕掛けた盗聴器は、生活音と輝夜がテレビに突っ込む声、それからおそらくマネージャーと仕事の話でもしているのであろう声くらいしか拾わなかったのだ。本当に友達の一人も招いたこともないようで、幼馴染、サッカー友達、両親の知り合い、現在では少年探偵団など、常に周囲が賑わっているタイプのコナンにとっては衝撃的だった。

 

 誰もを虜にする美貌を持ちながら、少年探偵団以外に友達がいない――。

 

 輝夜の孤独を突き付けられているようでつらい気持ちになり、盗聴器を仕掛けて少し経ったのち、「まあ、今日はいいか……」とチェックも疎かになった。いつの間にか壊れてしまった盗聴器について「まさかバレたのか?」と考えるより前に、「虚しい結果だったな」という思いだけが心を支配した程である。

 

 そのため、深く考えずに、何かにぶつかって自然と壊れてしまったんだろうと思うことにしていた。あの盗聴器は博士お手製で、即時受信とGPS、録音機能はあるものの、他の発明品に比べてシンプルな構造かつ耐久性もそこまで追求していない。コナン自身は彼女にさほど警戒心を抱いていなかったため、友人のためというのが半分、興味本位が半分で始めたため、何かの拍子で壊れてしまっても別にいいや、くらいの気持ちで仕掛けたのである。

 

「……スミマセンデシタ。いつから気付いてたの?」

 

「あなたが仕掛けた時から気付いていたわよ。何かよく分からなかったし、そのままにしておいたんだけど、何気なく見ていた番組で防犯特集をやっていたから、ピンときたの」

 

 弟のいたずらを優しく咎める姉のような視線を向けてくる輝夜に、コナンは頬を赤くしながらも、ちょっと悔しくてそっぽを向いた。

 

「あのさ。仕掛けたオレが言うのはおかしいけど、輝夜さんはもうちょっと危機意識持った方がいいと思うよ。これからはあやしい機器があったら放置しちゃダメだからな」

 

「ご忠告どうもありがとう。私には用途が分からない物が多いし、そのときは相談させてもらおうかしら」

 

「ああ、任せてくれよ。これでも探偵だし、その他のことも困ったことがあったら解決するぜ」

 

「それは頼もしいわね。そういえば、花を飾る花瓶を買うのを忘れていたわ。一旦探偵事務所にお花を預けて、そのまま買い物に付き合ってくれる?」

 

 コナンは「しかたがないな」という顔をして、探偵事務所に戻ったら小五郎に怨念じみた嫉妬を浴びせられるんだろうなと思いながら「もちろん。友達だからな」と返事をした。

 

 

 

 *

 

 

 

 灰原の体調が回復したので、少し話がしたいとコナンに呼び出された輝夜は、毛利探偵事務所へ向かった。「人に聞かれたくないから」と案内されて、初めて阿笠邸に足を踏み入れた輝夜は、以前よりも警戒を和らげた様子の少女に出迎えられた。博士は下でちょっとした発明品の修理をしているらしく、キリがついたらすぐに行くとのことである。

 

「……この前は、どうもありがとう」

 

 気まずそうに感謝を述べる少女に対して、輝夜は「大したことはしてないわ」と謙遜ではなく、心からそう言った。なにせ、彼女がしたのは「避けられるシャンデリアを避けて」、「たまたま目撃した怪しい人物のことをコナンに教え」、「そこから導きだされた吞口議員暗殺未遂の犯人を警察に告げた」、ただそれだけなのだ。

 

「これからあなたにも危険が及ぶかもしれないから、私たちの事情を知っておいてもらいたいと思って。あれから変わりはない?」

 

 幾分か暗い顔になった灰原に、輝夜はふるふると首を振った。

 

「特に。まあ、あれからバーチャルの存在じゃなかったってことで、世間に騒がれているみたいね。モデル以外の仕事のオファーが殺到してるらしくて、断らなくちゃいけない事務所の方は大変そうだけど、私には関係のないことだわ」

 

 一人でさばききれる量ではないらしく、マネージャーだけでなく、上の者もてんてこ舞いのようだ。もはや、輝夜がえり好みをしなくても断らないことにはどうにもならない量のオファーが来ているらしい。とはいえ、仕事をさばくのは輝夜の仕事ではない。ゆえに、時間はたくさんあるため、こうして気軽に出歩いている。

 

