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「はァ? 周子の、なに?」
すっとんきょうなことを言った人を見るような目で麗奈ちゃんが私を見ています。切り出し方は唐突だったかもしれませんが、そこまでおかしなことを言ったつもりはないのに。聞き取れてないことはないと思いますが、念のためにもう一度だけ知りたいことを口に出します。
「だから、麗奈ちゃんから見て周子ちゃんのすごいところ、です」
「なんでそんなのわざわざアタシに聞くのよ。他の連中でもいいじゃない」
今度はものすごく苦いものを口に入れてしまったような顔での応対です。顔の向きは変えずに目だけそらしてちょっとだけ口をもごもごと動かしています。否定的な表情には違いありませんけど、そこには私に対する遠慮のなさがあります。このくるくる色の変わる綺麗な顔を見ているのは楽しいことですが、今は話を進めておきましょう。きっと麗奈ちゃんも私がそうするつもりだってことはわかっているはずです。
「他の方の意見も参考になると思いますけど、まゆは麗奈ちゃんにどう見えているのかが知りたくて」
仲が良い、プライベートで非常に近いというのもたしかにあります。けれど、それ以上のものを私は彼女に見ています。慧眼という表現が適切かはわかりませんが、麗奈ちゃんの物の見え方はちょっと一般的なそれからは逸しているものがあります。彼女の中では理論立てられているから当たり前のように口に出す言葉が、少なくとも私には理解の及ばないものであることが珍しくありません。目の付け所、人の醸し出す雰囲気を読み取る力、直観、どう言えばいいのかわかりません。けれどもそれはたしかにそこにあって、何より正確なのです。近くに主演映画が公開されるとはいえ、そもそもまだ人前に姿を晒した経験さえない彼女がトップアイドルの周子ちゃんとその考え方についてまともにやり合えてる時点でおかしいと言えばおかしいんですけど。
もちろん周子ちゃんの眼力も常識の外にあるという前提の話ですが、私はそのことについては疑っていません。
「……アンタこないだ初めて歌って失敗したってハナシしてからおかしくない? なんか、ハイになってるっていうか」
「ふふ、肩の力が抜けたのはあるかもしれませんけど、おかしくなんてなってないですよ」
本当に私の実感としては言ったとおりですから、それ以外には返しようがありません。
「周子ねえ……、アイツ作り方と距離の取り方が気持ち悪いくらい上手いのよね。なんとなくわかると思うけど」
目は窓の外に投げたままで麗奈ちゃんがゆっくりと話し始めます。彼女の意見はシンプルで、すっと浸透していくものがありました。初対面のときは不思議な出会いではありましたけど、接しにくさみたいなものはまるで感じなかったことが思い出されます。
「ああ、つっても別にアタシとアンタと周子みたいな狭いところじゃなくてね。テレビにしろラジオにしろ、って意味」
「わかります。周子ちゃんってそういうときのトクベツ感ないですよね」
「出演者ともそうだし、客側との距離感もわかってるっていうか。ふざけても許されるラインを知ってる。ライブで大きいとこ任される塩見周子のイメージは壊さない感じの。アイツたぶん変なもの見えてるわね。間違ってもアレの真似をしようとは思わないほうがいいわ」
本当によく人を見ています。実感したそれを変なものとして言語化していない辺りには麗奈ちゃんの年相応な態度が覗けますが、それにしても彼女の観点には驚かされます。対人の振舞いを印象に残すのは意識していないと難しいことなのにしっかりと捉えています。私も言われて初めて気付いたことで、そういうものをこそ麗奈ちゃんに求めていたんです。
