転生して電子生命体になったのでヴァーチャル配信者になります   作:田舎犬派

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#114 一日目の終わり

 ヴァーチャル・リンク・フェスの一日目は盛況のうちに幕を閉じた。一般参加者に大好評だったNDSを用いた"犬守村、秋の写真展"は本来抽選で選ばれた一般参加者のみが参加できることになっていたのだが、あまりにも好評すぎたことで抽選に漏れた一般参加者にも開放して欲しいという要望が数えきれない程送られ、公式配信内でそのことが言及される程となった。

 

 結果として、一人一人がダイブしていられる時間を減らすことで、他の参加者も犬守村にやって来れることとなった。

 NDSそのものの体験もそうだが、犬守村へ行けるという事実が想像以上の人を集めた要因だろう。V/L=F運営はもはや世界の何処にも存在しない原風景の魅力を過小評価していたのだ。

 

 一般参加者は犬守村へやって来てからも、そこがネットの中であることも忘れる程に感激し、涙を流す者が出るほどだった。

 今の人類が失い、若者がデータでしか知ることの出来なかった自然の風景、それを五感をもって存分に味わうことができるのだ。

 

 草木の匂い、土の感触、風の音、映像データだけでは理解できないような自然の姿を、彼ら彼女らは初めて体験した。

 

 それに加え今まで画面の向こうにしか居なかったわんこーろや狐稲利、FSの面々を間近で見るだけでなく、運が良ければ話しかけてもらえたり、狸のよーりを抱っこさせてもらったりと各配信者のファンならば卒倒ものの嬉しいサービス付き。

 

 参加配信者が現実へ戻った後も一般参加者の案内などを行っていたFSとわんこーろたちはファンの熱い視線に応えるように出来るだけ笑顔を向けたり、手を振ったり、言葉を交わすよう心がけた。

 

 さすがに彼女らに不躾に触れようとするようなマナー違反者は即刻叩き出されるか厳重注意を受けることになるが、ほとんどの参加者らは"推しが生きているだけで幸せ"とでも言うかのように恍惚とした表情で彼女たちを見守っていた。

 

 多少の混乱やハプニングがあったのは確かだが、一般の人間を参加させたイベントとしてはかなり平和にイベントは進行した。

 

 FSやわんこーろたち、参加配信者に一般参加者。そのすべての者たちの努力と、イベントを成功させたいという意志によってV/L=F一日目の公式イベントは万事滞りなく進行し、そして無事終了した。

 

 

 

 

 

 

 

「ふぃーーー疲れた疲れた」

 

 NDSのヘッドセットを取り外し、背もたれを大きく倒したリクライニングチェアの上で脱力するナート。NDSにより精神をネット内に降下させている間、肉体は睡眠時と変わらない状態であるが、やはり精神的なものが肉体を疲労しているように錯覚させてしまう。だが、それは錯覚以上のものは引き起こすことはない。

 

 ネットの中で激しい運動をしたからといって筋肉痛になることは無いし、怪我を負ったとしても現実で同じように傷つくことは無い。

 だが、錯覚というのは恐ろしいもので、"怪我をした"という思い込みが、現実の体に不調を及ぼす可能性はある。

 

 有名なのはプラシーボ効果と呼ばれる現象だろうか。病人が偽薬をそうと知らずに飲み続けると、思い込みの力によって本当に症状の改善が診られる、という現象だ。

 

 これと同じような思い込みによる肉体の変化が、NDSによって引き起こされる可能性があると開発を行った先進技術研究所は憂慮していた。

 

 その対策としてNDSにはいくつかの制御システムと安全策が備わっている。

 一つは深度(ステージ)と呼ばれる基準で、この深度の数値が高ければ高い程、NDSを利用した際の五感の感じ方が尖鋭化する。最低値は1となっており、この状態では触れたものの感触も鈍くしか感じ取ることが出来ない。逆に最大値の5ならば、ほぼ現実と変わりない感覚を得ることができる。

