転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
風音布里ほうりは粒子科学技研と呼ばれる企業に所属するヴァーチャル配信者だ。
グループ名はイナクプロジェクト。イナクと呼ばれる配信者がリーダーを務め、ほうりはそのグループの最年少配信者として所属していた。
粒子科学技研はマイクロマシンの開発製造を手掛ける企業であり、関連企業も含めるとそのシェアはおよそ八割以上という驚異的な独占力を誇っている。名実ともに世界的な大企業だ。
故に資金、配信機材や各種3Dモデル、それらを動かす技術、どれも並はずれたレベルのものが用意され、それは政府の援助を受けた推進室の運営するFSに迫るほどだった。
もしも、わんこーろとの出会いによる推進室の飛躍的な技術力向上が成されていなければ、おそらくイナクプロジェクトはその高い完成度を誇る3Dモデルと、選び抜かれた有望な配信者、世界企業という大きなバックをもって堂々とヴァーチャル配信者のトップグループに躍り出ていたことだろう。
しかし、そうはならなかった。
話題性という点においても、わんこーろの登場と、犬守村という再現力と技術力の化け物、そしてNDSを用いた夏の大型コラボの衝撃が強すぎて視聴者の間ではイナクプロジェクトの評価は"それなり"にとどまっていた。
そんな状況に粒子科学技研のヴァーチャル配信者運営は推進室に対して複雑な心境でおり、それと同時にわんこーろという存在に警戒心を抱いていた。
だが、所属配信者たちは特にそう感じていない様子であった。もとより粒子科学技研初の代表配信者として選ばれた新人たちは現在の"楽しさ"を主軸として活動している配信者に憧れて配信活動に手を出した者たちで、目標としてライバル視はしていても嫉妬したり蹴落とそうとする考えは思いつくことさえない。
風音布里ほうりも、そんなこの世界のどこにでもいるヴァーチャル配信者の一人だった。
配信終了の合図であるBGMを流しながら、画面の中の風音布里ほうりは銀の髪飾りで纏めた艶やかで美しい金髪を揺らし、にこやかにほほえみ手を振る。
彼女の配信は配信開始直前に行われていたFSの配信者、ナーナ・ナートの配信と内容が被ってしまったことでほうりも視聴者も少し困惑した様子のまま始まった。
その後もほうりは自身の得意分野であるマイクロマシンの技術内容について会話を展開していくが、それもナートのものには及ばない、少なくとも視聴者にはそう思われてしまった。
さすがに配信の空気が不穏になり始めたころ、なんとコメント欄にナートが現れたのだ。それがナートとの初がらみだったほうりは、より一層混乱してしまうが、当のナートはほうりを上手くフォローしながら、徐々にほうりへ向いたヘイトを自身のほうへと向けるように視聴者を誘導していく。
配信者であるほうりを立てながら、しかし視聴者とほうりの間に流れていた不穏を取り除くその手腕にほうりが気付いたのは、無事配信が終わって安堵したころだった。
すぐさまメイクのメッセージ機能を利用しナートに先ほどのお礼を言うが、ナートはそっけなく自分のせいでもあるから、というだけ。
その後もほうりは何度かナートにメッセージを送るが、それが返ってくることはなかった。
「それで~そのまま既読スルーしてるって事ですか~~」
「なーとーそれはひどいー」
『うぐぅ……だってぇ~~』
画面の向こうで涙目のナートをわんこーろと狐稲利は犬守神社の縁側に腰掛けながら呆れたように見つめていた。
現在の時刻は丁度お昼時、午前中のメインイベントは若干の遅れはあったがほぼほぼ予定通りに進行し終了した。
FSが各イベントの進行役を務めていたとはいえ、一日目の主役は新人やV/L=Fに招かれた配信者たちだ。イベント進行プログラム通りに新人の自己紹介配信の後、先輩配信者がメインイベントの実況リレーを行い、休憩タイムや機材トラブルの際にFSがフォローするという流れは予想以上に上手くいき、この規模のイベントとは思えないほど順調に進んだ。
「というか、ナートさん今大丈夫なんですか~? そちらもお昼時なのでは~~?」
「なーとどこに居るのー?」
『……会場の隅……』
「……」
「あはー……」
『みんなバラバラで食べたいもの食べに行ってるみたいだから大丈夫……だと思う』