塩見周子というアイドルには “周子ちゃん” として親しまれる要素が確実にあって、それはあえて言葉にするなら学校のクラスにいる気ままな女の子の像だと私は思っています。気ままだからこそ本当の意味で誰とでも分け隔てなく接することのできる存在。けれど決定的な意味では踏み込めないような、そんな人。ほとんど物語の幻想のような人物ではありますけど、そこにこそアイドルの領域が生まれます。麗奈ちゃんの言葉をきっかけにして私の中にあったぼんやりしたものにかたちを与えるなら、こうなるのだと思います。考えようによっては周子ちゃんは求められている理想のひとつを体現しているということになるのかもしれません。
それにしても遠慮のない物言いです。というか口が悪いの領域に入ってると思います。仲が良い私たちはもう気にするほどではありませんけど、誰に対してもこの調子ならちょっと心配になっちゃいます。まあ、でも、出過ぎたことですよね、やっぱり。
「麗奈ちゃんってすごい分析してますよね」
「分析なんて面倒なことしないわよ。それくらいならしゃべってればわかるじゃない」
これがウソじゃないから恐ろしいです。少なくとも麗奈ちゃんの中では何らの問題もなく成立しています。お仕事の話とまでは言えないものの日常会話でもないそれが終わったと判断したのか、麗奈ちゃんはテーブルに置いていたスマートフォンに手を伸ばしました。最近ハマっているというパズルゲームのアプリを起動するんだと思います。この間、これがきっかけで仲良くなった俳優さんもいるのだと話していました。クランクアップしてからそれなりに時間が経ったはずですが、今でも連絡を取り合うくらいに仲良くなった方もいるそうです。
「あ、そういえばまゆ、アンタさ、花好きなの?」
「どうしたんですか、急に」
スマートフォンに目を落としたまま麗奈ちゃんが気のない感じでつぶやきました。
「たまに花壇の手入れしてるじゃない。だからそうなのかと思って」
「そうですねえ、花そのものよりお手入れのほうが好きかもしれません」
「なにそれ、メンドくさそうな好みしてるわね」
画面から目は離していませんが、思い切り眉をしかめてのお返事です。私はたしかにそういうのが好きですが、そこは性格で分かれる部分なので、お花のお世話なんて大変だから嫌いなんて人がいてもおかしくはありません。
「麗奈ちゃんはお花嫌いなんですか?」
「まゆとは逆ね。花は好きよ。でも世話なんてしてらんないわ」
「でも突然どうしたんですか?」
「別に。そうねえ、まゆの誕生日には花壇を手入れする権利でもあげればいいってことかしら」
「その時は麗奈ちゃんもいっしょにやりましょうね」
「やーよ、願い下げだっての」
そのあとはレッスンもお仕事もお出かけの予定さえありませんでしたから、日がな一日寮のリビングスペースで気を抜いて過ごしました。意外とインドア派なアイドルもいるんですよ。
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寮に来て日が浅いうちに周子ちゃんから教えてもらった裏手の道には小さな公園があります。道中に駄菓子屋さんやパン屋さんがあるので、ふらっとひとりになりに来るのにはちょうどいい場所です。寮自体が住宅街にありますから通勤通学の時間以外の人通りは少ないですし、けっこう緑に溢れています。天気のいい日に来たときには撮影にも使えそうな感じのロケーションなんですよ。
木製のベンチの背もたれは固いですけど、高さがありませんから思いきり体を反って伸びをすることができます。外でやるのははしたないかもとは思います。けれど気持ちいいんですよね。腕までぐっと伸ばすとやわらかい風が吹いて、隣に置いたクロワッサンの入った紙袋をカサカサと鳴らしました。……ちょっと背伸びしてブラックの缶コーヒーなんて買っちゃいましたけど、素直にカフェオレとかにしておいたほうがよかったでしょうか。
結局ほとんど飲めないままの缶コーヒーの下に折りたたんだ紙袋を置いてひと息つきます。緑が多いけれど土の匂いのほうが強い感じはどこか宮城を思い出させます。状況が目まぐるしく変わり続けていた影響なのか、実家のことがずっと頭に浮かんでこなかったことに気が付きました。実は私は環境の変化に強いのかもしれません。
