圧倒的な脅威は消え去った。
絶望的な夜が終わっていく。
そこで漸く乱入者の姿を落ち着いて見ることが出来た。
身長は高い、男である自分よりも圧倒的に。異人の血でも入っているのか、腰も高く、その瞳は澄んだ碧を携えている。腰まで伸ばされた髪は先端の方で纏められ、まるで獣のしっぽのようでもあった。
ピシリッと着付けられた着物は、そうした凛とした調和を崩す様に真紅に傾いていて、程よく彼女の印象に混沌を齎していた。
なるほど、これが町の人なのか!
と、思わず納得してしまうほどに、その装いは時代の遥か先を行っていた。
「あ、あの!」
「.......?」
戦闘が終わって一呼吸置いても動きを見せない彼女に、思わず痺れを切らして話しかけるが、どうにも反応は薄い。
こちらを認識しているのかいないのか、首を傾げるようにこちらを一瞥するに留まったそれに、「なんだ?」という意味を受け取り、言葉を続ける。
「アナタは鬼殺隊なのでしょうか!?」
「あぁ、そうだ」
「だ、だったら!ここから真っ直ぐ行った川の方、仲間がまだ戦っているんだ!」
それで、とことも無さげに言葉が切り返される。
それで.......?鬼殺の隊士が、鬼を殺す事に、それで?
「い、いやだから!俺は動けない。まだダメージが抜けてないんだ。俺の代わりに、仲間を助けてくれませんか!?」
俺は必死だった。伊之助の事もそうだし、何よりも鬼殺隊である彼女が、禰豆子に気づけば放って置くはずが無い。
十二鬼月すら容易く倒してしまう彼女だ。今でこそ俺が体で隠しているが、禰豆子の傷が塞がっていく様を見れば誰でも禰豆子が鬼であることが分かってしまう。そうなれば俺には禰豆子を守れない。
一刻も早く彼女をここから遠ざける必要があった。
───にも関わらず、
「嫌だね。私はここを動かない」
彼女は、否定した。
否定的で、嫌世的で、非人間的.......いっそ非情である程に、俺の申し立ては斬り捨てられる。
「な、なんで.......?」
「来るから」
.......来る?何が?
鬼か?いや、匂いはしない。鬼は近づいてきていない。いやそれ所から周囲には近づいてくる匂い何も無い。
なんだ、なんのことを言っている?
「───
───影が差す。
この闇だらけの山の中で、不思議な表現だとは思う。しかし、確かにそう表現するしかない程に、それは唐突に上から降ってきた。
反射的に頭上を仰ぎ見た俺の目に映ったのは、妖しく舞う蝶の群れ。
そして、紛れるように宙を踊る微笑みを携えた美女。
───反応は出来なかった。
気が付けばスルりと差し込まれた刃が、俺の体を潜り、今にも禰豆子に突き込まれようとしている。
粟立つ。ここに来てもなお脳は現状を認識していなかった。しかし肉体は、えもいわれぬ悪寒に奮い立っていた。
あぁ、きっとその刃は鬼を殺しうる。
理屈抜きに、そう感じた。
しかしこの身の何と緩慢な事か、そんな危機を前に、欠片も動くことをしないのだ。
結局、俺が指をひとつ動かす頃には全てが終わっていた───
「惚けている場合か」
ガギンっと硬質なものがぶつかり合う音で、漸く泥中の様な微睡みから回帰する。
いつの間にか背後から眼前へ、女性は何かを蹴った所作で俺を諭していた。
では蹴られたものは?今まさに寸での所まで差し込まれていた刃は?
脚の向けられた先へと視線をやれば、やはりそこには幻でも何でもなく、笑みを崩さぬままに小首を傾げ、刀を傾かせる二人目の女がいた。
「おや、四季崎さん。何故庇われるのです?そこに居るのは───
───やはり、この新たに現れた蝶柄の女性は、禰豆子を殺しに来ていた。
そして、不味いことになった。
パッと見ただけでは禰豆子はただの人間と変わりない。しかし、俺や善逸の様に、分かる人間は確かにいるのだ。
そして目の前の女性は何らかの手段をもって、確信している。
禰豆子が、鬼であることを。殺すべき人類の敵であることを!
眼前の女性も───四季崎と呼ばれていたか?今ので気がついたはずだ。禰豆子が鬼であることに。先程までは知らなかったからこそ庇ってくれたようだが、知った以上オレたちという危険分子を見逃すはずはない。
───逃げなくては。
「んー、もしかしてですけど、逃げようとしてます?ダメですよ少年。鬼をかばう行為は明確な隊律違反、問答無用で処罰ものです。賢い選択ではないので、オススメはしません」
───分かってはいたことだが、蝶柄の女性も圧倒的な格上だ。
逃げられるのか?この状況で、そしてその後も!
でも逃げなければ、禰豆子が死ぬ!逃げるしかない───どうやって!?
「その躊躇が命取りです、イケマセンね───大事な選択肢に迷っては」
再びの接近。先程と同様に、動き出しが全く見えない。気が付けば目の前に近付いている!
不思議な形状の刃、小柄な女性───一撃であればこの身を盾にしても耐えきれるか?これ以上傷を負えばその後はどうなる?走れるか?
