転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります 作:田舎犬派
犬守村で配信者達が散策を開始して少し経過したあたり、"犬守村、秋の写真展"はなかなかの盛況具合を見せていた。
ネットの中に入り込むという体験だけでも一生モノの思い出なのに、それに加えて犬守村の散策と、その風景を切り取った写真の展示会となれば、盛り上がらないほうがおかしいというもの。特にこの時代の若者は植物すら実際に見たことのない者も多く、終始興奮気味で札置神社の中を歩き回っていた。
とはいえ写真展という性質上、現実世界の先端技術展示会のように触って体験することができる催し物というわけではない。展示場所を二周りほどすると皆満足してしまう。もちろん犬守村の風景については見ていて飽きないほどのリアルさがあるが、それでは展示会という催し物がないがしろにされているように見えてしまう。
といってもこの問題は実況配信などを行っている関係で時間が多めに確保されている配信者組に限られており、一般参加者の場合は短時間で人の入れ替えをしていく予定なのでとりあえずは問題ないとFSもわんこーろも判断していた。
なので一通り見終わった配信者達は犬守村をさらに体験したいと迷い路の奥まで探索に出かける者と、札置神社境内で写真展の案内配信を終わらせ、ゆったりとしているFSやわんこーろと会話を楽しむ者とで分かれた。
なおネット視聴者向けの案内配信が早々に終了したのはこの後、一般参加者がやってくるためだ。アバターとはいえ一般人の中には自身の姿をネットにさらすことに難色を示す者もおり、公式配信として一般参加者の肖像権などを守っているスタンスを取らなければ後々問題に発展する可能性があると判断されたのだ。
大げさと思われるかもしれないが、ヴァーチャル配信者とはそれほど燃えやすいコンテンツなのだ。
探索を始めた配信者組の者たちの配信はさながらダンジョン踏破を目指す冒険者の如き様相を呈していた。一般参加者がやってくるまでのタイムリミットが迫る中、迷い路のルートを配布冊子と自作マップを用いて攻略しようと奮闘し、場合によってはほかの探索配信を行っている配信者と情報共有を行い、さらにはそこに迷い路完全踏破を目指す匿名掲示板の迷い路観測スレの住人まで合流し、これまで登録者数の伸びに悩んでいた配信者たちの登録者数を倍にまで伸ばしたとかなんとか。
対して札置神社に残った配信者はゆったりのんびりした空気の中で、FSやわんこーろ、真夜や無名火といった有名配信者との会話に花を咲かせていた。
先ほどの真夜の活躍により距離の縮まった様子の配信者たちは恐る恐るといった様子ではあるが、雑談をしているFSとわんこーろたちの中に入っていく。
「ありがとうございますっ! これからも応援してますっ、頑張ってください!!」
「は~い、こちらこそ~ありがとうございます~」
「うんー! がんばるー!」
まだまだ新人な配信者たちは話しかけていいのかどうかわからずオロオロしていたが、仲のいい別の配信者や視聴者に勇気づけられ、思い切って声をかける。
話しかけられたわんこーろは緊張によって固まっている新人配信者に、その温かく穏やかな声音でやさしく語りかけている。狐稲利もその元気な声であいさつを交わし、それでも緊張してしまっている者には問答無用でよーりを抱きかかえさせたりしていた。
二人の声と行動は新人の緊張を解きほぐし、安心感を与えることに成功した。だからいつもの調子を取り戻した新人配信者は、配信者らしい大胆な行動に出たりする者も現れるのは仕方がないことなのだろう。
「あの……最後にその、お耳触らせてもらってもいいですか……?」
「んふふ~大丈夫ですよ~はい、ど~ぞ~」
「わあ! ありがとうございます! おお、ふわふわ……あたたかい……えと、わんこーろさん」
「はい~なんですか~?」