こんな風にあてのないことをつらつらと考えるのは楽しいですね。なんとなく気が向いたというだけの話ですが、思っていたよりも息抜きになりそうです。そういえばカロリーコントロールしないといけない身の上ですからお昼は抑えることになっちゃいます、なんて。
「や、小さいとはいえ緑豊かな公園に美少女は映えるねえ、どーも」
「周子ちゃん、なんだかオジサンくさいです」
「まいったな、バレちゃった? 実はしゅーこちゃん魔法で変身してるんよ」
突然現れては当たり前のようにこちらに歩いてきて、にこにこ楽しそうに私の隣に腰かけます。だんだん暖かくなってきましたから、変装のほうもちょっと手抜きな感じです。キャップに眼鏡。これくらいならすぐに見つかってしまいそうです。なにせ肌と髪が特徴的ですから。手に提げているビニール袋を見る限りでは、コンビニに寄ってきたんでしょうか。
知り合ってやっと三ヶ月経つかどうかという辺りですけれど、相当ウマが合ったのでしょうか、二人でいて会話がなくても別に気まずくなるようなこともありません。それどころか隣同士に座っていて別の方と話をしても違和感を持たないほどです。だから周子ちゃんがまずビニール袋の中身を出そうとしていることを自然に捉えている自分に気付いて、あらためてなるほど、と内心で頷きます。
「お、まゆちゃんブラック飲めるタイプ? おんなじやね」
「あ、これは挑戦してみようかなって思って……」
「あはは、なるほど。それで今日はこんなとこで何をしてるのかな?」
「何を、ってことでもないですよ。ぼんやりしに」
「余裕出てきたねぇ、いいことだ」
「あ、そういえばしばらく前に麗奈ちゃんの話したじゃないですか」
「どしたの急に」
あ。周子ちゃんからしてみれば当然ですよね。なんだか他の人に比べて会話を始めるのが下手なんじゃないか、って気がしているのが最近の小さな悩みです。
「ちょっと前に麗奈ちゃんと周子ちゃんのお話したんですよ」
「あれ、あたしひょっとしてモテモテ?」
「もちろん。周子ちゃんが人気ない場所なんてありませんよ」
「いやあ、照れちゃうね」
「そのこともあって前にお話したことを思い出したんです」
「なるほどね。で、どの?」
「麗奈ちゃんのお話聞いてみるといいよ、って周子ちゃんが言ってたやつです。映画の」
「あー、話した話した」
「あれ聞いてみたんですけど、ちょっと内容が理解できなくて」
そう言うと周子ちゃんの笑顔に、なぜかすこしだけ明るい色が差しました。
「だって道理が通ってませんよ、演技なんてできないって自分で言ってる麗奈ちゃんがオーディションの本番でその方式にケチまでつけたのに抜擢されるなんて、不思議です」
「んー……、レイナサマはさ、本当に演技ダメなんだよ。ウソつくの超ヘタじゃん?」
また穏やかな風が吹いて、ゆっくりとした力を加えます。木々の葉が揺れて、髪が揺れます。そこで涼しさを感じるのは気温が高かったのかもしれませんし、それとは別の理由があるのかもしれません。
額に手をやって考え込むように周子ちゃんは言葉を探しています。単純にその理由を探すなら、麗奈ちゃんについては慎重に説明する必要があるということでしょうか。
「前にレッスン、演技のね、見たんだけどさ、レイナサマって本当にレイナサマとしてしかしゃべれないの。他人になれない。役者っぽくはないよね」
「それじゃあ余計に……」
「じゃあなんでトレーナーさんがオーディション勧めたかって話になるとね、役柄とか関係なくなっちゃうんだ、あの子の場合」
「え、でも演じるのが苦手って話じゃ……」
「そもそも演技じゃなくてレイナサマが本人としてセリフをしゃべるわけだからそれは大丈夫になるってワケ。ちょっとわかりにくいけどね」