何か大きなトラブルが発生した際はFSが全力で場をつなぐことになっており、それがFSの最大の仕事でもあった。逆に言えば、トラブルがなければFSは基本暇なのだ。もちろんそれは主役がFS以外の配信者である一日目に限られるが。
「……狐稲利さ~ん、ちょっとナナさんとヨルさんの様子見てきてもらっていいです~? 犬守村のごはんをちゃんと食べて頂いているか心配なので~」
「んふ? ……わかった!」
わんこーろがそういうと狐稲利は縁側からぴょんと勢いよく立ちあがると此方に手を振りながら犬守山へと駆けていく。その頭にいつの間にか乗っていたよーりを落とさないように気を付けながら。
「さて~……ナートさん……お話、できたんですか?」
『! う、うん……ちょっとだけだけど……』
わんこーろは先日のナートとの会話を思い出す。ナートはこのV/L=Fで喧嘩? した誰かと仲直りしようとしていた。ナートの今の状態と先日の話、そして今の反応から、ナートはその誰かと再会することができたのだと理解した。そしてその相手が誰なのかも。
「喧嘩のお相手は新人さんだったんですね~風音布里ほうり、さん? ……でも、何処でお知り合いに~?」
「……ずっと前だよ……ずっと、ずっと前……」
「前……? 配信者になる前から、です~?」
「……うん……あの、その……」
ナートはしばらく無言でいたが、意を決したように顔を上げ、わんこーろと視線を合わせる。ナートにとってわんこーろは自身の胸の内をさらけ出し、その内のものを相談できる相手だと認識していた。だから、ナートはわんこーろにその胸の内をさらけ出すことに決めた。
「わんころちゃん、少し、聞いてもらってもいいかな……?」
古い古い記憶の中……。
ナーナ・ナートがまだナーナ・ナートでなかった頃、寝子よりももっと幼かった頃。
ナートは恵まれていた。地上の特区に住み、きらびやかな衣装に身を包んでおり、生きることに困ることはなかった。
両親がおり、何人もの使用人がいて……そして妹がいた。
「あの子…………今はほうり、かな。ほうりはとっても賢い子なんだぁ。私と違って一度教えられただけでなんでも出来て……まさに、後継ぎって感じだった」
「跡継ぎ……?」
「粒子科学技研のね、ほうりの両親は粒子科学技研の代表なんだよ」
「! それって、ナートさんも……!」
「うん……血の繋がりって意味では私もそうかな……はは、驚いた? 私が大企業の社長令嬢だって」
ナートは乾いた笑みを浮かべるが、その顔は上手く笑えていなかった。
「父と母に言えば、なんだってできた。欲しがったものは何でも手に入れられたし、何でも出来るって思ってた……でも、自由はなかった」
「自由……」
「私の生活はぜーんぶ管理されてた。就寝時間も、食事の時間も……トイレの時間まで全部ね。自由時間はあったけど、その範囲以外はまるで機械みたいに全部決められてた。毎日毎日跡継ぎとしての教育と勉強ばっかり」
だから、逃げ出したんだ。ナートは吐き出すようにそうつぶやいた。後悔と、罪悪感がごちゃ混ぜになった悲痛な言葉で。
「逃げ出して、知らない場所まで行こうと思った……でも、子どもだった私にはそんなこと無理だった……いつの間にか保護されてて、知らないうちに室長のところに居ることが決まってた。私の口座に生活費や授業料が毎月振り込まれるようになって……そこでようやく理解したんだ。私はもう用なしになったんだなって、妹の方が大切になったんだなって」
「ナートさん……」
「でも、なんだか不思議でね、それほどショックじゃなかったんだぁ。私は物覚えが良いほうじゃなくて、優秀とは言えなかった。けど妹は何でもそつなくこなせて、才能があって努力も惜しまない。私よりも跡継ぎとして適格なんだろうなって」
「妹さん――ほうりさんとはそれっきりで……?」
「うん。連絡することを制限されてたわけじゃないんだけどね……私が投げ出したせいで、今度はあの子が私の代わりになってるんじゃないかと思うと……話なんて出来ないと思った。私が逃げ出したことを、絶対に責められると思った」
逃げ出したくなるほどの窮屈で自由のない生活。そこから本当に逃げ出したならどうなるのか? 自身の代わりとして、空いた席に無理やり座らされるのは、誰か?
