艦物語 ― 君も知らない物語 ―   作:きさらぎむつみ

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第十四話 てんりゅうブレード(伍)

      007

 

 僕は大淀からおおよその話を聞き終えて、食事をとることにした。

 定時の夕食時間からはずいぶんと遅くなってしまったが、間宮さんは優しく迎えてくれて、僕は朝食以来の食事にありつけた。

 食堂から執務室への帰り道、僕は海沿いの堤防を歩くことにした。

 ぶっちゃけ、一旦間を置いて落ち着かないと、またぞろ天龍や龍田を怒鳴りつけてしまいそうだったのだ。

 哀木軽舟。

 不知火が“黒い”と言い捨てた男。

 そんな奴に関わってんじゃねーよ……!

 ちなみに、一通り話を聞いた後に、ことのついでとばかりに僕は大淀に質問してみた。あのとき、そのお陰で僕はあの恐るべき拉致監禁から逃れられたのだが、大淀は不知火と電話で一体どんな会話をしたのか、と。

 

「ああ、あれ? 壬生さんとの直通携帯のことは知っていたから、私が“多分、一番提督君が戻ってきそうな”メールを出したんだけれど、すぐに返信がなかったから電話もかけたの。不知火さんの声を聞いたら大体の状況はわかったから、手短にお願いしただけ。『あんまり聞き分けがないようだと、不知火さんを別の司令部に異動させちゃうぞ』って」

 

「…………」

 

 怖いっす。

 ある意味最強の切り札だった。

 …………。

 さて、どうしたものか。

 と、そう考えているところに、海の方から、何かが、波間を滑るような音が、耳へと届く。

 ちらちらと、夜闇に、白くて細い輝き――それはついさっき不知火から向けられたものと同じ、探照灯から放たれた光が現れ、僕の眼を刺激する。

 

「かかっ――」

 

 岸壁に棒立ちでいる僕の耳に聞こえたそれは――声?

 

「……誰?」

 

「御挨拶じゃのう、お前様。こうしてわざわざ、海を渡ってやってきたというのに――我があるじ様よ」

 

 と、声の主は言った。

 若干幼い声で――尊大に。

 海の上を駆けながら、その口元を閉じた扇で突きつつ。

 その姿は――

 

「は――初春」

 

「かかっ――どうしたどうした、お前様よ。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして――いや、深海棲艦が砲雷撃を喰らったような顔をして、かの? わらわが航行してやってきたのが、そんなに驚いたのかや? まさかわらわが再び海に出られないとでも思っておったのかのう」

 

「……っ」

 

 初春――と、そう“名付け”られた彼女の言葉に、返す言葉を持たない僕。

 その名前は初春型駆逐艦の一番艦の名前であり――今の彼女を“縛る”名前だ。

 誰よりも美しく、鉄のように冷たくて、血のように熱かった――化物の中の化物、深海からやってきた妖しさと危うさを纏う戦姫――元戦姫。

 今となっては、その成れの果て。

 彼女は僕を殺し、助けて。

 僕は彼女を、彼女は僕を。

 助けて。

 殺して。

 助けた。

 だから。

 初春は――春のことが終わってから、あの廃墟しかない猿島でただ時間を喰い潰している間中、今こうして、僕の目の前に現れるまで、こんなふうに僕に対して話しかけてくることはなかったのだ。

 それが今、こんな風に、突然に。

 

「ふん、飽きたのじゃ。わらわは本来お喋りなのじゃ、お前様も知っておろう。まったく、このまま黙ってばかりでもいられんしのう。それに、あのアロハ小僧からの言伝(ことづて)を届けにも来たのじゃ、我があるじ様よ」

 

「…………」

 

「『それ以上使うと保証はしないよ。後、しばらく留守にするからね。その間、初春ちゃんをよろしく』じゃと。確かに伝えたぞ」

 

 やっぱり、そういうことなのか。

 僕がさっき(・・・)ああ(・・)したから、なのか。

 