「あとは、命の恩人だとかなんとか言って、あの吞口っていう人が鬱陶しいわね。犯人の人が亡くなったから、収賄を認めたあとはずっと黙秘を続けてるらしいんだけど、『あなたは私の幸運の女神だ』っていう内容の手紙が、毎日事務所にファンレターとして届くのよ。さすがにやんなっちゃうわ。読みもしてないけど、無駄な仕事を増やされたファンレター分別係の人たちが気の毒なのよ」

 

「あら、人気者は大変なのね。それじゃ、……あなたが命を狙われるようなことは、今のところないわけね?」

 

 剣呑な質問に、「ええ。シェリーちゃん」と輝夜はにっこり微笑みながら返した。灰原は表情を険しくしたまま、「……話は長くなるわ。どうぞ、座って」とソファへ座るよう促し、自分は「コーヒーを淹れてくるわ」と奥の方へ消えてしまった。

 

「輝夜さんは、ピスコ――あの犯人のことだけど――そのパソコンの画面を見たんだよな?」

 

「ええ。ちらっとね。あの人も迂闊よね。あんな大勢いる場所で、機密情報だと思われるものを開いていたんだから」

 

「そこには何が書かれてたんだ? それに、オレと電話してたとき、周りに誰かいなかったか? 会話を聞かれていた可能性は……」

 

「それはないわ」

 

 コナンが思わず鼻白むほどばっさりと言い切った輝夜は、正面に座った少年を見つめた。

 

「前にも言ったでしょう? 私、気付かれないようにするの、得意なの。ちょっとしたコツがあってね。あなたとの会話は聞かれていない。自信をもって言えるわ。それと、その前の質問については、あの子を大きくしたような女の子の写真と、その個人情報が載っていたけれど、それ以外のことは特になかったはずよ」

 

「じゃあ、さっき灰原を『シェリー』って言ったのは……」

 

「その画面の顔写真の下に書いてあったの。アルファベットで、sherryってね。あのときのあの子の怯えようと、二人から感じた切迫した雰囲気。それでピンと来たのよね、『もしかしたら灰原哀という子どもは、画面に映るシェリーという人物と同じ人間かもしれない』って。否定しなかったってことは、当たりだったんじゃないかと思ってるわ。そしてついでに」

 

 コナンは息を呑む。普段は大らかで優しげな雰囲気の彼女だが、その美貌は真剣味を帯びると、呼吸を忘れるほど凄絶だ。その場の全てを支配されたような感覚の中、コナンには自らの心音だけがやけに大きく聞こえた。

 

「コナン君。あなたも『江戸川コナン』ではない、誰かだったんじゃないかしら?」

 

「っ……」

 

 コナンは息を呑み、そんな自分にも、そうさせた輝夜にも衝撃を受けた。嘘をつくことも、誤魔化すことも許さないという空気。絶対的な支配者が持つ雰囲気が、世間知らずでのらりくらりと適当なことばかり言うお嬢様である蓬莱山輝夜から発せられているのだ。

 

(本当に、輝夜さんなのか……!?)

 

 頭では理解している。こんな絶世の美女、そこかしこに簡単にいていいものではない。けれど、常日頃の輝夜と、目の前の少女はかけ離れすぎていて、脳の処理が追い付かないのだ。

 

「待たせたのう。輝夜君、いらっしゃい」

 

「あら、博士。お邪魔しているわ」

 

 その雰囲気はしかし、発明品の修理をしていた博士がやってきたことによって霧散した。

 

「コナン君と灰原さんから聞いているかもしれないけれど、次のキャンプは私も参加するから、日にちが分かったら教えてね。仕事を入れないようにしなくちゃいけないもの」

 

「ああ、聞いておるよ。輝夜君も来るなら、レンタカーを借りようかのう」

 

「それなら、私もお金を出すわ。これでも稼いでいるのよ」

 

「今や日本一の人気者じゃからのう。わしもついこの前、輝夜君のポスターが付録になっている盆栽雑誌を買ってしまったわい」

 

「あー。それ、ニュースになってたよな」

 

 あまりにのんびりとした会話に拍子抜けしたコナンは、二人の会話に口を挟んだ。それから、自分がニュースで見たことをつらつらを述べていく。

 

「輝夜さんって仕事めちゃくちゃ選んでるって早くも有名なくせに、なぜか盆栽雑誌で盆栽の名人から盆栽を楽しむ極意みたいなのを聞くっていう特集には出たんだよな」

 