「あと……匂いとか、嗅いでもいいですか……?」
「ええぇ――――」
「はいストップゥ!! そこまでですよ!!」
「あははーわちるこえおっきいー」
有名配信者の中でもわんこーろは最初に声をかけられる確率がかなり高い。
FSもわんこーろも確かに今の新人たちとは比べ物にならないほどの人気とチャンネル登録者数を誇っているが、個人勢であり自分たちとそれほど配信時期も違わないわんこーろは憧れというよりも少しだけ身近な存在、目標やライバルとして見ている配信者が多い。そのため比較的FSよりは声をかけ易いようだ。
それにわんこーろの姿は雑談の際の話題にしやすいというのもある。他の配信者も特徴的な姿をしているが、その中でもわんこーろの姿は群を抜いてクオリティが高い。まるで本物のような柔らかな手触りの耳や尻尾、そのうえほんのりと体温が感じられるのだから、少しだけでもいいから触らせてほしいと願う者が後を絶たなかった。単純に動物好きな配信者に撫でまわされたり、自身で3Dモデルの制作をしている新人個人勢からはその3Dモデルに関する技術的な話なども交わされた。
それらの話にFSの面々が参加し、自然と新人たちが話をしやすい場を作り上げていった。
予想以上に集まった人だかりにわんこーろが
わちるはFSの中でも最も遅く加入した新人であるからか、話しかけられるよりも自分から話しかけようと努力している。誰とでもすぐに打ち解けられる彼女の人柄はおそらくわんこーろから学んだものだろう。時折わんこーろに伸びるセクハラの魔の手を払いのけるのも彼女の仕事? だ。
ナートは悪戯ばかりのナナが他の配信者に抱きかかえられると大人しくなることになぜか悔しげに顔を歪ませているし、なこそはどこから持ってきたのか携帯将棋セットを長椅子に広げて向かいに無名火を座らせている。なこそは得意げで、無名火は絶望を背負った顔をしている。周囲の配信者は対戦状況を実況したり、どちらが勝つかの賭けをしたりと盛り上がっている。
寝子の周りは動物や昆虫好きな配信者が集まりそれぞれの得意な分野について話し合っており、それはさながら何かの会議を行っているかのような真剣さだった。
そして、○一と真夜。二人も他のメンバーと同様にファンだと言う配信者たちにもみくちゃにされていた。人の密集地帯から、背の高い真夜が○一をさりげなく庇う様子を見てなぜか黄色い悲鳴が上がったりするのは気のせいだろう。
そんなことを続けているとFSとわんこーろたちの周りにはさらに配信者たちが集まってくる。最初のしおらしい雰囲気を漂わせていた配信者たちは思ったよりもフレンドリーなFSの様子にもう遠慮すること無いよね! と言わんばかりに殺到してさらに現場の混沌具合は加速していく。
そんな中、不意に札置の神社の入り口よりやってきた一団の登場に雑談が止まる。
先ほど迷い路探索に出かけていた配信者たちが帰ってきたようだ。その姿に雑談をしていた配信者たちは小声でひそひそと話し始める。
「あ、あれって……」
「ほら、あのおっきな会社の」
「イナクプロジェクトだっけ……」
「ニュースでやってた。大型新人だって」
口々に噂話を始める者たちを気にすることなくその一団、イナクプロジェクトの面々はわんこーろのもとへとやってくる。
そして先頭を歩く配信者がわんこーろの目の前に立ち、おもむろに口を開いた。
「初めまして……なのじゃ!」
「……」
「……」
「……?」
空気が凍った、気がした。周囲の配信者は疑問符を浮かべ首をかしげるものと、あいつやりやがった! という反応を見せる二組に別れ、わんこーろと狐稲利は前者であった。
「……え~と……のじゃ、ですか~?」
「んふー?」
そんな二人の後ろでわちるはなこそとなにやら小声でひそひそと話をしている。視線は例のあいさつをしたイナクプロジェクトの新人配信者に向けられており、その目は何やら怪しいものを見る目であった。
「あの……なこそさん、のじゃって何ですか?」
