転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
最近、塔の街の朝はいつもと空気が違っているように見えた。少なくとも、初めて塔の街で大規模リアルイベント、
「ふわぁ~~~~~」
そんな光景を部屋の窓から眺めるわちるは大きなあくびをする。塔の街はすっかりお祭りムードだ。
初配信から数か月、すでにFSの雰囲気に染まったわちるは昨日の深夜から突然配信を開始。集まった視聴者と共にV/L=Fを語る配信を敢行し、それは日をまたいだ雑談配信となった。
この世界で最も利用されているSNSツールである"メイク"での配信開始を告げるつぶやきも誤字だらけで、始まった配信も早口すぎて草を生やす視聴者ばかりだったが、興奮している様子のわちるに付き合ってやるか、という雰囲気で配信は続いた。
わちるはこのイベントにどれだけの情熱をかけたのか、ダンスはなこそさんや○一さんと一緒に練習したとか、歌のコツは寝子ちゃんから教えてもらった。練習の合間に灯さんが作ってくれたお菓子がおいしかったなど、本人としては他愛のない、視聴者からするとイベントの裏側を覗き見ているような貴重な内容に盛り上がりを見せ、結局その配信が終了したのは日付が変わって数時間経過した頃だった。
明日のことを考え配信終了後にすぐ布団にもぐりこんだわちるだったが、興奮した様子が抜け切ることは無く、なかなか寝付くことができなかった。彼女のおおあくびはそのような理由からだ。
「……そういえば、○一さん帰ってこなかったですね……」
FSのヴァーチャル配信者の中でも○一は思ったことをそのまま口にする性格の持ち主だ。よく言えばウソがつけない正直者で、悪く言えば言葉を選ばない炎上常習犯。
冗談交じりで発言した内容が悪意を持って"切り抜き"され拡散された時は冷静に反論し大人しく事態が収束することをよしとせず、配信内容を切り抜いた人物のネットアカウントを名指しでつるし上げ、以後自身の配信内容の切り抜き動画のアップロードを全面禁止にしたことすらある。
さすがにやりすぎだとなこそに配信内で頭を下げさせられたが。
そんな苛烈な一面のある○一だが、最近ではわちるという新しく増えた後輩を意識してかそれなりに言葉を選んで配信を行っているようだ。
夏の大型コラボ配信でもそれは顕著で、○一を姐さんなどと親しみをこめて呼ぶ視聴者、通称
そんなFSの中でもナートに続いて問題児な○一であるが、FS外部のヴァーチャル配信者との関わりは意外と多い。
他企業に所属する配信者や個人配信者とのつながりはかなり広く、趣味が合うと思ったならばその日、初配信を行っている緊張でがちがちに固まっているであろう個人配信者であろうと問答無用にコメント欄に現れて応援コメントやコラボの誘いを書き込み、配信主の心臓をぶん殴ることもある。
オフコラボも積極的に参加しており、塔の街から遠く離れた地方で活動しているヴァーチャル配信者とのオフコラボのためにわざわざ先方へ出向くこともよくある事で、仲良くなった配信者の家にお泊りして帰ってくることも、これまたよくある事であった。
なので○一がこの家に帰ってこないことがあってもFSのメンバーはそれほど気にしていないようだった。
もちろん○一の行き先や定期的な連絡はFS運営である灯や室長がしっかりと行っている事も安心していられる理由の一つ。
「せっかく真夜さんが来ていらっしゃるのに……もうすぐ帰ってこられるかな……?」
寝ぼけ眼をこすりながら窓の外を眺めるわちる。いつも泊りがけのオフコラボの際は朝一番の塔の街行きのモノレールで○一は帰ってくる。
「その前に……お風呂入っちゃお……」
○一が帰ってくればFSメンバー全体のV/L=Fの打合せが行われるだろう。その前にさっぱりしておくのもいい。夏のコラボイベント後にFSメンバーの要望で作られたお風呂はその全員が一緒に入っても問題ないほど大きく、ゆったりとくつろげる空間として人気だった。まだ誰も起きていないであろう時間にお風呂を独り占め。わちるはその魅力的な考えを眠気よりも優先し、いそいそとお風呂の準備を始めるのだった。
パジャマから部屋着に着替え、歯を磨き、お風呂セットを手にしたわちる。お風呂場の扉を開けると、あらかじめ温めなおしておいた湯船からは暖かい湯気が昇っていた。
先に体を洗い、ゆっくりと湯船に浸かると朝の寝ぼけた頭も徐々に働いていく。わちるは広い浴槽でぐぐっと手足を伸ばして、脱力する。
「ふう……」
それだけで凝り固まった体がほぐされていくような気がする。自身が思っていた以上に、ここ最近の忙しさは体に蓄積していたのだな、とわちるは温かな湯に浮かびながら考える。
もちろん忙しいのは自身だけでないことは理解している。灯と室長は朝から晩まで毎日V/L=Fの協力企業などと連絡を取り合い、打ち合わせに忙しそうにしており、FSのメンバーも今回の規模拡大に伴う仕事量の増加に若干疲れているように見える。
そして、彼女の一番の親友であるわんこーろも。
「……わんこーろさん。疲れてないかな? ネットの中に住んでても、やっぱり無理しちゃダメなのに……」