 

 この深度を操作することによってプレイヤーの五感の刺激をある程度コントロールすることができる。つまり強烈なストレスなどを抑制するための機能だ。

 

 なお、感度数千倍などというふざけた仕様は存在しない。

 

 

 もう一つは"仮想感応地"と呼ばれるもの。これは簡単に言ってしまえば特殊な仮想空間であり、ダイブプレイヤーの精神を保護する役割がある。

 

 先の例として挙げたプラシーボ効果だが、万人に等しく効果があるというわけでは無い。人によってその効果にはバラつきがあり、当人の思考や人格等も関係してくる。素直に相手の言葉を信じ込む者がいれば、疑い深い者もいる、ということだ。仮想感応地はそれらの個人個人のばらつきを平均化するための領域なのだ。

 

 例えるならば、100m走におけるレーンのスタート位置のようなものだ。100m走に限らない話だが、陸上競技を行うトラックは半円のコーナーと直線のレーンが繋ぎ合わされた形をしている。

 もしそのまま競技者全員が横並びで全く同じ位置からスタートすれば、もちろんより内側にいる競技者の方が距離的に有利となる。その差を修正するために、各レーンのスタート位置はそれぞれズレている。

 

 外側から内側まで長さの異なる各レーンをNDSのプレイヤーとするならば、そのレーンのスタート位置をズラす、という補正を掛けているのが、仮想感応地というわけだ。感覚の鋭い人間には過剰な刺激が流れ込まないようにこの感応地がクッションの役割をしてくれる。

 

 この二つのシステムにより、NDSの経験が無い一般参加者でも容易にNDSを利用することができた、というわけだ。

 

 

「疲れているわけがないでしょう? ナートお姉ちゃんの体はイベント中ここでぐっすりだったんですから」

 

 ナートを含めたFSのメンバーが居るのはV/L=F会場の裏、参加配信者用のNDSが設置された部屋だった。

 すでにナート以外のメンバーは起き上がり、ぐったりしているナートの周りに集まっている。

 

「うぅ~精神的な疲れは普通に感じるじゃんかぁ~……」

 

「ほーりとイチャコラしてただけだろーが」

 

「だ、だーれがイチャコラだよぅ!! ホントに疲れてんだってばぁ」

 

 イチャコラという言葉に心外だとばかりに反論し、目の前にいる○一と寝子を見る。二人に呆れた口調で責められるナートだが、その声にはいつものような元気さは無いように感じられる。そんな様子のナートへと室長がやってくる。

 

「皆お疲れ。二人ともあまり言ってやるな、今回使用したNDSはV/L=F用のものを利用しているせいでいつも使っているものとは少し仕様が違うからな、違和感があったのかもしれん」

 

「? NDSはどれも同じなのではないのですか?」

 

「モノ自体はそうだが、設定が異なっている。V/L=F会場に持ち込まれているNDSは会場で一括管理できるように紐付けされていてな」

 

 V/L=F会場のNDSは万人に広く合致するように設定されており、そのためダイブした際の仮想空間の"感じ方"もほぼほぼ同じだ。

 

 対してFSがいつもの配信で利用しているNDSはメンバーごとに設定が保存されており、より安全で長時間の稼働が可能となっている。

 これは配信などで何度もNDSを利用したことで蓄積した個人データを設定に反映させた結果であり、長期間の運用によって得られたアドバンテージだ。NDSの詳細な設定をいじり、灯が少しづつ調整に調整を重ねたことで、FSのメンバーは現在問題なく感覚深度5で仮想感応地の補助補正0という、現実とほぼ同じ感覚を保持したままネット内にダイブできるようになっていた。

 

「室長~明日も会場のNDS使わなきゃダメなの~?」

 

「いつも使っているNDSは会場のNDSと設定が違いすぎてな、一括管理出来ないと言われたよ」

 

「運営が把握できないんじゃあ何か問題があったときに対処できないからね」

 