「だめだよわちるちゃん。他人のアイデンティティを否定しちゃ」
「あいで……え?」
「おーおーこれは確かに大型新人だなオイ」
「"さすがの私もそれは引くわ"」
「ナートお姉ちゃんそのフレーズ言いたいだけですよね?」
確かに今の"楽しさ"を主題とする配信者たちの中でも自身の特徴を前面に押し出すための手段として語尾を特徴的なものに設定しているヴァーチャル配信者は居る。
だが、それはまだまだ少数派であり、かつて効率化社会以前に存在していた配信者たちと比べると使い手はかなり限られている。
実際にこのイベントに参加している配信者の中にも頭にこびりつくドギツイ語尾を用いる配信者もいくらか居るが、さすがにこの大規模イベントでは自重しているようだった。V/L=Fは大勢の配信者と一般参加者が協力して作り上げるお祭りであり、そこに個人色を強く発揮させるのはいかがなものかという、つまりは目立ちすぎることに尻込みしていたのだ。
そんな停滞した状況の中に一石を投じたのが、目の前にいるイナクプロジェクトの配信者だった。
見た目はわんこーろ並みに小さく、頭から赤褐色で歪に伸びた角が二本生えている。背中には小さな翼が顔を覗かせ、口元から覗くギザ歯と爬虫類のように縦に割れた瞳孔も相まって、今集まっている配信者の中でもひときわ目立つ姿をしていた。
それに加えて先ほどの語尾が加われば、確かにそれだけで注目を集めることができるだろうと納得できるものだ。
「おイおイ、相変わらず場を凍らすのがうまいナ。実はアンタ氷竜だったのカ?」
「イナクは目立ちたがり。姉は知っています」
「イナクは怖いもの知らず。妹も知っています」
「おぬしら言いたい放題言うでないわっ!!」
ヴァーチャル配信者グループ、イナクプロジェクトリーダーイナクの後ろで同じメンバーであろう配信者が呆れたようにイナクに突っ込みを入れる。背が高く、長耳と褐色の肌が美しい女性配信者は耳に残る特徴的な声でFSへと向き直り、一礼した。
「リーダーが失礼しタ。私たちはイナクプロジェクト。フロント・サルベージの方々にあえて光栄ダ。これがリーダーの炎竜のイナク、私はダークエルフの"ミャン・ミャック"ダ。この双子は――」
「
「
「おまえラ挨拶はしっかりしロ」
「これはこれは」
「怒られてしまいました」
「ミャンー! ワシの何処が失礼なんじゃー!?」
反省反省、と口をそろえる双子、百々と十々は同じように頭を掻くが、いまいち反省している様子が見られない。ミャンに詰め寄ったイナクは彼女に首根っこを掴まれて宙吊り状態にされている。
「あはは……なんというか、すごいですね」
「一気にあっちのペースに持っていかれた……! これは確かに油断ならない相手だよ無名火ちゃん!」
「棒読みで何言ってんのなこそさん」
「イナクさんはナートお姉ちゃんと同じ雰囲気を感じます」
「え!?」
「とりあえずワタシたちも自己紹介しとくか?」
まるで漫才を見ているかのような軽快なやり取りに、これがいつもの調子なのだろうと予想できるイナクプロジェクトの四人を見て思う。FSとわんこーろたちは同じく自己紹介を済ませ、他の配信者と一緒に雑談をしていた中、なこそがあることに気付いた。
「……あれ? そういえばイナクプロジェクトさんって五人じゃなかったっけ?」
「あア、もう一人いるんだガ、迷い路で迷っているみたいダ。もうすぐ来ル」
「もう一人って……」
その時、札置神社の入り口、迷い路のゴールから一人の配信者が駆けてくるのが見えた。金の長髪を揺らし、美しい顔立ちの大人びた少女は、はしたなくならない程度の速度でこちらへとやってくる。
「申し訳ありません。少し時間がかかってしまい……」
伏し目がちにそう言う少女は申し訳なさそうに頭を下げる。その動作だけを見ても彼女の所作がかなり洗練されたものであり、訓練を重ねたものであることがうかがえた。
「遅いのじゃほうり!!」