当然、有能と思われていたナートの妹だろう。妹は逃げ出すこともできず、逃げた姉を恨みながら自由を奪われた生活を強いられている。
「……実際にお話ししてみて、どうでしたか……?」
「うーん……変わってなかった、かな。とってもいい子で、真面目で誠実で……とてもヴァーチャル配信者としてやっていけるようには見えなかったかな、なんて。へへ……」
勉強ができて、運動も得意で、才能もあって、努力を惜しまない。そんな素晴らしい妹。
「だから、あの子なら耐えてくれると思った。あの子に全部任せちゃえばいいんだ。あの子なら大丈夫、だってすごい子だから……そんな自分勝手なこと考えて、逃げた私は悪くないんだって思い込もうとして……でも、駄目だった。あの子の声聞いたら、自分がどれだけクズなのか嫌でも自覚させられたなぁ……」
沈むナートにかけられる言葉などわんこーろにはなかった。ナートがどれほど苦しい幼少期を過ごしたかなど想像しかできないし、罪悪感を抱えている彼女に対して、許しの言葉を紡いでも仕方がない。その言葉は妹であるほうりからでないと意味がないからだ。
「……やめてください」
それでも、わんこーろはナートの思いに寄り添いたいと思った。
わんこーろが配信者となった理由は人と話しがしたい、という単純かつ漠然としたものだった。
電子生命体という特異な体であることがわんこーろを孤高にさせ、対して人の心が孤独を感じさせた。
人外であることよりも人であることを選んだわんこーろは孤高よりも孤独を重んじ、嫌った。
そしてこれまで多くの配信を行い、人々と交流し、心を触れ合わせた。その中にはもちろんナートもいる。だから、寄り添いたかった。
ナートの苦しみを全てわかってあげられなくても、暗い部屋の隅で震える彼女のそばで手を握ってあげることくらいはできるのではないか。
「やめてくださいナートさん」
「え」
「自分を、クズだなんて言わないでください……ナートさんは、FSの配信者じゃないですか。何十、何百万人もの人が、ナートさんから元気をもらってるんです。ナートさんがいたから配信者になったって人だっているはずです。ナートさんの配信で勇気をもらった人もいると思います。……ナー党の皆さんにとってナートさんは"推し"なんです。……推しを、クズだなんて言わないでください……!」
「わんころちゃん……!?」
いつの間にかわんこーろは泣いていた。なぜか、涙が止まらなかった。自身を貶すナートの声を聴くと、悲しさで胸がいっぱいになった。
「わ、わわわ……ご、ごめんわんころちゃん……!」
「な、なんでナートさんが謝るんですか」
「い、いや……なんでかな……?」
「……なんですかそれ……んふふ……~」
「あ、あはは~」
心のもやもやしたものを解消するのは、とても難しいものだ。それでも、人に話せば多少はそのもやもやは軽くなってくれる。そして、前へと進む意欲をもたらしてくれるのだと、ナートは何となく自覚した。
「話聞いてくれてありがとねわんころちゃん。……私、このV/L=Fの間に、あの子としっかり話してみようと思うよ」
「……はい。頑張ってください~」