転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

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#112 V/L=F運営管制室より

 塔の街の展示会場はとてつもない盛り上がりを見せていた。

 メイン会場とその周辺は出店形態の飲食店が立ち並び、どの店も大量の一般参加者が列を作っていた。V/L=F参加者の証であるチケットを見せればどの店も料金を払う必要がない。それは飲食物に限らず、展示会場内にある配信者の公式グッズなども同様であった。

 さすがにグッズ関係は一人につき購入数に制限が設けられており、また提示するチケットの発行コードが記録されるので転売などはできないようにされている。

 

 美味しい食べ物を片手に珍しいものや有名な配信者の配信を見たり、巨大なスクリーンに映し出されたメインイベントの様子を見ながら一般参加者は思い思いにV/L=Fを楽しんでいるようだった。

 

 時折聞こえる各展示ブースや現在進行中のイベントに関するアナウンス。元気に走り回る子どもたち、それを注意するのは仮装をした若者。

 つい先ほど開放された"犬守村、秋の写真展"へ参加予定の一般参加者はNDS体験ブースの前で列を作りその時を今か今かと待ちわびていた。

 

 どこもかしこも笑顔に溢れ、今という時を全力で楽しんでいる。

 

 

 そんな人々をよそに文化復興省の協力組織である推進室、その室長は少し離れたところから喧騒を静かに見守っていた。

 

「……まだ時間はある、か……」

 

 携帯端末を確認しながら室長は呟く。いまだ祭りは続き、終わる気配は無い。けれど大した問題も起こらず、起こったとしても現場の人間で解消できる程度のものに留まっている。それは考えていた以上にFSの子たちのイベント進行能力が高いことと、それに従ってくれる参加者たちのおかげだろう。

 

 

「おや、ここにいたのかい室長さん」

 

「? あなたは……! まさか、来られていたのですか」

 

 祭の様子を遠巻きに携帯端末に目を落としていた室長はこちらに近づく人影に気が付かず、声を掛けられ顔を上げることでその人物に気付いた。痩せた長身の男性、初老に差し掛かったあたりの年齢らしく、その顔には皺が刻まれている。

 杖を手に持ち、穏やかな表情で室長を見る男性は室長に一言ことわりを入れた後、その横に座る。

 

 いち段落といった感じでベンチに座り一息つく男性はリラックスした様子であるが、対する室長はその意外な人物の登場に驚き、姿勢を正して男性へ向かい合う。

 

「はは……そんな畏まらないでくれよ」

 

 照れ隠しに男性は真っ白になった頭髪を掻き、丸メガネの位置を直す。僅かに口元が緩み、微笑んでいるらしいが顔色が悪く声にも力がない。これは痩せているというよりは、やつれていると言ったほうが正確だろうか。

 

「……お仕事の方はもう大丈夫なのですか? 日下部(くさかべ)所長」

 

 日下部と呼ばれた男性は室長の言葉を聞き、居心地の悪そうな表情で室長から視線をズラす。

 

「それなんだが……実は、抜けてきた」

 

「は?」

 

「いや、さすがに私の確認が必要なものは終わらせてきたよ。それ以外のものは全部部下に丸投げしてきたんだ」

 

「はあ……それは、大胆な……」

 

「はは、言葉を選ばせてしまってすまない。まあ、環境保護研究所もようやく増員叶ってね、少しは手を抜けるようになったのさ」

 

「所長であるあなたが手伝わないといけないほどでしたからね……」

 

 室長と会話を続ける男性、日下部はかつてこの国に存在していた動植物をはじめとしたあらゆる自然物の研究、あるいは現存する生物の保護を目的に活動している"環境保護研究所"通称環研の所長であり、実質環研のトップに君臨する人物だ。

 

 環研はこの国でも重要な研究機関の一つであり、推進室と同じく政府と協力関係を結んでいる。地上の環境破壊は地球規模のものであり、そのため環研は国外の環境関係の機関とも研究資料を共有するような深い繋がりがある。それは時として政府よりも強大な影響力を持つ。そんな機関のトップであるのが、室長の目の前にいる男性であるなど、V/L=Fに参加している人間は誰も気付いていないだろう。