「置いていったのはイナクだと姉は言います」
「ゴールについてからほうりが居ないことに気が付いた薄情者だと妹は言います」
「イナクもこいつラ双子も目が離せなくてナ、置いて行ってすまなイほうり」
「いえ、先に行ってくださいとお願いしたのは
物腰柔らかで常に笑みを絶やさない、はっきりした口調であるが、決して圧があるわけではない。イナクプロジェクト中では……いや、はっちゃけるものが多い配信者の中でも珍しい部類の人間だ。その佇まいはまさしく。
「お嬢さまじゃん……」
誰かが呟いたその言葉にその場にいた全員が納得した。彼女は話し方だけでなく、一挙手一投足において気を付けている節があり、その意識はただの一般人ではできないものだ。
そしてその言葉は発言者の意図するところとは若干異なっているが、極めて正しかった。
風音布里ほうり、彼女はイナクプロジェクトの運営企業である粒子科学技研の社長、その娘なのだ。そのことを知っているのは、彼女と同じイナクプロジェクトのメンバーか、彼女の姉であるナーナ・ナート、もしくはナートに相談されたわんこーろくらいだろう。
「……! ナート様!」
「へぁ!?」
「な、は!? おま、ナート、様!?」
「ナートお姉ちゃん!?」
イナクプロジェクトの面々と少し話をした後、ほうりは周囲の配信者を見渡す。彼女の育ちのよさそうな姿に気圧され気味の配信者たちにやさしく微笑むほうり。それだけで彼女の儚げで清楚な雰囲気が伝わるようだ。
だが、その視線がFSの問題児、ナーナ・ナートを捉えると、彼女は少し驚いたように口を開き、彼女へと歩み寄る。それだけでも皆驚いたように目を見開いていたが、さらに彼女の口から様付けされたナートの名前が出ると、周囲に混乱の渦が巻き起こった。
「ナート様、今朝の配信、見てくださり本当にありがとうございました。ナート様の配信者としての実力、間近で拝見させていただく機会を頂き、新人配信者としてこの上ない僥倖でありました」
「え、あ、うん。それならよかった、よ?」
「私の拙い配信を見かねて助けてくださったナート様の心優しさ、今後決して忘れることはありません!」
「い、いやぁ……ほうり、ちゃんもなかなかいい配信だったとおもうよ……?」
「どうぞ私のことは気軽くほうり、とお呼びください!」
ナートに駆け寄り、嬉々として話をし出すほうりに当のナートはたじたじ。ナートもFSの配信者として横の繋がりはほどほど多いが、ほうりのような自身と正反対とも言える性格の配信者との絡みは多くない。
ナートは予想外な展開にどうすればいいのか混乱しているようだった。
「ねえ、これどゆこと?」
「ワタシが知るわきゃねーだろ。一体どうなってんだ」
FSやほかの配信者は今朝のほうりとナートとの初絡みについて把握していないものがほとんどだ。自身が忙しかったというのもあるし、同グループに所属しているわけでもなく、特別仲がいいわけでもない他の配信者の事情を知る機会などほとんど無いというのもある。
なので今、札置神社に集まっている配信者の中でほうりとナートの事情をよく知っているのはナート本人より相談を受けているわんこーろのみだ。
「ふむ~ほうりさんは忘れておられるようですね~……」
「わんこーろさん何かご存じなんですか?」
「へ? いえいえ~私はなにも~」
自身を助けてくれたナートにひどく懐いているほうり。だが、それは純粋に配信者としてナートを慕っているだけのようで、ほうりはナートが実の姉であることに気が付いていないようだった。
だが、それも無理のない話だろう。ナートが家を出て推進室へとやってきたのはかなり幼いころだった。それより幼かったほうりともなれば、姉の存在を覚えているかも怪しい。
「これからどうぞよろしくお願いしますね、ナート様」
「あ……うん……そうだね……」
結局、配信者のための展示会散策の時間が終了しても、ナートがほうりに自身の事を語る事はなかった。