003
そのまま漣と
その後ろ姿が、僕の視界の内側へと飛び込んできた。
鎮守府の、工廠や倉庫といった区画を仕切る塀の上を歩いている、制服カーディガン姿の艦娘である。
艤装の、ケモノっこの耳のようなパーツがぴこぴこ動いていた。短いスカートがひらひら揺れていた。
ていうか僕の妹だった。
軽巡洋艦天龍である。
「…………」
てくてくと。
僕に気付くことなく、天龍は塀から塀へと、跳ねるように飛び移る。
「えい」
僕はそんな天龍にそっと足音を立てず近付いて、その着地しようとした足の部分を軽く浚うようにチョップを繰り出した。
「うあ、わわっ!」
頭から落ちやがれと思ったが、しかしそこは運動神経抜群の艦娘、ほんの一メートルほどの高さの間でぐるりと、そのでかい身体を回転させ、見事に着地を成功させた。
こっち向きに着地したので、目が合う。
「……ああ。
「敵がいるのか、お前には」
陸上に、深海棲艦以外に。
「男子たるもの一歩外に出れば七人の敵がいるっつーだろ」
「お前は女子で、艦娘だろ」
「男子で七人敵がいるんだ、艦娘にはその七千倍はいるっつーの、深海棲艦が」
「インフレ気味だな」
まあ、お前限定の話でなくても、艦娘的にはそうなんだろうけど、聞いたことねーよ。
僕は呆れ混じりに言う。
「一体全体何をしてるんだお前は。お前の歳で、その格好であんなところを歩いている女子、僕は他に知らねえよ。はしたないにも程があるわ。お前はちょっとは思春期の女子らしい自意識を持て」
「女子っつっても、俺は艦娘だぜ」
「ともかく」
ともかく。
ともかく、ともかくとして。
「何してんだよ、お前。こんなとこで」
「自主パトロールだよ。いわばボランティアだな」
天龍は立ち上がって、自慢気に胸を張る。
得意げな表情がマジでむかつく。
見てるだけでぶん殴りたくなる。
「
「……本当に関係ないなら、ほっといてやってもいいんだけどな」
「
などと、天龍は言う。
「艦娘じゃないのかよ、知らねえよ。誰なんだよお前は」
「史上最強のブレイブ!――」
天龍は空に向けて片手を突き上げ、高らかに叫んだ。
「砲撃の勇者――テンリュウブラック!」
「うわ、かっけー……」
いつの間にかその手には黒光りするブレードと14cm単装砲が握られていた。
「荒ーれーるーぜ~……止めてみなっ!」
興が乗ったのか、続けざまにポーズと決め台詞を披露する天龍。
「残りの『強き龍の者』は、
「断る」
僕にトリンの真似をさせるな。お前のブレイブを褒めたりしないぞ。
けれどそのうち集まりそうな気がしてならない――具体的には、龍田、飛龍、蒼龍、龍驤辺りだろうか。
「とにかくさ、今は俺、色々とやらなきゃいけないことがあって忙しいんだよ。
「…………」
ふむ。
まあ、片方ずつから話を聞いてもこいつらの場合は面倒が増えるだけだし――こんな場所じゃ、あまりロクな話も出来ないだろう。
「……本当に放っておいていいのか?」
と天龍に訊く。
「うん。どーせもうすぐ終わるから」
「ふうん」
「俺と龍田、向かうところ敵なしだし?」
「足元すくわれろ」
さっき僕にされたように。
004
まあそんなわけで。
昼食までの時間が無駄とも思える会話で過ぎた後、僕は食事を摂ろうと食堂へ向かっていたのだが、すると、すぐそこに、何をするでもなく立っている男がいた。
最初、どこかで見たような男だと思った。
しかし――知り合いではなかった。
記憶を探るまでもない。
葬式の帰りのような喪服の如き漆黒の軍装に身を包んだ、壮年の男だった。見るからに怪しいというか、とても曖昧な言いかたになるが、明らかに何者かっぽい感じだ。
何者か。
それが本物なのか。
それとも偽物なのか。
見ただけでは、そこまではわからないが。
僕のこれまでの経緯を振り返るならば、『鎮守府』に至極相応しいと思えそうな、しかし、そう、ありていに言うならば。
