佐久間まゆの壊し方   作:箱女

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04 君が目を醒ませば

 

 強がりなのか、それとも踏ん切りが欲しかったのかは私にもわかりません。けれど、ルールとして現場に同行してもらうのは終わりにしてほしい、と私はプロデューサーさんにお願いしました。まだまだ “売れる” という言葉を使うことすらおこがましいほどのひよっこであることの自覚はあります。思い上がりも甚だしいと言われてしまったら返す言葉もありません。ですが私はこう言い切らなきゃいけなかったんです。そうでもしなければ弱い私はきっと縋ってしまうから。

 それにこれは意外でもなんでもないかもしれませんが、私はやっぱり見栄っ張りだったみたいです。あそこには諦める選択肢だってきっとあったはずなのに、私はまだあがこうとしています。これまでのアイドルをやってみようという理由は (もちろん気になっていたのは本当ですけど) ただの建前で、本当はずっと私を証明したかったんです。それに過程はどうあれ、彼があのとき言っていた「汚す価値」の意味はほとんど確信に近いものを見つけました。いわば野原に咲いていた花を人前に出すために摘んでしまうわけですから、そういう言い方になったのだと思います。

 

 

 あの惨敗とも言える初ステージの後にプロデューサーさんに教えてもらった予定は、これまでの延長のようなものでした。ファッション誌の撮影、それとライブの舞台がひとつずつ。まず先にやってくる撮影で、私は周子ちゃんの言っていた “カメラの向こうのファンを意識する” ことを実践しようと考えています。そもそも条件的に麗奈ちゃんと恵磨さんの真似はできそうにありませんから、やれそうなことをやってみるんです。ここで漫然と仕事をこなせるほど私は余裕も自信も持ってはいませんし、とにかく頑張ればどうにかなると考えるほどこの業界を甘く見ているわけでもありません。具体的にやれることを考えないと自尊心を満たすなんて夢のまた夢です。

 気合を入れるために洗面台の鑑の前に立って両頬を叩きます。ぺちん、と情けない音がします。痛みらしい痛みはありません。もしかしてもっと強く叩くのが当たり前なんでしょうか。それでも心はしっかり決めることができたので良しとします。幸いなことに次の仕事はすぐです。でも今から、なんてことはさすがにありませんから、とりあえず今日は学校の復習でもしましょうか。

 

 

「じゃあ初めは肩越しに視線もらう感じでお願いしまーす」

 

 何人ものモデルを相手にするカメラマンの方は、もちろんカメラマンの方も複数いらっしゃいますが、仕事そのものには真剣に取り組んでいるのには間違いありません。ですがそれでは私が欲しいものには物足りません。私は目を奪いたいんです。

 まずは注文の通りにカメラに視線を向けます。そして、そのレンズの奥にファンの姿を思い描きます。……ファンとはいったい誰なのでしょう。誰の顔も出てきません。まさかあのライブの日に見た黒く詰める何かをイメージしたところでいい表情ができるとも思えません。脳裏によぎったものの影響か、首筋が強烈に冷えた感じがして、写真を撮るときに入れてはいけない力が入りました。そのせいで私の顔に浮かんだのは、笑顔でもなんでもないただただ違和感を残した表情と呼ぶことしかできない変なものでした。

 

「あ、緊張しちゃいましたー? ほどいていきましょう、リラックスでよろしくでーす」

 

「すみません、もう大丈夫です。次お願いします」

 

 やっぱり。外から見てすぐにわかるほど酷かったんですね。周子ちゃんの言っていたように、私にはまだ難しいことだったのかもしれません。けれど、ここですぐに諦めてしまったら何にもなりません。もうカメラマンの方はシャッターチャンスを伺って撮影の姿勢に入っています。時間がありません。私のファンでいてくれる人。誰でしょう、誰か、私の。

 不意に、ひとつの考えが浮かびました。プロデューサーさんがいるじゃないですか。あの人は私に価値を見出して誘ってくれたんですから、佐久間まゆの一人めのファンに違いありません。そうですよ、私にもいるじゃないですか。もう一度意識を集中してカメラに向かって視線を投げます。そして、レンズの奥に。

 

「おっ」

 

 息を呑む音が聞こえます。私はレンズの奥にプロデューサーさんの姿をはっきり見ています。

 