 

 室長はそんな久しく会っていなかった人物との再会に驚いた。本来彼はここにいられるような暇などないはずだからだ。先ほども室長が言った通り環研は現在わんこーろより送られてきた膨大な資料と格闘している最中だ。これまでの環研の主な仕事と言えば、わずかに残った植物たちを繁殖させ、種を絶やさぬようにすることだけだった。だがわんこーろより送られてきたサルベージデータの解析という仕事により、その一日中植物を眺めるだけの仕事が毎日修羅場な地獄へと変貌した。

 

 と、言われれば環研所属職員は何とも不運だと思われるかもしれないが実際は真逆で、職員は自ら寝る間も惜しむほどの集中力で情報の解析を行っていた。

 環研の職員は皆植物に関する貪欲な知識欲を抱えており、その欲は植物を眺めるだけでは満たされなかった。そこに降って湧いたようなデータ解析の仕事が依頼されてきたのだ。その内容には未知の知識が多分に含まれており、今まで満たされなかった彼らの知識欲を刺激するには十分すぎるほどだったのだ。

 

 とはいえやはり量が量だ。一朝一夕で完了するようなものではないので、日下部は自身も含めた職員総出で仕事をこなすような計画を立て、仕事をし過ぎな職員が出ないようにしていた。

 

 

「忙しいのは忙しいが……移住者に意地でもV/L=Fに行ってやると言ってしまったからね……彼女に会うのも楽しみだ……」

 

「はい? 何か?」

 

「いや、何でもないよ」

 

 日下部所長の小さな独り言は室長の耳には届かなかった。聞き返す室長だが、彼はただ微笑んだだけ。

 

「それよりも、聞いたよ例の話……独立するんだってね」

 

「独立という訳ではありません。元々復興省と推進室は長期的な契約を結んでいました。来月よりその契約更新を行わない、というだけです」

 

「ふむ……確かにそうだが……あの子たちは、FS運営は問題ないのかい?」

 

「はい。復興省からの援助については金銭的なもの以外は当てにしておりませんでした。そしてその問題も解消される予定です。V/L=Fに参加している企業の幾つかと話ができましたので」

 

「NDS関係については? あれは復興省を通じての貸出品ではなかったかい?」

 

「確かにそうですが、あくまで復興省は接点の少ない推進室との橋渡しをしていただけでしたので、先研に伺うと今後もNDSの利用は許可してもらえそうです」

 

「そうか……私が考えそうなことなどとうに対策済みというわけだな……まあ、君や灯ちゃん、FSのあの子たちが幸せなら、私が言うことは何もない……君たちの今後を祈っているよ」

 

「ありがとうございます。……あと、実はこのV/L=Fが終了した後……――」

 

「ほうほう……なるほど、そんな計画を――」

 

 その後、彼は疲れた顔でにこりと笑みを浮かべ、室長と少しばかり雑談を交わした後、祭の喧騒の中へと消えていった。

 

 

  

  

  

  

  

  

「……私も行くか……」

 

 予想外の出会いはあったが、おかげで時間が潰せたと室長は携帯端末を操作し現在のV/L=Fの状況を確認する。どうやらメインイベントは滞りなく進行し、わんこーろの犬守村、秋の写真展は配信者が散策するタイミングであるらしかった。

 

 室長は携帯端末をしまい歩き出す。祭りの喧騒を避け、陰を歩きながら関係者以外立ち入り禁止の扉をくぐっていく。

 

 現在V/L=Fが行われているエリアは主に展示会場関連の施設が軒を連ねているが、それらとは雰囲気の異なる施設が存在する。真っ白な外壁に限られた出入り口、窓はなく天へとまっすぐに延びる建築物、副塔(サブ・シャフト)だ。

 

 室長がくぐった立ち入り禁止の扉の向こう、目指しているのは副塔の"情報管制室"だ。

 

(しかし、展示会場の施設はおろかこの塔の街全域の情報管制さえ可能とは……いや、副塔は本来塔の街と中央管理室(セントラルセンター)を繋ぐためのもの。全域を見通せるほどでなければ意味がない、か……)