無茶苦茶な論理に聞こえます。演技が苦手だから演じない。それの何が評価されて映画のオーディションに送り出され、あまつさえ主演を勝ち取れるほどのものになるのでしょう。実際に本人から聞いたときにも思いましたけど、あらためて考えても不思議と片付けるのでも軽すぎるくらいに感じられます。
「んーと、あの子って器がデカいっていうか、人間の受け入れ幅が異常に広くてさ」
「どういうことですか?」
「ここからは本人談だけど、かなり理解しにくいから聞き流す程度にしてね」
言葉の代わりに私は頷きました。
「人ってさ、どんなに考え方とか性格が違ってもどこかで同意できる部分ってあるじゃない? たとえばリンゴが好きとか、オシャレするならまず靴からとか。これは些末な例の極端なやつだけど」
「そんな気はします」
「レイナサマってね、それがいくつかあればその人格を呑み込めるんだって」
「え?」
周子ちゃんは指を一本立てて、まるで数学の公式を読み上げるように口を開きました。
「同意できれば理解してあげられて、呑み込める」
「呑み込めてしまえば……?」
「小関麗奈として出力できる。これがあの子のカラクリ。もうあたしの知ってるお芝居の領域を飛び越えちゃってるよ。タフなんてもんじゃないね。レイナサマは人間の幅が広すぎる。だから演じる必要もないってこと」
「…………」
「あたしもさ、さすがに心配だったからこっそり撮影の見学に行ったよ。トレーナーさんといっしょにね。驚いたなあ、成立してるどころかレイナサマ以外の演者なんて考えられない出来になってたから」
唖然です。理解しにくいとは言っていましたから、完全には理解できていないとは思います。それでも常識外れってことくらいはわかります。周子ちゃんは表情を変えていません。間違っても冗談を言っているようには見えません。もちろん信じがたいですが、もしそうであれば麗奈ちゃんが話してくれたことに説得力が出てきます。
「さすがに見たことないってトレーナーさんも言ってた。どう扱うのが正解なんだろうな、ってぼやかれちゃったよ。あたしに言ったってしょうがないのに」
「それで主演オーディションに行かせるんですから思い切りがいいというか……」
おそらく苦笑いにしか見えない笑顔を作ると、困ったもんだねとでも言いたげな笑顔が返ってきました。きっと周子ちゃんは私の言いたいことを理解してくれているのだと思います。可愛い子には旅をさせよと言いますが、もしかして麗奈ちゃんに対するこれも意味としては同じなのでしょうか。実際には大きな獲物を持って帰ってきてるわけですから成功に違いないとは思うんですけど。
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周子ちゃんの評価に共感から来る親近感を覚えて、麗奈ちゃんの個性に驚嘆を下敷きにした畏敬を抱きました。それらがきっと私の中の感情の種の存在を気付かせたんだと思います。そしてそれより前に恵磨さんという歌う姿だけで人を惹きつけることを実現している存在と出会っていたことが、決定的な土壌になっていたのでしょう。私の中に “佐久間まゆ” の像がかたちを取りました。ぼんやりしていたアイドルという名詞は、人の目を集めるという意味を持つのだと100パーセントの結論が出せました。私の感情の変遷はこのひとつの事実を解答として出すためにあったんだと思います。
周子ちゃんに憧れます。でも私にはファンを手玉に取るような天性の距離感とそれを自在に操る技術を持っていません。麗奈ちゃんに憧れます。でも私にはああいった本当に特別な才能を持ち合わせてはいません。恵磨さんに憧れます。でも私には、人の前に立って楽しむことで誰かの目をぐいぐい引っ張れるような強烈なカリスマ性はありません。それなら私には何が残るのでしょう。もしかしたら残らないのかもしれません。けれど私はそれでも構いません。試せることがあるんですから、私にはそれで十分です。