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( ほら、やっぱりカンタン♪ )
一時はトラウマになるかもしれないとさえ思ったステージに立ってのライブパフォーマンスは、考えていた通りに、ある意味では想像以上にラクに乗り越えることができました。目線を向ける方向が、歌声を届ける場所がそれぞれ自然と決まるんです。得意とは言えないダンスステップにだって余裕が生まれます。ふふ、ちょっと茶目っ気を出して手の動きにちいさなアレンジでも入れちゃいましょうか。怒られちゃうでしょうか。
やっぱり、なんて自信を持てたのは雑誌の撮影での出来事ももちろんありましたけど、大きかったのはボーカルレッスンでトレーナーさんから聞かれたことだと思います。だってあれだけ悩んでいたはずなのに、トレーナーさんから何かあったのか、なんて質問されたらいくら私でもわかっちゃいます。ほんのちょっと聴いただけでわかるくらいに明確に出来に違いが出たんだな、って。そしてそれが求められていた変化なんだってことも。もちろんそんな効果を生む何かなんてたったひとつしかありません。
五分にも満たない曲の演奏の途中で、どのタイミングなのかはわかりません、いつの間にか私はひとつの事実を当たり前のそれとして受け入れていました。本当はステージの上では特別な何かは必要ないんだっていうことを。アイドルでさえあればいい。争われる場所であるセンターに立つ必要すらないんです。麗奈ちゃんやプロデューサーさんが言っていたことが鮮明に脳裏によみがえってきます。慰めの言葉でもなんでもなく、ただその場にいただけとほとんど変わりなかったあの日だって私にも視線は注がれていたんです。そのことを私はもっと早くに実際的な意味で知るべきでした。たしかに視線に種類はあるかもしれませんが、私が掲げた目標からすればそれは過程のひとつでしかありません。
たった五分でどれだけの目を奪えたのかはすぐに確認できました。ライブ終わりの挨拶でもう一度ステージに上がったときにわかったんです。自分の頬が上気しているのがわかるのは、パフォーマンスのあとで血が熱くなっていたのもあったでしょう。でもやっぱり気持ちが高ぶっていることがいちばん大きいんだと思います。私がこの場でやり遂げたことがはっきりとわかったんですから。相変わらず客席はただの黒いかたまりにしか見えませんでしたけど、そこから注がれるものがアイドルの証明になるんです。そうやって落ち着いてみると、事務所の先輩方もやはり積み重ねてきたんだということがわかって、新しい尊敬が生まれます。きれいだな、ってそう思います。
客席に向かってお礼の意味を込めて頭を下げて手を振って、袖に捌けて胸の前で手をきゅっと握ります。写真撮影とは味わいの違うこの感覚を決して忘れないように。きっとこれを周子ちゃんも恵磨さんも体験しているんだと思います。麗奈ちゃんだけは秘密兵器ですから未経験ですね。強いばかりで目を潰すためだけに機能しているとしか思えなかったあのライトが、今はキラキラして、ひとつひとつが星の光みたいで、夢を歩いているような気さえしてしまいます。
先輩方が一人ひとりの女の子としてこの後どうしようか、なんて話し合っているところにお疲れさまでした、と声を通します。中学までは声に質の違いがあるなんてことは知りもしませんでしたけど、今では練習の成果もあってきちんと使えるようにさえなりました。ある意味で言えば、これも人は変われるということのひとつの証明になっているのかもしれません。お疲れさま、の明るい返事に会釈で応えてライブハウスを後にしました。外はまだ日も落ち切らない明るさで、たしかにディナーを含めて考えても遊びに行くのには悪くない時間帯かもしれません。
こちらへ来て二か月は優に経とうというのに、とくに時間を選ばない人口密度にはいまだに慣れません。さすがに住宅地であれば人に酔うということもないんですけど。電車に乗って最寄りで降りて、ちかごろちょっと好きになってきたコンビニコーヒーを片手に自動ドアをくぐります。
「あ、まゆじゃない。帰り?」
ちょうどコンビニから一歩踏み出したところに、通りがかりの麗奈ちゃんがいました。映画がクランクアップしてからはお仕事の話は聞いていませんから、ただのお出かけだったんでしょうか。私たちがいま立っているのはどこにでもある街並みなのに、彼女が立っているだけでそこの景色がぎゅっと引き締まって意味のありそうな風景に見えてしまいます。存在感とはこういったものを指すんでしょうか。もしかしたらカメラの前での仕事を通して、麗奈ちゃんも何かを掴んだのかもしれません。もともと一人の友人として麗奈ちゃんの可能性は疑っていませんでしたけど、もしこれからもどんどん成長していくのだとしたら、その成功はより強固に、規模はより大きくなっていくのでしょう。うれしくもあり、ちょっとうらやましくもあります。こんな日だからそう思うのかもしれません。