 ああ、あの人にどんな感情をぶつけよう。そうだ、感謝だ。彼がいなければ気付けないことがいくらでもあったから。きっとこれからもたくさんそれに出会うに違いありません。あの人に感謝を贈ろう。私はここにいますよ、プロデューサーさん。あなたに、藤林さんに見出された佐久間まゆです。いま私は二本の足で立てていますよ。これまでのこと、支えてくれたこと、ありがとうございます。そしてこれからも、これから先も、ずっとありがとうと言わせてくださいね。

 

「オッケーでーす! いやすごい良かったんじゃない、これ!? これ、うん。選ぶの悩みそうかも! お疲れ様です、ありがとう、まゆちゃん!」

 

 声をかけられてやっと我に返ります。すうっと撮影現場の景色が戻ってきて、涼しい空気が私の周りを満たしていたことに今さら気が付きました。やけに頬が熱い感じがします。正直なところ、撮影のあいだにどんな注文や指示が飛んでいたのかちっとも覚えていません。でも聞こえてきた言葉からは褒めてもらえるような出来だったことがわかります。けれどそんなものがなくても成功したという実感が私の中にありました。きっと、いまの私、すごい表情です。もしもプロデューサーさんがこの場にいたら、恥ずかしくてここまで入り込めなかったと思います。

 どこかほこほこしたような満足げな表情をしているカメラマンの方にお礼を言うのと同時に、どんな写真が撮れたのかを確認させてもらわないと。話しかけるとカメラマンの方は嬉しそうに商売道具を見せてくれました。

 

( これが、私なんだ )

 

 どこかうっとりしたような、私に見えない私が何枚も何枚も撮られていました。それはとても魅力的で、はっきりとこれとは断言できないのですが、何かに通じるような部分がありました。カメラマンの方の指の動きに従って、すいすいとこれまでとは違う私の写真が流れていくなかで、強烈に目を捉えた一枚がありました。どう見てもカメラから視線を外してしまっています。そんな要求があったかは記憶にありませんが、ファッションモデルとしてはあまり褒められないような気がします。でもどうしてでしょう、脳裏に焼き付いて離れません。もしもファッション誌に載るものとしてではなく、自分でベストショットを選べと言われたら、私はこれを選ぶような気がします。目立たせるべきなのは服のほうですし、選ぶのはもちろん私ではなくて雑誌の担当の方ですから、この一枚が雑誌を構成する際に選ばれなくても別におかしなことではありません。けれどそんなことはどうでもいいことです。なぜって、理解したからです。周子ちゃんの言うやり方はこういうことだったんです。きっと。

 そう、私はプロデューサーさんを思い描けばいい。

 

 一気にいろんな不安が解決していきます。もう麗奈ちゃんにいつもの顔のほうがいいわよ、なんて言わせません。あの舞台上から見えた黒い客席にさえプロデューサーさんを見ればいいんです。肩の荷が下りた、というのとはまた違うと思いますが、体が軽くなった感じがします。それに加えて、もうひとつ手に入れてしまったような気がしています。それは、 “ずるさ” の中に混じっている本当は知っちゃいけないリンゴの蜜の味のような、そんな痺れる甘さ。

 やるべきことを終えて、満たされた気分で控室に下がります。中にいるスタッフの方に衣装を返して、メイクも落として撮影用じゃないものに戻します。このままエレベーターで上に行ってプロデューサーさんに報告したい気持ちもあります。けれどそれじゃ面白くないですよね。目を奪うんですから、私からではなくてお仕事の結果で伝えないと。ですから事務所用のSNSで個人的に仕事上がりの連絡だけを入れて、私は本社を後にすることにしました。

 

 

 部屋に荷物を置いて寮の広いリビングルームの扉を開けると、普段より閑散としているくらいなのに相変わらず濃密な女の子の匂いが充満していました。この空気は小学生くらいの女の子たちには毒なんじゃないかとちらっと思うこともありましたけど、学校に通ってもいるわけですし大丈夫なんでしょう。お疲れ様です、といつもの挨拶とともに中に入ると、大きなクッションに呑み込まれそうになっている周子ちゃんが目に入りました。そんな面白い姿勢で彼女は悠々とお菓子を口に運んでいます。もう見慣れたものですが、自由という言葉がぴたりとあてはまります。

 

「ただいま戻りました。周子ちゃん、何を食べてるんですか?」

 

「おかえりー。これね、コンビニにあった新作。当たり外れでいうと頑張れ、って感じ」

 

 そんな声が聞こえて腕だけ伸びてきて、ひょっこり差し出された袋からひとつつまんで食べてみます。私個人としては嫌いではない感じですけど、まあ、たしかに周子ちゃんみたいな評価もわからなくはありません。

