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食堂のあの一角が私たちの定位置になっていました。誰が何を言ったわけでもないのに気が付けば自然と足が向いて、周子ちゃんと麗奈ちゃんと私の三人はよくそこで話をするようになりました。麗奈ちゃんはまだしも (とはいえ彼女も特別な存在ではあるのですが) スーパースターである周子ちゃんと仲良くさせてもらっているなんて信じられません。実際にお話をしているとそんなことは忘れちゃうんですけど、ふと立ち止まってみると現実感がそこにあったのか疑わしくなってしまうことがあります。いろいろと考えだすと頭がぐるぐるしてしまいますから、とにかく友達として気後れだけはしないようにと言い聞かせて日々を過ごしています。
そんな普段がいくつもあって、ある日私の話になりました。私がいつもの時間に砂糖とミルクを入れたコーヒーを飲んでいるとまず麗奈ちゃんが、次に周子ちゃんがやってきた日のことです。
「そうそう、昨日これゲットしたよ」
周子ちゃんの手には、佐久間まゆが初めて世間の目に触れる雑誌がありました。
「そんな、言ってくださればプロデューサーさんに頼んで用意してもらえるのに」
「ファンとしてはそこは買わなきゃね。それでなくてもファッション誌だし、一介の女子であるしゅーこちゃんが買ってもおかしくないでしょ?」
「あ、ありがとうございます……。なんか面と向かって言われると恥ずかしいですね」
「何ソレ、ていうかまゆ、アンタも発売日くらい教えときなさいよ」
もしかして麗奈ちゃんも買ってくれるんでしょうか。
だとしても中身自体は見本誌と変わっていませんし、そもそも私は表紙やページをまるごともらっているわけではありませんから発売日を教えるなんて恐れ多くて無理ですよ。
麗奈ちゃんがその雑誌の内容について周子ちゃんに聞いています。このあいだ見本誌で騒いでいた時には私のショットが話の中心でしたからね。個人的には普段と違う範囲のジャンルでしたから、一着とはいえ楽しかったですし勉強になりました。雑誌全体としても興味を引くようなラインナップだったと思います。
「ま、このぶんなら次の仕事もすぐ来るんじゃない?」
「麗奈ちゃんの意見に賛成三票」
「えっえっ、急にどうしたんですか」
「アンタやっぱ人の目惹くのよ、ベストじゃなくても十分なくらいにね」
年相応に変なことに興味を持ちながら年齢にそぐわない落ち着きを持った彼女は、前に流れてくる長い髪を耳にかけてじーっと目を雑誌に落としていました。雑誌はいつの間にか周子ちゃんから麗奈ちゃんの膝の上に移っています。そういえば今日は髪をゴム留めしてないんですね。同じ寮で生活しているので、そういう姿を見かけることもありましたけど今日は違うみたいです。黒い無地のピチTにあまり裾の長くないブラウス、ゆったりとしたロングスカート。これがばっちりハマる中学一年生はどれだけいるでしょうか。ちなみに周子ちゃんはかっこいい感じのプリントが入ったパーカーワンピです。
「華があるって言えばいいの? これ使い方あってる?」
「ん、あっとるよ」
答え合わせでマルをもらって麗奈ちゃんが得意げな顔をしています。こういう顔を見ていると、やっぱりまだかわいらしさが大勢を占めるべき年ごろなんだな、ってほっこりしちゃいます。一緒にお話していると本当にすぐ忘れちゃいそうになりますけど、麗奈ちゃんって年下なんですよね。私が同じ年だったころより断然オトナです。
「でもやっぱりまゆの出来としては満点じゃないわね、私たちとしゃべってるときのほうがいい表情してるくらいよ」
「そんなに違いますか?」
「ちょっとの差だと思うよ。でもそのちょっとが大きく響くからさ」
「なによ周子、アンタたまにはいいこと言うじゃない」
周子ちゃんが麗奈ちゃんのほっぺを引っ張ります。被害を受けている麗奈ちゃんもわかってやっているようなフシがあって、私も何度もこんな光景を目にしています。なんとか周子ちゃんの魔の手を振り払って、ほんのり左頬を赤くした麗奈ちゃんが向き直ります。
「ねえまゆ、アンタこれ撮るとき何考えてたの?」
「え、どうすればもっと良い写真になるかな、とかでしょうか?」
「なによ、原因それじゃない」
「カメラの向こうのファンに意識を置けたらもっと良くなりそうってのはあるかもね。もちろん難しいこと言ってるってのは承知の上で」
「まゆの場合もっと別の正解がある気がするのよね、アタシ的には」
「いやいや麗奈ちゃん、まゆちゃんはみんなのためのアイドルが本命でしょ」
「なァに言ってんのよ、コンタクトの度あってないんじゃないの」
「あー、あー、業界でも一、二を争うちゃらんぽらんにそんなこと言っちゃう?」
「アンタそれ自分で言ってて情けなくなんないの……?」