「はい、麗奈ちゃんもですか?」
「……そ、ちょっと服でも見ようかと思ったんだけどね、アテが外れたわ」
やれやれとかぶりを振ってわざとらしく息を吐く様子は、言葉ほどがっかりした様子を感じさせませんでした。口でこそ悪態をついても実際はそれほどでもないというのは麗奈ちゃんにはよくあることです。ちょっと街をぶらつこうくらいにしか考えてなかったんじゃないでしょうか。
「服で思い出したけど、今日はロリータっぽいやつじゃないのね」
「ファッション誌に載った影響かもしれません。いろんな服に興味が出てきてて」
「いいんじゃない? そういうのも悪くないわ」
頭から足先までの私の姿をさっと見て麗奈ちゃんはそう言いました。私自身としてもこれまでの趣味からは離れている服装に対して、意外に思えるほどの評価を与えています。もちろんこれまでずっとロリータファッションだけで生きてきたわけではありませんし、それだけで生活していくのもなかなか難しいですから、系統の違う服くらい持ってはいます。けれどそこに特別なお気に入りを見出してはきませんでした。だからこそ麗奈ちゃんの言葉には大きな価値があると思うのです。
他愛もない話が私たちのあいだで中心に躍り出て、くすくすと小さな笑いが通り過ぎた道に浮かびます。麗奈ちゃんも私と同じお菓子を周子ちゃんに試されたそうです。普通にイケると思うんだけど、っていうのが麗奈ちゃんの談です。なんとなくそう答えるんだろうな、って気が個人的にはしてました。それはそれとして、周子ちゃんはけっこう本気でいろんな人に意見を聞いているみたいでちょっと驚きです。成果のほうは、まあそれなりといったところみたいです。私の思ったとおりに好みが分かれているんでしょうね。
「あのね、服も見に行ったけど、いちばんの目的は別だったのよ」
「麗奈ちゃん?」
「ホントはまゆが行こうと考えたこともなさそうなトコに行ってきたわ」
「どこですか?」
「ホームセンター。行ったことないでしょ?」
「麗奈ちゃんに用事があるとも思えませんけど」
おそらく麗奈ちゃんが持てるなかで最も彼女らしい、にやりとした笑みを顔に広げたと思えば声の調子も得意げなものに変わりました。
「イタズラに使える
「まゆ、イタズラなんてしませんよ」
「いいから近くにヒマな日があったら教えなさいよ、今度案内してあげるわ」
わかりやすく先輩風を吹かせて楽しそうに私の前を歩いていきます。その小生意気な顔がなんとも魅力的で、偉そうな態度にも妙な納得感があって、だからこそちょっとからかいたくなっちゃいます。そんなことしませんけど。
「なるべく早くね、試写会過ぎたら忙しくなるんだから」
こともなげに言ってのけます。
もしかしたら麗奈ちゃんは女性ファンのほうが多くなるのかもしれません。
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お風呂も済ませて完全にリラックスした状態の夜。そろそろ春の終わりも近づいてきた外では虫の声が大きくなり始めてきています。そんな流れる意味をなくしたような時間に、気の抜けるような音とともにラインに通知が来たことを知らせるアイコンが点きました。誰から来たのかはわかりませんが、つながっている人数そのものがそれほど多くありませんから個人的な意味での重要性は比較的高くなります。自室のベッドに身を預けてぼんやりしていた状態から、のそのそとスマホに手を伸ばします。
グループは事務所の皆さん。私の設定しているグループの中ではいちばんお仕事寄りのものです。開いてみるとプロデューサーさんから、時間ができたら事務所に寄ってほしい旨のメッセージが残されていました。いつかの放課後を思い出します。あの時は電話でしたっけ、それとも今と同じようにメッセージでしたっけ。
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「またどこか場所を移しましょうか」
後ろから声をかけるとほんの僅かに全身が跳ねるように波打ちました。プロデューサーさんも根本的にはふつうの人間で、やっぱり驚いたりもするんですね。
振り向いたその顔はなんとなく疲れの溜まっていそうなもので、前に周子ちゃんが言っていた通りに激務の世界に身を浸しているんだろうことが推察できました。会社で働く大人の方がどんなことをしているのかは、正直なところ想像がつきません。とくに私たちに直接は関わらない部分となるとぼんやりとすら浮かんできません。あのたくさんの紙束がどんな意味を持つのでしょう。
薄くクマの浮かんだ顔のプロデューサーさんは私の目を見てちいさく頷いて、安心させるように口角をかすかに上げました。