「一人暮らしをする前の趣味は盆栽だったって、マネージャーに言ったら、そういう仕事を取ってきたの。楽しかったわ」

 

「ハハ……盆栽雑誌なのに輝夜さんの写真集みたいになっちまって、しかも付録にはポスターまでついちまったから、普段から購読してる人が買えなくて、輝夜さんファンが買い占めちまったっていうのもニュースになってたぜ」

 

 コナンはテレビで流れてきた「メインの盆栽だって品評会に出るような傑作であるはずなのに、顔面が完全に盆栽に勝ってしまっている」「むしろ、盆栽との相乗効果でカグヤがより美しく見える」「盆栽と映るカグヤ様マジかぐや姫」等々の言葉を思い出して、乾いた笑いを浮かべた。ニュースで放映された街の声やネットの声では、人気モデルが盆栽雑誌に出ることへの賛否や、あらゆることが謎の「カグヤ」の趣味が盆栽であることが発覚したことへの反応など様々な声が聞かれ、「カグヤ」がきっかけで盆栽を始めたという若者も少なくないそうだ。誇張ではなく、「カグヤ」は今日本で最も注目されている人物の一人だろう。

 

 その「ミステリアスな人気モデル」と「お友達」であるコナンとしては、探偵事務所にさっそくポスターを飾る小五郎の姿を見て、なんとも言えない気持ちになった。そして今、裏事情を知ってさらに何とも言えない気持ちになった。盆栽と言っても、その値段はピンからキリまでだ。しかし、コナンはこのお嬢様なら数百万単位の物を所有していてもおかしくない、となんとなく思っていた。金銭感覚が全然育っていないことは家探しの件でよく知っている。家事その他の一切を家の者にやらせていたというから、どうせ育てるのは家の者にやらせて、自分は愛でるだけだったんだろう、と邪推が止まらない。

 

 コーヒーを淹れて戻ってきた灰原が、和気あいあいと話す博士と輝夜、二人を若干の呆れを孕んだ視線で見つめるコナンを見てから、「今から真剣な話をしようと思っていたんだけど、いいかしら?」とため息を吐いた。ロールケーキも一緒に出されたが、博士の分だけやたらと小さい。「哀君……」と悲しそうな目で見つめてくる博士を無視して、灰原は輝夜に向かって頭を下げた。

 

「まずは、輝夜さん。私、あなたのことを疑っていたわ。ごめんなさい」

 

 輝夜はきょとんとした顔で、首を傾げる。

 

「顔を上げてちょうだい」

 

 そう言われて、あらゆることが絵になる彼女を、灰原は緊張した面持ちのまま見つめた。輝夜は、灰原の淹れたコーヒーの香りを楽しんだ後、「謝るようなことではないわ」とまるで気にしていないように言った。それから一口味を確かめるように飲んで、カップをソーサーに置く。

 

「あなた、コーヒーを淹れるのが上手ね。うちのマネージャー、全然上手くないのに、インスタントは嫌だって言って淹れたがるのよ。まあ、飲んであげるんだけど」

 

 膝の上で、しとやかに手を重ねた。ただ、それだけの仕草。女性が写真を撮るときにするような上品な仕草を、いとも自然に行った彼女は、寛容に微笑んだ。

 

「私、山の中で、突然あなたたちに声を掛けたのよね。しかも、あのときは住所不定無職だったわ。警戒心のなかった人たちの方が危ういと思うから、あなたの反応は正常だと思うけれど」

 

 警戒心のなかった側である博士を見てくすくす笑った彼女は、歌うように滑らかに「それで、あなたは何を疑っていたの?」と言葉を続けた。

 

「それは……その……」

 

 言い淀み、膝の上で拳をぎゅっと握った灰原の肩に、博士がポンと優しく手を置く。安心させるように微笑んだ保護者を見て、少女は大きく息を吐いた。

 

「あなたのこと――組織の一員なんじゃないかって。あなたは『黒』を身にまとってはいなかったけど、表向きの姿なら、ありえることだし……。でも私、あなたから組織のにおいは感じなくって、分からなくって……」

 

 俯いた少女を見て、輝夜は肩をすくめた。

 

「悪いけど、私にはあなたの言っていることが全然分からないわ。それで、私に危害が及ぶかもしれないって言ったのは、どうして?」

 

「――輝夜さんが、やつらの計画を潰しちまったからだ。まあ、それはオレが頼んだからなんだけど……」

 