 

「好みが分かれそうだとは思いますけど、まゆはけっこうアリかなって」

 

「わーお、まゆちゃんそっち側? こりゃいろんな子に食べさせんと」

 

 どこに隠し持っていたのかわからない輪ゴムで口を閉じてお菓子の袋を脇に置くと、やっと周子ちゃんはまともに私のほうを向きました。それなりに近いところから周子ちゃんの目をよく見ると、その瞳には薄い液体の膜が張っていて、黒目がちな彼女の目はそのせいでいつもすべすべしているように見えました。それは誰も踏み入れない森の奥の、一粒ずつを視認するのは不可能なくらい細かで滑らかな泥のたまりを思い起こさせるのが常です。神秘的な目とはこういうもののことを言うのでしょう。その目が私を認めるとすぐに眉根がきゅっと寄って、いつものものから訝しげな表情に変わりました。もしお化粧直しに失敗してたのだとしたら恥ずかしいです。

 私を見つめる仕草というか、そのやり方がなんとも不思議でなりません。普通に見ていると思っていたら首をかしげるように顔の角度を変えて、また変えて、といった具合です。私の顔って角度を変えれば別の何かが見えそうな造りをしているんでしょうか。鏡はこれまでに何度も見てきましたけれど、そんな風には、一度も。

 

「ん~~? まゆちゃん、あれ、んん~?」

 

「どうしたんですか、周子ちゃん」

 

「いや大丈夫。思い過ごし思い過ごし、たぶん」

 

 それだけ言うと彼女は視線を前に戻しました。テレビは点いているみたいですけど、距離があるので周子ちゃんが見ているということはなさそうです。そのおかげで室内が静かになることはありません。別に音がなくても周子ちゃんを相手に居づらさを感じるようなことはありませんけど、あって困ることもありません。会話のタネになってくれることもありますしね。

 起きた時には青かったはずの空が、今はもう雨降りです。天気予報の通りとはいえ、こうも見事に天気は変わるものなんだなと感心しちゃいます。折り畳み傘はカバンに入れてありましたから帰りで焦るようなことはなかったんですけど、なんだか不思議な感じがします。まるで撮影所にいるあいだに別の世界に紛れ込んでしまったみたい。風はないので窓は開けてあって、お庭のほうから湿り気をまとって混じりあった花々の香りが流れてきます。透明だけどはっきりと感触を伴った密度で、私を押すようにぶつかってきます。周子ちゃんは花の香りはそれほど好きじゃない、と窓を開けたがりませんが、その意見は少数派ということでだいたい押し流されてしまいます。それにしても基本的には花壇のお花も元気みたいで何よりです。水やりのお手伝いをしている身からするとうれしいですよね。

 

 何の話をしましょうか。とくに話をする必要があるわけでもないんですけど、今は気分が高揚していて、それをどうにか発散したいような気分なんです。そういえばさっき周子ちゃんに新作のお菓子をもらいましたから、私もそういうお題にしましょうか。実は高校からの帰り道をちょっと外れたところに素敵な洋菓子屋さんがあるんです。クラスのお友達に教えてもらったんですけどすごく美味しくて。周子ちゃんはご実家が和菓子屋さんですからそっちのほうが好きなイメージもありますけど、とくにそういう区別はないって言ってました。

 じゃあせっかくですし、ちょっといたずらしちゃいましょうか。

 

「周子ちゃん」

 

「ん、どったの」

 

 私の人差し指が、振り向いた彼女の白いほっぺに刺さります。わあ、すごい感触です。周子ちゃんってこんな肌をしていたんですね。むにっとしていて、でもすごいさらさらしています。

 

「えー、うそやん。まゆちゃんそんなキャラちゃうかったやーん」

 

「うふふ、だから一回だけです」

 

 ほんのり赤くなった指の後をさすりさすり周子ちゃんが笑いかけてきます。肌が白いと色の浮き方もまた段違いに目立っちゃいますね。これは反省です。言葉の通り本当にもうやらないようにしましょう。そのままクッションからごろんと転がり落ちてきた周子ちゃんがお返しとばかりに物理的に絡まってきます。かわいらしさも艶もない、友達とふざけてるときにだけ出る嬌声を上げて遊びます。この寮の皆さんはけっこうノリがいいので、こういう光景はそれほど珍しくないんですよ。

 

 

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