途中からよくわからないやり取りになって二人はギャーギャー騒ぐ流れになりましたけど、結局はプロデューサーさんの言っていた通りになって驚いています。昨日プロデューサーさんは、もし周子ちゃんと麗奈ちゃんの二人と一緒に雑誌の話をするようなことになれば、どこかで必ず私の今後の目指す方向の話をしてくれるはずだよと仰っていました。当然ながら昨日の段階でそんなことを言われても私には信じようがありません。だって雑誌にやっと載った程度、それも他のモデルさんも数多くいるようなページなんですから、せいぜいこれからも頑張ってと言ってもらえるくらいだろうと思っていました。それが目の前で繰り広げられたような事態になるんですからびっくりもしますよね。
私を置き去りのやり取りを聞いている限りは周子ちゃんと麗奈ちゃんで意見に違いが出ているみたいです。けれどその指すところは、とくに麗奈ちゃんの言う別の正解は私にはわかりません。
アイドルを見出す目なら自分にもあるけど、最大限に輝くかたちを見抜く目の精度ではちょっと敵わないところがあるとプロデューサーさんは言っていました。自分たちは完全な解答がわからないぶんいろんな可能性を試せるんだけどね、とも言っていましたが。これが二人に限定した物言いなのかははっきりしませんが、つまり私の正解が “みんなのためのアイドル” である可能性があるということでしょうか。あくまで周子ちゃんから見れば、ということですけど。
「ところでなんで周子ちゃんは三票なんですか?」
「うーん、なんとなく?」
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携帯に連絡が入って事務所へと向かいます。学校のお昼休みのことだったので、放課後に予定を入れるようなことにならずに済みました。先日食堂で二人に言ってもらったこともあって、寮にも帰らずに制服のままで本社へ向かう電車に飛び乗ります。期待が抑えられません。東京へ来てからというもの、多少の不安こそありましたけど楽しくて鮮やかに見えていた景色がさらに輝いて見えます。だってプロデューサーさんが私を呼ぶ理由なんてたったひとつなんですから。
走り出さないようになんとか気持ちを落ち着けてエレベータのボタンを押します。たまり場としていつも使っている緩い休憩スペースには向かわずに、その手前の事務スペースで彼の姿を探します。しっかり時間を決めた呼び出しではありませんでしたから、プロデューサーさんも会議室のようなものは押さえていないと連絡にはありました。なので今日は私からプロデューサーさんを見つける必要があります。けれどすぐには見つからなくてため息が出ます。何度もこの部屋を通り過ぎているのに、どこにプロデューサーさんのデスクがあるのかを私は知らないんですから。探すのは初めてですから当然といえば当然なんですけど、なんとも情けない話です。
プロデューサーという業務の作業量は本当に冗談では済まないものらしく、それぞれに与えられている、たとえば教卓なんかよりも遥かに大きいひとつひとつの机が書類やファイルで埋まってしまっているくらいです。とはいえそれは頭のてっぺんまで全部隠してしまうほどのものではありませんから、目的の人物くらいならすぐに見つかるはずです。それなのにどうしてか見つからなくて、困惑が次第に深まっていく中の、ふとあるタイミングで気付きます。彼は、プロデューサーさんは信じられないほど顔の印象が残らない人だったということに。飽きるほどと言うにはまだほど遠いですが、それでも何度もきちんと顔を合わせているのにこうして担当してくれているプロデューサーさんの顔立ちを思い出せない自分に呆れなのか怒りなのかよくわからない感情が渦を巻きます。仕方がありませんから机の島のあいだを歩いて、そこで一人ひとりのお顔を判断させてもらうしかなさそうです。
ゆっくり歩いて、お仕事をしている横顔を覗きます。邪魔をしないようにと言われてはいてもやむを得ません。だいたい全体の三分の一くらいを過ぎた辺りで、やっとプロデューサーさんの顔に巡り合えました。見てからでないと思い出せないことに恥じ入るばかりです。たくさん生まれたいろんな感情を押し隠して、いつもどおりを意識して話しかけます。
「おはようございます。プロデューサーさん」
「ああ、おはよう。思ったより早かったね」
「きっといいお話に違いないと思ったので飛び出してきちゃいました」
プロデューサーさんはにっこりと笑みを深めました。100%の無言の肯定です。とくに隠すような話ではないんだけどという前置きがありましたが、周りに空いている椅子がなかったので座れる場所に移動することになりました。階が近いのもあって社員食堂がその場所に選ばれました。お昼どころかもう夕方の時間帯でしたから、席はどこもがら空きです。