ええい、考えるな炭治郎!今はとにかく行動して───
───再びの蹴撃。1度目の交錯を焼き直すように、またもや神速の脚が刺突を薙ぎ払う。
「走れ。走れなくとも、気合いで走れ。掛け声はチェリオ、だ」
「───はいっ!」
後ろは振り返らない。何でとも聞かない。
迷う愚はもう何度も繰り返した、今はただ───走れ!
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
駆ける背中を見送って一息。こちらを向き直ってため息。おそらく呆れているのだろう。表情こそ変わらないが、この女はそういう女だ。
「それで───四季崎さん、これ隊律違反ですよ?繰り返しになりますけど、鬼を庇うのは───」
「くどい。難しいことは知らん、取り敢えず斬ってから考えるというのが家訓だ。私は私の信じる道を行く」
「交渉にすらなりませんかぁー、困りましたね。仮にも柱が鬼を庇う───これ、どう考えても問題なんですけど」
アレが鬼、というのは知っていた。私の目は節穴じゃない。普通であれば有無を言わさずに斬っていた。
しかし───私はこの眼に視たのだ。
それが何の光景であるのか、いつ来るのかは知らないが、確かに視た。人として振る舞うあの鬼の姿を。
あの鬼を殺すことでその光景に行き着く可能性が減るのであれば、それは逆にあの鬼を守れば───あの二人の命を繋げば、あの未来へと辿り着けることになる。
「しのぶ、ここを通るのは諦めろ」
「えぇ、では
言うが早いが、天高く舞い上がり私の頭上を行こうとする───が、そこもダメだ。
同様に、しかしより早く飛び上がり3度目の蹴りを見舞う。
「諦めろ、と言った」
「ここは聞いてませんでした───けど!」
鍔迫り合いになれば、しのぶの力では私には勝てない。
胡蝶しのぶ───鬼殺隊蟲柱にして異端の剣士。小柄故に力に恵まれず、それは鬼の頸を斬る事に難儀するほどであった。ではと見い出した彼女の活路は、すなわち“毒”である。鬼すら殺しうる毒を作り出した彼女は、刃を突刺すことで鬼の体内に毒を打ち込み、鬼殺する。
故にその手に持つ日輪刀は歪。刃はほぼ無く、切っ先にのみ銀光が閃く特異な形をしている。
ある意味、普通の剣士よりも厄介ではあるが───変態的と呼ぶ程でもない。
そのまま蹴り飛ばし、お互いに樹上に着地する。
「空中なら或いは.......と思ったんですがねぇ。相変わらず読めない呼吸ですね、流石は
「刃の呼吸・陸ノ型“鎚”───多様性を突き詰め、自身の重さすら操る。水中であろうと空中であろうと、死角はない」
「.......褒めてませんけど?」
心無し笑顔を引き攣らせながら、しのぶは構えを解いた。一撃与えれば勝ちという彼女にとって、一撃すら受けない私は相性が悪い。
戦闘能力で及ばぬ以上、追跡は諦めるほか無い。
「流石に、この場で即殺というわけにも行きませんし.......捕獲用の神経毒じゃ、逆にこちらが殺されてしまいそうな勢いですね.......」
でも、と言葉が続けられた。
「私にばかり
「お前の継子か?」
「えぇ、あの子は優秀ですよ。手負いの獣なんて、直ぐに捕まえて捌いてしまえるくらいには.......ね」
確かに、傷を抜きにしてもあの少年ではまだ敵わない相手だろうが.......
「否定するよ、もう未来は確定している」
「───ハイ?なんですか、嫌がらせですか?さっきからわざとわかりにくく喋ってやいませんか───って、アレは.......」
鴉が2匹、もはや慣れ親しんだ鬼殺の鎹鴉。その用途は専ら───伝達要員。
『伝令、タンジロウ・ネズコ、両名ヲ拘束後速ヤカニ帰投セヨ。繰リ返ス、両名ヲ拘束後速ヤカニ帰投セヨ!』
もはや不思議にも思わないが、この鴉は何故か喋る。祖父の言っていた“まにわに”とやらの系統かなんなのか、鬼殺隊も大概意味がわからん。
「拘束、ですか.......ここまで思惑通りですか?」
「否定する、刀に思惑など無い」
「あらァ、いつもの病気ですか。ですが、拘束して連れ帰る.......これ助かったとは限りませんからね?あと四季崎さんの隊律違反も、です」
刀を納め、早々に歩き出す。どこか言葉にトゲがあるのは、納得が言っていないからだろうか?
後を追うように木を降り、同じように言葉を紡ぐ
「残念ながら、助かる助からないは私にはどうでもいい。未来は今回も変わらなかった.......ただそれだけだろう」
もはや言葉を受け取るものは誰も居ない。初代四季崎とも言える男の思いと同じように、それはきっと軽いものだからだ。
そうとも、四季崎
数百年前の人間の思いなんぞ知ったことか。
刀に出来ることなんぞ、精々が鏡替わりに現実を映す事くらい.......もっとも、わざわざ刀を用意しておいて鏡替わりに使うくらいならば、畳でもなんでも斬っておけという感じだが。
───まっこと、未来が映るというのは、刀にしては変態的過ぎる。
言ってしまえば変体刀だ。
戯言だがね。
エタると言えばエタる。えぇ、実は私の家は占術士の家計でして、エタる未来が見えるのです。