とても不吉そうな男が。
駆逐艦の寮を見上げていた。
「……ふむ? お前はこの鎮守府の提督かな」
この距離なのだ、当然、こちらから一方的に相手を観察することなどできるはずもなく、漆黒の男のほうも、食堂の方へと向かう僕へそんな風に声を掛けてきた。
その台詞と格好に、おそらくこの男は海軍関係者だろう、と思ったが、しかし――こんな男はこの横須賀鎮守府では見たこともなく、では外部の人間だとしたら下手な応対も出来ず、どう対処していいのかわからない。
どちらにせよ鎮守府内にいるということは正式な許可を得ているのだろうし、あまり失礼な態度は取れない――のだが。
「そうです……けれど」
「ああ、すまない。名乗り忘れたな。見ず知らずの人間に対するその警戒は酷く正しい、大切にするがいい。俺は哀木という」
「アイキ?」
「そう。悲哀の哀に、枯れ木の木だ」
漆黒の男――哀木は、表情を変えることなく、何だか一種悟ったような、しかし不機嫌そうな態度で、僕のほうを横目で見るのだった。
ポマードで固められた黒髪。
どこか人工的な臭いが香る。
やはり――どこかで見たような男だ。
誰かと似ているのか。
だとすると――誰と似ているのだろう。
僕も、とりあえず苗字だけではあるが名乗った。
「漢字は――えっと」
「そこまで説明しなくていい」
と、哀木は言った。
「ただし、俺が枯れ木だとすれば、お前は若木なのだろうがな」
「…………」
単に歳のことを言ってるのだろうか?
随分もってまわった言いかたをする。
「……その、もしも艦娘に用なんでしたら――」
「ふむ。お前は最近の若者にしては礼儀正しいな。それに気遣いの出来る男だ、面白い。ただし、俺に関してはそこまでの気遣いは無用だ。この寮にも特に用があったというわけではない」
ただし、と。
哀木は抑揚のない、しかし重い口調で言う。
「着任率の低い艦娘が配属されたばかりだと聞いてしまったのでな。少し様子を見てみようと思っただけだ」
「……?」
それは。
もしかして、我が艦隊の島風のことだろうか。
他の提督が率いる艦隊の内情については寡聞にして知らない僕なので、今この鎮守府に総勢でどのくらいの艦娘がいるのかわからないのだけれど。
「しかし――島風だったとはな」
哀木は言った。
納得を終えたかのように。
「島風では預けておいていいだろう――いや、預けておくしかあるまい。残念ながら、資材にもならん。今回の件から俺が得るべき教訓は、建造など、たとえ思い通りに引き当てたところで、場合によっては役に立たないということだ」
そして、哀木は――
用は済んだ、とばかりに、踵を返して艦娘寮に背を向けて、すたすたと――早足で、ただの徒歩なのにもかかわらず驚くような素早さで、この場を去っていった。
「えっと……」
僕はといえば、対照的に――しばらくの間、そこから動くことができなかった。決して動きたくなかったわけではなく、何であれ、次の行動に移るのに躊躇いを覚えたとでもいうのだろうか。
哀木の姿が完全に見えなくなって。
そこでようやく、僕は思い出した。
思い出したというのは違うかもしれない――
これは連想だ。
僕は、あの不愉快なアロハ男――猿島に滞在している、色々なことが不詳の男、
もう少し――話を聞いてみるか。
追って――しかし、思いとは裏腹に。
僕の足が向いたのは普段通りに、間宮さんがいるはずの食堂の方向だった。
直感だが――
何だかあの男と関わるのはまずい気がする。
縁起の悪い、辛気臭い真っ黒な男。
しかし、それは、そんなレベルではなく。
ただ――不吉なのであった。
不吉。
それは――凶という意味だ。
と、そんなことに囚われながら、考えながら、歩みを進めていると、正面から、食堂から出てくる人物の姿が目に入った。