「この前も言ったけど、まずは初仕事おめでとう。世間に出たのは大きいことだよ」
「ありがとうございます」
「さてここからが本題で、あの雑誌を見た人の反響が出始めてる。それもどちらかといえば業界に関わっている人たちのほうからね」
「どういうことでしょう?」
「ファッション誌の購読者の目的は何よりも服で、まあ表紙の子に惹かれて買う場合もあるだろうけど、多くはそのモデルにまで注意を払わない」
「はい、わかります」
「でも雑誌関係者の目は違う。彼らは売る側だから。雑誌一冊をどう構成していて、どう流行を押さえて、みたいに研究する。もちろんそれはどのモデルを起用しているかも当てはまる」
「えっ」
プロデューサーさんがひとつ頷きます。
「彼らは見逃さなかった。もうすでにいくつか問い合わせが来てる」
「そんな、信じられません」
「でも目に留まったんだよ。小さく一枚しか載ってなくてもね」
自分で言った以上の言葉が出てきません。人生がみるみるうちに変わっていきます。東京に出てくるときにこうなることを思い描かなかったとまでは言いませんが、現実味を持って考えていたわけでもありません。売れていくスピードみたいなものなんて具体的にイメージしたためしさえありません。麗奈ちゃんの言っていたことが現実になろうとしています。いえ、連絡が来ているということはすでに現実になりつつあると言ったほうが正確なのでしょう。
プロデューサーさんは表情をただの笑顔から嬉しそうなものにシフトしました。これだけ豊かにころころ変わる表情を持っているのにどうして記憶に残せないのでしょうか。不思議です。
「だから、もういくつかの雑誌で撮ろう。扱いはもっと大きくなる」
「は、はい。お願いします」
気が動転して、自分でも何をしゃべっているのかよくわかりません。内心で考えている内容も冷静とはとても思えません。けれど私をこの変わりつつある現実に連れてきた彼の言葉の意味を確かめるためには選択の余地はありませんでした。もちろんそのことに気付いたのは後になってからでしたけど。
「そうしたらアイドルとして本格的にデビューだ、駆け上がろう」
「か、駆け上が……?」
「大丈夫だよ、絶対成功させてみせる」
プロデューサーさんが目を見て頷いたので、私もつい同じ動作を返しました。私の目的という観点からであればやってはいけない反応でもないのですが、何も考えずにその行動をとってしまったことそのものは反省しないといけないと思います。
どうしてか、これらのことがこの一瞬で一気に頭の中を駆け巡りました。あるいは去年の夏に声をかけてもらってから、ずっと私はアイドルという存在を意識し続けていたのかもしれません。
ふと気づくと彼の目が私をまっすぐ捉えていました。プロデューサーさんの顔にはあの表情が、その顔のどことは言えないけれど間違いなく真剣さが滲んでいるあの表情が浮かんでいます。
「そういえば、なんですけど」
「どうかした?」
「あの、みんなのための、じゃないアイドルっているんですか?」
「もしかして塩見さんか小関さんから聞いた?」
プロデューサーさんは後頭部に手をやって困ったような笑顔を浮かべました。その姿は何も言っていないのに、まいったな、と彼が言っているように私に錯覚させました。なんだか不思議な反応です。そのことはアイドルとして成長していくのに知っておくべき事柄だと私は思います。けれどプロデューサーさんの返し方は、あまり知ってもらいたくないと考えているかのようでした。
聞いた相手が周子ちゃんと麗奈ちゃんとピンポイントで当てられているのは、仙台から出てきてからのこの短い期間で仲良くさせてもらっていると言い切れるのはその二人と恵磨さんだけだからということと、そのことをプロデューサーさんにときおりお話していたからでしょうね。恵磨さんが彼の口から出てこなかったのは、彼女はそういうことを考えるのは苦手だと普段から仰ってるから、ということだと思います。なのでことさら驚くようなこともないはずなんですけど、やっぱり言い当てられるとどこか見透かされているような感じがしてしまいます。
「たとえば恵磨なんかはその例のひとつに当てはまるんじゃないかな。あの子は共感を得るためには何もしていないから。媚びない、というか。それはそれでアイドルかって話にはなるけどね」
「愛されようとしなくても愛される、っていう意味でいいんでしょうか」
「恵磨は極端な例だよ。他のそういうふうに分類される子たちは大なり小なり努力はしている。だから優先順位の話になってくると思うんだ。何番目にファンのことを考えるか、という意味で」
つまり私のアイドルとしての方針として、麗奈ちゃんはファン以上に優先するものを持ったほうが映えると見て、周子ちゃんはそうではないと見たということになりそうです。これは、はたして私に見極めることができるものなんでしょうか。