「うぅ~それならしょうがないかぁ」

 

「それより早く帰りましょう、うす暗くなってきましたし……」

 

 寝子はそう言って窓の外を指さす。塔の街の狭い空は夕焼け色に変わっている。すでにV/L=F一日目の終了がアナウンスされ、会場は後片付けと明日の準備を行うスタッフが残っているだけとなっている。

 

 ……いや、まだ残っている配信者もいるようだ。

 

「みんなお疲れ……あら、ナートちゃんぐったりね」

 

「うぇ~……」

 

「真夜さん!」

 

「げ」

 

「げ、とは失礼ねぇ、なこそちゃんお仕置きが必要かしら?」

 

「不要ですー! それよりもどしたの? 先帰ってたと思ったのに」

 

 現れたのはすでに家に帰っていたと思っていた真夜だった。思わぬ人物の登場にナートはぐったりして反応できず、寝子は声に喜びをにじませる。対してなこそは口元を引きつらせ、後ずさり。○一に至ってはほぼ無視している状態だ。

 

「ええ、それがね明日配信する新人の子の手伝いをしてあげることになって、家に帰るのは少し遅くなりそうなの」

 

「相変わらず面倒見が良いのね……人が居ないからって新人の子に手を出しちゃダメだからね!」

 

「あらぁ、私ってそんな節操なしだと思われてる? 合意なしに無理やりなんてしないわよ。それに、こんなところじゃ雰囲気もあったもんじゃないものね」

 

「ホントかな……」

 

「いいからさっさと帰るぞ」

 

 真夜が現れたとたん不機嫌になり、会話を切り上げようとする○一。V/L=Fのイベント中はある程度会話をしていた○一と真夜だが、配信外では○一は真夜に目を合わせようともしない。

 

「ま、○一さん!」

 

 そのまま○一は一人部屋を出て行ってしまう。

 

「……まったく○一ちゃんも仕方ないなあ」

 

「すみません真夜お姉ちゃん」

 

「いいのいいの、いつものことじゃない」

 

 ○一のあんまりな態度になこそは呆れ、寝子は代わりに謝るが、真夜は何でもないように笑顔のままだ。顔に笑みを張り付けたまま、安心させようとする穏やかな表情に、二人は再度謝る。

 

(真夜さん……○一さん……)

 

 そんな様子を見ながら不意にわちるの脳裏に先日の○一と真夜の会話が蘇る。

 

 あの日、○一の尋常ではない怒声にわちるは硬直し、二人に声をかけることができなかった。盗み聞きするつもりはなかったわちるだが、○一の声に驚きその場に立ち尽くしてしまった。

 

 二人の会話から、それが聞いてはいけない話だと何となく理解した。○一が真夜を避けている理由、真夜の背中にある大きな痣、過去に何かがあったのは確実だ。

 

(……明日は私も実況に参加するし、真夜さんもお忙しい……ちゃんとお話しできる時間は無いでしょうし……V/L=Fが終わったら真夜さんは直ぐに帰られる……そうなったら、もうお話できるチャンスは、無い)

 

「それじゃあまた後でね」

 

「お疲れ様です真夜さん」

 

「ふぃ~~やっと帰れる~」

 

「あ、あのっ!」

 

 FSがそれぞれ帰りの準備を整えている間、わちるは部屋を出ていく真夜へと声をかける。突然のことに真夜は足を止め、首をかしげた。他のFSメンバーも同じようにわちるの行動に疑問を浮かべる。そもそも二人の関係はそれほど深くはない、というのがメンバーの認識だった。他のメンバーは以前より交流があり、コラボの配信などもいくらかしたことがあるのに対し、わちると真夜は直接顔を合わせたのは今回が初めてであるからだ。

 

 だから、次にわちるの口から飛び出た言葉に一同は驚くこととなる。

 

「真夜さん! 私もお手伝いします!」

 

「……あら?」

 

 その提案は、真夜本人でさえ予想していないものだった。

 


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