スパッツをのぞかせる膝丈上のスカート、半袖の白いシャツと同じ色の手袋。髪は頭の後ろで結わえていて、表情は鉄仮面の如き無表情である。それは見ようによっては不機嫌極まりない表情のようにも見えて――とか何とか、そんな風に外装を描写するまでもなかった。
駆逐艦不知火。
僕を好きだと言ってくれた艦娘だった。
「おーい、不知火」
声が聞こえたのだろう、顔を起こして僕のほうを見る――そしてそのまま曲がり角を折れて、僕の視界から姿を消した。
「……って! おいおいおいおいおい!」
僕は全力で不知火を追いかけた。
「マジで凹むからやめろって!」
追い抜いて、通せんぼをするかのように、不知火の行く手を遮る。
不知火は。
身も凍るような冷徹な眼差しで僕を見ていた。
「お、おい、不知火……」
「……勉強もせずにこんなところをふらふらしているような男のことを、不知火は知りません」
「あ、いや……」
怒っていらっしゃる。
わかりやすく怒っていらっしゃる。
「ご、誤解だって」
「だまらっしゃい。誤解も述懐もないです。せっかく不知火が秘書艦仕事の合間に付き合ってあげているというのに、独りの時間にのんびり休憩をしているなんて腑抜けにもほどがあります、失望しました。いえ、もともと不知火は司令に希望なんてこれっぽっちも持っていなかったのですけれど」
「違う違う。食堂に昼飯に来たのであってサボっていたりは断じてない」
「言い訳は聞き飽きました、この無能め」
ズバッと斬り捨てる不知火。
「所詮司令は口だけの男というわけですね。あなたのような指揮官に心を奪われたことは、不知火にとってこの上ない落ち度です」
「お前、僕じゃなかったら自主退官するようなことを当たり前のように言うよな……」
「はっ。廃材が」
顎を上げて、心底見下すような感じで、開発失敗した段ボールの中身を見るかのように吐き捨てて、不知火は僕に背を向けて歩き出す。
見逃すわけにはいかず、僕は不知火を追う。
「ぬいぬい、ぬいぬい」
「何よ、辞令」
「僕の敬称を大本営からの命令のように呼ぶな――って、そりゃ漣の芸風だろうが」
「失礼。噛みました」
「違う、わざとだ……」
「噛みま死ねえ」
「やっぱりわざとだ!」
振り向きもしない不知火。
かなりのお冠。
「不知火、お前さあ」
「変なT督が後方から追尾してきますね」
「おいおい、変なT督って」
「変なTの字頭が後方から追尾してきますね」
「僕のビジュアルをぷちアイドルアニメのプロデューサーのようにするな!」
「いいじゃないですか。どうせアニメ化されるときには、『提督は出ません』なんて言われるのでしょうから」
「アニメ化反対だ! 原作の雰囲気が失われたり二次創作の可能性が狭まったりしたらどうする!」
いや。
それでも二次創作するんですけれどね、人それぞれに。
「なんでもかんでもアニメ化すればいいってもんじゃないんだよ! ゲームがアニメ化する際に色々斬り捨てられたりアニメオリジナル要素が足されてしまう風潮に、僕はあえて苦言を呈したいよ!」
「それは、余計な心配かもしれないですね。視聴者が見たいのは不知火たちの日常ゆるふわなエピソードや迫力ある艦隊決戦シーンで、提督の存在はアニメでは声すらありませんから」
「艦隊を指揮する存在がカットされるの!?」
「そこは監督と脚本、シリーズ構成さんの胸三寸というところですね。大体司令は主人公じゃないでしょう。何様のつもりですか、思い上がりも甚だしい」
「う……まあ、出れないなら出ないでいいさ……不知火がエンディングだかで無表情で踊ってるのを、画面の外から精々視聴させてもらうよ」
「え? 不知火は踊りませんよ?」
「…………」
「なんでそんなことしなきゃいけないのですか、恥ずかしい」
「………………」
かっけー!
不知火さん超かっけー!