 静観していたコナンが、バツが悪そうな顔をしながらも、確信を持った様子で言う。輝夜は膝にのせていた両手の指を組んで、くすりと笑った。それは、先ほど博士を見て笑ったのとは違う、どこか妖艶な笑みだ。絡み合う彼女の細い指すら、どこかなまめかしい。

 

「あの吞口っていう人、暗殺される予定だったんですものね。それを計画していた人たちが、彼を殺させなかったばかりか、表向き犯人まで暴いてしまったことになっている私を恨むのは、想像に難くないわ。つまり、殺人を計画してたのが、その『組織』で、あなたたちはそれと敵対している。あなたたちの『お手伝い』をしたことで、うっかり目立ってしまった私が、その『組織』とやらに害される危険があると、あなたたちはそういう危惧をしているということでいいのね?」

 

「輝夜さんって、頭の回転速いよな」

 

「そう? これだけ情報があれば、誰でも辿り着く答えだと思うわよ。次の質問をさせてもらうけど、私に知っていてほしいあなたたちの事情って何かしら」

 

 指を組むのをやめて、輝夜はロールケーキに舌鼓を打っていた。それから、まるで盆栽の話の続きでもしているような気安さで、さらりと質問を口にする。コナンと灰原が顔を見合わせ、どちらからともなく頷いた。

 

「まずは、組織のことについて話をさせてほしいんだ。相手のことを知らないと、輝夜さん自身、警戒のしようがないだろ?」

 

「ええ、聞くわ」

 

「あなたが目を付けられてしまった組織は、いわゆる反社会的組織で、主に重要人物の暗殺、違法薬やプログラムソフトの金銭取引、銃火器の売買、――それから、薬の開発なんかを行っているわ。構成員の恰好は黒ずくめであることが特徴よ」

 

 輝夜の返事を受けて、灰原が覚悟を決めたように口を開く。少女が見つめた先、長い睫毛の奥にある深い赤茶の瞳からは、蓬莱山輝夜という人物の思考を全く読み取れない。芸術品のようにそこに在り、無垢な赤子のように微笑み、悠久の時を生きる賢者のように、静かに灰原の言葉を待っている。

 

「私は、もともとは組織に所属していたの。事情があって組織を裏切って――今はお尋ね者ってわけ。組織から逃れるために自分の開発した薬を飲んで、あなたが目にした『シェリー』から今目の前にいる『灰原哀』になって、組織の目を掻い潜って過ごしているのよ。……それも、いつまでもつか分からないけれど」

 

 輝夜はさして驚いていないどころか、むしろうれしそうに目を細めた。「あなたも薬を作るのね」と、彼女の話を聞いて、まず出てきた感想に、少年少女は顔を見合わせた。なるほど、実家が医者と薬剤師をやっているらしいから、親近感を抱いたのかもしれない。二人はどんな顔をしていいのか分からず、危機感がまるでなさそうに見える輝夜へと再び視線を戻した。

 

「じゃあ、あなたたちの体は、その薬の効果で小さくなっているということ?」

 

 そして、何でもないことのように、本来だったら突拍子もないはずのことを聞いてくる。コナンは思わず、輝夜が漫画喫茶に泊まっていたことを聞いたときと同様、心配そうな表情になった。

 

「輝夜さん。子どもの妄想とか、遊びだとか、そういう風には思わねーのか?」

 

「もしそうだとしたら、吞口議員の殺人未遂、『シェリー』という人物が彼女とそっくりだったこと、彼女を見て画像を確認した犯人のこと、そしてその犯人がほどなくして亡くなったこと、それらの諸々が、全て無関係だったか、別の何かしらのつながりがあるってことになるわよね。だったら、あなたたちの言葉をそのまま受け取った方が早くないかしら? どちらにせよ、批判も質問も、後からだってできるわ」

 

 コナンはため息を吐いた。それから、全然減っていなかったロールケーキにフォークを突き刺す。危機感がなさそうで、得た情報を整理する力は高い。心配をすれば不要とばかりに、いまいち根拠の不明な自信たっぷりの笑みを返される。「世間知らずのお嬢様」であること以外、蓬莱山輝夜という人物を中々とらえられないコナンであったが、細かいことにとらわれず、話を進めようとする姿勢はありがたいと感じていた。

 

「敵わねーなぁ、輝夜さんには。そうだよ。その通り、オレは組織の取引を目撃して、灰原の開発した薬を飲まされて体が縮んじまった。まあ、組織には『体が縮む薬』じゃなくて『毒薬』って感じで認識されてるっぽくて、今のところオレも灰原も組織の目を掻い潜ってるっぽいけど」