 

 副塔の情報管制室とは文字通り塔と、塔の街の情報管制を行うために造られた施設であり、塔の街に設置されたあらゆる施設の情報管理、運営を行うことの出来る場所だ。V/L=Fの運営だけなら展示会場施設の機材を用いても可能だが、このV/L=Fは国内外のメディアも注目する大規模イベントであり、万全を期すため上位互換である副塔の管制室を例年利用している。

 

 

 いくつもの扉を潜り、暗証番号を打ち込み、カードキーを滑らせた先に室長は目的の情報管制室へとたどり着いた。指紋認証を経て扉の先へと入っていく。

 

「蛇谷、NDSの状態はどうだ」

 

 その先には広々とした空間にいくつもの情報端末が並び、大きなディスプレイが設置されていた。そこには展示会場各所に設置されている監視カメラや端末、NDSの情報が表示されている。

 端末は専門家である先進技術研究所の職員が操作しており、その指揮を蛇谷がとっているらしかった。

 

「……草薙か、早かったな。現在NDSの稼働率は42.3パーセントほど、深度(ステージ)は2±0.5を維持……相手はNDSに触れたことのない初心者だ。これ以上の深度降下は、な」

 

「感応地占有率は?」

 

「高い者でも55は超えん。この数値なら対応可能だ、心配はない……お前たちのダイブデータと照らし合わせても問題はないだろう」

 

「そうか……外部からの干渉は?」

 

「今のところ国内より12回、国外より1423回だ」

 

「1423だと? 確かか?」

 

「真実だ……中には同盟国からの侵入も認められる。まったく愚かだな、表面上は仲良くしていても裏では何をしているかわからん」

 

「防衛網の構築は完了しているはずだったな」

 

「物理的な事なら防衛相にでも話してくれ。展示会場と副塔の中枢管理空間についてなら、問題はない」

 

 蛇谷は得意げに鼻を鳴らし、室長に向き直る。

 

「現在稼働している全てのNDSを繋ぎ合わせ、多角的かつ複合的な情報処理能力を実現させた。形としては複数のPCによる並列処理に似ているな。だが、利用しているのはPCではなく、それの数世代先の技術によって形作られたNDSだ。まさに次世代のスーパーコンピューターと言うにふさわしい」

 

 V/L=F中に仕掛けられたハッキングの類はそのすべてがNDSを利用した防衛AIによって捕捉されている。前述した国内外からの干渉もすべて防壁の一枚さえ通すことなく容易に処理できていた。それが蛇谷に大きな自信となっているようだった。

 

「どのような相手であろうと、この並列処理されたNDSの防衛網も突破することはできんよ……たとえそれが、人外の化け物であっても、な」

 

 そう宣言する蛇谷を、室長は訝しげに見つめ、確認するかのように問うた。

 

「……お前は、報告書を読んだか?」

 

「報告書? 一体何のだ? それが何か関係があるのか?」

 

「いや……なら、いい」

 

 そして予想していた通りの反応を示した蛇谷に呆れ、それ以上何を言っても無駄だと理解した室長は口を噤んだ。

 

 室長の言う報告書とは、かつてわんこーろと初めて接触した際に復興省へと送った、わんこーろに関する報告書のことだった。そこにはわんこーろとの接触までの経緯が事細かに書かれており、彼女の持つ能力がどれほど強大なものかを示し、警告する内容であった。

 

 だが、先の蛇谷の様子から少なくとも"効率主義派"の人間は例の報告書にほとんど目を通していないことが理解できてしまった。

 

 報告書を提出した当時ならまだわかる。電子生命体の存在など信じられていなかった以上、その内容は全く荒唐無稽な、笑い話にもならないものと映っただろう。

 

 わんこーろが本当に人ならざるフィクション的な存在であるかは置いておいて、その能力は本物であると認められた後も報告書は忘れ去られたままで、再び誰かの目に触れることはなかったのだろう。報告書、と聞いて蛇谷がピンときていないのがその証拠だ。内容もまともに読み直してはいないだろう。

 

 