「まあ、わらわにとってはあるじ様が元気でおればおるほど、都合がいいのじゃがのう」

 

 初春は扇を手遊びに振り回し、はしゃぐように続けた。

 

「ところでお前様は、いつまでそこにぼーっと立っておるつもりじゃ。ここでは接舷は出来ても上陸は出来ん。それくらい察せよ、我があるじ様よ」

 

「あ――ああ。もう少し向こうに行くと上がれるようになってるから」

 

「ではそこまでわらわを案内するがよい。あんなじめっとしたところに長くいたおかげで、ちょっとばかり海に出ても気分がようならん。わらわは風呂を所望するのじゃ。あるのじゃろう、艦娘用の風呂とやらが」

 

 船渠(ドック)のことを言っているのだろう。

 しかし、彼女をこのまま――鎮守府に入れても大丈夫なものなのだろうか。

 

「心配には及ばんわ。今のわらわは小僧に“名付け”られたおかげで、この身も心根も艦娘のそれと大差ない。いっそこのまま、お前様の艦隊に加わってみるのも一興じゃのう。何、礼には及ばんわ。わらわは自分のしたいことをするだけじゃ――今も昔も、いつまでのう」

 

 そんなことを言う初春に僕は手を伸ばす。

 タラップの段を上がってきた初春はその手を取り、満足げに「うむ」と言って。

 そして――自分の薄く青みがかった色の長い髪を指さす。

 

「髪じゃ」

 

「……か、髪がどうした?」

 

「わらわの髪を洗うがよい。戯れじゃ、しゃんぷーとやらを試したい。お前様や艦娘の娘子らはしておるのじゃろう?」

 

「それは……いいのか?」

 

「それぐらいせい。お前様とわらわの仲で、何を気にすることがあろうか」

 

 とはいえ、船渠へ連れていった場合、僕が艦娘用の“お風呂”に入るわけで、それは誰かに見つかった場合とても、いや、おそらく非常にマズイ事態になるわけで。

 

「……それじゃあ、こっちだ」

 

 僕は初春を連れて、司令部棟の方へと向かった。

 その中にある僕の執務室――の隣の部屋。

 

「ほう。これが風呂か」

 

 初春に見せたのは執務室付きの浴室。なけなしの家具コインを注ぎ込んで作ってあった、僕の安息の場所である。

 ここなら、他の艦娘には見つからない。

 

「では、早速入ろうかの。もちろん、お前様も一緒じゃ」

 

「……わかった」

 

 すると当然のことだが僕は裸になるわけで、初春も現在進行形で着ていたものを脱いでいるのだが、初春に関しては、もうそんなことを恥ずかしいと思うような気持ちは起こらない――僕は彼女の前では、恥という恥を、あらん限りに晒し切ってしまっているのだから。

 僕はシャンプーを手に取って、初春の髪に指を通す。

 以前触れた時と変わらず。

 清流のような触れ心地だった。

 

「……初春」

 

「やめい」

 

「…………」

 

「何も言うな。わらわはお前様を許さんし――お前様も、わらわを許しはせんじゃろう」

 

 初春は僕に頭を泡立てられながら、鏡に映る自分の姿を見たまま。

 今の自分の姿を見たまま。

 初春は言う。

 

「それでよい。わらわとお前様は互いに互いを許さん――それでよかろう。わらわとお前様は過去を水に流してはならんのじゃ。それでも、歩み寄ってはならん理由はなかろうよ」

 

「…………」

 

「それが、わらわが何か月じゃか、つらつらと考えて出した結論じゃが――いかがかな、我があるじ様」

 

 初春は。

 垂れてきた泡を鬱陶しがるように目を閉じてから――続けた。

 

「いつまでもむくれてはおれんしの。わらわの器も、そこまでは小さくはない。……それに、こうして動けるようにもされたしのう。――もっとも、艦娘としてとは、意趣返しも甚だしいものじゃ。あの小僧めが」