「うん。今日は部屋を取ってるからそこで話そう」
そこは会議室と呼ぶには小さな部屋でした。低いテーブルを挟んで二人掛けのソファがふたつ置いてあります。そういえば初めて本社に来たときにもこんな部屋でプロデューサーさんとお話をしたような覚えがあります。その時のことを思い出して、また何か新しいことが始まるんじゃないかと期待してしまうのは夢の見すぎでしょうか。いえ、ここを介さなくても新しいことは始まりましたけれど、それでもここは “佐久間まゆ” が与えられた場所に似ていますから。
できるだけソファの前端に座るように気を付けます。しっかり奥まで腰かけてしまうと、もう綺麗な姿勢を保つことができませんから。それは構造上の問題で、私の頑張りでどうこうなるような問題ではありません。プロデューサーさんは私と違ってある程度の深さに腰をかけて、そこから上半身を前に傾けています。
「ここ最近の仕事、とはいっても雑誌とライブの二つだけど、すごく頑張ったって聞いたよ」
「そういうのってプロデューサーさんのお耳に入るんですか?」
「もちろん。スタッフはほとんどが知り合いだからね」
かわいらしい得意げな物言いは誰かさんにちょっとだけ似ています。
「さて、それじゃあここからは先の話をしようか」
「はい」
「大枠から言ってしまうと、オーディションを受けてみる気はないか、って話なんだけど」
「オーディション。まだ受けたことありませんね」
それは私としては麗奈ちゃんに強烈に結びついている言葉で、その印象が穏やかなものではないのは仕方のないことだと思います。とはいえ芸能界という環境で活動する以上は避けて通れないものに違いはないのでしょう。ある一定の素養が求められ、それが自分であると納得させる。物騒な感じもしますけど、結局はそういうことになるんだと思います。そこには間違いなく競争の要素が含まれていますから。
「何のオーディションなんですか?」
「CM」
プロデューサーさんの口がやけにゆっくりと動いたように見えました。耳慣れた単語、というか集中してテレビを観ている時にはあまり好ましくない、はっきり言ってしまえば多くの場合は邪魔に思ってしまうあれです。集中していない時には新しい何かに興味を持つきっかけになることもありますが、実感としては稀なことのような気がします。
もちろんCMに出演することが大きな意味を持つということは知っています。誰に教えられたということもないのに、CMに映る人物には不特定多数の人物を動かすだけの魅力が備わっているんだといつの間にか理解しています。誰ともそんなことを話したりはしませんけど、私個人の感覚では、そこにあるのは奇妙な馴れ馴れしさ。絶対に私を見ているはずはないのに私に語り掛けてくるうまくかみ合わない何かでした。とはいえ、そう、私はここで “とはいえ” と言えるようになったのです、もうそこに理解の及ばないものを見る必要はなくなりました。
「どの商品でしょう?」
「たぶんキミも見たことあるはずのスポーツドリンクだよ、毎年夏にCM打つやつ」
「あ、たぶんわかったと思います」
「うん。あのCMの特徴はね、まだ知られていない原石を抜擢するところにある。現にあそこからめきめき伸びていってスターになった例も少なくないんだ。意味はわかるね?」
「プロデューサーさんがどこまでを見ているのかまではわかりませんけど、きっと」
オーディションという言葉を聞いた瞬間から、頑張ろうという気持ちが芽生えていました。けれどそれはきっと他の人に知られたら、馬鹿にするな、と怒鳴られてしまう類のものでしょう。私が頑張ろうと思っていたのはオーディションなどでは決してなく、その先の撮影のことでしたから。だってプロデューサーさんの言葉を信じるなら競争相手は原石であって、周子ちゃんみたいな圧倒的な実力者や麗奈ちゃんみたいな怪物ではありません。それならその場での競争を考える必要があるでしょうか。
私はそんなことを頭に走らせながら、うすく微笑みを作りました。
「実はもう参加を申し込んであってね、来週末にオーディション本番なんだ」
「ずいぶん詰めた日程なんですね」
「そこは事務所の強みってやつ。うちから参加する子は最終のひとつ前からなんだ。まあさすがに人数は決められてるけどね」
「……じゃあ、まゆは一日に二回面接というか、そういうのを?」
「うん。本当に面接をするだけ。毎年そうなんだ」
聞く限りでは規模の大きいことに間違いはなさそうです。年ごとに目にしていたあのCMは、なるほどかなり力を入れていたということなのでしょう。作品としてのCMを評価する能力は私にはありませんから、その気合がどれほどのものかは見当がつけられませんけど。
「わかりました。どれだけできるかわかりませんけど、頑張りますね」
「期待してるよ。まゆなら勝ち取れる」
そうじゃないんですよ、プロデューサーさん。