「ダンスを見学させてもらうのはむしろ不知火です。そうですね……ダンスのプロデュースは陽炎型拾八番艦が向いているでしょうか――と、まあここまで前振りしておいて、これで本当に踊るエンディングだったりしたら逆にがっかりですよね」
「何がどうすれば満足なんだよ、お前は!」
前振りというより無茶振りすら通り越していそうだった。
「何でしょう。この『深海棲艦に厳しい砲雷撃を継戦中』こと不知火の言動に、司令は何か文句があるとでも言うのですか」
「何だよそのキャッチコピー! ていうか今現在、僕に厳しいよ!」
「勘違いしないでください。不知火をはじめ艦娘の全員が、司令みたいなダメ人間のことを大嫌いなんですから」
「……お前、ツンドラっていう設定にかこつけて、ひょっとしてただの暴言を吐いてないか?」
「冗談ですよ」
「まあ、冗談ならいいんだけどな……」
「司令は愛されまくりのもてまくりですからね」
「…………」
……言葉に棘があるよな?
ハーレム艦隊という、設定していない艦隊名のことを言っているのだろうか?
不知火はその無表情を近づけてきて。
僕の目を覗き込むようにする。
「うふふー」
とてつもなく棒読みな笑みと共に伸ばした両手が、僕の両頬をがっちりと捕まえた。
「ぷっぷくぷー」
「………………」
「安心していいですよ――司令。意外に思われるかもしれないけれど、不知火はこう見えて、浮気には結構寛容ですよ」
「う、うわきなんてしてませんが」
「でも実際問題、司令の周囲は女子ばかり」
「た、たしかにそうだけれど」
「だから誰とどんなふうに遊ぼうと、誰を旗艦に据えようと、それは司令の自由だけれど――その浮気が少しでも本気になったなら、覚悟することですね」
「…………」
全く。
全くと言っていいほど――冗談めかさない。
どこまで真剣なのかわからない――のではなく。
どうして真剣なのか――わからない。
「心配しなくても大丈夫、司令ひとりを死なせたりなんかしない――あとから相手の女も雷撃処分してしまいますから」
「だからお前が自沈しろよ!」
「その後、寂しくないよう手当たり次第に横須賀を砲撃して火の海にします」
「お前は僕の地元に何てことをするつもりだ!?」
「どうせ霧の艦船が来るころにはこの辺り一帯は水没してます」
「その世界はこっちじゃコラボ扱い止まりだ!」
「冗談ですよ。横須賀は司令と出逢えた大事な思い出の地」
それに、と。
不知火は僕の頬から手を離した。
「そもそも私は死後の世界なんて、これっぽっちも信じてはいないんですけどね」
「あっそ……」
ま。
お前はそうだろうな。
そう言わなければならないだろう。艦娘的には。
「ただ、私が司令を好きだということはそういうことだと――知っておいてほしかっただけ」
「……わかったよ」
僕は頷く。
「僕も不知火のことは好きだから」
「そうですか」
不知火はそっけなく頷いた。
表情も感情も読めやしない。
しかし続けて、
「ならいいのです」
と言った。
「司令が、自分が一体誰の指揮官なのかを忘れていなければ――不知火はそれでいいのです。私は司令の第一艦隊の旗艦であるためにそれなりに努力している――できれば司令にも、同じようにして欲しいと思うのです」
「努力ね――ああ、するさ」
「そうですか」
そんな、僕の言葉に。
不知火は、繰り返し、そっけなく頷いた。
「ああ、そういや――」
ふと、思い出したことがあった。
「不知火は見なかったか、変な奴」
「え? 目の前にいる司令の他に?」
本気で言っているみたいな感じで首を傾げる不知火――いやもう本当にこいつは。
「変な奴っつーか……不吉な奴なんだけど」
「不吉?」
不知火は。
ゆっくりと――その目を見開き。
それは、とても珍しい反応だったにもかかわらず、僕はそのまま、
「名前は――哀木っつったっけ」
と、続けた。
そして。
僕の記憶は――ここで遮断された。