 

 羨ましそうな博士の視線を無視しながら、コナンはやわらかな生地のロールケーキをどんどん口に運んでいく。もはや緊張を孕んだ空気はどこへやら、組織の話をしているはずなのに、もし音声をミュートにして誰かがその光景を見たとしても、雑談をしていると疑わない雰囲気が出来上がっていた。

 

「じゃあ、あなたたちの目的は組織から逃げること? それとも戦うこと?」

 

「決まってらァ」

 

 輝夜の質問に、コナンは口をとがらせた。

 

「戦うんだ。やつらを油断させるために、ただの小学生のふりをして情報を集めて、やつらを壊滅させてやるんだ。そんで、ぜってー元の姿に戻ってやる!」

 

 フォークを置いて拳を握りながら決意を固めるコナンに対し、輝夜は「戻りたいの?」と不思議そうに首を傾げる。

 

「ったりめーだ! 輝夜さんは縮んだことがないから分かんねーかもしれねーけど、小学生ってすっげー不便なんだぜ! それに、本当なら年下のやつらと一緒に勉強してるふりしたり、遊んだり……今でこそ慣れたけど、最初は情けねーったらなかったぜ」

 

「私の目には、あなたはいつも、とても楽しそうに見えるけれど」

 

 輝夜のその言葉は、特別嫌味でもなく、嘲ったようなものでもなく、いつもの穏やかな彼女から、自然と出てきたものであろうと思わされた。しかし、縮んだ当初のことを思い出してヒートアップしかけていたコナンは、頭に冷や水を浴びせられたような感覚になり、鼻白む。

 

「それは――まあ、案外悪くねーなって思うときもあるけど……でも、オレは戻りたいんだ。そんで……アイツに……」

 

「アイツ?」

 

「毛利探偵事務所にいる、可愛らしい幼馴染のことよ」

 

 まるでその質問を想定していたように素早く解説を入れてくれた灰原のおかげで「あの子ね」と輝夜の疑問は即座に解決した。しかし、その親切な解説に対して、解説された方は顔を真っ赤にしている。

 

「バッ……灰原! てめー何言ってんだ!」

 

「なんであなたの言った代名詞の補足をしただけで怒られなくちゃならないのかしら。言って照れるようなことは、最初から胸にしまっておくことね」

 

 至極正論である。そう言われてしまえば、コナンに反論する余地も気力もない。

 

「ともかく、コナン君は好きな人がいるから――えーと、蘭ちゃん、よね。その子のために戻りたい、ということでいいかしら」

 

「…………オレたちは組織を潰す。そんで、元の体に戻る。この二つをやらなくちゃならないんだ。危険なことに巻き込んだあとでこんなこと言うの卑怯かもしれねーけど、輝夜さんにも、協力してもらいたいんだ」

 

 輝夜は顎に手を当て、少し目を伏せた。長い睫毛が、彼女の白い頬に影を落とす。

 

「組織について何かできることがあるかは分からないけれど……」

 

 体を元に戻すことは、簡単かもしれないわ。

 

 浮かんだ言葉を、輝夜は口に出す前に呑み込んだ。それはいわゆる、「たられば」の話だし、「難題」が「難題」ではなくなってしまう。先に歪な永遠についての「難題」さえ解いてしまえば、幻想郷に戻ることができれば、輝夜はあらゆる「薬」を労せず手に入れることができるだろう。

 

「大いに結構よ。『私』が受けるから、きっと難題になるのだわ」

 

 脳裏に浮かんだのは、もうずっとずっと、誰よりも永く一緒にいる大切な「家族」。そう表現したら、彼女は否定するかもしれないけれど、あまりに一緒にいすぎて、他のどの表現もしっくりこないような気がする。そんな彼女がこの場にいれば、全てはあまりに簡単だったことだろう。なにせ彼女は天才だから。

 

「――輝夜さんの言う『難題』って、何?」

 

 少年の問いを聞いて、輝夜は笑った。

 

「そうね――」




ボツネタ

「輝夜さんの言う『難題』って、なんだい?」

 少年の問いを聞いて、輝夜は優しく――本当に優しく笑った。灰原は顔を覆い、博士は肩を震わせていた。そんなつもりのなかった少年は、壁に頭を打ちつけ始めた。


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