V/L=Fの規模を拡大するということは、その内容もそれに見合った濃密なものでなければならない。イベント内容をどうするか室長が思案していた時、わんこーろはV/L=Fでとあるイベントの実施を室長にお願いした。
その内容に興味を示した室長はわんこーろとだけでなく、関係各所との情報共有を行い、そのイベントをV/L=F内に組み込み、さらに大規模なものに昇華した。
そこまでスムーズに事が運んだのは、わんこーろがあらかじめ何かしらの催し物をしたいと室長に要望していたことと、わんこーろが室長にお願いした時期が比較的早い段階であったのが功を奏した結果だ。
そのイベントの実施許可を室長からもらったわんこーろは配信活動はもちろん、犬守写真機実装や、犬守村で起こった様々な問題の対処をこなしながら、V/L=Fの準備を水面下で進めていた。
まさにわちるとは比べ物にならないほどの忙しなさだったはずだが、それを全く感じさせないわんこーろの姿に、頼もしさや尊敬よりも先にその体の心配をするあたり、わちるらしいと言えた。
たとえ電子生命体であり、疲れなど感じない存在だとしても、それはわんこーろを心配しない理由にはならない。わちるは本心からそう思っている。
「わんこーろさんの"あのイベント"は二日目からだし、今日は今日のことを考えよう! ……ん?」
湯船の中でわちるがひとり意気込んでいると、不意に後ろからがちゃりという音が聞こえた。どうやら誰かがお風呂場にやってきたらしい。
この時間帯はまだ寝ているメンバーばかりで、唯一早起きな寝子も朝風呂の習慣は無い。ならば、誰が入ってきたのか。首をかしげながら振り返ったわちるはとある人物の姿を視界に捉え、そして驚く。
「ま、真夜さん!?」
入ってきたのは真夜であった。つややかな黒髪をまとめ、とりあえずバスタオルで前を隠してはいるが、どうも浴室に誰もいないと思っていたのだろう、十分無防備な状態をさらしていた。
だが、わちるが驚いたのは真夜が浴室に入ってきたことではない。こうやって入浴中に誰かが入ってくることなどいつもの事だ。珍しい時間であることや、相手が真夜であったことで少し声を上げてしまったが、そこまで驚くほどの事ではなかった。
驚いた別の理由、それはタオルでは隠しきれない、その肌にあった。
いつもなら衣服で隠されている胸や背中には、まるで薬品で焼けたような痣が広がっていた。真夜の本来の白く美しい肌に、その痛々しく広がる痣はどうしようもなく目立つ。
見てはいけないものを見た。わちるは咄嗟に視線を外すが、その動作はあまりにも拙く、わざとらしく見えてしまった。
「……ごめんなさいねわちるちゃん。こんなもの見せちゃって。お風呂は後でいただくわ」
「真夜さっ!」
わちるが何か言うよりも先に真夜は浴室から出て行こうとする。真夜の声音は焦った様子も、悲しい雰囲気でもない。
むしろ、真夜の声をわちるは暖かいものと感じてしまった。こちらを気遣う真夜の暖かい声。
「まってください真夜さん!」
だが、わちるは逃げるように出ていこうとする真夜の腕をつかむ。
湯気とは違う、じんわりと浮かぶ汗が掴んだ腕より感じられる。それは引き留めたわちるのものか、それとも年頃の少女であるわちるに、醜いものを見せてしまった後悔を抱く真夜のものか。
わちるは、真夜の瞳をしっかりと見つめて、こう言った。
「……せっかく二人で朝のお風呂を独り占めできるんです! 堪能しないともったいないですよ!」
にっこりと笑うわちるに、真夜は少し目を見開く。そして、わちるに微笑み返した。
「……そうね、それじゃあご一緒しようかしら」
体を洗い、湯船に入る真夜。温かな湯に心地よさそうに息を吐く真夜は、笑みを浮かべたままわちるへと視線を落とす。
「子どもの頃にちょっとした事故でね。全然痛くないのよ? 痣の場所も服で隠せるしね。けど、水着が着れないのはちょっと残念かも」
そう言って自嘲気味に笑う真夜の顔を、わちるは心配そうに見つめていた。
「……私、そういう"設定"だからって思っていました。真夜さんのアバターの姿。……でも」
「そうよ。ヴァーチャル配信者"真夜"、背中に大きな痣を持つ戦いと遊びが大好きな鬼の姫。私にアバターみたいにツノはないけど、あのアバターの痣はそのまま私の痣なの」
ヴァーチャル配信者真夜、その姿は美しい鬼の姫を模したものだ。彼女の妖艶な声音や佇まいに異様にマッチしたその姿は、視聴者にとても好評で、その体に刻まれた戦いの痕だという痣も美しさの中に存在するギャップとして注目されるポイントだ。
だが、彼女の体には実際にその痣と同じものが刻まれており、配信者としての姿より……痛々しい。
「どうして、そんな……」
「んん……そうね、この痣は私にとって忘れちゃいけないもの、だからかしら」
湯気で曇る風呂場の、さらにその先の遠くを見ているような真夜。そんな姿にわちるは何か違和感を持つ。
「忘れちゃ、いけない……?」
嫌でも目に付くその痣を、"忘れられない"ではなく"忘れちゃいけない"と表現したことに。
わざわざヴァーチャル配信者としてのアバターにまで反映されたその大きな痣に、わちるは自身では理解できない何かを感じていた。
真夜がその体に刻まれた痣に込めた思いとはなんなのか。後悔か、憎しみか、絶望か、……はたまた覚悟か。
だが、わちるがそれを知り、理解するにはまだ少し早かった。