 

「……はは」

 

 僕は初春の頭越しに、シャワーのコックに手を伸ばし、初春の頭を洗い流す。そして続けてトリートメントを始める。初春は髪の量が半端でなく多いので、結構な量を使わなければならなそうだ。

 

「しかし、こうとなっては仕方もないのう――黙っていようと腹は減るものじゃ。お前様とのこともあることじゃし、わらわもこの“ちんじゅふ”に身を寄せさせてもらうぞ。さすがのわらわも、この身体では飲まず食わずでおられんしの」

 

 まあ。

 それぐらいは仕方ないかもしれない。僕と彼女――初春との関係を、繋がりを考えれば。

 僕は、「あとは自分でやれよ」と言って、檜風呂の湯船へと身体を沈めた。

 

「赤疲労」

 

 と。

 そこでいきなり、初春は言った。

 

「お前様のドでかい妹御が、現在為っている状態じゃよ」

 

「……ドでかいってほどでかくはないけどな」

 

 態度ならでかいが……ああ、駆逐艦と軽巡洋艦としての違いか――いや、それもないか。

 そもそも、お前の本来の姿の方がでかかったろう。

 

あんなこと(・・・・・)をされたばかりじゃったからかのう。お前様の見聞きしたものが全て伝わってきたわ。その上でのわらわの見立てじゃ。本来のわらわは――わらわ達には、そうした相手を見定める力が備わっておったからのう」

 

「そうなのか」

 

「そうなのじゃ」

 

 だから、そんな者が海におれば――集中砲火じゃ、と。

 初春は極めて冷たく、淡く、言い放った。

 

「…………」

 

 天龍は。

 ああいう性格なので気丈に振る舞っていて、不覚にも僕はまるで気付かなかったが――あれで、かなり肉体的に消耗していたのか。

 だから天龍はベッドの上にいたのだ。

 

「……しかし、大淀の話からだけじゃまだ判断しづらいけれど――どうやら天龍は、哀木って奴に赤疲労にされた(・・・・・・・)……っぽいな。でも――そんなことが果たして可能なのか」

 

「そんなことは知らん」

 

 初春は言う。

 

「しかし、あのツンドラ駆逐艦の言うことを信じるならば、アイキとやらは“黒い”提督なのじゃろう?」

 

 ツンドラ駆逐艦って。

 まるで砕氷船のような言われ様だな。

 

「無論、なにを以ってして“黒い”と言っておるのかは皆目見当もつかんが――そういうものも含めての“黒い”ということなのじゃろうて」

 

「なるほどな」

 

 けれどそれなら、半日もすれば多少の回復は見込めそうなものなのだけど、その兆候が全くない。普段でも反復出撃を繰り返せば艦娘が疲労するのはごく普通のことで、それは時間をかけてゆっくり休ませれば自然に回復するものなのだ。

 

「何かをされて為った赤疲労であるならば、それは普通の疲労とは全く別のものとは考えられんかのう、我があるじ様よ」

 

「そりゃそうか。そうだよな」

 

 言いながら僕は、トリートメントを洗い流し終えて湯船に入ってこようとした初春のために場所を開ける。

 

「こうして風呂に浸かるのはいつ以来になるのかのう……かかっ」

 

「覚えてないのか?」

 

「うむ。そもそもすでに、自分が何ゆえにあのようになっておったのかも、最早覚えておらん」

 

 そういうものなのか。

 うーん、しかし。

 初春とふたりで風呂に入るなんてのは、どうしたってこれが初めてなわけで、いやはやまさか、こんな日が来るとは思わなかった。

 感慨深いというか、そもそも、こんな形で初春と向かい合うこと自体、初めてなのだから。

 

「……何をじろじろと見とる。このような発育途中な女児の裸に興味津々とは、お前様は真性の変態か」

 

「いや、そういうつもりで見てたわけじゃ」

 

「くふふ。お前様からそんな風に熱く見詰められておると、わらわとしては少しばかり、面白い想像をしてしまうのう」

 

「あ?」

 

「いやいや、くだらんことじゃよ。たとえばわらわが、この場で大声で、鎮守府中に響き渡るほどの悲鳴を上げたとしたら、さてどうなることやらのう――とか、その程度じゃ」

 

「…………っ!」

 

 初春はにやにや笑っている。

 発想が尋常じゃねえ!