 かつて犬守村への侵入を実行した推進室は手痛い反撃に遭い、ほんの数時間でNDSをも利用した強固なネットセキュリティシステムを食い破られ、その奥の中枢管理空間を掌握されかけた。

 

 それがわんこーろの仕業であると報告書をよく見ていない復興省の人間は思い込んでいるのだろう。

 だが、その認識は大きな間違いだ。

 

 そもそもNDSを掌握し、推進室の中枢へ侵入しようとしていたのはわんこーろではなく、わんこーろが作り出した低スペックな自立AIに過ぎない。そのAIであるヨイヤミさんも、わんこーろの妨害を受けて十分に能力を発揮することができない状態だった。

 

 わんこーろよりも数段劣る情報処理能力で、かつわんこーろの妨害を受けていたにも関わらず、ヨイヤミさんはNDSの恩恵を受けた次世代の強固なセキュリティを楽々突破しているのだ。

 

 もしも、わんこーろが本気で復興省の中枢管理空間を破壊しようと全力……つまりヨイヤミさん数百体や、わんこーろと同スペックな狐稲利とともに攻撃を仕掛けたならば……。

 

 その結果は火を見るよりも明らかだろう。

 

 何より恐ろしいのは、その事実に蛇谷および復興省や先研の人間が全く気付いていない点だ。

 

(気付いていないか、もしくはすでにわんこーろと協力関係を結んだとして無害と考えているか……管理空間防衛の協力を願い出たわんこーろを断ったのがあの子を警戒してではなく、この防衛機構に自信があるから、ということか……)

 

 最先端のセキュリティシステムを自慢げに語る蛇谷。その姿に室長はよくナートが口にしていた言葉を思い出していた。

 

(確か……"フラグ"と言ったか……何も起こらなければいいが……)

 

 室長は蛇谷の様子に不安を抱えたまま、管制室のディスプレイに目を向ける。こんな時の室長の抱く"嫌な感じ"は良く当たるのだ。

 

「NDSの状態は正常そのもの。深度も低値で適合値も異常値を示す人間はいない。これならNDSによる"酔い"はそれほど起こらないだろう……お前の心配は無意味だったな」

 

「NDSは精神をネット内に降下させる。つまり、むき身の精神が膨大な情報に(さら)されている状況だ。NDS利用者の精神状態でどっちにも転ぶ」

 

「ふん、忠告感謝する。だが現状その精神変化も起こる要因はない。……もう十分だろう? さっさと持ち場に戻ったらどうだ室長。……こんなことをわざわざ確認するために来るとはな」

 

 

「……なにかあれば連絡を、怠るなよ」

 

 室長は扉を開け管制室から出ていく、あまり好きにはなれない性格であるが、仕事に関しては信頼できる男であると理解している。だから一言忠告したのみに留めた。そもそもこの管制室へと足を運んだのは蛇谷がNDSの仕様や設定を理解しているのか不安だったためだ。先ほどの話からその不安は杞憂であったとわかる。

 

 

 

「代表、接触できました。こちらです」

 

 そのまま管制室を出て、自動ドアが閉まり始めた時、室長は扉の向こうの管制室で蛇谷が先研の職員に話しかけられているのを見た。

 

(代表……まだ代表と呼ばれていたのか。それに、接触……?)

 

 職員はなにやら紙の束を蛇谷へと手渡した。偶然にもその紙に書かれていた文字が室長の目に入る。

 

(今の時代に紙媒体のデータだと? ……書かれているのは……? なんだあれは?)

 

 室長の思考は視界を遮る自動ドアによって強制的に中断されてしまう。

 

 

 

 

 しばらくの間、室長は閉まった扉の前で先ほど蛇谷が手にしていた紙の資料について思いをめぐらす。それを含めた先ほどの職員との会話、それらに室長が思い当たる節はない。

 

 

 蛇谷は何やらこのV/L=F中に別の目的をもって動いているような気がする。

 

(……まだ私には関係の無い事、か。今のところは。……しかし、あの紙に書かれていたあの略称のようなものは、一体何だったのか。あの――)

 

 

 

 

 

 

 

「"CL-589"とは一体……彼らは、何と接触しようとしている……?」


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