 ていうかそういうのがアウトだってのはわかってるんだな、畜生!

 

「お前様が口封じのために多量の――間宮のあいすくりん……だったかのう、用意をしてくれようと言うのであれば、わらわとしても交渉のテーブルにつくのはやぶさかではないぞ?」

 

「……やれるもんならやってみろ」

 

 卑劣な脅しには屈しないぞ。

 僕は余裕ぶって、むしろぐっと胸を張る。

 

「お前が艦娘なら僕は提督だ。提督を退官させられたら艦娘としてのお前の面倒は見られない。少なくとも燃料弾薬の補給は他の誰かに頼らざるを得なくなるぜ」

 

「かかっ。なるほど、そう出るか。少しはやり返せると見えるな、我があるじ様よ。ところで、これは確実に、あの小僧は言っておらんかったことじゃが――意図的に隠しておったことじゃろうが、お前様よ」

 

 僕が初春のほうを向くと、悪戯っぽい表情を浮かべていて。

 それは言い換えれば、邪悪で、そして凄惨な――笑みだった。

 

「お前様は、いつまでそのままでいられるのじゃろうな?」

 

「……どういう意味だ?」

 

 その意味も、意図もわからない質問である。

 なにが、そのまま、なんだろうか。

 

「いや、つまりじゃな……お前様は今はその通りのお前様じゃが、同時にまた、少しだけ(・・・・)お前様ではないじゃろう? そうなると、今日のようなことが度重なれば、お前様はどうなってしまうのかのうと思っての」

 

「……うーん」

 

 そっか。

 考えたこともなかったな。

 というか――考えることを避けていたのか。

 

「少しずつ、少しずつ、こちら側(・・・・)に近付いてきておって、ある日を境に――ポンと裏返り、いや、この場合は寝返りかのう、するのかもしれんぞ?」

 

 初春の掌が湯船の中で裏返り――湯が波立つ。

 

「どうじゃ? そう考えると、さしものお前様でも何かを思わずにはおられまいて」

 

 初春は言う。

 僕を誘い――惑わすように。

 誘惑するように――実に支配的に、言う。

 

「そこで提案なのじゃが、お前様よ。今すぐわらわを水底(みなそこ)へ沈めて、今度こそ後腐れなく、何物でもないただのお前様に戻ってみるというのは如何かな?」

 

「冗談言うな」

 

 僕は軽口を装った初春の提案を。

 これ以上なくはっきり、拒絶する。

 

「お前がさっき言った通りだよ。僕はお前を許さないし、お前は僕を許さない。それだけのことだ。それでもう、この話は終わりなんだよ。僕たちは死ぬまでこのままだ」

 

 それが。

 僕のお前に対する誠意であり、決意であり、償いだ。

 許されなくてもいい。許されるつもりもない。

 むしろ僕は――許して欲しくないのだから。

 

「ふん。ならばそれでもよかろう」

 

 初春は笑う。

 あの頃のように――どこまでも凄惨に笑う。

 

「精々わらわに寝首をかかれんよう祈ることじゃな、我があるじ様。所詮は余生、気紛れじゃ。しばらくは暇潰しとしてお前様の指揮に従ってやろうが――馴れ合うつもりはない。油断したら即殺すぞ」

 

 まあ、こんな具合に。

 僕と初春は、なし崩し的に和解して――僕は艦隊に、初春型一番艦の艦娘を迎えたのだった。

 

 

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